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スプーン戦争の夜明け  作者: 葱鮪命
第二章 長い一日
25/41

林の入口まで

「お父さん、行ってきます」

 外はすっかり暗くなっていた。遠くの空がまだ明るいが、既にエトランゼの街灯は明かりが灯っている。

 リゼは通りに繋がる扉を開いて、父・ティモーを振り返る。彼は相変わらず台所に居た。もうすっかり、彼は彼処の住人である。リゼが本の虫ならば、彼はフライパンの虫だろう。

「おう、気をつけてな。何か美味いもん作って待っとくぜ!」

「うん、ありがとう」

 リゼは外へ出た。肩からはポシェットをぶら下げており、中には小説が一冊。念願の小説だが、掃除に追われてまだ序盤しか読んでいないのだ。説明会で暇な時間が出来たら読もう、と彼女は考えていた。

 外に出たリゼは、ぶるっと震えた。太陽がある昼間と比べ、夜は肌寒い。上に一枚厚手の服を着ていたが、それでもこの寒さには応える。早く目的地に着くように、と早足で歩き始めた。

 彼女が向かうはエトランゼ大図書館で行われる、スプーン戦争の説明会。一家族一人まで参加が可能で、フローレンスからはリゼが代表である。代表と言っても、フローレンスにはティモーと彼女の二人しか居ないのだが、リゼは何だか重役に選ばれたような誇らしい心持ちで歩いていた。

「あ、リゼちゃんだ」

 レメント川にかかる橋が見えてきた頃、後ろから名前を呼ばれてリゼは振り返った。黒い長髪の、美しい青年の姿がある。エトランゼで薬屋を営む、カスペル・ランプキンだ。

「カスペルさん、こんばんは」

「こんばんは。ティモーさんが参加するんじゃないんだね?」

「お父さん長い話だと寝ちゃう、って」

 リゼの返答に彼は「あははっ」と笑った。爽やかな風が吹き抜けていくように、少し高い声が通りに響く。

「それで君が推薦されたんだ。たしかに、今回の話は聞き落とすわけにはいかないからね」

 リゼはカスペルと並んで歩き始めた。周りは同じ場所へ向かう人の雑踏で賑やかだ。一人で向かう者も居れば、リゼとカスペルのように偶然合流した者で塊になっている者もある。

「そう言えば、リゼちゃんのところはお店の保護、終わったの?」

 橋に差し掛かったところで、隣の彼が聞いてくる。リゼは「はい」と頷く。

「昨日。最低限の保護だけにしたので、外装にそこまで変化は無いんです」

「そうなんだ。食べ物通りはみんなそうなのかな」

 カスペルの言葉に、リゼはたしかに、と今日の食べ物通りの風景を思い浮かべた。エトランゼ地区で大きな保護作業をした建物は片指で数えられるくらいだと言うが、その建物は食べ物通りには一軒も無い。皆フローレンスと同じように保護作業を最低限にしたということである。

「カスペルさんは、建物に布をかけたんですよね」

 カスペルの店はフローレンスとは異なり、大きな布で外側を覆っている。理由としては、中にある薬が祭典によってめちゃくちゃにされないようにするためだ。カスペルは地区内でも貴重な薬屋なので、祭典後のことを考えて、特に慎重な保護が必要なのである。

「そうなんだよ。大きな布でね。作業風景を見ていたんだけれど、とても面白かったよ。屋根に人が登って、布を持ったまま下に飛び降りるんだ。危険に思うだろうけれど、大きく飛んで布がふんわり膨らんでね、落下傘みたいにして地面に降りてくるんだよ。あれはもう、一種のパフォーマンスだよ」

 カスペルは興奮気味に話す。普段冷静な彼が此処まで熱心に喋ることはなかなか無いので、リゼは新鮮な気持ちでそれを聞いていた。

 布を被っている建物は中央広場に買い出しに行く際にチラチラと見ていたが、あの布をかける工程を想像したことは無かった。話を聞いていると、とても楽しそうなことが行われていたらしい。リゼは、彼の店の保護作業を見に行かなかったことを静かに後悔した。

