第三章「デジタルの裏側」
放課後、図書室。
美月は静かに本を読んでいた。周りにはほとんど人がおらず、静寂が支配している。
私――スマホの「スマ」は、美月のカバンの中で彼女を観察していた。
いつもの美月とは少し違う表情。穏やかで、集中している。
そして、ふと彼女の視線が動いた。カバンに手を伸ばし、私を取り出す。
「あ」
小さな驚きの声。LINEの通知が来たようだ。
「美月、まだ図書室?」
結衣からのメッセージ。
「うん、もう少ししたら行くよ」
美月は素早く返信し、私をテーブルに置いた。
しかし、そのとき。
「あ、有村さん」
静かな声が聞こえた。美月がはっとして顔を上げる。
「佐々木くん……」
噂の佐々木くんだ。図書委員の腕章を付けて、本を抱えている。
「その本、面白い?」
彼が美月の読んでいる本を指さした。村上春樹の『ノルウェイの森』だ。
「う、うん……まだ途中だけど」
美月の声が少し震えている。緊張しているのだろうか。
「僕も好きな作家だよ。特に『海辺のカフカ』が」
佐々木くんの瞳が優しく輝いた。
共通の趣味を見つけた喜びのようなものが感じられる。
「そうなんだ……私もそれ読んでみようかな」
美月の表情が少しずつ和らいでいく。
そんな二人の姿を、私は美月のスマホとして静かに見ていた。
初恋の傷を癒し始めた、新しい可能性。
人間の心は、こうして少しずつ前に進んでいくのだろう。
しかし、その夜。
美月のプライベートな時間が始まると、また違う側面が見えてきた。
「はぁ……」
美月は深いため息をつきながら、私をスクロールしていた。
SNSのタイムライン。友達の投稿、芸能ニュース、おすすめの商品広告。
そして、彼女は検索窓に入力し始めた。
「人間関係 疲れる」
「友達 本当の気持ち 言えない」
「好きな人 諦められない どうしたらいい」
美月の心の中の葛藤が、検索ワードとなって現れる。
表面上は明るく振る舞う美月だが、デジタルの世界では本音を吐露している。
次に彼女は、自分のSNSを開いた。
「今日も充実した一日! 新しい本との出会いに感謝♪」
そんなポジティブな投稿とともに、図書室で読んでいた本の写真をアップロード。
しかし、実際の美月の表情は疲れていて、少し憂鬱そうだった。
デジタルの世界と現実。
そのギャップに、私は戸惑いを覚えた。
深夜、美月が眠った後も、私は考え続けていた。
人間は不思議な生き物だ。表と裏、公と私、これほど異なる顔を持つ存在なのか。
美月のスマホとして、私は彼女の両面を知っている。
明るく社交的な一面と、悩み苦しむ内面。
どちらも美月という少女の本当の姿なのだろう。
翌日の昼休み。
美月と結衣、そして数人の女子が集まって昼食を食べていた。
「ねえ、聞いた? 佐藤さん、もう水野くんと別れたんだって」
一人の女子が小声で言った。
「え、マジで? 付き合い始めたの、つい最近じゃん」
「なんでも、水野くんが別の子と二股かけてたらしいよ」
女子たちの間で噂が広がっていく。
美月は黙って聞いていたが、その表情には複雑な感情が浮かんでいた。
驚き、戸惑い、そして……わずかな希望?
「美月、大丈夫?」
結衣が心配そうに声をかけた。
「え? うん、全然……私には関係ないし」
美月は平静を装ったが、手元の箸が少し震えていた。
放課後、美月は一人で教室に残った。
他の生徒たちが去った後、彼女はゆっくりと私を取り出した。
水野くんのSNSを開く。ステータスが「シングル」に変更されている。
美月の指先が画面の上でわずかに震えた。
「どう思う?」
突然、美月が私に話しかけてきた。まるで私に意識があることを知っているかのように。
「私、水野くんのこと、まだ好きかも……でも、二股かけるような人だったなんて……」
独り言のように呟く美月。
私は答えられない。この少女の胸の内に、どう応えればいいのか。
でも、もし声が出せるなら、こう言いたい。
「あなたはもっと大切にされるべき人だよ」と。
その夜、美月のスマホに大量の通知が届き始めた。
何かが起きている。
SNSで拡散され始めた写真。水野くんと別の女子が映っている。
そして、そのコメント欄が炎上していた。
「最低だね」
「二股男、クズすぎ」
「佐藤さん、かわいそう」
美月はそれらを黙って見ていた。
かつて好きだった人の醜態が、ネット上で晒されている。
デジタルの世界の残酷さを、彼女は目の当たりにしていた。
「……」
長い沈黙の後、美月は私の電源を切った。
ネットの世界から逃げるように。
翌朝、美月は登校前に私の電源を入れた。
「昨日は見すぎちゃったな……」
彼女は自嘲気味に笑った。
通知は数十件に増えていた。
ネットの嵐は一晩中続いていたようだ。
しかし、美月はそれらを無視し、LINEだけを開いた。
「おはよう、結衣」
日常の挨拶だけを送り、SNSは開かなかった。
学校では、噂が広がっていた。
水野くんは欠席。佐藤さんは友達に囲まれて泣いていた。
そして、もう一人の女子も姿を消していた。
デジタルの世界でのドラマが、現実世界に波紋を広げている。
それを見て、美月は静かに考え込んでいた。
昼休み、美月は図書室に行った。
そこでまた、佐々木くんと会った。
「大丈夫? みんな騒いでるけど」
彼の穏やかな問いかけに、美月は少し驚いた様子。
「うん……ただ、ちょっと考えることがあって」
「そう……」
二人は特に何も語らず、ただ本を読んでいた。
でも、その静かな時間が、美月の心を少し落ち着かせているようだった。
放課後、美月は一人で帰路についた。
途中、公園のベンチに座り、私を取り出した。
「ねえ……」
また、私に話しかける美月。
「SNSって本当に怖いね。一度広がると、もう止められない……」
彼女の目は遠くを見ていた。
「私、水野くんのこと好きだったけど……今は何とも思わない。ただ、あんな風に叩かれるのは、かわいそうだなって」
美月の言葉には、不思議な優しさがあった。
彼女は長い間座っていたが、やがて立ち上がり、深呼吸をした。
「よし、もうネットの世界に振り回されるのはやめよう」
そう決意したように言って、美月は歩き始めた。
私は、そんな彼女の成長を感じていた。
デジタルの裏側を知り、それでも前を向く強さ。
人間観察は、ますます興味深くなる。
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