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スプーン戦争の夜明け  作者: 葱鮪命
第二章 長い一日
31/41

旗持ち

「スプーン戦争では、この国の十二地区が六地区に分けられます。此処はエトランゼ地区ですが、プーヘント地区、ロスラン地区との合同チームという扱いになります。お配りした資料の、ルールの冊子をご覧下さい」

 会場が紙を捲る音で溢れる。

 リゼも同じようにルールの冊子を開く。それは、最初の頁に書いてあった。

「後で説明致しますが、全ての地区は主地区または副地区のどちらかに分類されます。エトランゼの合同チームで考えた場合、エトランゼ地区は主地区、プーヘント地区とロスラン地区は副地区です」

 エトランゼは中央区と呼ばれ、その名の通り国のほとんど真ん中に位置している。フローレンスの正面口から出て、ちょうど正面__北に走るラトントス山脈にかかる地区が、プーヘント地区とロスラン地区である。

「隣っちゃ隣だけど、遠いね」

 レミントンの言う通り、プーヘント地区とロスラン地区はエトランゼから出て、まる三日は歩かなければ着かないような距離にある。青く霞むラトントス山脈にあるのだから、それなりの距離だ。

「スプーン戦争における地区分けは、その地区に住む人の数が主な基準となります。プーヘント地区とロスラン地区は人が少ないため、エトランゼとの合同チームになることが多いです。最近は山暮らしする人も減っていますから、尚更チームを組む理由は濃くなるわけです」

 リゼは山での生活を頭に思い浮かべてみる。

 エトランゼから出たことがない彼女は、いつも正面の入口からラトントス山脈を眺めるだけだった。綺麗な青い山々だ。山頂は帽子を被っているようにように白く、雲が触れられそうなほど近くにある。

 本での知識から、山では高低差を利用しての移動手段や、水で動かす水車など、平野のエトランゼでは見られないものが沢山あるという。もちろん、食べ物だって違いがあるはずだ。

 二つの地区と合同チームを組むということは、そこに住む人々と話が出来るということだ。本で読んだことが実際に行われているのか、現地の人に尋ねる__リゼは祭典の楽しみ方を一つ発見したのだった。

「それでは、主地区と副地区の説明をしていきます。スプーン戦争では、勝敗を決める方法が主に二つ存在します。一つは、主地区の決められた場所に旗を刺すこと」

 リゼはハッとした。頬が熱くなる。山脈でいっぱいだった頭の中は、爽やかな風になびく赤い旗に塗り替えられた。

「旗を刺す場所のことを、旗台と言います。主地区と副地区の違いは此処にあります。主地区とは、旗台がある地区のことを言います。副地区はその反対で、旗台が無い地区です」

「つまり、主地区のエトランゼには、何処かに旗台が設置されるってこと?」

 コートニーが問う。

「あれ? この図書館の庭に、そういうの無かった?」

「ああ、あったわね。あんな感じのものがあるってことかしら」

 リゼは口をパクパクと動かして、二人を交互に見るが、メレディスの説明は終わっていない。伝えるのは後にするのが良いだろうが、少女の感情は忙しなく行ったり来たりしていた。

「自治区の旗台に旗を刺された時点で、その地区は全滅したことになります」

「つまり、旗台をみんなで守らないとならないってわけだ」

「相手の旗台に旗を刺しに行けば良いってことね」

「旗台を守るのは誰でも構いません。ただし、旗を敵地区の旗台に刺しに行くのは__」

「旗持ちっ」

 リゼが思わず言った。頬が熱い。プリシラとトシュテンに聞いていた、あの少年の話だ。

「うわっ、びっくりした」

 突然リゼが喋ったので、レミントンが椅子をガタンと鳴らして驚いている。コートニーも目を丸くした。

「詳しいのねリゼちゃん」

 周りの目が、レミントンの椅子の音につられて此方を見た。一瞬、壇上のメレディスとも目が合ったような気がした。リゼはハッとして視線を下げた。

 思いのほか声が出てしまったらしい。また、やってしまった。地区総会でも同じような失敗はしているのに__。

 顔の熱は耳まで上ってきた。全身にぶわっと汗が吹き出る。

「本で、読みました」

 蚊の鳴くような声で言う。コートニーは「そうなのね」と微笑み、レミントンは「さすがー」と口笛を吹く真似をした。

 周りの目が離れていっても、リゼはなかなか顔を前に戻せなかった。

「旗持ちは、五つの各地区の中から一人ずつ選ばれます。十三歳以上ならば、誰でも旗持ちになる可能性があります。旗持ちとして選ばれた者だけが、旗台に旗を刺すことができるのです」

