7 レオン 1
俺はレオン・ヴォルテーヌ。公爵家の双子の片割れだ。もう片割れは姉のジャネット。そっくり同じ黒髪と紺色の瞳、自分で言うのもなんだが天使のように可愛い双子と評判だった。
大人しくて聞き分けのいいジャネットとは違い、俺は目を離せばどこへ行くかわからない、危うい子供だったらしい。勉強の時間もじっとしていられずすぐに放り出して遊びに行ってしまう。将来公爵家を継ぐべきただ一人の男子だというのに先が思いやられる、と両親は嘆いていたようだ。
家庭教師もしょっちゅう入れ替わる。俺が嫌がったり、向こうが匙を投げたりでどうにも長続きしない。
「レオンのせいで勉強がいつも中断しちゃうじゃない。前の先生は良い方だったのに!」
ジャネットに怒られるのもいつものことだった。
そうこうするうちに俺は10歳になった。12歳で貴族学園に入学が決まっているから、親の圧力も強くなってきていた。
「次の先生方はとても高名な方々です。ちゃんと、心して学ばなければなりませんよ」
まあいい、また生きたカエルでも目の前に出してやれば卒倒して辞めるだろ……なんてふざけたことを考えていた俺。しかし、顔合わせの日に俺は言葉を失った。
「リュシエンヌ・ソワイエです。ジャネット様、レオン様のお相手を務められるかどうかわかりませんが、精一杯頑張ります」
明るい光の差す子供部屋で、年嵩の家庭教師たちに混じって紹介されたリュシエンヌ。天使のようなその愛らしさに俺はたちまち心を奪われた。
「リュシエンヌ嬢は、勉強の合間にあなたたちの遊び相手になってもらいます。息抜きをしながらのほうが勉強が捗るでしょう」
どうやら誰かにアドバイスを受けたらしい母の言葉。そうか、これからは毎日この子に会えるんだ!
それから俺は変わった。俺が勉強しているあいだ、リュシエンヌは後ろに座って一緒に授業を聞いている。彼女にいいところをみせたくて、俺は必死で予習をし、問題をスラスラ解いていった。
「素晴らしい! レオン様は本当に優秀ですわ」
偉い先生たちも俺を褒めてくれる。その言葉をリュシエンヌが後ろで聞いていると思うと、誇らしくてたまらなかった。
「授業は終わったぞ! リュシエンヌ、遊ぼう!」
時間になると俺はすぐに彼女の手を取り庭に駆け出す。ジャネットもリュシエンヌが大好きで、もう片方の手はジャネットがしっかり握っている。
「今日は何をして遊びましょうか?」
「かくれんぼがいいわ!」
「ブランコだよ! 空まで高く漕ぐんだ!」
俺たちの要望をリュシエンヌはいつも叶えてくれる。たまには喧嘩の仲裁をしたり、3人でお茶会ごっこをしたり、木陰でお昼寝をしたり。人生の中であれだけ幸せだったのはあの時以外にないとすら思う。
両親は、俺の変わりようを喜んでいた。
「今度の先生方は相性が良かったのねぇ。ぐんぐん成績が伸びて。これなら安心だわ」
違うんだ、母上。教師のおかげではないんだ。俺はリュシエンヌに褒めてもらいたいから……早く勉強を終わらせて彼女と遊びたいから頑張っているんだ。
この気持ちを、俺は何と表現していいか知らなかった。まだ、恋だとは思っていなかったから。
しかし終わりは突然訪れる。ある日の夕食の席、母の言葉で俺は絶望に落とされるのだ。
「あなた、クレマン伯爵家のマルセルの婚約が決まったそうよ」
「おおそうか、彼ももうそんな歳か。お相手はどこのご令嬢だ?」
「それがね、あなたも知っている子よ。子供たちの遊び相手をしてくれているリュシエンヌなの」
(……え?)
「なるほど、あの子なら美男美女でぴったりだなぁ。人柄もいいし、頭も良い。賢夫人になってマルセルを支えてくれるだろう」
頭がガンガンする。リュシエンヌが、婚約? 誰かのお嫁さんになる?
その時初めて、俺はリュシエンヌを好きなんだと気がついたのだ。彼女が誰かと結婚するなんて、考えただけでも心が壊れてしまいそうだ!
「明日リュシエンヌが来る日だから、お祝いの品を何か渡したいわ!」
ジャネットが無邪気に笑う。
「そうね。じゃあ明日の朝早く商人に何か見繕わせて持って来させましょう。レオンは、どうするの?」
俺はぼんやりと顔を上げた。しかし頭の中はフルスピードで回転している。結婚の祝いなんて言いたくない。嫌だ、婚約なんてしないで! って絶対言ってしまう。顔を合わせるわけにはいかない。だから。
「父上。私は明日にでもアステリアに留学したいです」
「なんだレオン、突然」
「前から考えていたのです。アステリアは学園入学も早く、7歳からだと聞いています。すぐにでも編入して、向こうの優れた文化を吸収したいと思っているのです」
「しかし何も明日行かなくとも。わしは今聞いたばかりだぞ」
「勉強に熱が入っている今だからこそです。お願いします。明日、留学手続きを取ってください」
結局は子供に甘い父だ。すぐに執事を呼んで手配を命じ、二日後には出発することになった。
「レオン、あなたリュシエンヌに失恋したから逃げるんでしょ」
二人きりになった時、ジャネットに言い当てられた。
「うるせぇ。黙ってろよ」
「別に誰にも言わないけど。初恋は実らないものだって言うし、どうせなら好きですって言ったら? 当たって砕けたほうがキッパリ諦められるんじゃないの?」
「6歳も歳下のこんな子供に告白されたって、本気にするわけないだろ? 言えないよ、こんなこと。だから俺は失恋を癒すためにアステリアに行く。傷が塞がるまで帰らないから」
そう言って出発し、意地でも帰らなかった俺。
マルセルの結婚式も相手がリュシエンヌだと思い込んでいたから欠席し、ジャネットの結婚式ですら体調不良を理由に行かなかった。
そしてアステリアの学園を卒業した後は大学に進み、いつの間にか12年が経とうとしていた。その間に親から見合いの話はバンバン来るし、アステリアの令嬢たちからのアタックも多かったが、俺は全て断っていた。
(だって俺はまだ、リュシエンヌを忘れていない)
自分でもバカだと思う。今頃彼女は子供を二人くらい産んで、いい母親になっていることだろう。俺のことなんか思い出しもしないで……。
向こうに帰れば社交界で彼女に会うことがあるだろう。だがまだそれは耐えられないんだ。もう少し、もう少しだけ……。
しかしこんな状態にも突然終わりが来る。
父が急な心臓発作で倒れたのだ。