創建3500万年 ニューリーマンワールド神社の建立
巫女姉さん「ねえ、神さま。指導員3が、悩んでいるようですが、どうしましょう?」
神さま「放っておきなさい。」
巫女姉さん「なにか、ヒントでもあげたらどうですか?」
神さま「悟りで、孤独のものです。個人の体験なのです。その体験を台無しすることはできません。」
巫女姉さん「個人の体験?」
神さま「もう、ヒントも、答えも実はあるのです。ただ、それを体験できないのです。」
巫女姉さん「ヒントも,答えもある?」
神さま「そうですよ。コップの水と海の水が同じ水であることや、心のエネルギーと宇宙のエネルギーが同質であることは、指導員3は、すでに見聞きしているのです。これは、真理、神理なのです。彼は、それを体験するだけなのです。しかし、彼にはまだ、それができない。」
巫女姉さん「なにか、私たちにできることがないでしょうか?」
神さま「時を待ちましょう。調査員さんが体験したことは、指導員3には、かなりショックだったでしょうね。でも、それを体験した人がいたんです。マサカという思いでしょう。しかし、それが、真理、神理らしいことに気が付いたかもしれません。もしかすると、気が付いていないのかもしれません。時を待ちましょう。彼が、個人で体験し、その体験に感動し、実感する楽しみを奪っていけません。」
巫女姉さん「楽しみを奪う?」
神さま「一生懸命、謎を解きをしているのに、横から誰かが答えを言ってしまったら、謎への興味は、一挙に失われてしまいます。カンニングをして答えを出しても、謎を解いたことにもなりません。それと同じ事です。」
巫女姉さん「そうなんですね。」
神さま「だから、放っておきましょう。彼は、自分の力で、謎を解きたいのです。」
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研修所の部屋の中
指導員1「飲みねえ、飲みねえ、寿司食いねえ。」
指導員2「どうしたんだい。やけにご機嫌がいいじゃないか?」
指導員1「わかったんです。悟りの謎が。ウイ!、クイ!」
指導員2「悟りの謎?」
指導員1「そうですよ。悟りの謎です。わかっちゃったんです。」
指導員2「どんな謎なんです。」
指導員1「あの調査員が教えてくれたんですね。」
指導員2「何をだ?」
指導員1「悟りは、とても簡単なんです。しかも、それは、個人的な出来事なんです。実は、本人以外は、誰にも分からない。私が仏陀の悟りを得たと言えば、それを証明する術はない。私が、メシアだと言えば、もうメシアなのだ。」
指導員2「でも、それで良いんですか?」
指導員1「良いも、悪いも無いもない。それが全てだ。ただ、一度言い出したら、死ぬまで言い続ける必要がある。剣道の名人や武術の達人の場合は、試合を申し込んでくることもあるかもしれない。すると、試合で勝つかもしれないし、試合に負けてしまうかもしれない。同様に、仏陀やメシアの悟りを得たといっても、それに、挑んでくるものも出てくるかもしれない。そのためには、撃退しなければならない。しかし、悟りの力量、悟りのパワーのぶつかり合いに勝たなければならない。そのために、戦国武将のように、一国一城の主の主なる。私は、新しい宗教を生み出す。いままでの宗教とは、まったく別の、私が悟った真実に基づく、宇宙の真実、宇宙の神に基づく新しい宗教 リーマン教だ。」
指導員2「それって、ラーマン神社のパクリではありませんか。ラーマン、リーマンなんだか、紛らわしいですね。」
指導員1「リーマン教の世界ではなあ。平行線が交わる世界なんだ。」
指導員2「なんですか、それ?」
指導員1「この世界の真理は、この世界の真理であって、他の世界の真理ではない。この世界が3次元だったとしても、4次元の世界では、光も曲がるし、時間も伸び縮みする。空間も変化する。重力だって、自由自在だ。」
指導員2「なにを突然いいだすんですか。そんなことを勝手に決めていいんですか?」