「ふーん。じゃあ、俺らはエトランゼから出なくても良いんだ」

「そういうわけにもいかないわよ。だってほら、私たちの旗持ちは、敵地区に旗を刺しに行くんだから」

「敵陣地に攻めていかなきゃいけないってこと? うわあ、俺、旗持ちになりたくないなあ。攻めずに台だけ守っていたいよ」

「ヘタレ」

 リゼはまだ俯いていた。手元のルールをペラペラと捲る。「旗持ちに関するルール」という項目を見つけた。

 書いてある大まかなことは、メレディスが今話したことだった。しかし、項目の下方にリゼはまだ知らないルールを見つけた。


 ・旗持ちはライフを五つまで所持することができる。


 先程のメレディスの話を思い出す。

 ライフストーンの話をした時、彼は三つまでその体に装着することができると話していた。

 しかし、此処に書いてあるライフストーンの数は、五つ。旗持ちは、通常よりも二つ多くライフストーンを持つことが出来るらしい。

 レミントンたちの会話から、敵陣に率先して突っ込んでいく役なのだから、それを考慮したルールなのだろう。


 ・旗持ちは、開戦式の際に配られる自治区の色のマントを、終戦までその体にまとわなければならない。


 自治区の色。地区ごとに色が決まっているようだ。遠目からでも旗持ちが分かるようにするためだろう。尚更敵には分かりやすくなってしまう。集中して狙われるという点で、確かに怖さはある。

 エトランゼの色は、何色だろう。

 リゼは考えてみる。大図書館の前に刺さっている旗は、綺麗な赤色。そういえば、メレディスが割ったライフストーンも赤色だった。

 じゃあ赤色かな、とリゼは項目の最後のルールに移る。


 ・旗持ちが戦死者となった場合、その地区は全滅する。


 ぎょっとした。思わず冊子を持ち上げて顔を近づけた。

 戦死者となる__つまり、体につけていたライフストーンが五つとも破壊されてしまった場合を示す。たった一人の死が、地区の全滅をもたらしてしまうらしい。

 そう言えば、申請書配りをした際にプリシラにそんな話を聞いた気がする。このことだったようだ。

 それにしたって、一人にかかる責任があまりに大きすぎやしないだろうか。

 もし自分が旗持ちになって、ライフストーンが五つとも壊されてしまったら__エトランゼとの合同チームである、プーヘント地区とロスラン地区も全滅したという扱いになるのだ。

 彼女は背中に寒気を覚えた。

 生半可な気持ちで出来る役では無いらしい。この役をこなした第三回目の少年の旗持ちの凄さを、リゼは改めて実感したのだった。

「先程、スプーン戦争で勝敗を決める方法が二つあると話しました」

 リゼは久々に顔を上げた。そして、ふと違和感に気がついた。

「一つは、敵地区の旗台に旗を刺すこと」

 じっと彼を見つめて、リゼは違和感の正体を探った。それは、彼が此方を向いた時に気がついた。

 彼の表情が明るい。シャンデリアの光でそう見えるというわけではない。彼は、生き生きとしているのだ。

 それは、顔を上げて彼の顔を久々に見たから気がついたことであって、周りに座る者は誰一人気づいていないことだった。

「もう一つは、旗持ち、もしくはその地区の班長が戦死者となった場合です」

 いつからだろう。

 リゼは数分前の彼を思い出してみる。小休憩の後の、代理店の説明会をしている時の彼は、いつにも増して固い表情をしていた気がする。トラブルに関する話をしていたから、表情にも気をつけていたと考えれば納得がいく。

