始まりは嵐の夜に!
短めの【ほんのり恋愛・だいぶコメディー】なお話です。深く考えずにサラッと読んで下さい。
その日は嵐の夜だった。
降り始めた雨と風をものともせず、その日の夜会はいつも以上に賑わっていた。
何故なら王国屈指の美形と名高い若き公爵が、一年ぶりに夜会に出席したからだ。
彼の両親である前公爵夫妻は不幸にも馬車の事故で亡くなり、彼はこの一年、喪に服していたのだ。
婚約者がいないベアトリスは、父親であるファーガス伯爵アンドリューにエスコートされ夜会に出席していた。
「いいか?ベアトリス。おとなしく、慎ましやかに!例の事をペラペラ喋るんじゃないぞ!十七歳にもなるのに婚約者がいない貴族令嬢なんてお前くらいだぞ!」
「はいはい、お父様、聞き飽きましたわ~。心配しすぎでハゲますわよ」
「誰のせいだとっ…!?もう遅いわ!……」
口うるさい父親を無視してベリージャムを挟んだ一口大の小さなパイを食べていると華やかな集団が現れた。これでもか、と気合いを入れて着飾った年頃の令嬢達に囲まれた、二十五歳の若き公爵、エドゥアルト・モーティー、その人である。
艶やかな黒髪はまるで最高級の絹糸のよう、両の瞳は極上の紫水晶のごとく。亡くなった父親は王弟、つまり彼は国王陛下の甥である。令嬢達が夢中になるのも無理はない。
──だけど、公爵様は迷惑そうね。
その集団に混ざる気が全く無いベアトリスが他人事のように考えながら口直しに炭酸水を飲んでいると、ひときわ強い風が吹き会場の窓ガラスの一部が割れた。
近くの人々が悲鳴をあげ、使用人達が後片付けを始めたその時、それは起きた。
「おお!この風を待っていた!皆、心配はいらない。この風は私を迎えに来たのだ。風の精霊王シルフレイアが!」
(((………………………)))
会場は静まりかえった。
華やかな場に相応しく、音楽を奏でていた楽団も手を止めた。
誰もが会場の中央に両手を広げて雄々しく立つ若き公爵に注目し、これ以上ないほど驚愕した。
それもそのはず、いったい誰が想像できようか?
今をときめく公爵様が、王国から遥か東にある小さな島国特有の病、《チューニ病》に感染していようとは!
人々は絶望した。この病には特効薬が無いからだ。
凍りついた会場をよそに若き公爵様は続けた。
「シルフレイアは美しい女神だ。これ以上お嬢様方に囲まれていては嫉妬した彼女に嫌われてしまうかもしれない。そんな事には耐えられない!宴もたけなわだが、これにて失礼させていただく。それでは皆様ごきげんよう!」
もはや割れた窓など誰も気にしていなかった。
が、ベアトリスは人々とは違う理由で衝撃を受けていた。静まりかえった会場とは真逆に彼女は感動にうち震えていたのだ。
──まさか…まさか公爵様があのような方だったなんて!風の精霊王シルフレイアをご存じだなんて!
「…ベア?ベアトリス?」
──はっ!こうしちゃいられないわ!公爵様とじっくりしっかりお話がしたいわ!
