Sub Episode: 在りし日の約束
【本日の更新(3/4)】
□■□
――力さえあれば、全てを救えると思っていた。
――勇気を示せば、あらゆる困難に立ち向かえると思っていた。
しかし、力だけで人の心は救えない。
勇気だけでは力及ばない。
心と体。どちらも伴わなければ、真に人を導く光たり得る事などできぬのだ。
勇気と力。
二つ揃ってこその“勇者”なのだから。
□■□
――ゴガッ!
木剣とは思えぬほどの鋭い一撃が、修練用の人形を破砕する。
その場に居た鍛錬中の騎士たちは視線だけを動かし、音の主を確認した後、何事もなかったかのように鍛錬に戻る。
彼女ならば造作もないと、誰もが思っているからだ。
「…………」
螺旋のように束ねられた青髪が、陽光を浴びて銀色に輝く。
彼女の踏み込んだ地面には怪物のような足型が残り、振り下ろされた木剣からは焼け焦げたような煙が立ち込めていた。
そのまま息を吐き出し、流麗な所作で木剣を振り払うと、
「見事だな、リリィベル」
後方から、短く切り揃えられた赤髪の女騎士が、手鳴らしと共に顔を出した。
「ローズベル」
リリィベルと呼ばれた女騎士……ブランカ・リリィベルが、額の汗を拭いながら振り返る。
ブランカ・リリィベル。
オルスカ・ローズベル。
彼女らはこの国の若手騎士として注目されており、共に切磋琢磨し合う親友でもあった。
「先日、剣スキルを極めて固有奥義に至ったばかりだと言うのに、大したものだ。流石は我が国最強の女騎士と謳われただけはある。己もあやかりたいものだよ、まったく」
ライバルの一歩後を追う形であるオルスカ・ローズベルは、憎々しげにつぶやきながらも、穏やかな瞳をブランに向けている。
ブランもまた、彼女の視線を真っすぐに受け止めて、
「ならば私と同じ趣味を持つか? 鍛錬とは別に、毎日のジョギングに筋トレ、そして運動後の入浴ほどいいものはないぞ」
「冗談言うな。貴殿の趣向はオッサン臭い」
「おっさ……」
「クク……。相変わらず趣向とは別に、内面は根っからの乙女のようだな」
涙目でうなだれるブランをひとしきり笑った後、彼女はくるりと木剣を引き抜いた。
「さて。己もこのまま負けるつもりはないからな。貴殿の会得した奥義が“破壊力”に優れた技ならば、己はそれを補う“速さ”でもって、貴殿の横に並び立とう。共に王家と民たちの剣となるぞ」
「ああ……」
そう言うと、赤毛の女騎士はブランと入れ替わる様に修練場へ入っていく。
軽い口調とは別に、木剣を握りしめる両の手は強く打ち震えていた。
「……何時いかなる時も立ち止まる事無く、勇気を持って、常に未来を見据えて歩み続ける。私にとっては、貴女の方こそ最強の名が相応しいと思うのだがな、ローズベル」
黙々と打ち込む親友の背をしばし眺めた後。
交代の時間となった為、ブランは他の騎士たちと同様に訓練場を後にした。
「ああ……! リリィベル殿、良い所に! さっき王女殿下がここを通られませんでしたか?」
王城の廊下を歩いていると、ブランはメイド長から声をかけられた。
何やら彼女は慌てた様子であり、その理由をブランは何となく察していた。
「……また午後の講義を抜け出されたのか……」
「そうなのです! 王位継承者たるもの、帝王学を身に付けていただかなければならないのですのに!! 殿下はッ! サボって! ばかりなのですッ!!」
「メイド長……! お気を確かに……」
ブランは憤るメイド長を宥めた後、「見つけたら首根っこひっつかんで連れ来てください!」と、般若のような形相で走り去る彼女を何とも言えない表情で見送った。
そして、
「……マリィ。そこに隠れているんだろう? 出てきなさい」
まるで悪戯好きな妹にでも向けるような声音で、ブランは静かに言い放つ。
……すると、壁に立てかけられた絵画がくるりと回転し、壁の一角が隠し扉のようにギギィ……と開いた。
「ふふふ……よくぞ見破ったわね、ブラン」
何やらカッコつけたポーズを取ったまま、煌びやかなドレスに身を包んだ少女が姿を現す。
長時間同じ姿勢を取っていた為か、足の先がプルプル震えていた。
「……マリィ。……いえ、王女殿下。また帝王学の講義を抜け出されましたね。メイド長がお怒りでしたよ」
ため息をつきながら歩み寄るブランに対し、マリィと呼ばれた王女は食い気味に答える。
「だってしょうが無いじゃない! わたしの場合、真面目に講義を聞いても内容の9割は理解できてないんだから、時間は有意義に使った方が良いと思うの!」
「またそんな事を……」
屁理屈と駄々をこねる年下の幼馴染に呆れながら、ブランはスッと右手を構えた。
「えっと……。その手は何かしら……?」
「見つけたら首根っこ引っ掴んで連れて来いと言われましたので」
じり……じり……とにこやかな顔でにじり寄るブランに対し、王女はあくまで平静を装う。
「ねぇブラン? わたしは分かっているわよ。貴女はいつだってわたしの味方だってこと」
「それはようございました」
するとブランも笑顔のまま、掲げた手のひらをゴキっと鳴らす。