「そういう目に楽しいことを作業段階で行うのは、みんなに祭典を好きになってもらいたいからなんでしょうか」

 リゼは、ふと頭に浮かんだ疑問をカスペルに投げかけてみた。彼の答えを是非聞きたかった。

 申請書を配る中で意見は別れ、今日だってコートニーや他の人物から、スプーン戦争の不便な一面を聞いたのである。決して悪い祭典ではないが、する上での代償は大きい。それがリゼの心の中に引っかかっていたのだ。

 カスペルの話を聞くと、準備段階で人の目を楽しませる実行委員会は、少しでも国の人にスプーン戦争の良いところを伝えようと動いているのだと思うのだった。それが皆に純粋に伝われば尚のこと良いのだが、リゼの周囲の反応では、そうは上手くいっていないらしい。

「色んな意見を拾ってきたみたいだね」

 リゼの表情が浮かないことに、彼は気づいたようだ。彼は人の表情をよく見ているのである。

「じゃあ、僕からも質問。リゼちゃんは、みんなにどういうふうにスプーン戦争を迎えて欲しい?」

 戸惑ったリゼの表情に彼は気づいたようだ。微笑んで、

「どんな気持ちであって欲しい?」

「えっと......楽しい気持ちだったら嬉しいです」

 リゼは眉根を寄せて答えた。

「平和を考えて、みんなで同じ場所を目指して......楽しんで欲しいです。みんなに」

 理想とするのは、仕立て屋のプリシラのような考え方である。書類を配りに行った時、真っ先に彼女の口から出てきた言葉は「楽しそう」だった。そう、楽しんで欲しい。

 保護作業をカスペルのように大胆に行う家が少ないのは、みんな自分と同じように、日常の中で非日常を楽しみたいからだろうとリゼは思っていた。

 フローレンスの厨房に入ってくる敵、フライパンで応戦する自分たち。そんな光景をみんな想像しているのだ。祭典が楽しくないわけがないのだ。もし楽しくないと思っていれば、エトランゼの建物はもっと大袈裟な保護作業をしたはずなのだから。

 リゼの回答に、カスペルは頷く。

「素晴らしいことだね。きっと、僕が見た保護作業のパフォーマンスも、好きになってもらう一環なんだろうね」

 カスペルは優しく言って、「でもね」と続ける。

「やっぱり全員が全員、同じことを考えるのは難しいということを頭に入れておいて欲しいんだ。一つの意見を丸々みんなが飲み込めるのが理想だけれど、やっぱりそれが難しいのが現実。小さな考え方の違いが重なって、大きな意見の対立は生まれるのさ。もしこれから、意見が食い違うようなことがあっても、真っ向から否定したり、考えを無理やりねじ曲げようとしてはだめだよ」

 リゼは、カスペルが地区総会の際も同じようなことを言っていたことに気がついた。

 __大きな祭典ですからね。意見が食い違うことは、きっとこれからも沢山起こりますよ__。

「スプーン戦争は、多くの理解を強いられる。リゼちゃんのような感受性豊かで、ものを考える引き出しが沢山あるような子は、色々な意見に耳を傾けるのが得意だけれど......小さな子供が居たり、足腰の悪い人や、玩具とは言え人を傷つけることが些細なことでも苦手な人は、今回の祭典は良いものとして映らないだろうね」

 橋を渡りきった。足裏の感触が木から踏み固められた地面へと変わる。人の列は蟻のように大図書館へ続いていた。皆いろいろな話をしている。スプーン戦争への賛成意見や反対意見、これからの説明会の話や、保護作業の話。そして、黙々と歩く人。

「戦争の種って、こういう些細な意見の食い違いから始まるんだよ。あっちが良い、こっちが良いって、誰もが譲れないものを抱えているんだ。リゼちゃんだってそうだろう」

 リゼは目をぱちぱちと瞬かせて彼を見た。

「みんなに面白いと思って欲しい。そう考えるのって、そうじゃない人からしたら迷惑な話にならない?」

 リゼは息を飲む。その通りだと思った。自分は知らない間に、祭典の批判者に自分の気持ちを押し付けていたのだ。

 保護作業を簡易的に行った者は、果たして全く自分と同じ理由だっただろうか。そう思って良いものだろうか。もしかしたら、作業の工程が面倒臭いだとか、周りが簡易的にするなら便乗してそうするべきだ、と考えられていたのかもしれない。

