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スプーン戦争の夜明け  作者: 葱鮪命
第二章 長い一日
37/41

冷たい空間

「よお、テッド!! どうした、早々にリストラか?」

「えっ、テッド? あなた、エトランゼに行ったんじゃなかったの?」

「おい、テッド!! お前仕事ほっぽって何してんだ! またメレディスと喧嘩か!!」

 此処はトランテュ地区。門を潜ってきて、真正面に伸びる通りを歩く大男が居る。襟の長い赤髪に、太い眉、彫りの深い顔を持つ男である。背中には派手な大剣を背負い、のっしのっしと熊のように大通りを歩いている。

 通りの両端にずらりと並ぶ出店からは、彼の姿を見た者が次々に声をかけた。

「リストラじゃねーよ! ダグラスさんが戻って来いって言ったんだー!」

「メレディスとは昨日遊んだけどな、剣が欠けちまった!! あとで修理頼むぜー!! あっ、もちろんメレディスのだ!!」

 テッドというのは、今通りを歩く大男のことなのだ。彼が問いに答えていくと、それに対して笑いが起こったり、手が振られたり__通りは彼の存在ひとつで更に賑やかになった。

 テッドはそんな通りから一本外れ、もう一本、また一本と、徐々に人気のない細道に入って行った。時折すれ違う老人に「テッドちゃん、大きくなったね」と声をかけられる。「おうよ!! 長生きしろよ!!」とテッドは太陽も逃げ出す笑みを返し、ある建物に到着した。

 地下へ続く階段が目の前に現れる。通りも狭ければ階段も狭い。両側の壁に体を押し付けるようにして、それを下って行く。

 階段を降りた先に待ち侘びるのは、堅木と金属の扉だ。鉄格子が嵌められた窓の奥から、鋭い目がテッドを睨む。テッドは自分の顔に親指を突き付けた。

「俺だっ」

「合言葉」

「サザリアの花束っ」

「よし、入れ」

 扉を押して、大男は建物に入った。ひんやりとした空気が肌を触る。大通りの賑やかさが遠くなり、途端寂しい音に変わった。

「早いな。どうやって帰ってきたんだ」

 扉の先は小さな部屋だ。座面が大きく歪んだ木の椅子だけが、ぽつんと置いてある。奥は階段が続いていて、そこに声が落ちていく。

 扉の裏から喋りかけていたのは、テッドに負けない大男だった。後ろへ撫でつけた灰色の髪と、細い瞼に嵌め込まれた美しい青の瞳。この辺りでは珍しくない色合いの人種である。

「俺の足を嘗めてもらっちゃあ困るな、オスカー。エトランゼからトランテュなんて、半日ありゃ一往復は容易いぜ」

 ガハハ、と豪快な笑い声は、階段の下まで響いたようだ。微かな声で「もう帰ってきたみたいですよ」と聞こえてきた。

 厚い胸板が逸れるのを、オスカーと呼ばれた男は呆れ顔で見やった。

「お前は一歩がデカいからなあ。まあ、来て早々に悪いが、トランテュの人手が足りなくてな。今年はあまり参加者が見込めないそうなんだ」

 オスカーの声は、暗く沈んでいる。しかし、すぐに切り替えると、

「エトランゼの方はどうだ? 順調か」

「おうっ! 今日は拡声器の取付作業に入ったところだ! 夜は説明会があるしな!」

 テッドの表情はオスカーの内面とは対照的で、からりと晴れている。

「トランテュは賑やかになって良いもんだなあっ! こっちは出店が無えのなんのって、街歩くだけで文句ばっか! 今日なんか何処ぞのじいさんが祭典を中止しろって言ってきやがったから、地面に地図描いて、トランテュへの行き方を説明してやったんだぜ!」

