建物保護申請
「まず、開戦前に皆さんにして頂くことは、建物の保護作業になります」
メレディスはある紙を配った。カスペルから回ってきたそれを、リゼは一枚取って次に回す。父と共に紙を覗き込む形をとって、メレディスの説明を受けた。
「スプーン戦争は、トランテュ地区を除きますが、東はドミラトス地区、西はユークランカ地区まで、国全体が戦場となります。そして外に限らず、建物の中もまた戦場になります」
「おい、ちょっと待て」
フェーデルが眉をつり上げる。
「他人が家にズカズカ入ってくるってことか?」
「それは個人で決められます」
相変わらず落ち着いた声で、メレディスは応じる。
「この用紙は、祭典中、自分の家に他人が入って来ても良いか、そして入ってくるとすればどこまで可能かを決めるものです。また、書類の名前にもありますように、建物保護をするためのものでもあります」
リゼは書類に目を落とす。フェーデルの言う他人が家に入る許可という欄が上部に簡潔にまとめてあり、下は大きな空欄がある。
その欄の上には、「見取り図」と記載されている。
「その大きな欄の中に、簡潔で良いのでご自宅やお店の見取り図をお描き下さい。その際、何処を重点的に保護して頂きたいかも一緒にお書きください」
「それは、家具や柱を守るためですか?」
カスペルが初めて問う。「ええ」とメレディス。
「スプーン戦争は玩具の武器を使うとは言え、ものを振り回す祭典ですから、建物に傷が残る可能性があります。祭典後のケアをなるべく少なくするためのものです」
「傷が残ったらきちんとお前が直してくれるんだろうな」
フェーデルが再び意地悪な物言いでメレディスに迫る。メレディスはそれも涼しい顔で受け流した。
「それは全て我々の責任ですから。ですが、ある程度の自衛をご自身で行って頂く必要はございます。一応、一ヶ月前より我々実行委員会は各地の建物を回って、最低限の保護を必要とする箇所は拝見致しました」
「それで......」
ティモーがハッと書類から顔を上げる。リゼも、また他の者も同じだった。
黒いローブの団体客__スプーン戦争実行委員会が店に来た理由が各々理解出来たのである。
「ええ、我々の方で建物の脆弱な部分に目星はつけてあります。店舗においては既にチェックはしてあるので、そこまで深く考える必要はありません」
ふん、とフェーデル。
「それで他人の家にズカズカ入り込んできたわけか」
「その節は申し訳ございませんでした。民家の中へは入っていませんので、我々が目を通したのはあくまで店舗のみです。もし不安がおありでしたら、建物全体を布で覆うことも可能ですが」
「布?」
対岸で声が上がる。
「ええ、大きな布です。裏に防カビ剤をつけたもので、スプーン戦争が終わるまでの間、建物を武器から守ってくれるものです。もし我々の対応や保護作業に不安がある方は、そのような方法をとることも可能です」
リゼはフローレンスが巨大な布で覆われる光景を想像してみた。何だか滑稽だ。では、フローレンスが戦場になったらどうだろう。厨房まで入り込んでくる敵、それを玩具の武器で向かい打つ。なるほど、其方の方が楽しそうである。
「ただし、布で覆った際、またその家で他人の立ち入りが禁止された場所は、自分もまた立ち入ることができないことを承知してください」
「はあ? 自分の家なのに自分が入れないのか?」
「ええ、スプーン戦争において、トランテュ地区のみが不戦地帯であることは先程も申しましたが、もし立ち入り禁止エリアに自分が入ってしまうと、敵は入ることが出来なくなり、そこは安全地帯ということになってしまいます。そうなると、ルールに違反しますから」
「そんなふざけたルールあるのかよっ」
フェーデルが舌打ちをした。
「申し訳ございません。ルールですから」
「じゃ、寝る場所はどうすんだ! 野宿でもしろっていうのか!?」
