フォーク戦争について
「うめーっ!!」
通りにそんな声が響いた。食事処が軒を連ねる、食べ物通りだ。近づく祭典によって、全ての店が閉店しているが、その声はたしかに「美味い」と言った。
今日は祭典の説明会の日。エトランゼ中の家から一人、エトランゼ大図書館へ行って説明を聞いてくることになっている。残された者たちは、家族の帰りをしずしずと待って__いないようだった。
「だっはあ〜っ!! お前が酒好きで助かったぜ、ティモー!! 祭典準備で酒屋も閉めちまってるからよ、だあれも酒持ってねえんだ!!」
その大音声は、エトランゼでも屈指の名店「食堂・フローレンス」から聞こえてくる。
オーナーであるティモー・フローレンスは、カウンターに座る一人の男を軽く睨みつけた。
「さっさと飲んでさっさと帰れよ、キース。俺はリゼに飯作るために、今此処に立ってるんだから」
「そう硬いこと言うなよ〜、お前も置いていかれた身なんだろお? なあんで、俺は行っちゃダメなんだよお〜。俺も行きたかった、説明会に行きたかったんだあ〜!!」
カウンターに座る男は、キース・プラウス。フローレンスと同じ通りで、夫婦でパン屋を営んでいる彼は、同時に指折りの酒豪としてよく知られている。しかし、酒に強いというよりかは、酒を多く飲むことに特化した体質のようだ。顔を真っ赤にして、さっきまで上機嫌だったが今は赤子のように泣いている。
キースはどうやら、妻と共にスプーン戦争の説明会に参加したかったらしい。説明会は、一家から一人までしか参加出来ないと決まっているので、妻が行くとなればキースは当然留守番だ。
キースはパン屋のオーナーであり、酒豪であり、そして愛妻家でもあった。朝まで飲んで帰宅して、家を追い出されようが、大声で怒鳴られようが、結局その日のうちにケロッとした顔をして彼女にベッタリなのが、このキースという男なのである。
「しょうがないだろ。説明会は一人しか参加しちゃダメなんだとよ。家で静かにコートニーの帰りを待ってりゃ良いだろ」
ティモーは手首を器用に使って、フライパンの中身をひっくり返す。粉物が残っていたので、それを卵で溶いて薄くフライパンに敷き、それに葉物と甘辛い肉炒めを包んで食べることにした。リゼも好きな味のはずだ。
しかし、中に包むはずの肝心な肉炒めは、カウンターに座る呼んでもいない客の腹に酒と共に収まっていく。ついには一緒に包もうとしていたレタスまで食べ始めた次第だ。
そもそも、どうしてキースがフローレンスにやって来るのか。妻が居なくて寂しい思いを紛らわそうとしているのは勿論そうなのだが、それ以外にも理由はあった。
「だって、家にはなーんも無いんだぜ!? 小麦粉も無くなるし、野菜だって同じ種類のやつばっか!! 酒も満足に手に入らねえ、一体いつになったら、その代理店ってのは来るんだよっ!!」
だんっ、とビールジョッキが激しくカウンターに置かれる。
キースがフローレンスに転がり込んできた理由は、まさにそれだった。
スプーン戦争という祭典の準備が始まってから一ヶ月が経過した。地区総会で説明されたのは、中央広場の出店は、スプーン戦争専門の出店に置き換えられるということ。エトランゼ民には既にその話は広まっているが、一向にその代理店は広場に姿を見せない。とうとう、中央広場は前の様子を忘れるほど閑散とした姿になってしまった。
皆困窮した生活を何とか呑んで祭典を待っている。欲しいものが手に入らないストレスというのは、地区民を少しずつ怒りの境地へ招いているのだ。実行委員会は、それを知った上で祭典の準備を進めているのだろうか。
「たしかに、遅いよな。最初の出店が撤退を始めてからもう一ヶ月経つんだろ。それでいて、新しい店がひとつも入ってこないのは変な話だ」
「だろおっ!?」
分かってくれたか、と彼が腕を伸ばすので、ティモーはよく熱されたフライ返しを彼の手に押し付けた。「あぁっづぁあ!!」と、カウンターの向こうに幼なじみの姿は消えた。
「で、何か聞いてないのか」
ティモーはフライ返しを丁寧に洗いながら、キースを見る。少しは酔いも覚めたようだ。「さあな......」とカウンターに再び戻ってくる。
「そういう話はリゼちゃんが知ってるんじゃないか? よく図書館に行って情報を集めてくるみたいだしな」
「まあ、そうだが......リゼは最近知ったばっかだからなあ、祭典の話」
「あの子の好奇心じゃ、祭典の奥の奥まで知り尽くしちまいそうだなあ」