 テッドが宙に指を走らせる。地図を描いている体なのだろう。

「門まで描いた辺りで隣見たら居なくなっちまってたんだけどなっ!」

 彼は恐ろしいほどに楽観主義なのだ。暗く沈んでいたオスカーの表情は、何処かホッとした様子に変わる。

「まあ、なんだ。準備が順調ならそれで良いんだ。参加するかしないかは、結局本人たちに決めてもらうしかないからな」

 トランテュ地区が不戦地帯だからと言って、祭典と無関係なわけではない。戦死者と非参加者の対応に地区は追われ、寧ろ祭典中は、最も賑やかな場所になるに違いないのだ。

 今年は非参加者の数が多い。テッドもオスカーも今回が初参加だが、前回の参加者が言うには、今年は非参加表明をした者の数が夥しいそうだ。理由は大きく二つ。

「やっぱ、第三回目ってのを見てきた奴らはおっかなく思うんだろうな」

 テッドの言葉にオスカーは目を伏せる。

 第三回目スプーン戦争。平和を歌う祭典で初めての死者が出たことが、祭典の大きなイメージダウンに繋がったことは明白だ。参加者が減るのも無理は無い。誰だって、伝統より自分の命を優先する。

「ルールは何十年もかけて練り直したし、安全面の心配はそこまで要らないと思うんだがな」

「まあでも、ルールを掻い潜って遊ぶ楽しみもあるんだけどな」

 テッドが笑って、階段につま先を向ける。

「今回のルール、なかなか面白いもんがあるんだぜ。メレディスと作戦立てねえと」

「ああ、早く終わらせて本番に備えるんだぞ」

 階段を下っていく音を聞きながら、オスカーは眼前の扉に向き直った。傭兵たるもの、私語は慎むべきなのだ。

「僕も参加したい」

「ダメ。危ないんだから」

「なんで? 玩具で戦うだけでしょ?」

「怪我をしたらどうするの。ああいう野蛮な遊び、国が推奨すること自体、馬鹿馬鹿しいって思えるようになりなさい」

 鉄格子の向こうを影が過った。拙い男児の声と、苛立ちを孕んだ女の声がした。オスカーは彼女たちが通り過ぎるのを待って、はあ、とため息をついた。

 祭典の非参加者が著しく増えたもう一つの理由。

 どんなに楽しい祭典か、どんなに意義のある祭典か、それに気づく者はごく一部だというのがやりきれない。


 *****


「フォーク戦争については、説明会で話をしたが、」

 部屋の隅から、トラビスに古地図を持ってきてもらったメレディスは、それを机に広げた。褪せた色や汚れ、所々の破れ具合で、リゼはそれが宝の地図のように思えるのだった。

「ラフルも居るし、もう一度最初から話をするか」

 メレディスの目はチラリと少年を見た。ラフルはリゼの隣に立っていた。虚ろな目で、人形のようにぼんやりとしている。自分の名前が呼ばれると、ハッと我に返って「ありがとう」と弱々しい笑みを浮かべた。

 ユークランカ地区から遥々やって来て、休みなくこの襲撃を目の当たりにしたのだ。心身ともに疲れているのだろう。見かねたカティアが、彼を丸太椅子に座らせた。

「そもそもお前は、フォーク戦争について何処まで知ってるんだ」

 トラビスがラフルを見た。彼の目は何処となくフェーデルを思わせる。この部屋に入った時にされた行動を、リゼはまだ引きずっていた。彼の背中の剣は、カティアやメレディスが背負っているものとは天と地ほどの差があるように見えるのだ。

 トラビスの問いに対して、ラフルは「えっと」と目を伏せた。

 もし彼がトラビスの問いに答えられなかったら、とリゼは気が気でない。

「魔族と人間の戦争ってことは知っているよ。今からちょうど二百年前だよね。魔族は人間と戦う手段が無くなったから負けてしまったんだ」

「薄っぺらいな」

 鼻で笑うトラビス。カティアが「まあまあ」と間に入った。

「十分だよ。今じゃ一つも知らない人が居るんだから、此処まで知ってりゃ優秀な方さ」

「一言に負けたと言っても、それだけで片付かないこともある」

 と、メレディス。彼は古地図に指を走らせた。この国を構成する全ての地区が、紙いっぱいに描かれている。エトランゼは当然、中央にある。

 主にラフルへの説明のために用いられた古地図だったが、ラフルの後ろからリゼも首をめいっぱい伸ばして覗き込んでいた。

 リゼにとって、地図というものは珍しかったのだ。これもまた、彼女が学校へ通わないことの弊害だった。どの地区がどの方角に存在するか、彼女は周囲の人から聞いて頭に記憶していただけなのである。