「場合によってはそうなります。もしくは、この相談所......此処は祭典中、トランテュ地区と同じ扱いを受けます。病人や怪我人の救護、また避難場所としての役割を担って頂く予定です」
メレディスが床を指さす。
「実行委員会の委員も、祭典中は常時この施設に居ることになっております。テントの貸出も行います」
「テント!? 自分の家の前でキャンプでも楽しめって言うのか!」
「遊びではないと、先程も申した通りです」
メレディスが被せるように言った。
「戦争という名前がつくとおり、スプーン戦争は模擬戦争です。いつどこから敵が攻めてくるか分からないという状態の中で勝利を目指します。開戦中、普段通りの生活はできないと考えてください。ご不便おかけ致しますが、そこは承知願います」
フェーデルが「くそっ」と足を踏み鳴らした。リゼは体を固くしながらその様子を見ていた。すると、部屋の隅からひょろひょろと声が聞こえてくる。
「メレディスさん、少し休憩時間を挟みましょうか」
部屋で最もげっそりしているのは、区長のハルムだった。リゼは久々に彼の存在を認知した。
*****
「こりゃあ、なかなか大変な祭りだな」
メレディスがハルムと共に一度部屋を出て行き、会議室は久しぶりに賑やかさを取り戻した。
「まさか本当に実在する祭りなんてな。幻だと思ってたぜ」
ティモーが紙を眺めながら言う。
「たしかに、これだけ長期間のサイクルになると、一生に一度しか体験できませんからね。祭典自体、それが目的のひとつでもあるようですが」
と、カスペル。
リゼは二人の間で、祭典中のフローレンスの様子を考えていた。
部屋の中まで敵が入ってきたら、読書を中断して、剣を振り回さなければならないのだろうか。それは勘弁して欲しい。大図書館はどうなるのだろう。開戦中は、さすがに閉館しているだろうか。
「カスペルの店は、保護作業どうするんだ?」
「僕は布で覆いますよ。薬がありますし」
カスペルの店は、南門から入って西に向かうとある。広い畑を持っており、そこで薬の材料となる薬草を育てているのだ。店自体はこじんまりしたものだが、大きな地下倉庫を持ち、そこに薬の大半を保存している。
彼の店はこのエトランゼの中でも特に慎重にならなければならないものの一つだろう。エトランゼにカスペルの店の他に薬屋は無い。
また、エトランゼにおいて医療の知識を十分に持っているのは彼か、それ以外では城に居る王族専属の医者のみである。カスペルで対応できない大病は、その医者が対応することになっているのだ。しかし、彼も足りない薬などはカスペルに頼ることもあるので、そういう意味でもカスペルの店は何としても戦火から守られなければならない。
「フローレンスはどうするんですか?」
「さあなあ、まだ決めていないが......壊されて困るもんって、厨房くらいだしなあ。だが、保護したところに入れないってなると、フローレンスは料理も何も出来ない場所になっちまうな」
「そうなりますね」
リゼも考える。
経営をしないとなればそれでも良いが、厨房に入れないのでは、祭典中、自分は父の料理を食べられない。それは嫌だ。父も父で、大好きな料理が出来ないのは耐えられないに違いない。
それに、とリゼは思う。
日常的な光景の中で、非日常を体験出来る。昨日までごく自然に過ごしていた街が、戦場に変わってしまう。それはなかなか面白そうだった。もし布で覆ったり、過度な保護作業をしたりして(過度も適度もないかもしれないが)、店に入ることすらままならなくなったら、それは日常の中で非日常を楽しむという醍醐味が無くなってしまう気がした。
「私は建物保護、最低限でも良いと思う」
リゼは父に言った。
「だってその方が楽しそうじゃない?」
「まあ、それもあるな。飯作ってる最中に敵が入ってきたら、フライパンを構えりゃ良い話だし......」
「使えるのは専門の武器商人が作った武器だけですが、身を守るものだったらフローレンスには沢山ありそうですね」
カスペルが微笑んだ。リゼもそれを聞いて大きく頷く。鍋の蓋なんか、まさに良い盾である。