「おい、ベアトリス?…お前まさか…止めろ!」
ベアトリスはもはや我慢の限界だった。是非とも公爵様に言わなくてはならない事がある。引き留める父親を振り払い、叫んだ。
「モーティー公爵様!私と結婚して下さいませッッ!」
「ベアトリスぅぅぅ~~!」
ファーガス伯爵アンドリューは膝から崩れ落ちた。
頭を抱えて床と仲良くしている伯爵に周囲は同情した。きっと日頃からお転婆な娘に振り回されているに違いない。
足早に立ち去ろうとしていたモーティー公爵は立ち止まり、ゆっくり振り返りながら言った。
「ご令嬢、冗談はおよしなさい。貴女の名誉が傷付く。お父上も困っていらっしゃるではないか……特に生え際に……」
「お父様の生え際はいつもこうです。お気になさらず。そんな事より!」
「ベアトリス!?…そんな事って…」
「…ご、ご令嬢…」
「お母様の助言に従い、頭皮のマッサージやら髪に良いとされる食品やら睡眠時間やら色々試しておりますけれど、いっこうに改善の気配すらありません!ですからお気になさらず。そんな事より!」
「うぅ…サラ、愛しき妻よ。ごめんよ…結婚前のフサフサに戻れなくて…」
「……………」
両手で顔を覆いシクシクし始めたファーガス伯爵に、モーティー公爵も周囲の人々も、もはやかける言葉が無かった。モーティー公爵に熱をあげていたご令嬢達まで同情の眼差しで見ているではないか。
「私は本気ですわ、モーティー公爵様!この風が貴方を迎えにいらした風の精霊王シルフレイアなら、雨は大勢の眷属達を連れて私を応援しに来て下さった水の精霊王ウンディールですわ!」
「ベアトリスぅぅぅ~~!」
─なんと!?二人目の《チューニ病》患者が!─
─精霊王って応援に来るんだ……─
─そもそも精霊王って実在する…の…?─
─ファーガス伯爵、床と親友じゃない?─
会場の人々は疑問に思ったが口には出せなかった。ベアトリスの言葉にモーティー公爵が意外なほど真剣な眼差しになったからだ。皆、固唾をのんで見守った。
「もう、お父様ったら……。
【《母なる創造神・マーテライア》が新たな大地に足を踏み出したその時、そのかすかな足音からは"地の精霊王ノーマン"が生まれ、その背に流れる髪からは"風の精霊王シルフレイア"が生まれた。
世界の美しさに声をあげて泣いた時、流した涙からは"水の精霊王ウンディール"が生まれ……】」
「「【泣き声からは"火の精霊王サラマンデラ"が生まれた】」」
最後の一節はモーティー公爵とベアトリス、二人の声が重なった。二人はお互いを見つめ合い無言のままだが、目と目で会話をしているようだ。
先に口を開いたのはモーティー公爵だった。
「……何故貴女が【精霊王の聖典】の一節をご存知なのですか?あれはその道を極めたい者達垂涎の、知る人ぞ知る秘密の書物。私も写しを持っていますが」
「はい、モーティー公爵様。今は亡き父方の祖母から遺されたのでございます。こちらも写しのようですが…祖母の部屋には隠し扉付きの本棚がございまして…」
「えっ、母上が!?」
─三人目の《チューニ病》患者がいたのか!─
─これは、もっと他にもいるんじゃないか?─
─そういう貴方はどうなんです?─
─えっ?いやいや貴方こそ─
会場にも余波が広がり、次第にざわついてきた。不自然に目をそらす者、隣とヒソヒソ話す者、どこか遠くを見ながらかすかに頷く者……
「私が十歳の時に偶然仕掛けを解除してしまって。祖母は二人だけの秘密だと言って読ませてくれたのです。祖母亡き後は私が保管しております」
「なるほど、そうですか。素敵な祖母君ですね。ご存命ならいろいろとお話したかったのに…残念です」
「ありがとうございます。祖母もきっとあちらで同じ事を考えているでしょう」
「…母上がまさか…」
「ところでモーティー公爵様、私の事はどうぞ、ベアトリスとお呼び下さいませ。そして、結婚して下さいませ!」
「ふふっ…ベアトリス嬢、私の事もどうかエドゥアルト、と。私達は気が合うようです。ぜひ我が家での茶会にお招きしたい」
「まあ!ありがとうございます。楽しみですわ、エドゥアルト様…」
まるで古くから伝わる絵画のような厳かな空気をたたえ、完全に二人の世界に入ってしまった。もう誰にも邪魔はできない。
その後どうやら無事に婚約は成立したらしく、二人が仲良くデートを楽しむ様子があちらこちらで目撃された。
嫉妬や利権絡みで色々横やりもあったようだが、嵐の夜の夜会の様子や、二人のデート中に起こる小さなつむじ風(ベアトリスの帽子が飛ばされた)、不自然になびく二人の髪、突然降りだす雨、などなど…が報告されると、もう誰も何も言わなくなった。皆、我が身が可愛いのだ。
なお、密かにモーティー公爵の《チューニ病》を知っていた国王陛下や王妃様は絶望的だった甥の婚約を大層喜んだ。
そして嵐の夜の夜会に居合わせた人々は後に語った。
すぐ近くにいたのに、父親であるファーガス伯爵アンドリューは完全にカヤの外に置かれ、ちょっとかわいそうだった、と。