ライフストーン
「では、これから祭典の中身について詳しくお話していきます」
メレディスがそう言った時、壁際に立っていたルークとノーランが動いた。二人は壇に上がり、ルークは通路を歩く時に持っていた箱を両腕に抱え、ノーランは何も持たずにメレディスの傍らにしゃがみ込む。
メレディスは、傍らのノーランに持っていた拡声器を手渡す。そして、
「あっ」
会場は息を呑んだ。
メレディスは己の背中に手を伸ばしたのである。そこには、彼がこの地区で下見をしてから今この瞬間まで、その背中にずっと背負われていた剣がある。
その柄を、彼は掴んだ。
乾いた木と木が擦れ合う音を、拡声器が微かに拾って会場に響かせる。
鞘から現れた刃は、切っ先の丸い、滑らかな木製であった。
「偽物だ......」
レミントンがホッと胸を撫で下ろす。会場の方方からも安堵のため息が聞こえてきた。皆、鞘から抜かれるまで本物の剣だと思っていたのだ。
彼の姿を今日初めて見た者は、兵士でも無い男が剣を背負っていることにギョッとしたに違いない。しかしその剣は、おそらくスプーン戦争の為に作られた玩具の武器だったのである。
「これより、武器の説明に入ります」
メレディスは何事も無かったかのように、また淡々と喋り始める。彼の声は、ノーランが拡声器を持つことで先程より音が遠かった。ノーランはそれに気づいたのか、メレディスに膝で近づく。
「此方はご覧の通り、安全性を第一に考えられた偽物の武器です。皆さんには、このような武器を手にして祭典に参加していただくことになります」
メレディスは、天井に切っ先を向けて、剣を高々と掲げて皆に見せた。その姿は、さながら英雄譚の勇者のようだった。
リゼは彼の話を聞きながら、ふと一つの疑問が頭に浮かんだ。
「あれって、叩かれても痛くないのかな」
レミントンが首を傾げる。
「木だから痛くは無いでしょうけど......でも、敵を倒すなら、相手が倒れるまでぶっても良いってことになるわよね」
「わお、コートニーさん......暴力的だなあ」
「だってそうでしょ」
しかし、リゼも同じことを考えていた。
安全性が考慮された武器とは言え、武器である以上は相手に何かしらのダメージを与えることが可能であるということだ。しかし、怪我をさせることは良くないこととされているのである。
では一体、何を持って相手を倒すことが可能になるのか。
「皆さんには、体に次のようなものを付けて頂きます」
メレディスがそう言うと、今まで彼の傍に静かにしゃがみ込んでいたルークが動いた。彼は箱から何かを取り出したようだが、それが小さすぎて、リゼたちが座る席からはよく見えない。
「見えない方は、立って頂いて構いません」
リゼはコートニーとチラリと視線を交わらせた。しかし、腰は浮かなかった。後ろにも人が居ると考えると、立ちづらく感じてしまうのだ。
「此方は、ライフストーンと呼ばれる、人工の宝石になります」
「宝石?」
皆は目を凝らした。メレディスがルークから受けとった物体は、天井のシャンデリアの光を受けて、キラキラと輝いている。赤色の小さな宝石だが、リゼが居る位置から見えるということは、それなりの大きさのようだ。
「ライフストーンは、言わば祭典の参加者の命です。皆さんには、このライフストーンを体に三つ付けて頂きます」
リゼはピンと来た。さっきの疑問の答えが明らかになりそうだ。
「このライフストーンは、スプーン戦争専用の武器でのみ破壊することが可能です。専門の武器には、モルティストーンと呼ばれる石が埋め込まれています。実際に、この剣にも」
メレディスが剣の持ち方を変える。腕を天井に伸ばした時に、垂直になるように剣を短く持つ。片手には、ルークから受けとったライフストーン。
彼は、剣の切っ先をライフストーンに近付けた。次の瞬間。
パリンッ!