 では、その前の武器とライフストーンの説明の時は__淡々と喋っていた。表情の固さに慣れてきた頃だったので、あまり表情に関する記憶が無い。

 リゼは改めて壇上の彼を観察した。やはり、表情が明るいのだ。彼は随分、楽しそうに喋っている。

「班長というのは、私のことです」

 メレディスが言った。

「スプーン戦争では、私は実行委員会ではなく、旗持ちと同じく地区の命運を背負う者として立ち回ることになります」

 この話からだ。リゼは気がついた。彼は旗持ちの話に入ってから表情が変わった。理由はきっと、今彼が言ったことが全てだ。

 隣でレミントンが「えー」と言った。

「あのお堅い人が俺らのリーダー?」

「アンタみたいなのじゃ、まとめらんないわよ。あれくらいの人が調度良いのよ」

「そうかなあ。俺はもっとみんなに寄り添ってくれるような人が好みだよ」

「好みの問題じゃないでしょ」

 会話をする二人の間で、リゼはメレディスから目を話せずに居た。

 時折、メレディスの鉄仮面が剥がれる時がある。地区総会でもそうだった。彼は、スプーン戦争が伝統であると強く伝えた。あの時は表情ではなく、語気に現れていた。

 今回は表情に全面的に気持ちが現れている。本当に周りは気づいていないのか。

 リゼは周囲を見回したが、皆違和感など無さそうだった。メレディスに目を戻す。彼の表情は変わらずだ。

 少年みたい。

 リゼはそう思った。


 *****


 ぼんやりと聞いていたらしい、旗持ちに関する説明は終わり、それに続く細かな話も終わったようだった。

 リゼが我に返る頃には、会場は騒がしくなっていて、皆席を立っていた。トイレ休憩になったらしい。両脇のレミントンとコートニーもトイレに立ったようで、前方ブロックからも多くの人が消えていた。リゼは開けた視界をぼんやりと眺めていた。

 壇上からは、メレディスもノーランもルークも消えていた。

 そう言えばと前のブロックに焦点を合わせると、プリシラの姿が見えた。知り合いなのか、近くの席の者との会話で盛りあがっている。

 プリシラに聞いた旗持ちの話を、リゼは思い出していた。

 十七歳の少年の旗持ち。皆を引っ張っていくリーダーシップは、大人顔負けだったという。旗持ちに求められる力は多いのだ。ライフストーンを守って、旗を刺しに行くだけではないのだ。

 どんな少年だったのだろう。

 リゼは同じ年だというその旗持ちの姿を頭に思い浮かべ、そして肩から提げたままだったポシェットの存在を思い出した。

 小説を持ってきていたのだ。ルールの冊子を読んでいて、すっかりその存在が頭から抜けていたのだ。

 ポシェットを開いて、小説を手に掴んだ時、突然彼女の視界に入る光の量が減った。リゼは驚いて顔を上げる。

「リゼ・フローレンスさんですか」

 リゼの視界に入ってきたのは、メレディスだった。彼がいつの間にか、近くにやって来て傍に立っているのだ。

 リゼはポカンと口を開けて、掴んでいた小説を離す。すとん、と小説はポシェットの中に落ちた。

「はい」

 彼ときちんと話すのは、あの夜以来だ。初めて彼らがフローレンスにやって来た、黒いローブの団体客として彼らを迎えた、あの夜である。

「お時間よろしいでしょうか」

「大丈夫です......」

 リゼは何だろう、と不安になった。後半にあまり話を聞いていなかったことを咎められるかもしれない。時々目が合ったということは、彼には最初から目をつけられていたのだろうか。

 いろいろな考えが頭の中をぐるぐる巡る。

 視界の端で、コートニーとレミントンが通路に入ったのが見えた。トイレを済ませたのだろう。だが、通路はメレディスが塞いでしまっているので、二人は入ることができない。

「実は、あなたにあるお願いがあります」

 お願い、とリゼは繰り返す。

「エトランゼ地区の旗持ちを引き受けてくださいませんか」

「......旗持ち」

「はい。公平なくじで、あなたがエトランゼ地区の旗持ちに選ばれました」

「......」

 周りのざわめきが少なくなった。リゼの意識がふっと遠くなったのが理由なのか、それとも本当に皆静かになったのか。

 少女の頭では、かつてない速さで事が整理されようとしていた。

 旗持ち。それは、散々聞いてきたスプーン戦争の重役のことである。敵陣地に旗を刺しに行くという役割を持ち、皆の前に立って先導するリーダーのことである。持てるライフストーンの数が通常よりも二つ多く、自治区のマントを羽織り__。

「わ、私が」

 リゼはパクパクと口を動かす。次はさっきの比にならない。言葉がつっかえて出て来ない。

 メレディスはそんな少女をじっと見つめるだけだ。キラキラとした表情はそこには無い。静かに、今日も左右が異なる赤い目が、少女の姿をそこに映していた。

「なになに?」

「さあ、リゼちゃんが......」

「あの子、フローレンスの子じゃない?」

「ああ、ティモーさんとこの......」

 通路でレミントンたちの声がした。リゼはそこで気がついた。いつの間にか、人だかりができているのだ。

 メレディスが通路を塞いでいるので、その列の席に座ることが出来ない者で、太い通路が溢れている。その通路の混雑具合を不思議に思って、他のブロックの者も見に来ているのだ。

