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スプーン戦争の夜明け  作者: 葱鮪命
第二章 長い一日
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拡声器

 夜のエトランゼは、この時間ならまだ活気がある。いつもならば。保護作業に伴う全ての店の閉店は、エトランゼから夜の賑やかさを奪い取ってしまったのだ。

 通りで酔っ払いが覚束無い足取りで歩いていることも無いし、中央広場が夜市で賑わうことも無い。

 家々は窓から柔らかい明かりを漏らしている。その光の中で人々が、説明会へ行った者たちの帰りをしずしずと待ち望んでいた。

 そんなエトランゼの通りを、二つの人影が歩いていく。カラコロと音を引き連れて。

「重ぇ」

 一人は吐くように言った。這うような低い声の男だ。

「根性無いねえ。テッドならもっと早く歩くよ」

 もう一人はハスキーボイスの女である。

「あいつは脳みそまで筋肉なんだよ。俺と一緒にすんな」

「ありゃ、アンタは脳筋じゃないんだ」

「俺はきちんと、もの考える脳みそ持ってる」

 そんな会話をしている間にも、男の息は上がってくる。原因は、彼が引いていた荷車だった。その上には同じ木箱がいくつも乗せられている。それは振動で互いにぶつかり合い、カタカタと細かな音を通りに響かせていた。

 女は、逞しい肩にとぐろを巻く蛇のような太い紐を巻き付けていた。空いている右腕には長い折りたたみ式の梯子を抱えている。まるで大工のような風貌である。総重量は男と変わらないようだが、女の方は涼しい顔を見せていた。

「つか、随分静かだな」

 男は上がった息で通りを見回す。彼らは南門から最も遠い通り「食べ物通り」を目指して歩いていた。作業はそこから始める予定だった。

「説明会だからね」

「だとしたって静かだろ。通夜でもやってんのか」

「店が無いからさ。この前来た時とは大違いだよね」

 女は足を緩めた。最初の作業場へとやって来たのだ。予め取り付けの願いを出していた店だ。中央の通りを突っ切って行くと、一番初めに見える店__居酒屋だそうで、店主が一人で切り盛りしているらしい。その店主は説明会に行っているためか、家の中から人の気配はしなかった。

「ぱぱっとやっちゃおうか」

 女はロープを地面に放った。宙で軽く形を崩したそれは、バラバラと地面に落ちる。右腕の梯子は両脚を持って広げられ、地面に置かれた。男もその隣で荷車を止める。

「これ、今日中に終わるんだろうな」

 男は手持ちを跨ぎ、荷車の横に回った。木箱を一つ手に取って、振動で壊れていないか四方から見て確認を始める。その箱はラジオに似て、側面に穴が規則正しく並んでいた。しかし、ラジオ特有の虫のような触覚は伸びていない。

「どうだろね」

 女はそう言って身軽な動きで梯子を上った。男から木箱を受け取り、店の屋根に置く。

 両手が空いた男は、地面に落ちているロープを拾った。女が「いいよ」と合図を出すと、そのロープを彼女に放り上げる。

 女は見事にそれを空中で掴んで、屋根に固定を始めた。

「どう? 曲がってないかい」

「ああ、大丈夫だ」

「よし」

 女は頷き、腰に付けていたナイフを引き抜いた。それでロープを適切な長さに切り始める。

 男はそれを待っている間、目が暇だった。何気なく背後のレメント川に視線をやると、その向こうで明るく輝く夜の大図書館も視界に入ってきた。今日は王城よりも図書館の方が光が強い。大図書館では、今頃説明会が始まっただろう。もう通りを歩く人も居ない。

「できた」

 女の声がしたので目を戻すと、ロープが見事に切り離され、木箱は屋根に綺麗に固定されていた。

 女はそれを確認するとすぐに、途中にある段の意味が無いほど、梯子の頂上から軽々と飛び降りる。そして、地面につくや否やロープを回収し、また元のように丸く束ねてまとめた。それを肩にかけると、次は梯子を畳む。