「では私が、貴女の為を思ってメイド長に突き出すと分かっておいでですね。これで抵抗する王女殿下を多少キュッとしても心が痛まなくて助かります」
「多少キュッとするってなに!?」
涙目で狼狽える彼女へ、ブランがさらに近づいてくる。
ちなみにブランの特技はリンゴ搾りだ。
どうやって搾っているかは、乙女の秘密とさせて頂きたい。
「ふ……フフッ……。そうやって脅せば、わたしが言いなりになると思ってるのかしら」
しかしここで取り乱してはいけない。
これではブランの思うツボだ。
ここは毅然とした態度で威嚇しなければ。
「ねぇ、ブラン」
マリィはキリッとした表情で、目の前の女騎士に向き直る。
そして、大きく両手を広げると、
「すみません命だけは助けてください心を入れ替えて真面目に講義を受けますからほんとかんべんしてくださいお願いします」
そのまま流れるような動作で降伏のポーズを決めて、彼女は壊れた人形のように涙目でひたすら首を振り続けた。
「やっと終わったぁ……」
「お疲れ様、マリィ」
夕暮れの庭園でテーブルに突っ伏す王女殿下に対し、ブランはくだけた口調で接する。
この庭園のテーブルにいる間、二人は王女と騎士という肩書きを忘れ、幼い頃のように友人として過ごしていた。
「あーあ、ドレスも窮屈で着ていて苦しいし、いやになっちゃう。もし生まれ変わるなら男の子がいいなぁ。そしたらブランとも結婚できるのに」
「!?」
「冗談よ」
いたずらっぽく笑うマリィに対し、ブランは呆れ顔を作る。
彼女の独特なペースにいつも振り回されているブランではあるが……不思議と悪い気はしなかった。
マリィは、はふぅとため息をついて、遠い目で空を眺める。
「……だいたい、わたしが帝王学を学んで何になるのかしら。どうせわたしはお飾りになるのだから、他の事をしていた方が建設的なのに……」
「他の事?」
「そ。これよ!」
そう言ってマリィは、テーブルの上に何かを広げる。
テーブルいっぱいの羊皮紙に記されたその内容は……。
「これは……図面? ……すごく大きな建物だ。マリィ一人で書いたのか?」
「ええ。じつはあの隠し部屋でね、こっそり建築学を勉強しながら、図面を引いていたの。……身分の差なく、誰でも気軽に見れる大きな“劇場”を、この王都に建ててみたくって。ほら、こことか太陽の光を取り込んで演出に使ったり……」
純粋な瞳で夢を語る幼馴染に、ブランは優しく視線を交わす。
「……そうか。マリィは昔から、演劇や歌劇が好きだったな」
「よく二人で城を抜け出して、市内の広場で大衆劇を見に行ったわよね」
帰った後、メイド長に怒られるまでがセットの思い出を懐かしみながら、マリィは茜色の空を見上げる。
「……世の中、辛いことばかりでしょう? だからそんな時は、嫌な事を全部忘れるくらい……うんと笑える喜劇をこの劇場で公演するの!
この国の皆が、『明日を笑顔でいるために』……ってね」
――明日を笑顔でいるために。
いつだったか口ずさむようになった彼女の口癖に、ブランは優しく微笑んだ。
「マリィはその言葉が好きだな」
「だって素敵じゃない? 明日を笑顔になれるように、今を精一杯生きようって言葉なの。どんな辛いことがあっても前向きになれる、魔法の言葉なのよ?」
両手を大きく広げて、マリィはその場から立ち上がる。
ブランは静かに腕を組み、思い出すように首を捻った。
「しかしその言葉……誰かの受け売りだったか? 以前、他の場所で聞いた事があったような……」
「いいえ。私が自分で考えたの!」
「自分で作った言葉を自画自賛したのか……」
「ふふっ。でも他にも考えた人がいたのね。それって良いことだわ。なぜなら素敵な言葉を考えた人間が、この世界には少なくとも二人以上いるって事だもの。もっともっと増えると良いわね」
無邪気な笑顔をのぞかせて、マリィはとすん、とその場に座りなおした。
「まあでも、お金がないから劇場はしばらく無理かなー」
「急に現実的な話になったな……」
「だってそうでしょ? 魔王軍との戦いに備えて軍備を増強している中、劇場なんて作っちゃったら、いろんな人の反感を買っちゃうわ。
でも夢を見るくらいは無料だし?
順序は逆になっちゃうけど、いつか平和になって、この国が豊かになった時を想定して、この大劇場の図面を引いていたの!」
いつか平和になって、国が豊かになったら。
……それが自分たちの代で叶わぬ事を、彼女たちは知っている。
けれど、せめて今だけは、マリィと共に夢を見ていたいと、ブランは思った。
「……では、国をそう導くのが為政者の役目だな。マリィ」
「だから私はお飾りだってばー。……でもじゃあその時は、ブランも騎士としてよろしくね」
「ああ、私も騎士として勤めを果たすとも。この命に代えても、マリィの愛するこの国を、人々を、絶対に護ってみせる」
「お、言ったわねブラン。じゃあ約束よ!」
夕日に照らされた庭園の中、彼女たちはひとしきり笑い合う。
美しき朱色の日差しは、気づけば闇色に変わりつつあった。
「ね、約束よブラン。だから、わたしが来るまで皆を護ってね。そこに生きる人々を、未来の勇者たちを――」
どうかお願いね、ブラン。
みんなを、護って。