「あっ!」
「割れたっ」
会場がどよめいた。
遠くからでは目視で僅かに確認できる程度だが、拡声器によって、その宝石がどうなったかは会場の全員が理解した。
メレディスの指からは、赤い宝石が消えていた。
「この剣の場合、切っ先にモルティストーンが埋め込まれています。今のように近づけると、ライフストーンを破壊することができるのです」
「何だか勿体ないなあ」
と、レミントン。
「綺麗な宝石だものね。人工とは言え」
「ねえ、あれを売ったらお金になるかなあ?」
「馬鹿ね、なるわけないでしょ。国民全員が三つも持ってるのよ。人工だし」
コートニーは呆れ顔をレミントンに向けた。「なーんだ」とレミントンは残念そうに、いつの間にか前のめりにしていた体を椅子の背もたれに預けるのだった。
「体につけていたライフストーンが三つ全て壊された場合は、その人は戦死者という扱いになり、死んだものと見なされます」
「戦死者......」
「物騒な言葉が並んでるね」
もちろん、本当に死んでいるわけではない。あくまで、あのライフストーンという宝石が自分たちの祭典中の命なのである。
メレディスは説明を続けた。
「戦死者となった方には、ただちにサザリアの花冠を被っていただく必要があります」
「花冠?」
「次はメルヘンだなあ」
戦死者との落差が大きい言葉である。
「何でサザリア?」
レミントンはコートニーを見る。コートニーは「さあ」と肩を竦め、隣のリゼの顔を覗き込んできた。
「どうしてか知ってる?」
「いえ......」
リゼも首を傾げた。
本で読んだことは無い。カスペルに教えてもらったこともない。黄色で目立つからだろうか、などと考えているうちに、説明は次へと進んでいた。
「戦死者となった場合は、祭典を観戦するのみで、戦いに参加することは不可能になります。生者との会話は可能ですので、安心してください。ただし、死者は勝敗に関わる助言や作戦の手助けはできません」
「何だか複雑そうだね」
レミントンが小さくため息をつく。リゼは手元の資料に目を落とした。アニカから受け取ったルールの用紙を確認しようと思ったのだった。
「武器の説明はこれで終わります。武器は専門の武器商人から買うことができますので、ご自身でご用意頂かなくて結構です。それでは、次の説明まで休憩を挟みます」
メレディスがそう言って、壇から降りた。次の説明の用意をするらしい。会場は遠慮がちに会話を始め、徐々に皆が自由に口を開き始めた。
「専門の武器商人だってー」
レミントンは、もうすっかり足を投げ出して椅子に腰かけている。
「中央広場の出店が、代わりに専門の商人の出店になるんでしょ?」
「そういう話だったわね」
「でも、一つも来てないじゃん。武器商人なんて俺、一回も見ていないけど?」
「そうね......」
リゼは二人の会話を流しながら聞き、資料でルールを確認していた。「ライフに関するルール」という項目に、ライフストーンの文字を見つけた。
「必需品を買える出店すら無いって、結構な死活問題じゃない?」
「会場に来る前に中央広場に行ったけど、みんな同じようなことを言っていたわ。やっぱり困るわよね。何か事情があるのかもしれないけれど......」
「あったって、エトランゼの人全員に迷惑がかかってるんだから、祭典の運営は早急に何とかするべきだよ。俺は困るなあ、毎朝牛乳を飲むのが日課なんだ」
「この際、ハーブティーにでもしてみたら?」
「えーっ」
リゼがライフストーンの説明を読み終わる頃には、メレディスが壇上に戻っていた。壇上に散らばっていたライフストーンの欠片を片付けたのだろう。
彼の登壇によって、会場のざわめきは小さくなった。コートニーとレミントンの会話もぷつりと途切れる。
「次の説明に移る前に、ただいま多くの方から質問を頂いたのでこの場でお答えします」
メレディスの表情が先程より厳しく、固くなったことに、リゼは気づいた。
「中央広場の代理店ですが、現在業者との連絡が取れていないトラブルが発生しています。一部業者は、今夜中にはエトランゼに到着し、テントや店の架設を始めるとのことでした。皆様には多大なるご迷惑をお掛け致しております。大変申し訳ございません」
「業者間のトラブルかな」
「でも、じゃあ、必需品はどうするの?」
会場は不安げな声で溢れる。
「必需品に関しては、明朝まで業者が到着しなかった場合、事前に相談所の方へ送っていた予備の必需品がございますので、無償で配布致します。ご理解の程よろしくお願い致します」
まだ会場は騒がしかった。
「あっちもあっちで困ってるみたいね」
コートニーはメレディスの話を聞いて、肩を竦めた。
「どうしたんだろうね、代理店の人達。みんな揃ってストライキかな」