キースは笑って、肉炒めを一摘みしようとする。ティモーが念入りにフライ返しを火で炙り始めたのを見て、恨めしそうに手を引っ込めた。
「まあ、今日はその話かもしれないだろうしな。俺らは静かに待つしかないな」
酔いも覚めたことで冷静になれたようだ。キースはビールジョッキをぐっと大きく傾けた。
*****
「皆様、本日はお集まり頂き誠にありがとうございます」
会場は静かとは言えなかった。まだ声に慣れずに笑いを堪えきれない者も居れば、壇上の男の存在を知ってハッとする者も居る。
「スプーン戦争実行委員会より参りました、エトランゼ班、班長のメレディス・ノシュテッドです。以後お見知り置きを」
それは、地区総会でも一度聞いた挨拶だった。大半の者は彼の名前を今此処で初めて聞いたはずだ。黒いローブとして彼の姿は見ているが、あの中身が壇上の男なのだと知って、興味深そうな表情を各々顔に浮かべていた。
メレディスの隣には、先程風のように通路を駆けて行った二人の青年の姿がある。メレディスは彼らの名前を軽く紹介した。ルーク・マクレガンとノーラン・バベッジ。メレディスは、二人ともエトランゼ班の班員であると説明した。説明が終わると、彼らは掃けて、メレディスだけが壇上に残った。
「この一ヶ月間、祭典に向けての迅速なご準備、そして多大なるご理解頂き、誠にありがとうございました。実行委員会としては大変助かりました。皆様のご協力のおかげで、エトランゼ地区の書類は揃い、保護作業も無事に終了致しました。感謝致します」
波の立たない声で、メレディスは淡々と話した。それを聞いて、レミントンは「なんか......」と眉を顰める。
「やっぱり怖いよ、あの人。感情無さそう」
「バカ、失礼にも程があるわよ、あんた」
「だってそうじゃん。見てよ、あの岩みたいな顔。岩だってもう少し可愛い顔するね。本当に楽しい祭典の実行委員なのかね」
会場の方方でも、似た会話は繰り広げられているようだった。しかし、リゼはその会話に入ることはない。
自分は知っているのだ。メレディスが、スプーン戦争に対して強い情熱を持っていることを。地区総会の日、フェーデルに対して一瞬だけ見せた彼の姿を。
「本日は、スプーン戦争について既出の情報を含め、より詳しいものを皆さんと共有したいと考えております。お手もとの資料を順に見ていきますが、時間の都合上全ての情報に触れることはできません。恐れ入りますが、不明な点は相談所に居る実行委員までお願い致します。質問内容などは、相談所前の掲示板に随時張り出される予定です」
それでは、とメレディスは拡声器を持ち直した。
「説明に移ります」
会場は笑い声が止んでいた。皆だんだんとこの声の響き方に慣れてきたようだ。今の長ゼリフは、会場の静けさを取り戻すためだったのかもしれない、とリゼは思うのだった。
「皆さん、スプーン戦争がどのようなお祭りかご存知ですか」
それは、地区総会でされたものと似た質問だった。
「どのような祭りか知った上で、この一ヶ月間、準備をされてきたでしょうか」
コートニーとレミントンが顔を見合わせるのが、リゼの視界の両端にチラリと映った。
「もし知らなかった方がいらっしゃれば、是非この説明会で覚えて帰って頂きたい。そして、お家で待つ御家族の方々にお伝えください」
メレディスは会場を見回した。赤い目は、今日も片目が偽物のような輝きを放っているのだろうが__リゼが居るこの席からは遠すぎて、その判断ができないのだった。
「二百年前、人間と魔族は大きな争いをしました。魔族というものを信じない方が今も居ますが、彼らはかつて存在していました。この国の西に陣地をとり、そこで独自の文化を形成していました。魔族というものが、どうして魔族と呼ばれるのか、ご存知ですか」
「魔法使いなんだっけ。よく知らないけど」
と、レミントン。コートニーも「そうね」と首を傾げる。
「何となく、魔法を使って生活する種族ってことくらいしか知らないわね。でも、魔法なんて本当に存在するのかしら」
「魔法は存在します」
コートニーの問いに、偶然にもメレディスは答えた。二人とも口を噤む。リゼは背筋を伸ばして彼を見ていた。この話は、生半可な気持ちで聞いてはならないことを、彼女はよく知っている。