 男も既に荷車の手持ちの中に戻って、引く体制に入っていた。

「次に行くよ」

「終わるのか、今夜中に」

「終わらせなきゃいけないだろ。アタシらの仕事なんだから」

 女は肩を竦めて歩き出す。男もため息をついてその後ろをついて行った。

 荷車に乗っている木箱の数は、両手じゃ数えることができないほどだ。今日中にこれをエトランゼ中に取りつけるとなれば、作業が終わるのは明朝になるだろう。

 本来ならば此処にもう一人居たはずだが、彼は今さっき本部から招集がかかって戻って行った。トランテュもトランテュで忙しいのだ。今年は非参加者が多いらしい。第三回目の話を聞いて怯える者は少なくない。慎重になるのも分かるが、果たしてそれは意味があるのだろうか。男は思うのだった。

 空を見上げる。いつのまにか、星空に薄いベールがかかっていた。薄寒い風が通りを駆けていく。

「やな天気だな」

 ボソリと呟いた。女は既に少し先を歩いていた。耳には入らなかったらしい。鼻歌を歌っているのだ。男は二度目のため息をついて、彼女の背中を追った。


 *****


 読書好きな彼女にとって、文字を読むという暇潰しは、最高な時間の使い方なのである。

 リゼはぺらぺらと捲ってみた時に、一番に目に飛び込んできた頁で手を止めた。

「女王に関する......」

 それは、冊子の終わりの方に載っていた。ルールは大きなまとまりごとに箇条書きで記してあり、「女王に関するルール」は、他のルールに比べて文字量が圧倒的に少ない。数行の短いルールが綴られている。


 《女王に関するルール》


 ・女王は、休戦期間を除いた開戦後から終戦まで喋ることを禁ずる。ただし、玉座の隣に立つ従者(一人)のみとの会話は可能である。


 女王とは、間違いなくこの国の女王のことだ。女王が居るのは、この大図書館の隣にある建物。国民がほとんど出入りすることのない、謎多き王城である。

 女王が喋ってはならないというのか、一言も。

 リゼは眉を顰めて何度もその部分を読むのだった。

 ルールに女王の存在が出てくるのが不思議で堪らない。そう言えば、と彼女の頭の中に、いつかのアニカの言葉が蘇った。

 __実は、フォーク戦争のオマージュなんだよ__。

 オマージュ。たしか、フォーク戦争で魔族が人間と争った理由に、王権の奪い合いがあった。それがこのルールに関係しているのかもしれない。

 王の存在というのは、時に争いを激化させてしまう。それは、平和とはかけ離れた結果を招いてしまうのだ。

 リゼはハッとした。女王が普段国民と極度に交わらないこともまた、このルールと関係しているのかもしれない。

 女王は、本物の戦争を恐れているらしい。このルールを考えているだろう、スプーン戦争実行委員会もまたそうだ。模擬戦争ではあるが、本物の戦争が起こらないために細心の注意を払っていることが、このルールからひしひしと伝わってきた。

 __これは遊びじゃない、伝統なんです__。

 地区総会でメレディスが言っていたことだ。昔の人々が伝えようとしてきたものが、この紙には刻まれている。

 リゼは何だか背筋が伸びる思いで、冊子を見つめていた。手の中にあるものが、たった数枚の紙の束には思えない。この中に、何百、何千の人間の気配を覚えるのだった。強い言葉と思いが、文字の一つ一つとなって紙に刻まれ、そして心を打ち付けてくる。