 リゼは多くの視線を受けて、顔が真っ赤になった。これも、さっきの比にならない。今なら顔で目玉焼きが焼けそうなくらいだと思うのだった。

「どうでしょうか」

 メレディスが答えを求めて聞いてきた。リゼは上手く口が開けなかった。

 どうして自分なのか、本当に言っているのだろうか。

 メレディスが「公平なくじ」と言っていたので、旗持ちはくじ引きで決められるようだ。そうだとしても、とても低い確率で自分が選ばれたのだ。奇跡のようなことが起こっている。

「リゼちゃんが旗持ち?」

「えっ、旗持ちってさっきのあの役?」

「できるのか、あんな小さな子に」

「でも、前のスプーン戦争ってたしか......」

「いや、あの子は男の子だったよ」

「女の子だぞ。女の子じゃあ......」

 リゼは視界が揺れた。恥ずかしさの限界が来ていた。顔を伏せて、唇を噛み、じっと耐えた。

「ちょっと失礼」

 通路に入って来る者が居る。それはメレディスすら避け、リゼの前にやって来た。リゼの視界に入るようにして、彼女はしゃがみ込んだ。コートニーだった。

「大丈夫?」

 彼女はリゼの両肩を掴み、肘まで上下に優しく撫でた。リゼの緊張の糸がそこでゆっくりと解けた。

「リゼちゃん、こういうの苦手でしょ」

「......」

 リゼは頷く。

 そう、リゼには苦手なことが一つだけあった。それは、人前に出ること。過度な集中を受けることだった。フローレンスで接客をする分には構わないのだ。

 しかし、小さい頃から、人前に出るのが極端に苦手だった。

 昔、フローレンスで働き始めた幼い頃に、酔っ払った客に皆の前で歌うように強要されたことがあった。商人の団体客だったような気がする。リゼは緊張して固まってしまい、父が彼らを店から追い出したことで事なきを得た。あの時の恐怖と、緊張は未だに忘れていないのだ。

 リゼはそれ以来、少人数だとしても、集中して見られることに苦手意識を覚えていた。地区総会でのことや、さっきの説明中の出来事、そして今のこの状況__リゼが苦手なことが詰まっていた。

 そう、こんな自分に務まる役割では無いのだ。心の何処かで、他人事のように旗持ちを感じていたのは、この役が自分に回ってくるわけがないからだと思っていたためだった。務まるわけが無いと最初から思っていたのだ。

「この子はこういうの凄く苦手なんです」

 コートニーがメレディスを振り返った。

「その役は、どうしてもリゼちゃんではないとダメなの?」

 リゼは震えながら彼の答えを待っていた。

 情けない。あんなに楽しそうな役、引き受けることができないなんて。

「いえ。開戦の一週間前までならば、合同チームに属する誰かに役を譲ることは可能です」

 リゼは受けても良いと思った。心の底では引き受けたいと思っているのだ。しかし、そこに届くまでが遠い。勇気が出ないのだ。

「なら、誰か他の人に__」

 待って、とリゼはコートニーの背中に手を伸ばした。しかし、それを制したのは意外にもメレディスだった。

「ですが」

 彼はキッパリと言った。

「私は、リゼさんに引き受けて頂きたい」

 リゼは顔を上げた。周りの人の壁をなるべく見ないように気をつけた。

 メレディスは、自分を見ていた。偽物のような美しい右目に、自分の姿が映っている。

「リゼさんの答えを聞きたいです」

 リゼはハッとした。今しかない。口が開くのは、今だけだ。

「やります」

 リゼは短く言った。

「リゼちゃん」

 コートニーが自分を呼ぶが、リゼはメレディスだけを見た。コートニーに制される前に、パッと立ち上がった。足が震えて、ふらついた。

「やらせてください」

 しっかり地面を踏んで、メレディスを真正面から見据える。

 人だかりは静まり返っていた。何も知らない前ブロックだけが、ザワザワと騒がしい。

「ありがとうございます」

 メレディスがそう言って、頷いた。

「助かります」

 皆が息を呑んだ。今度は、皆気づいたのだ。

 メレディスの表情が変わったことに。

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