チョコがきらいな王子さま
頑張った。
まだ高校一年だけど──今までの人生でベスト3に入るぐらい頑張った。
たかが市販のチョコを溶かして生クリーム加えて固めるだけにどうしてそこまで頑張れるのかなどと言うなかれ。
少しでもいびつな形にならないよう、頑張って綺麗なハート形にしたんだから。
少しでもあたしの気持ちが伝わるよう、頑張ってかわいいハート形の生チョコに仕上げたんだから。
準備は万端。あとはその日を待つだけ。その日は明日。ドキドキする。
明日は聖バレンタインデー。誰がそう決めたかしらないけど、好きなひとにチョコレートを贈って気持ちを伝える日。
彼にチョコレート贈る子、他にもいるのかな。いるんだろうな。なんたって彼はクラスの王子さま。
授業中、自分の席からそっと振り向くと、後ろのほうの席で、いつものようにクールな表情でそこにいる。
姿勢よく、スマートな身体を座らせて、涼しげな目元、こっちを見た!
彼の名前は白馬珉人。クラスのイケメン三人衆の一角を担う人気者。
あたしを見て、にっこり笑った! あのクールな王子さまが!
あたしはすぐに目をそらしちゃったけど、なんで笑ってくれたんだろう。もしかして、気がある? うぬぼれて、いいの?
確かにこの間、捨て犬を見つけた時に──会話した仲……だけど──
「あっ」
潰れたたこやき屋さんの敷地に、フタのない段ボール箱に入れられて、声も出さずにちっちゃな柴の子がいるのを見つけ、あたしは近づいたのだった。
学校帰りで、周りには誰もいないと思った。あたしが近づいてくるのを見ると柴ちゃんは短いしっぽをブンブン振りはじめ、愛を求めるみたいに前足を伸ばしてきた。
「おまえ、捨てられちゃったの?」
抱きしめて、柴とお話をした。
「うちで飼ってあげられればいいんだけど……ママが動物アレルギーなんだよね」
キュンキュンと柴が鼻を鳴らすので、気づかなかった。
後ろから、彼の足音が近づいてるのを。
「浜本さん」
いきなり名前を呼ばれて、ドキッとして振り向くと、王子さまがあたしを見てた。
「その子……、捨て犬?」
いつもクールな彼の顔が、その時はとても優しく、子犬を慈しんでるように見えた。
「白馬くん……。びっくりした! 誰もいないと思ってた」
「ちょっと離れてだけど、ずっと後ろを歩いてたよ。僕の家もこっちだから」
「捨て犬……みたいだよ。こんな誰も通らないとこに……」
「浜本さんが通ったじゃん。よかったね、おまえ。優しいひとに見つけてもらえて」
あたしが抱いてる子犬の頭を、彼が撫でた。
辺りには二人きりだった。まるで世界に二人だけ。二人だけの世界。
「その子、飼うの?」
白馬くんがそう聞いてきたので、あたしは首を横に力なく振った。
「お母さんが……動物アレルギーで。前に子猫を拾って帰ったらブツブツだらけになっちゃったの」
「そうか……。なら、僕に任せてくれない?」
「白馬くん、飼ってくれるの?」
「いや、知り合いにちょうど保護犬預かってる大人のひとがいるんだ。そのひとに頼んでみる」
「お願い!」
それだけだった。
それが白馬くんとした、『おはよう』以外の初めての会話だった。
その時、もう既にあたしは彼に恋してたけど、もしかしてあれで彼も、あたしに……?
いやいやあの出来事の続きだろう。さっき笑ってくれたのは。
『子犬、無事に保護できたよ』ぐらいの意味だろう。うぬぼれるな、あたし!
「えー……。重大なお知らせがあります」
クラスのイケメン三人衆が黒板の前に立って、何やら始めた。
「男子は無視していい。女子だけ聞いて」
ワイルド系の団十郎くん、チャラい系の優希くんが並んで、みんなに何やら報告を始めるようだ。白馬くんは一番後ろで黒板にくっつくように立っている。
三人衆は仲良しで、いつも一緒にいる。なぜかあの日は白馬くん、一人であたしの後ろをついて歩いてたけど。
「あー……。明日はバレンタインデーですが……」
団十郎くんが、言った。
「白馬はなんと、チョコレートが嫌いなんだそうです」
女子がざわっとした。
やっぱり明日、彼にチョコを贈ろうとしてた子、多いんだと思った。
それ以前に大変なことを聞いてしまった。白馬はチョコが嫌い。白馬くんはチョコが嫌い……。な、なんだってー!?
