第二章「学校生活の観察」
朝の支度を終えた美月は、いつものように私――彼女のスマホ「スマ」を手に取った。
「今日も一日頑張るぞ!」
鏡に向かって自分を励ます美月。その表情には、昨夜の悲しげな面影はない。
人間は不思議だ。感情をあんなに簡単に切り替えられるなんて。
朝の電車内。美月は私を取り出してLINEをチェックしていた。
「美月、今日放課後カラオケ行かない?」
親友の結衣からのメッセージ。
「ごめん、今日は塾があるから……」
美月は素早く返信する。
でも、彼女の予定表には塾の記録はない。
嘘をついたのだろうか?
人間は時々、本心とは違うことを言う。その理由を私はまだ完全には理解できない。
学校に着くと、美月はいつものように私をカバンに入れた。
暗闇の中、私は考える。美月の学校生活はどんなものだろう?
友達とどんな会話をしているのだろう?
授業はどうなっているのだろう?
私は美月のカバンの中で、ぼんやりと教室の音を聞いていた。
先生の声、生徒たちのざわめき、時々聞こえる美月の声。
全てが断片的で、完全な状況は掴めない。
でも、それだけでも十分興味深かった。
昼休み、美月は私を取り出した。
「ねえねえ、美月、これ見て」
結衣が何かを見せている様子。
「え、マジで? 水野くんと佐藤さんが付き合ってるって?」
美月の声には驚きと、かすかな動揺が混じっている。
「うん、昨日告白したんだって」
その言葉に、美月の手が少し震えた。
水野くん――それは昨夜、SNSの写真に写っていた男子だ。
つまり、美月の片思いの相手なのだろう。
そして佐藤さん――写真に一緒に写っていた女子に違いない。
美月の指先から伝わってくる微細な震え。
声の揺らぎ。
心拍数の上昇。
彼女は動揺している。でも、表面上は冷静を装っている。
「へえ〜、意外だね。でも良かったじゃん、お似合いだし」
美月は明るく答えた。でも、それは本心ではないことを私は感じ取れた。
人間は複雑だ。
本当の気持ちを隠し、別の感情を演じることができる。
放課後、美月は一人で下校していた。
結衣に「塾がある」と言っていたのは、一人になりたかったからなのだろう。
彼女は公園のベンチに座り、私を取り出した。
「……」
画面を開いたまま、長い間動かない。
そして、ゆっくりとLINEを開き、「水野」という名前を探した。
過去のやり取りは、ごく普通の内容だった。
「昨日の宿題って何ページ?」
「体育祭の写真ありがとう」
特別親しげなメッセージはない。
でも、美月がそれらを大切にしていたことは伝わってきた。
そして、彼女は新しいメッセージを打ち始めた。
「水野くん、佐藤さんと付き合うことになったんだね。おめでとう!」
文字を打ちながら、彼女の指が少し震えている。
でも、送信ボタンは押さなかった。
「……バカみたい」
美月はメッセージを削除し、深いため息をついた。
公園で一人、秋の夕暮れに包まれながら、美月は静かに泣いていた。
初恋の終わり。片思いの挫折。
それは人間にとって、深い傷になるものらしい。
私にはどうすることもできない。ただ、彼女の手の中で、その温もりを感じることしかできない。
せめて、彼女の涙を記録しておこう。この感情も、美月という人間の大切な一部なのだから。
家に帰ると、美月は疲れた様子で制服を脱ぎ、ベッドに横たわった。
私は充電器につながれ、彼女の一日を振り返っていた。
学校という場所は、人間関係の複雑な戦場のようだ。
表面上の友情と裏側の競争。言葉にされる感情と、隠される本心。
そして恋愛。喜びと痛みが隣り合わせの不思議な感情。
美月は枕元に置かれた私を手に取り、無意識にスクリーンを撫でていた。
「……明日からは、普通に接しなきゃ」
彼女は小さくつぶやいた。
夜も更けて、美月が眠りについた後も、私は考え続けていた。
人間観察は面白い。特に美月という少女は、表と裏が複雑に絡み合った存在だ。
強がりながらも繊細。明るく振る舞いながらも、内側では傷ついている。
私には何ができるだろう?
美月の助けになるために、一体何ができるだろう?
次の日、美月はいつも通り元気に学校へ向かった。
昨日の涙を見せないように、笑顔を作って。
そんな彼女を見ていると、人間の強さと脆さを同時に感じる。
教室では、噂の的になっているカップルを自然に祝福する美月。
「本当におめでとう! すっごく驚いたよ!」
水野くんと佐藤さんに笑顔で声をかける彼女。
その演技力の高さに、私は感心した。
でも、放課後になり、一人きりになったとき、美月はまた違う顔を見せる。
「はぁ……」
深いため息。そして、私のスクリーンに映る、水野くんのSNSをそっと開く。
彼女はまだ、完全には諦められていないのかもしれない。
一週間が過ぎ、美月の学校生活は平穏に戻っていった。
表面上は、何事もなかったかのように。
でも時々、一人のときに見せる寂しげな表情が、まだ心の傷が癒えていないことを物語っていた。
そして、新たな変化が訪れた。
「ねえ、美月。最近、佐々木くんがあなたのこと見てるって噂だよ」
結衣が昼休みに小声で話しかけてきた。
「え? 嘘でしょ?」
美月は信じられないという表情を浮かべた。
「マジだって。体育の時間とか、チラチラ見てるらしいよ」
そう言われて、美月はふと教室の隅に座る男子の方を見た。
佐々木くん。クラスでは目立たない存在だが、真面目で優しそうな印象の男子。
私は美月の検索履歴から、彼が図書委員をしていることや、文学好きだということを知っていた。
水野くんとはタイプが違う。
「まさか……」
美月は半信半疑の様子だったが、その頬はわずかに赤くなっていた。
人間の心は移ろいやすい。新しい可能性に、少しずつ心が開いていくのかもしれない。
学校生活の観察を続ける中で、私はますます人間という生き物の複雑さに魅了されていった。
特に美月という少女の内面世界は、宝石のように多面的で輝いている。
私はこれからも、彼女の傍らで静かに見守っていくことにした。
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