指導員1「私の悟りの世界では、それが正しいんだ。分かる者だけ、分かれば良い。分からないものを説得する気はない。そして、この悟りに基づいて、新しい世界の創造 ニューリーマンワールドにこそ、人間の救いがあるのです。」
ニューリーマンワールド神社にて
教祖「素晴らしい、素晴らしい社殿が出来たぞ。」
事務局長「そうですね。」
教祖「信者は、どのくらいなった。」
事務局長「そろそろ30万人を超えるところでしょうか。」
教祖「ここまでくれば、100万人越え、1000万人越えも現実のものになってきたぞ。これで、恐れる者はなにもないぞ。」
事務局長「なにか、恐れていたんですか?」
教祖「ラーマン神社には、派手さがないが、侮れない神社だ。宇宙大の悟りを得たという調査員は、どうしている?」
事務局長「とくに、あまり変化はないようです。時々、ラーマン神社でボランティアをしているようです。大将軍塚の発掘は、どうも、しないようです。大宮殿跡なら、発掘する意味がありますが、ちょっとした土器や飾りが出たからと言って、大規模な発掘をしても、たいしたものは出てこないと判断したようです。」
教祖「そうか、大将軍塚の発掘は、中止になったか。それは、めでたい。めでたい。」
教祖「全知全能の神よ。われに力を与えたまえ、われに悟りを与えたまえ。」
???「わしを呼んだのは誰だ?わしを眠りから蘇らせたのは誰だ?」
教祖「ニューリーマンワールド神社の教祖です。」
???「ニューリーマンワールド神社の教祖?そんなものを聞いたことがないぞ。」
教祖「最近できた教団なので、ご存じないのは無理がありません。でも、以後、御見知りおきを。」
???「そうか、最近出来たのか。わしが力を貸そう。」
教祖「お力をお貸し下さるのはうれしいことです。ところで、どちら様でしょうか?」
???「我は、全知全能の大神の一番弟子の大マルス大王だ。」
教祖「大マルス大王様ですか。よろしくお願いします。」
大王「そうか。そうか。さて、どんな力が、ほしいのかな。」
教祖「私は、この宇宙の真理を悟り、その真理を普及させなければならない。」
大王「お前は、宇宙の真理を悟ったのか?」
教祖「悟りとはとても個人的なもので、客観的な証明は難しいものです。私の悟りが正しいものか、知りたいのですが。」
大王「そうか。それなら、宇宙の真実を見に行こう。」
教祖「どうやって。」
大王「そのままでいい。われは、全知全能の神の一番弟子の大王だ。なんでもできるぞ。不可能なことなど、どこにもない。次元を超えるなど、朝飯前だ。では、行くぞ。わしについてこい。」
教祖「月を越えたぞ。土星も木星も、一飛びだ。」
大王「宇宙の真理、宇宙の力を感じるか?」
教祖「銀河系を越えたぞ。」
大王「銀河系を動かしている力、意志を感じるか?それが、宇宙の真理、神の真理だ。それを感じとれれば、宇宙の真理を体得したことになる。」
教祖「そうか。これが、宇宙の真理なのか?とうとう悟ったぞ。悟ったぞ。」
大王「それでは、地上に戻るぞ。吹き飛ばされて、迷子になるなよ。迷子になると、二度と地上にもどれなくなるぞ。地上と大宇宙には、次元が異なる。体験も記憶もどんどん薄れてしまうぞ。忘れないようにしなさい。」
ニューリーマンワールド神社本殿
大王「お前との友好のしるしに、お前に、守り刀をあげよう。」
ニューリーマンワールド神社本殿の拝殿前で、空間が大きく、震えだし、唸りだした。
大きな地震が来たかのようでもあったが、周辺の物だ、倒れたり、落ちたりしなかった。しかし、なにか、すべてのものが微妙に振動しているようでもあり、熱気を帯びているようでもあった。
空間がうなりをあげ、ねじれ、そのねじれのなかから、にゅるりを、なにかが出たか思うと、机の上にポトリを落ちた。
それは、宝石と黄金の蒔絵が施されたまばゆいほどの宝刀であった。
大王「お前の守り刀だ。」
教祖「守り刀。守り刀ですか。」