「だから明日、チョコを贈っても彼は受け取りません。……ただし!」
団十郎くんが何やら面白がるように言った。
「本命からのチョコだけは受け取るそうです」
ざわざわざわ……。
女子がマンガみたいに騒ぎだす。
「そんなこと……いちいち言うなってのに」
後ろでばつの悪そうな顔をして立っていた白馬くんが、団十郎くんに言った。
「おまえ、チョコもらっても捨てるか人にやる気だったんだろ?」
優希くんがニヤニヤしながら白馬くんをいじる。
「そんな失礼なことできないようにしてやったんだよ。食う気がないなら受け取るな。本命以外からは、な」
「……と、いうわけで!」
団十郎くんが締めた。
「明日、女子は、白馬にチョコを渡すなら、拒否されることを覚悟していてください! そして本命の誰かさん! あなたは是非、白馬にチョコを渡してやってください!」
やーー! と女子が騒ぐ。
途端に怖くなった。
渡せば受け取ってはもらえるだろう、自分の気持ちさえ伝わればいいや、そう思ってたのに……。
なんだか試金石にかけられるみたいなことになっちゃった! あたし、ただの石なのに! 自分は宝石だってどうやって信じればいいの?
「白馬くん、チョコレート嫌いなの〜?」
彼を取り巻いて女子が群がっていた。
「うん……。どうもね、苦いものが苦手なんだ」
「苦みをおさえたらいいの? ホワイトチョコなら受け取ってくれる?」
「ごめん。ホワイトチョコでも無理なんだ」
チョコレートが嫌いなひとがいるなんて信じられないという気持ちで、あたしは聞き耳を立てていた。
「あたしが渡したら受け取ってくれる〜?」
大胆にも事前確認してる子がいる!
「ごめんね。言った通り、チョコが嫌いだから」
断られた! 優しい言い方だったけど、その子が本命じゃないこと確定した!
おお……怖い。
なんて怖いバレンタイン。
明日、どうしよう。
さっきの子みたいに言われるのが怖い。せっかく頑張った手作りチョコだけど……渡すのやめようか。
その夜、あたしは夢を見た。
夢だって、夢の中でわかってた。だから勇気なんかなくてもチョコを渡すことができた。
なんかお花畑みたいな場所だった。周りには柴の子犬がいっぱいいて、ドッグランではしゃぐみたいに走りまわってた。
彼が、お花畑の中心に立っていた。
背中に翼のある白い馬にもたれて、涼しげな目をしてあたしを待っていた。
「何か用?」
そう言ってにっこり笑う。
「僕に渡したいものがあるの?」
あぁ……。クールなくせに優しいんだ、このイケメンは。
あたしがそれを渡しやすいように、道を作ってくれる。
そんなところが好きになったんだ。
「好きです」
あたしはそう言って、クリスマスケーキぐらいおおきくて派手なその箱を、前に差し出した。
「初めて見た時から好きでした! どうか、受け取ってください!」
「ごめん。チョコは嫌いなんだ」
微笑みながら、彼はそう言った。
「ごめんね。チョコも君も大嫌いなんだよね」
目を開けると汗がびっしょりだった。
どうしよう。明日──いやもう今日だ! どうしよう、どうしよう……。
朝から騒ぎはもう始まっていた。
玉砕した女子が既に三人出ていた。
「ごめん。チョコ、嫌いだから……」
クールなのに優しい声でそう言われて、泣きだした子に彼は、もう何も言葉をかけなかった。
……恐ろしい。
恐ろしや、恐ろしや。
知らなかったよ、バレンタインデーがホラーの日だなんて。
あたしはバッグに入れた手作りのハートチョコを、夢とは違ってコンパクトなそのかわいい箱を、ひた隠しにして、空港に持ち込んだ危険物のように隠し続けて、遂にはあっという間に放課後になってしまった。
彼には本命がいるんだよな。
その子から彼がチョコを受け取ったという話はいまだ伝わってきていなかった。
あたしかな?
……いやいや子犬を拾った時以外にまともな会話してないだろう。
一体、彼は誰からのチョコを待っているんだろう?