「エトランゼは此処だ。ユークランカは、その西」

 メレディスの指は、紙上を中央から左に大きく動いた。

 ユークランカは聞いていた通り、国で一番広かった。微かに滲んだ緑色は、鬱蒼と広がる森を表現しているのだろう。

 リゼは森の想像がつかない。エトランゼで木が生い茂っている場所というのは、大図書館前の小道くらいだ。そこ以外で、木の密集した場所は無い。

 何処までも広がる木々というのは、どんな感じだろう。果てしない空想の木漏れ日は、続くメレディスの説明によって遠のいた。

「フォーク戦争では、この地区だけが魔族陣営だった。それ以外の地区は全て人間陣営だ」

 メレディスが示した魔族陣営の土地は、広大なユークランカ全土だった。しかし、いくら広大とは言え、そこを囲むように位置する人間の土地には適わなかったことが分かる。魔族が負けた理由が、この地図からありありと伝わってくるのだ。

「ユークランカに住んでいた魔族全員が立ち向かっても、人間の多さにはお手上げだってことだね」

 と、カティア。

「魔族が敗北した原因は主に二つだ。一つ、今言った通り、戦力の少なさ。もう一つは、」

 すると、今まで黙っていた隣の存在がパッと口を開いた。

「魔法の封印」

 それは、ラフルの言葉だった。ほとんど独り言に近い控えめな横槍だったが、メレディスが口を閉ざすと、ばつが悪そうに肩を竦めた。

「ごめん、間違っていたかな」

「いや、合っている」

 メレディスは引き続き説明を始めた。

「ユークランカに住む魔族たちは、魔法を使って生活していた。それと共に、魔法を武器とすることもできた。だが、ある偉大な魔法使いが魔法を使えないように封印したことで、彼らは武器を失ったんだ」

 メレディスの説明を聞きながら、リゼは半信半疑だった。彼が冗談を言う性格で無いことは分かっているし、これだけ歴史のある祭典の原点が御伽噺だとも思わない。だが、魔法が実在するというのはにわかに信じ難い。

 リゼは、ラフルの反応をチラリと見た。彼はメレディスの話を頷きながら聞いている。疑うような素振りを見せないので、本当に信じているのか。それとも、信じてはいないが、メレディスが話しているので、また横槍を入れないように気をつけているのか。

「ユークランカは元々魔族の土地だったんだし、そこ出身ともなりゃあ、ラフルはその辺も詳しいだろ?」

 メレディスの説明が終わるや否や、カティアが彼に問う。ラフルは「うん」と頷いた。

「トルトヨでは、小さな頃からよく聞かされるお話だよ。多分、トラビスのところでも」

 ラフルの目がトラビスを見た。トラビスは肩を竦める。

「へえ、どんな風に伝わってたんだい?」

「大体は一緒かな。魔法使いが、魔族の魔法を封印したんだ。少し付け加えると、狼と一緒に暮らしていた」

「狼?」

 思わずリゼが反応した。周りの視線がパッと彼女を向く。頬が林檎のように真っ赤になったのを見て、トラビスは鼻で笑った。

「魔女と狼。知らない奴がいるのか。本当に旗持ちになるつもりか?」

「こら、からかうなよトラビス」

 カティアがトラビスを睨む。リゼは、もう何も言わないでおこうと思った。自分が知らないことが、此処では常識なのだ。学校で習うことなのだろうか。それすら分からないのが、彼女は堪らなく悔しくなった。

 何よりも、心の中でひっそりと感じていたラフルへの親近感が、一気に崩れたのがショックだった。彼は自分以上に多くのことを知っている。同じ境遇に立っていた彼が、一瞬で遠い存在になり、自分よりもカティア達に遥かに歓迎されているように思えたのだった。

 少しの沈黙が降りて、カティアが、

「ま、みんな大体の知識はあるってことだね。詳しい話はこれから共有していけば良いんだし、知らないってことは恥ずかしいことでもなんでもないのさ。これから知れると思って、顔を上げてこう」

 彼女の言葉に、リゼは俯いたまま頷いた。穴の空いたポシェットと目が合って、視界はゆらゆらと揺れる。

 そして、ふと気づくのだった。この空間には、自分を傍で見守ってくれて、支えてくれる人が居ない。今まで周りに居た大人たちとは、全く異なる人たちが居る。自分のことをほとんど知らない、接し方も扱いも知らない人たち。同じ空間に居るのに、こんなに窮屈な思いを強いられるのは初めての経験だった。

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