 リゼの脳裏で、赤い旗が翻った。あの旗を見た時の気持ちを、リゼは鮮明に思い出していた。アニカに意味を聞いた時、そこから湧き出てきた過去の人間の声。

 ああ、やっぱりこの祭典が大好きだ。

 リゼは冊子を閉じた。表の文字を手のひらで撫でた。

 良い祭典だ。たくさんの人々の心に触れられる、良い祭典だ。

 感慨に耽るリゼは、ふと会場の雑音が小さく薄くなったことに気がついた。顔を上げると、いよいよ説明会が始まる雰囲気が出始めている。メレディスが、ステージの上に立ったのだ。手には、小さくて黒い棒状のものを持っているが、リゼにはそれが何なのか分からない。

「あ、彼奴」

 隣でレミントンが声を上げた。コートニーとの言い合いは、早い段階で切り上げられたようだ。手持ち無沙汰になったのか、彼は自分の靴を磨いていた。

「俺の店に来たやつだよ」

 彼は靴から顔を上げて、壇上のメレディスを見ていた。

「ああ、スプーン戦争実行委員会のね。エトランゼに派遣された班の班長らしいよ」

 と、コートニー。

「何だってあんなに怪しい風貌で店に入ってきたんだろう。武器なんか背負っちゃってさあ。怖くてチビるかと思ったよ」

「アンタってほんと......リゼちゃんの前でそういうこと言わないでよ」

 その時、リゼたちが座るブロックの横の太い通路を、二つの人影が風のように通り過ぎて行った。一人はルーク、もう一人は、昼間ミースの手伝いをしていた金髪の青年だ。二人とも手に箱を抱えていた。箱からはカタカタと音が聞こえ、椅子に座っていた者の視線は一瞬彼らに集まる。そして、

「えー、お待たせ致しました。皆さんお揃いになりましたので、これより説明会を始めさせて頂きます」

 会場がざわめいた。リゼも、そしてコートニーもレミントンも声を上げて、弾かれたように辺りを見回す。

「声が......」

「響いてる!」

 喋ったのは若い男の司書だった。問題は、その声の聞こえ方だ。彼はステージの脇に立っていた。手には、メレディスが持っているものと同じ、黒い棒状の何か。

 彼の声は、何故かリゼたちが座る後方席にも鮮明に聞こえた。それどころか、後ろから聞こえてきた。喋っている本人は前方に居るというのに。

 そして、彼の声は会場に響き渡った。壁から壁に跳ね返り、全身を包み込んでくるような感覚に襲われる。

「な、何これ! なんか、気持ち悪い」

 レミントンが体を縮ませて、不快そうな表情をして会場を見回した。

「広い会場だから、声が響くようにしてるみたいね。あれから声が出ているみたい」

 コートニーが指さしたのは、部屋の壁にかけられた木の箱だった。見回すと、部屋の至る所にかけられており、たしかに声はそこから聞こえてきたように思える。

「驚かせてしまい、申し訳ございません。こちらは拡声器となっておりまして、今夜だけスプーン戦争実行委員会の方より貸し出して頂いているものです。この会場は広いので、声をなるべく張り上げずに後方にも伝えられるようにと思い、導入させて頂きました」

 説明をする若い司書の声は、ぐわんぐわんと波打つようにして会場の隅々まで響き渡った。耳の奥や腹の底がくすぐったくなるような音の強弱である。周りも驚きを通り越して可笑しそうに笑っている。

「ほえー、凄いや。スプーン戦争実行委員会は、時代が進んでるなあ」

 レミントンもその顔から不快さが消え、興味深そうに拡声器を見る。

「林の出入口でも、遠隔で会話ができる機械を使っていたものね。あれ、便利よ。私の家では使えないのかしら。二階にいちいちバカを起こしに行かなくて良いんだもの」

「俺も持ったら、俺のことも起こしてくれるってこと?」

「アンタは自分で起きなさいよ」

 再び軽い言い合いを始める二人。その間に挟まるリゼはというと、やはり顔を輝かせているのだった。今夜はまだまだ初めて見るものがありそうだ。一つ一つに感動していては身が持たないが、彼女にとって忘れられない夜になることは間違いなかった。

「それでは、改めまして。説明会を始めさせていただきます」

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