そのころ、時空間の超えた地球のある神社で、一振りの宝刀が消えた。その理由はだれにも知らなかった。防犯ビデオが、宝刀を24時間265日撮影しており、宝刀が消える瞬間を写していた。
それを見ると、なにか、けもののような影が横切ったような瞬間があったと思ったとたん、宝刀は、突然を消え去ってしまった。周りの置物も、飾りも、なにも揺れずに、ただ、ただ、宝刀のみが消え去っていた。
教祖「これは、どのようなものなのですか?」
大王「大宇宙の大神が、お前にくださったものだ。大切にしなさい。」
この宝刀が、他の星で造られたものであることは、教祖は知る由はなかった。
それでいいのだ。謎がある方が、不思議に見えていいのだ。
教祖の講和
教祖は、新しくできた社殿の正面に出てきた。社殿の前に広がる庭には、数万人、いや、数十万人の人たちで埋め尽くされており、鳥居の外の仲店通りの先まで、人々は集まっていた。
教祖は、その状況をみると、空中にふわりと浮かんだ。あまりにも、突然。あまりにも自然に、まるで、フウセンが浮かぶように。もしくは、重力を失ったかのように。
カメラが教祖を追いかけ、庭のいくつかの場所に設置された大スクリーンが、教祖の様子を映し出していた。
あまりの展開に、事務局長を慌てふためいていた。教祖が、月を超え、土星を超え、銀河の果てまで行ってきたということは、何度か聞いていたが、本当に空を飛べるとは信じがたかったし、見たことも無かった。
教祖が、ふわりと空間に浮かんだ時は、どこかに、クレーン車が、教祖をつり上げているのではないか、当たりを見回した。しかし、そのようなものは見当たらなかった。
下準備は、すべての事務局長がやってきたのだ。事務局長の知らないことなど、なにもないのだ。
教祖が、空を飛ぶために、クレーンが必要と考えたとしても、自分で、準備するはずがない。やるとしたら、事務局長の呼びつけて、命令するはずだった。
だから、今回はなんの準備もないはずだ。もしかすると、空中に浮かぶということは、突然思いついたのかもしれなかった。
いや、思いつく間もなく、そうすることが自然に、そうなっただけのような気がした。
事務局長は、予測出来ないようなことが、次々と起こるのだろうなあと、直感した。
そして、空中に浮かんだ教祖の涼やかな声が、響き渡った。
教祖「お集りの皆さん。今日皆さんに、宇宙の真理、人生の秘密について、お話いたします。」
教祖「私は、先日、大宇宙を旅をして、大宇宙の秘密に接してまいました。大宇宙の大神は、大宇宙の産みの親であり、この大宇宙を存在の根源である。この大宇宙に存在するすべてのものは、統一された一つの意志の元に存在している。」
教祖「宇宙の大神と人間一人一人の関係は、同じ存在である。同じ存在であっても、その大きさは、異なるのだ。ここに1つのコップがあり、ここには水が入っている。この星の海も、同じ水で出来ている。コップの水と、海の水は、同じ水 H2Oである。宇宙の大神と人間の心、魂は、海とコップの水にしている。海は、大波をつくり、多くの生き物を養うこともできる。海は、また、生命の根源とも言われている。コップの中の水とくらべようもないが、同じ水であることでは同じなのだ。」
教祖「悟りとはなにかを話そう。悟りとは、人間と宇宙の大神が同じものだということを体感することである。コップの水を、海に流ししてみよう。コップの水は、海と同じ水なのだから、コップから流落ちた途端に、海の水と区別することはできなくなる。もう、コップの水を、海の中なら拾い出して、コップの水に戻すことは、できない。なぜなら、コップの水と海の水は、同じ水だからだ。もし、人間と宇宙の大神が同じ、心、魂を構成しているものと同じもので、出来ているとしたら、人間の心、魂は、海の中に開けられたコップの水は、海の中に広がっていく。波や流れによって、どこまでも広がっていくことができる。コップの水が、いつしか、海の大きさまで広がっていくことができる。人間の心、魂も、宇宙の大神と同じものであるならば、宇宙の大きさまで、広がっていくことができるのである。」
