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『三体』『三体Ⅱ 黒暗森林』『三体Ⅲ 死神永生』


 みなさんは『三体』をご存知ですか?


 中国のSF作家、劉慈欣の作品で、『三体』『黒暗森林』『死神永生』の三部作からなる長編シリーズです。出版されたときはちょっと話題になったので、SF好きの方なら名前は聞いたことあるんじゃないでしょうか。



 最初の舞台は現代の中国。かつて文化大革命によって父を殺された科学者、葉文潔は人類に絶望し、偶然キャッチした異星文明からのメッセージに「人類はもうダメだ、滅ぼしてくれ」(意訳)というメッセージを送る。

 一方、異星文明のほうは3つの恒星の気まぐれな運動で文明は勃興と滅亡を繰り返していた。厳しい自然にいつ母星が完全に破壊されるかも分からない「三体」星人は、安心して暮らせる星を求めて地球侵略艦隊を発進させる――――というのが第一巻『三体』のあらすじです。



 ……はい。読んだ方は分かると思いますが。

 このあらすじだけでもかなりお腹いっぱいなんですけど、これホントに「あらすじ」なので。実際にはその縦軸に絡めていろんな登場人物のいろんな思惑が絡み合い、大きなストーリーになっています。


 面白いです。ものすごく。こんな面白い小説を1000円(文庫版)で読んでいいの⁉って感じ。

 周りにも積極的に布教してるんですけど、活字慣れしてる人は読むと大体ハマってます。慣れてない人は漢字が多すぎ(元が中国語だから仕方ないね)てちょっとしんどいかも。



 突然ですけど、サイエンス・フィクションって何でしょうね。

 辞書を引けば「科学に基づいて世界が構成された創作」みたいなことが書いてあるでしょうし、本屋に行けば星新一や筒井康隆、あるいは海外SF小説を見つけることができる。もしくは、ネット小説サイトを覗けばジャンルの一つとしてSFが設定されていますね。

 何をもってSFと言えるのかと問えば、色んな答えが返ってくると思います。「現代科学の延長上にある世界」と答える人もいるでしょうし、あるいは漠然と「未来を描く」と答える人もいるでしょうね。「三体」作中でも、SFについて「一番クソな未来を描いたやつが優勝」みたいな風に述べられていたりします。「『すこしふしぎ』の略」とかいう人には面壁者スマイルをあげましょうねぇ。



 私は「三体」を読んで、自分の持っていた「SFとは何か」を揺るがされた気がしました。

 この「三体」は深い、とても深い思考実験から生み出されていると感じます。三体人の生態とかね。簡単に仮死状態になれるように進化した三体人。感想サイトの言を借りれば「クマムシみたい」ですよね。


 じゃあなんでそんな生態なの?っていうと。三体星人の母星でランダムにやってくる「乱紀」のせい。

 恒星との距離が変動するせいで超寒冷になったり超高温になったり。そんな極限環境で生きていくには、簡単に「脱水」する必要があるわけです。まず三体星系があって、そこに命があるとしたら?を考えて作られています。他にも作中の様々な要素が科学的な推論から組み立てられていますね。

 そんな思考実験に根差した創作、という定義をSFとすれば、かなり広範な作品がSFとして分類できてしまいます。いわゆる「なろう系」とかも「こういう主人公がこういう世界に行ったら?」を描いているといえばそうなので。SFですよね。

 まあそっち系のラノベをSFの棚に置いたら、本屋を訪れた人は「ここの書店員は本を読んでいないんだな」と思われてしまうのは必至ですけど。



 SFって何だろう。ファンタジーの境界って何だろう。

 SFとは「ちょっと未来」を描いたものだろうか。今はないけれどいつかは実現しそうな科学技術を描けば、それはSFになるのか?


 たぶんそうじゃないんですよね。

 SFの本質って、たぶん作中で実現された夢の科学技術じゃなくて、その技術の上にどんな社会が、人があるのかを描くところにあるんじゃないかって。

 たとえば『三体Ⅱ』の中では、空中を飛ぶクルマが出てきたり、大木のように作られた集合住宅に人々が暮らす未来社会が描かれているんですけど、その中では人の価値観も変わっている。男女の差が小さくなって、みんなイマドキのアジアンアイドルよろしく中性的な美形になってるとか。地球統一言語が中国語と英語のミックスになってる(そうはならんやろ)とか。

 現代人と未来人では三体人に対する感覚も変わっていて、三体人を「超科学を持つ人類の天敵」として捉えている現代人と、強力な宇宙艦隊を保有したことで「万全の地球防衛戦に敗北必至の戦いを挑む蛮族」として捉えている未来人では、恒星間戦争に挑む心持ちも「いざ」というときに取る行動も全く違っている。その結果……【この先はキミの目で確かめてくれ!】


 なんで「三体」は面白いのかっていえば、その「技術がある上に生きている人間たち」の解像度が高いことですよね。自らにおごり高ぶった結果失敗する寓話は、漢文の教科書に載っているような中国古代文学からの伝統なのかもしれません。「三体」では何度もそういう展開がやってきて、「人間って愚かだなぁ」と思わせてくれます。

 「愚かな人類」を徹底的に描いている。けれどそれは知能デバフというわけじゃなくて、そこに至る道のりがしっかり整備されているから「そうなるよね」って納得させられる。



 「三体」が評価されているポイントの一つに「中国の作家が書いている」というのがあります。やっぱり読んでいるとテイストとしてそういうのは感じられて、登場人物の思考がどこか全体主義的なんですよね。

 作中、「日本人が同じプロットで書いたらここで終わるだろうな」ってポイントがいくつもあるんです。羅輯が理想の女性と理想の家で暮らすところとか。日本人が書いたら「使命なんて知るか、俺は穏やかに暮らすぜ!」って話で終わってしまう。程心とAAが子供を三人選ぶところとかもね。「二人は子供三人を連れて旅立ちました。おしまい!」ってなると思う。

 でも、そこで終わらないのが「三体」の面白いところなんですよ。個人主義的、合理主義的な人も、最終的には全体の利益のために身を切る覚悟と行動をしてしまう。ここもやっぱり、登場人物の解像度が高いところですね。なんでもないような人でも、どこか他人のために心を痛めたり、身を削って頑張れる人ではあるっていう。好感が持てますよね。



 残念なところを挙げるなら、長すぎることですね。

 読んでて飽きることはないんですけど、一巻と三巻を比べちゃうとね。「これ、書いてる本人も飽きてないか?」って思っちゃう。話のスケールが地球を離れてどんどん遠くの星へ、次元へ広がって行って、登場人物の手には負えない事態になっていく。二次元展開の話まで来ると、なんか「片付け」を始めている感じがする。

 例えるなら、積み木で遊び終わった後って感じですね。積み木を積んでお城を作ったはいいけど、ああ、散らかってしまった。これをまた容器に戻さないといけないな……っていう、あの感じ。つまらないんじゃなく、寂しいんです。なんとなく。終わりが見えちゃって。



 総評としては、確実にオススメしたい本です。SFに興味のある方は、是非読んでみてください。

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