「魔族とは、魔法を使って生活をしていた種族を言います。一口に魔法と言っても、皆さんが想像するおとぎ話のような魔法はほとんど使っていません。空を飛ぶとか、瞬間移動をするとか......それは我々人間が勝手に頭で作り上げた魔法です。デタラメの魔法です」
「言うなあ」
レミントンが不満そうな目をメレディスに向ける。
「本物の魔法とは、些細なものです。傷を癒す力であったり、早く走れる力であったり、植物の成長速度を早くする力であったり......地味に思われる方も居るかもしれませんが、彼ら魔族は、これらの魔法を駆使して森の奥で慎ましく暮らしていました」
ですが、と彼は続ける。
「魔族は、やがて人間の生活圏に入ってくるようになります。いくら森で境界が作られていたとは言え、人間も魔族も、境界線に近い者たちは互いの生活に少しずつ影響を与えていきました。例えば、果物。森でしか採れない珍しい果物は、人間が欲しがりました。魔族はそれを売り、そして人間からは人間しか生み出せないものを売りました。最初はそれで良かったのです。互いに平和な物々交換をしているだけでしたからね」
不穏な空気が漂い始めたことを、参加者は感じ取り始めたようだ。
「魔族はユークランカ地区に暮らしていました。人間は、それ以外の土地に。勘違いしてはならないのが、今は二つの血が混じり合い、人間と魔族の違いはほとんど分からないものになっているということ。ユークランカ地区出身の方を、これからの話で侮辱しようという意図はございません」
そのような断りを入れてから、彼は次の話を始めた。
「人間は多くの領地を持っていました。権力だって、それなりに。土地も人も少ない魔族は、自然と人間の尻に敷かれたのです。それを不満に思った魔族は、人間に対して宣戦布告しました」
メレディスは会場を見回した。一人一人と目を合わすように。彼はやっぱりリゼと目が合った。
「当然ですが、魔族は勝てませんでした。理由は二つ。戦力不足がそのひとつです。どんなに良い武器を作ろうが、魔法を持っていようが、数は人間の方が多いのですから太刀打ちすることができなかったのです」
もうひとつは、とメレディスは続ける。
「魔法の封印です」
「封印?」
レミントンとコートニーが同時に声を上げる。リゼもまた、そうだ。
「ファンタジックな話になってきたね。魔法が封印されちゃったんだって」
レミントンは既にこの話を真面目に聞く気は無くなったらしい。靴磨きを再開しそうな素振りを見せる。周りの参加者からも鼻で笑う声が聞こえてくる。
「おとぎ話と思って鼻で笑うのは簡単ですが、実際の歴史だと考えて耳を傾けてくださると、我々もこの会場を用意した甲斐があります」
「レミントンさん」
リゼはレミントンの肩を軽く叩く。
「一緒に聞きましょう」
「あれえ、珍しいリゼちゃん。コートニーさん、見た? 俺にモテ期が到来したみたい」
「馬鹿ね、黙って聞けって言われてんのよ」
コートニーがリゼ越しにレミントンを睨むと、レミントンは靴を下ろした。
メレディスは説明を続けた。
「フォーク戦争で魔族が敗戦した大きな要因__それは、彼らの魔法が、ある偉大な魔法使いに封印されたことに拠ります。魔法はあるものと考えてください。魔族の最大の武器が手元から無くなった時、彼らは人間と戦う手段を失ってしまいました」
リゼは身を乗り出して彼の話に耳を傾けていた。これは、地区総会の日に彼が言っていなかったことだ。魔族を人間が虐殺したという悲しい歴史があることしか、あの日は聞いていない。
「人間はそれを知って彼らの土地に攻め入りました。ほとんどの土地は人間のものになったと言います」
「で、フォーク戦争で人間が勝利したと」
うんうん、と頷くレミントン。
「此処で忘れてはいけないことがひとつ」
メレディスが一本指を立てた。
「魔族が魔法を使うことが出来るのは、我々人間との体の作りが大きく異なることが原因とされています」
「体の作り?」
コートニーが眉を顰める。
「体がでかいとかじゃない? 脳の容積があるとかさ。魔法を使うなら、呪文を叩き込む頭の余白が必要だろうしね」
と、レミントン。リゼは、なるほど、と彼の話を聞いていた。しかし、メレディスの言葉はその想像の斜め上を行った。
「彼らの体には、魔法石と呼ばれる宝石が埋め込まれていました。それが彼らの手から生み出される魔法の源でした」
「魔法石......」
「ようは、宝石です。赤や黄色、青や紫......一人に一つ、その体には魔法石というものを抱えて産まれてくるのです。ホクロのようなものを想像してください。それが彼らにとって命同然に大切なものでした」
