逆風の中の芽吹き
逆風の中の芽吹き
「またあいつかよ。やる気だけはあるんだけどな……」
「新人のくせに出しゃばりすぎなんだよ」
耳に入れまいと意識しても、オフィスの片隅で交わされるそんな声は、まるで霧のように静かに厚井彰人の周囲を包んでいた。
入社して半年。厚井は中堅商社の営業部で、最も数字に厳しい課の一つに配属されていた。上司の岸田課長は数字至上主義で、結果の出ない社員には容赦がなかった。
会議の席で、厚井が新しい提案を出すたびに、冷ややかな視線が集まった。ベテラン社員の相澤は、あからさまに小馬鹿にしたような笑いを浮かべることさえあった。
「理想は結構。でも、現場はそんな甘くないよ」
そう言われたとき、厚井は歯を食いしばった。
確かに、自分はまだ経験が浅い。商談の場でも、相手の本音を読み切れず空回りすることもあった。数字も、同期と比べて決して良い方ではない。だが、心だけは折れなかった。
帰宅後、厚井は毎晩、自分の一日の行動をノートに記録した。うまくいかなかった商談の要因分析。先輩社員の動きの観察。業界ニュースの収集。始発に乗って顧客先の近くで待機し、機会を伺って話しかけたこともある。
馬鹿にされても、黙ってやる。
相手の会社にとって本当に必要な提案とは何か。それを真摯に考え、心から相手の役に立ちたいと願いながら、資料をつくり、足を運び、言葉を尽くした。
ある日、ふとしたきっかけで中堅企業の資材担当と意気投合した。相手は「こんな真面目な若い営業、久々に見たよ」と笑い、その縁で小さな案件を一つ任された。周囲はまた鼻で笑ったが、厚井はその案件に全力を注いだ。
無理を通さず、誠実に。
価格より信頼で勝負するという信念を貫き、納品後のフォローまで丁寧に行った。しばらくしてその企業から、同系列のグループ案件が舞い込んできた。
実績が一つ、また一つと重なり、数字に現れ始めたとき、ようやく社内の空気が少し変わった。
「……意外としぶといな、あいつ」
「最近ちょっと頼りがいあるよな」
相澤もある日、厚井にこっそり耳打ちした。
「悪く思うなよ。お前みたいな“真面目すぎるやつ”が続かないの、俺何人も見てきたんだ。でも、お前はちょっと違うかもな」
それは照れ隠しだったかもしれないが、厚井には十分だった。
月に一度の全社報告会。厚井は若手代表としてプレゼンの機会を与えられた。そこでも彼は、自分の成功体験だけを語らなかった。
失敗した商談、否定されたアイデア、悔しかった日々。そのすべてが、自分を育ててくれたと。
「大切なのは、“否定”に反応して折れることではなく、どう受け止めて行動を積み重ねるかです。どんな逆風の中でも、自分のハートを信じて、真摯にやり続ければ、風向きは変わる。それを、僕は信じています」
会場には静かな拍手が広がった。岸田課長が、黙って頷いた。
その日、プレゼンを終えたあと、遥からメッセージが届いた。
《本当にすごいと思う。私も、同じように自分の信念を持って、頑張っていくね。》
厚井は、スマホを見つめてから空を見上げた。
まだ小さな芽かもしれない。だが、それは確かに根を張り始めていた。心で考え、心で働き、心で人とつながる。そんな生き方が、少しずつ形になっていく。
彼は知っていた。ここからが、本当のスタートだということを。