2 目覚め
身体が重い。まるで自分のものではないみたい、とリュシエンヌは霞のかかる頭でぼんやり考えていた。幼い頃高熱を出したあと、こんな風に力が入らないことがあった。不安で泣きたくなって、でも目を開けるとお母様が優しく微笑んでくださっていた。
(早く、目を開けなきゃ……みんな心配しているわ)
ゆっくりと目を開いたリュシエンヌ。見知らぬ男性が心配そうに覗き込んでいる。
「リュシエンヌ……⁈ 」
(誰……? お兄様とは違う男の人……)
ぼんやりとしていた視界が次第にはっきりしていく。ドアがバタンと開き男性がもう一人駆け寄ってきた。
「リュシエンヌ……リュシー! 目が覚めたのか!」
「お……兄様……?」
リュシエンヌは、涙を浮かべる兄フランソワの顔に違和感を覚えた。何かが違っている。でも、何が?
フランソワは戸惑うリュシエンヌを抱きしめ、おいおいと泣き始めた。その側にはキツい目をした女性、その人のドレスをきゅっと掴んだ子供が二人。ベッドの反対側にはさっきリュシエンヌを覗き込んでいた男性が立っている。黒髪に紺色の瞳。これまでに見たこともないほど美しい人だ。
(……この人たちはいったい誰? どうして私の部屋にいるの?)
「フランソワ、リュシエンヌは混乱しているようよ。まずはお医者様に、問題がないか診てもらいましょう」
女性がフランソワにそう話し掛けると彼はすぐにリュシエンヌを抱いた腕を解いた。
「ああ、そうだ、そうだな、もちろん」
フランソワはリュシエンヌの髪を愛おしそうに撫で頬にキスをして、女性とともに部屋を出て行った。医者を呼べ、とメイドに命令しながら。
部屋に残った美しい男性は跪き、そっとリュシエンヌの手を取った。
「リュシエンヌ、目覚めてくれてありがとう。これであなたと結婚式が挙げられます」
(えっ? 結婚? どういうこと……?!)
混乱するリュシエンヌだが、その後すぐにやってきた医師が診察のために男性を部屋の外に出したのでそのことについて尋ねることはできなかった。
医者はリュシエンヌをゆっくりとベッドから立ち上がらせていろいろな動きを観察し、ひどく驚いていた。
「不思議なことだ。ずっと寝ていたのに筋肉のこわばりもない。眠った時のそのまま、若い身体のままだなんて……」
(若いまま? どういうことかしら)
訳が分からないリュシエンヌ。医師が下がり代わって入ってきたフランソワはさっきの女性と子供を連れていた。
「ではリュシエンヌ、改めて紹介しよう。これは私の妻マノン。そして長男のアンリと長女のミシェルだ。お前の甥、姪になるんだぞ」
「あのお兄様、私さっきからよくわからないのです。お兄様はまだ結婚どころか婚約もしていないはず。それなのに子供だなんてどういうことなの? あと……お兄様はもっと痩せていて髭も生やしていないはずなのに」
リュシエンヌにとって兄フランソワは20歳の青年なのである。だが今目の前にいるのはすっかり貫禄の出た姿。
「ああそうだな。お前は寝ていたからわからないのだ。いいかリュシエンヌ、よく聞きなさい。お前は16歳のある日からずっと眠り続けていた。そしてそれからもう、12年経っているのだよ」
「えっ? 眠り続けて……?」
「そうだ。何をやっても起きることはなく、父上や母上もそれはもう心配し、あらゆる手を尽くした」
その時初めてリュシエンヌは父母のことを思い出した。
(そうだわ。こんな時お母様ならいつも側にいてくださるのに)
「お兄様、お父様とお母様はどこに?」
「……もう亡くなった。二人とも病気で、最後までお前のことを心配しながら逝ったよ」
「嘘……そんな……」
リュシエンヌは呆然とするしかなかった。昨日まで一緒に過ごしていた両親は既に他界し、兄は結婚して子供もおり、子爵家当主になっているなんて。どう理解したらいいのだろう。
「まあ信じろと言うほうが無理だとは思いますけれどね。眠り続ける人間なんて、私だってこの目で見るまでは信じられませんでしたし。フランソワは涙が止まらないようですから、私が説明しますわ」
義姉マノンは冷たい物言いをする人間に思えた。冷静で合理的な人なのかもしれないが。
彼女の説明によると、12年前から今日までリュシエンヌはずっと眠り続けていたのだという。その間、両親は国内外の医者に診せたが結果が出ず、最後はまじない師にまで頼っていたらしい。
「そのせいでずいぶんと財産を食いつぶしてしまったみたいで。今私たちが苦しい思いをしているのもそのせいなんです」
「やめないかマノン。リュシエンヌには関係のない話だ。父母にとって可愛い娘なのだから、できるだけのことをしてやりたいと思うのは当然じゃないか」
しかしマノンはフランソワをキッと睨みつけている。
「でもねえ。日当たりのいい部屋を占領して、着られもしないのに毎年新しいドレスを用意して。そんなお金があるなら私の子供たちに回してもらいたいのに」
「申し訳ありません……私……ずいぶん迷惑をかけて……」
まだ理解できていないにも関わらずリュシエンヌは謝る他なかった。そのくらい、マノンからは憎しみとも取れるような激しい感情が向けられていたのだ。
「マノン。お前が心配していたのはよくわかっている。私たちが先に死んだら、子供たちにリュシエンヌの面倒をみさせることになってしまうのを恐れていたのだろう? だがこうしてリュシエンヌは目覚めた。しかも、ヴォルテーヌ公爵がいるではないか。彼はすぐにでもリュシエンヌを公爵邸に連れて帰ると仰っている」
(え? ヴォルテーヌ公爵様が? 私を?)
するとマノンは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「まあ、そうね。支度金は驚くような金額だったし、本当にありがたいことだわ。眠ったままでも構わないと言われた時には驚いたけれどねぇ」
(何を……何を言っているのかしら、この人は)
リュシエンヌはマノンを恐ろしいとさえ感じていた。