リゼは何だか嫌な予感を覚えた。
人間が魔族にした虐殺。それがどのような行為なのか、地区総会の日、メレディスはそこまで詳しい話をしなかった。
つま先から頭のてっぺんまで、嫌な電気が走った気がした。体が自然と固くなる。
「彼らが魔法を封印されたことは先程も申した通りです。しかし、それは目に見えないことです。魔法が使えなくなったという証明__自分たちには武器が無いのだという証明を、魔族はしなくてはならなかったのです。人間は彼らの体に付いた宝石に目をつけました。それが魔法の源であることを知り、彼らの体からそれらを抉り取ったのです」
会場の端々で声が上がる。レミントンも隣で「ううっ」と震え上がった。
「やだ、俺こういう話嫌い」
「でもちゃんと聞かないといけないわよ」
「いやっ、怖い怖い、ゾッとする! リゼちゃん、手、手握ってて」
「どさくさに紛れてリゼちゃんに触るんじゃないよ」
しかし、リゼもレミントンが言い出さなければ、コートニーに助けを求めたかった。それほど、この話は強烈だった。地区総会の夜、逃げずに挑んだ小説の数頁。あの頁に書いてあったことは、実在したことだったのだ。
メレディスは、波風の立たない静かな声で話を続けた。
「魔法石が体に現れる場所はランダムです。頭のてっぺんから、足のつま先まで、体の内外も関係なく、何処かにひとつだけ現れます。人間はそれを徹底的に排除しました。魔法というものは、人間にとって害でした。だからこそ、それらが目に見えて現れる魔法石が憎かったのでしょう。魔法石を抉り取られて、魔族は肉体的苦痛の中で死と敗北を味わったのです」
ひい、とレミントンが頭を抱える。コートニーも「応えるわね」と唇を噛んだ。リゼは二人の間で体を固くしていた。
生々しい話だ。しかし、耳を背けてはならない現実なのだ。この歴史があってこそ、祭典は生まれたのだ。
少女の膝の上には、強く握られた拳が置かれていた。内側はじっとりと汗で濡れ、血の巡りが悪くなった指は痺れている。
「こうして、フォーク戦争は終わりました。人間は勝利を手にし、魔族は敗北を知り、生き残った者たちは平和を強く望むようになりました。魔族は少しずつ人間と混ざる道を選び始め、今では人間とほとんど混ざりあってしまっています。魔法石も、よっぽど血が濃くなければ体に出ることも稀です。こうして平和が戻り、フォーク戦争の惨劇は、スプーン戦争という平和の祭典によって受け継がれていくことになりました」
会場に立ちこめていた暗雲はようやく去った。皆、何処かホッとした表情を浮かべている。レミントンも「ふう」と息を吐いた。
「凄い話だったね。俺、もうお腹いっぱい」
「まあ、歴史の授業で何度か聞いたことはあるけれど......此処まで生々しいものは初めてだったわね。リゼちゃん、大丈夫?」
コートニーに顔を覗き込まれて、リゼは「はい」と頷く。
辛い話ではあった。しかし、それでも守っていかなければならないと、先人たちは思ってくれたのだ。リゼはやっぱり、この祭典を嫌いになることはできないと思うのだった。
「これが、スプーン戦争が生まれた経緯です。楽しむことも大事ですが、このような経緯があることもお忘れなく。我々実行委員会が推していきたいのは、寧ろこういった負の歴史です。人間がどうしても目を背けたくなる自分たちの過ちです。先人たちが、自らこのような祭典を作ったという行為そのものから、汲み取られねばならない思いがあるのです」
周りを憚ってできないが、リゼは何度も大きく頷きたかった。彼女の心の中にある言葉を、メレディスが上手く言語化してくれている。
周囲の者たちの心にも響くものがあったらしい。皆、もはや魔族や魔法を馬鹿にしていた最初の頃を忘れてしまったかのように、真剣にメレディスの話に耳を傾けている。
リゼはそれを見て感心するのだった。メレディスの喋りというのは、波が立たない故に、自己の思いを強く伝える何かがある気がする。彼は意図して、自分の言葉に感情を込めないのだ。その方が伝わると、彼はよく知っているのだ。
本当は、もっと強くこの会場全体に訴えかけたいはずなのに。
リゼはすっかりメレディスという人間に夢中だった。彼が実行委員会である故に押さえつけられている人間的な部分が、時折見え隠れするところに何処か魅力を感じるのだった。