教祖「では、宇宙の大神とはなんであろうか。われわれは、エネルギーというものがあるということは知っている。エネルギーは、光になったり、熱になったり、運動する力になったりする。エネルギー不変の法則というものがあり、エネルギーは,突然増えたり、減ったりしない。運動エネルギーは、熱になったり、光になったりして、別のエネルギーのなるので、運動はすこしずつ止まっていくが、それは、エネルギーが変化して、運動エネルギーは失われたからに過ぎない。エネルギーは、不変なのだ。物が燃えたり、太陽が核融合で光、熱を出しても、それは、物質の中にエネルギーが変化したに過ぎない。アインシュタインの相対性原理によれば、物質もエネルギーに変化し、エネルギーも物質に変化する。だからといって、このとき、何かが失われたり、出現することはない。物質とエネルギーは、同じだからだ。この不変の中で、人間を禹動かしている心、魂は、エネルギーなのだ。人間一人を動かすエネルギーが、どのくらい強烈なものかは、現代の科学はなにも知らないに等しい。しかし、人間を動かし、成長させるエネルギーは、非常に、強大なエネルギーであることは、誰もが疑うことはないだろう。しかし、目に見えて、手に取れて、分からないので、どう考えていいのか、分からないだけだ。もし、1グラムが全てエネルギーに変わったとすれば、大きな原子爆弾の何倍、何十倍のエネルギーになる。人間の体重は、60キログラムである。エネルギーとは、なにか、その実態は、把握しにくい。運動でもあり、光でもあり、熱でもあり、それが、どのようにも変化するのである。そして、それは、失われることなく、どこかに、潜むのである。そして、そこから、取り出されてなにかになる。宇宙の大神は、エネルギーがなにかも、ろくに解明できない人類に説明しようもないが、途方もなく巨大で、宇宙を守り、司っている存在である。それは、宇宙の大神である。」
ここまで、話すと、手にもっていたコップの水を飲み干した。
教祖「今、わしは,コップの水を飲んだ。その水は、どうなったであろうか。今、それらの水が、わしの体を駆け巡り、体の中に広がっていった。このコップの水は、わしになった。もし、すべての物に、エネルギーがあるならば、わしも、このコップの水のように、宇宙に溶け込んで、宇宙の大神と同じ体験をすることができるのだ。そして、わしは、その宇宙の真実、宇宙の大神の心根、魂の優しさ、すべてを慈しむ心に触れたのだ。」
教祖「だからこそ、そなたたちに、メッセージを送ろう。すべては、永遠不滅なのだ。それは、エネルギー不変の法則が示している通りなのだ。そして、エネルギーは、千変万化していくものだ。宇宙の大神がエネルギーであるならば、人間の心、魂のエネルギーで、千変万化してうくのだ。善にいきることも、悪に生きることもできる。しかし、人は、善生きることが、気持ちがいいのである。悪に生きるのは、心苦しく、気持ちが悪いものだ。しかし、この世の理不尽、災難、社会や文化、文明によって、不本意な人生、混乱した人生を生きることも、しばしば、ある。そして、悪を貫いて、生きようとすると、うまくいかないようにできている。一時は、繁栄するかもしれないが、すぐに崩壊してしまうのだ。長続きするためには、調和のとれた、バランスのよいものことが必要なのだ。それが世の習いであり、宇宙の大神の心なのだ。どのように生きるべきなのか、人に指図されずとも、だれにもわかるようになっている。なっているのだが、様々な問題に目くらましあって、混乱した人生を生きてしまうのだ。それは、宇宙の大神の願い、心ではないのだよ。」
講話が終わると、音も無く、地上に降りてきた。
なんの仕掛けもなく、自然であった。事務局長さえ、それを認めざるを得なかった。