そう思いながら、あたしは家路を歩きはじめた。
も……、いいや。
せっかく作ったハートチョコだけど、自分と弟で食べちゃおう。
よかったね、弟。今夜のおやつは姉ちゃんが心をこめまくった特製生チョコレートだよ。
そう考えながら歩いてると、涙がつー……っと、一筋流れた。
なんだかばかみたい。
何もせずに、あたしの恋は終わるんだ。
試金石に自分を投げ出してみもせずに。
柴の子犬が捨てられてた場所を見て立ち止まった。
潰れたたこやき屋さんはあたしのようだった。
みじめで、誰にも必要とされなくて、愛されなくて……そしてぶさいくだ。
今日は子犬はそこにいなくて、2月の寒風が吹き抜けて、あたしはひとりぼっちで、ぶるっと震えそうな体を自分で抱きしめた。
「浜本さん」
突然、後ろから名前を呼ばれ、びっくりして振り向くと、彼がいた。
「白馬くん……!」
声が裏返ってしまった。
「なんで、ここに?」
「帰る方向同じだって言ったじゃん」
そう言いながら、クールかつ優しいその顔が、近づいてきた。
「今日は子犬、いないよ? 浜本麗愛さん」
彼があたしの下の名前を知ってた!
「あの子犬……、貰い手見つかった?」
動揺と嬉しさを隠すようにあたしが聞くと、そんなことはどうでもよさそうにグングン近づいてくる。
「知り合いに任せてあるよ。ところで帰っちゃうの? 何もせずに?」
「何も……って?」
「今日はバレンタインデーでしょ? チョコ渡したいひと、いないの?」
「だって……白馬くん……」
あたしはしどろもどろになった。
「チョコ……嫌いなんでしょ」
「本命からなら受け取るよ」
道を作られた!
自信をもっていいってこと?
勇気を振り絞り、あたしは今夜弟と食べる予定だったそのチョコを、バッグから取り出した。
「受け取って……!」
両手で捧げるように、勢いよく差し出した。
「……貰えるん……ですかねぇ?」
自信のない言い方になってしまった。
すると彼は、なんだか意地悪な笑いを浮かべて、言った。
「チョコ……、嫌いなんだ」
そしてさらにグングン近づいてくると、
「こっちのほうがいい」
そう言って、あたしの顎を指でつまんで、クイッとマフラーの中から上を向かせて、あたしの唇に、ちゅってした。
ちゅってした。
ちゅって、食べられた……。
うわああああああ!?
「ずっと前からかわいいなって思ってたんだ、浜本さんのこと」
王子さまは、あたしの頭を優しく撫でながら、囁いた。
「チョコはほんとうに嫌いだけど、浜本さんのチョコは食べたい。これはもらうよ、ありがとう。開けていい?」
何も言えずに真っ赤になっているあたしの前で、彼がラッピングを解きはじめた。なんだか自分が制服を脱がされてるみたいな気持ちだった。周りには誰もいないから、何をされてもおかしくなくて、何をされても構わない感じだった。
「かわいい」
あたしの手作りチョコを見て、彼がそう言ってくれた。
ちょっとおおきく作りすぎた。
ちいさなハートをいっぱい作ればよかった。
どーん! とおおきなハートにココアパウダーを着せて、その上にホワイトチョコで『珉珉』って書いてある。彼の名前『珉人』をかわいくしてみたつもりだ。これを書きたかったから、こんなにおおきくなってしまった。
「食べてみるね」
そう言って、彼がチョコを箱から持ち上げようとすると、やわらかい生チョコはくにゃ〜と折れ曲がってしまった。
二人で呆然とそれを見つめた。
「ははっ。とろけてる」
珉人くんが言った。
「知ってる? 僕の名前、珉人だけど、『珉』は正しくは『びん』って読むんだよ」
「じゃ、これって……」
「うん」
二人で声を揃えて、ハートチョコの上にあたしが書いたその文字を音読した。
「「びんびん」」
「あはは。びんびんのくせに、ふにゃふにゃ」
彼が言うのに思わず笑ってしまった。
それから彼は、あたしの目の前でそれを食べはじめてくれたけど、無理して笑ってるのが丸わかりだし、嫌いなのにチョコはでかすぎるしで、あたしは彼のために申し出た。
「半分食べてあげるっ」
「お願い。じゃ、そっちから」
ひとつのチョコを、向こう側とこちら側から、同時に食べた。
最後にキスの味がした。