「仕事は出来なくても飯は作りたいしな! 広場に出店が出るのかは分からねえけど」
リゼはそうだった、と思い出す。開戦中は中央広場はどうなるのだろう。エトランゼの名物、朝市が無くなってしまうのはいよいよ非日常感が強まってくる。
「意味わかんねえ」
各々が盛り上がっていると、大きなため息と共にそんな言葉が聞こえてきた。見ると、フェーデルが机に足を乗せて、行儀悪く座っていた。その足の下には、配られた書類がある。
「建物に傷がつく可能性がある祭典なんて、最初からやるもんでもないだろ。急に知らない奴が入ってきたと思ったら、意味のわからないことばかり喋りやがって。家まで追い出されて、戦えって? 笑わせてくれる」
リゼは彼から目を逸らした。
自分のように祭典が楽しみになってきた者とは違い、あのように不満に思う者も当然居るのだ。フェーデルに限らず、国中で同じことを考えている者は居るだろう。
「まだ言ってるぜ、フェーデルのやつ」
ティモーが呆れ顔で彼を見やる。
「彼は大工ですからね。人一倍建物に気を使うんですよ」
「ああ、そういうことだったのか」
リゼもカスペルの意見で納得がいった。メレディスの意見を頭ごなしに否定しているように見えたが、あれは彼の職業を背景にした意見だったのだ。
「腕は確かだしな、あいつ。リゼには言ったことあったかもしれないが、うちの増築はフェーデルの店に頼んだんだぜ」
「そうだったんですか」
カスペルが目を丸くする。
「私も初耳」
「言わなかったっけか」
「初めて聞いたよ」
そうだったのか。
リゼは逸らしていた目をフェーデルに戻す。彼は他の者と意見交換していたが、強い言葉でメレディスの態度や話を非難していた。
「大きな祭典ですからね」
カスペルは頷く。
「意見が食い違うことは、きっとこれからも沢山起こりますよ」
*****
十分ほどで、メレディスとハルムは部屋に戻ってきた。メレディスは分厚い紙の束を両腕に抱えていた。それをテーブルに置くと、どん、と大きくテーブルが揺れた。
「それでは、説明の続きに入りたいと思います」
メレディスがそう言って、「と言っても」と続ける。
「前半でほとんど此方からお話したいことは話し終えましたので、あとは此方にある書類を皆さんにご協力して配っていただくことになります」
「配る?」
「はい。区長に聞きますと、此方は地区の方方から集まった方で構成されている組織なのだそうで。今から配る紙を、同じ通りの方に配って頂けますか?」
「面倒臭いな。自分でやれよ」
フェーデルが目を細める。
「申し訳ございませんが、此方も手一杯でして。出来ることならば皆さんに積極的なご協力願います」
「良いですよ」
カスペルが言う。そして対岸の大工を見た。
「フェーデルさんも、せっかくですし」
「何がせっかくなんだよ、薬売り」
「せっかく、こんなに貴重なイベントに参加できるんですから。みんなで楽しくやりましょうよ」
カスペルは爽やかな笑みをフェーデルに向けた。リゼはドキドキしながら彼らのやり取りを見守る。
カスペルは仕事柄色々な人とやり取りをする。気難しい老人などその最たる例だ。リゼがカスペルの店に足を運ぶ時、彼が老人に叱咤されている場面を何度も見てきた。しかし、彼はいつだって冷静で、相手にペースを乱されずに話をする。リゼはカスペルのそういうところをとても尊敬していた。
「......」
部屋中の視線を受けて、フェーデルはやりづらそうだった。テーブルにあげていた足を勢いよく床に下ろす。そして、
「それ全部配んのかよ」
メレディスの手元にある紙の束を顎で指した。
「皆さんで分担して頂きますから、一人当たりの量はそれほど多くはありません。貴方の居る地域ですと......二十枚くらいです」
「よこせ」
「ありがとうございます」
カスペルがリゼを見た。やってやった、という顔は、さっきの爽やかさとは打って変わって、悪巧みを考えた少年のようなやんちゃさを醸していた。