レミントンも首を傾げている。
リゼは二人の間で、ぼんやりとメレディスの話について考えていた。
トラブルならば仕方がないだろうが、このまま店が一つも来なかったら__。
リゼはフローレンスの厨房が心配になった。
冷蔵庫やパントリーには、もう食べ物が数少なかったような気がする。空腹を満たすくらいの量はあるが、父が様々な料理に変身させるほどの食材は、もう多くは無い。
メレディスは、質問の回答に関連してか、配給制の説明を始めた。
今朝、各家のポストに各家族分の切符が配られていたらしい。
父はよっぽどのことが無いとポストを開かないので、リゼは知らなかったのだった。
家に帰ったら父と確認することを頭の隅に置くと同時に、リゼは祭典に対して父の考え方が変わらないかどうかが不安だった。
過去に無い食材の枯渇と、自由に物が買えない配給制__どんなに寛大な父も、いよいよ祭典に対する不満が一つは漏れてきそうだった。
メレディスは配給制に関係なく、主要武器である剣と、ライフストーン、そして戦死者となった場合の花冠は、各自に無償で配ることを話した。
「配給制の説明に関しては此処までと致します。続きまして、スプーン戦争の主なルールについての説明を行います」
*****
「おお、それは何だい」
嗄れた声が聞こえて、梯子の頂上に居た金髪の女は振り返った。梯子の脚元に、いつの間にか老いた男が立っている。夜の散歩中なのか、背中で手を組んでただ歩いているだけのようだ。
彼の質問に、女は口に咥えていたロープで答えることが出来ない。
「スピーカー......あー......ラジオを聞くための機械です」
代わりに、梯子の下に居た青髪の青年が答える。
「ああ、ラジオ」
問いかけた男は納得した様子で頷いた。
「最近は良くなったよ。昔は遠くの人にものを伝える時は、大きな塔の上から鏡を使って合図をしたんだ」
「鏡ですか」
梯子から女が降りてくる。彼女はロープをまとめながら、綺麗なハスキーボイスで彼に問う。
「鏡で、どうやって合図するんですか?」
「太陽の光を反射させるんだよ。光の強弱で、暗号を送るのさ」
「暗号......例えばどんなことを?」
女は興味があるようだ。青年の方は特に興味も無いようで、梯子を折りたたんでいる。
「例えば......嵐が来るから備えるように、だとか、占いで災いの予測があったから、この地区はこうしろ、だとか。今のラジオよりは単調だけどね、そういうことを伝えあったもんだよ」
へえ、と感心する女を置いて、青年は欠伸を噛み殺している。
「ちょうど、あの南門から伝えていたよ」
置いた男は自分たちの真正面に見える高い壁を指さす。夜の闇にぼんやりと浮かぶ、のっぺりとした一辺の門だ。
「彼処からは、他地区の合図塔が見えてね。彼処からチラチラ受けた光を、今度は反対の地区に伝えてやる。それで、どんどん遠くまで情報を受け渡していくんだ」
「意地悪して、合図を送らないとかはあったんですか?」
女の問いに、青年はハッと鼻で笑ったが、老いた男は「あったよ」と頷く。
「そういう時は、合図の係は罰せられたんだ。私情を持ち込む合図は、大迷惑だったからね」
「まあ、そうですよね」
女が頷いた時、遠くで犬が吠えた。ぎゃんぎゃんと騒ぎ立てている。それは南門に跳ね返り、地区の通りの一つ一つに響いた。
「さて、そろそろ帰ろうかな」
老いた男がその犬の声に引かれるように歩き出そうとし、青年も女に梯子を渡して荷車に戻った。その時、
「待って」
と女が言った。老いた男に言ったのか、それとも青年に言ったのか。青年が「何だよ」と女を振り返る。
女は通りの奥をじっと見つめていた。南門の方向だ。
「なんか聞こえる」
「犬」
「違うよ。もっとでっかくて危険なもんだ」
「はあ?」
女が「おじいさん」と、男を呼んだ。歩き出そうとしていた男が、怪訝そうに女を見た。
「なるべく細い路地に入って、遠回りして帰ってください。足元には気をつけて」
「どうして?」
老いた男の問いに、女は答えなかった。梯子を近くの家の壁に立てかけて、今度は荷車の持ち手の中で突っ立ったままの青年を振り返る。
「トラビス、荷車置いて行くよ。何してんのさ、早くっ」
「お前、本当に何が聞こえてんだ」
トラビスと呼ばれた青年が苛立たしそうに荷車の持ち手を飛び越える。女はそれにも答えず走り出した。南門に向かうようだ。
トラビスは眉を顰めて、その背中を追いかける。耳を澄ませても、それらしい音はしない。狂ったように吠える犬の鳴き声と、自分たちの息遣い、そして足音だけだ。
「何が来るんだっての」
しかし、トラビスは少し前に自分が感じた不穏な空気をふと思い出した。ちらりと空を見上げる。
大木の皮のように分厚い雲が、空全体を覆っていた。