 リゼはそう思うと悲しくなった。同じ気持ちであって欲しかったのだ。みんな、日常からかけ離れた戦場を楽しむつもりであって欲しいのだ。しかし、それは自分の考えを押し付けていることになる。

 黙り込んで思案するリゼに、カスペルは笑った。

「難しい問題だよね。でも、考えがいのある問題だ。誰かになりきって考える、相手の意見をきちんと聞く。これってなかなか出来ないし、気づけないことだよ。一個成長できたね」

 カスペルはリゼの頭に手を置く。昔から、彼はよくそうしてくれる。何か一つ学ぶと、そしてそれが大事なことであるほど、彼はリゼの頭に入った新しい考え方が抜け出さないように、手のひらで優しく蓋をするのだ。

「じゃあ、もう一つだけ覚えておいて」

 リゼはカスペルを見上げた。長い睫毛の間に細かい星の粒が透けて見えた。

「自分の考えは、簡単に捨てないこと。大事に、手のひらに持っててね」

 カスペルはぎゅ、と拳を作って見せた。リゼも自然と真似をする。料理に触れる彼女の手は爪が清潔な長さに切ってある。手のひらに当たるのは柔らかな指先だ。

 人の意見を聞くというのは、その人の意見を飲み込んで己の意見に取り入れることではないのか。違う意見は話を聞いて、それで終わり?

「......矛盾している気がします」

 リゼは眉を顰めて自分の拳を見た。よく分からなくなってしまった。

 そんなリゼを見て、カスペルは笑った。

「大事なことなんだよ。リゼちゃんって優しいからさ、みんなの意見に歩幅を合わせちゃいそうで」

 カスペルの言葉に、リゼは「はあ」と曖昧な返事しか出来なかった。

 博学なカスペルの言うことは、分かりやすく噛み砕いてあるが、リゼは今のことがよく分からなかった。

 首を傾げて手を握ったり開いたりしていると、

「僕はこの祭典が大好きだよ。色んなことを考えさせられる祭典だ」

「あっ、私も大好きです」

 カスペルの言葉に、リゼは咄嗟に反応した。

 この気持ちは揺るがなかった。祭典を楽しもうと思う気持ちや、面白いと思う気持ちは捨てたくなかったのだ。悲しい歴史があろうが、祭典を嫌う人が居ようが、その気持ちだけは忘れたくなかったのだ。

 必死になるリゼに、カスペルはまた笑った。再び頭に手が置かれた。

「それだよ」

 リゼはハッとした。

「そういうことだよ。それで良いんだ」

 リゼは頷いた。暖かかった。自分の理由を飲み込んだ上での共感者が居てくれることが、とにかく嬉しかった。好きだと純粋に思うことを許されて、ほっとしたのである。

 好きで良いのだ。その気持ちはこれからも捨てなくて良いのだ。捨てないようにしよう。リゼは自分に約束した。

 さあ、と改めて前を向いた時だった。後ろから大きな音がした。それは、木と木がぶつかる音だった。それに続いて、カランコロンと何か軽いものが転がっていく音。リゼとカスペルはほとんど同時に振り返った。周りを歩いていた者も、音の方向へ視線を投げる。

 橋の上で誰かが転んだようだ。リゼたちは既に橋からかなり距離が離れていた。転んだのは老いた男だった。足が悪いのだろうか、杖を突いていたらしい。それは今、彼の手を離れて橋の外へと転がっていた。

「行こう」

 カスペルがつま先を男に向け、すぐに動き出す。リゼも急いでその後ろをついて行った。

 その男は四つん這いになって杖を探していた。リゼが素早く拾い、カスペルは男を立たせて通行人の邪魔にならないよう、橋の脇に彼を寄せた。

「大丈夫ですか」

 カスペルの問いに対して、男はうんともすんとも言わない。しかめっ面をしてカスペルを見つめ返すだけだ。カスペルはそんな彼に優しく笑いかけた。

「会場まで一緒に行きましょうか」

「いい」

 短く、怒ったように低い声で、男はそう答えた。カスペルは「大丈夫です」と彼を支える。

「ゆっくり歩いていきましょう。この先、もっと歩きづらい道があります。また転んでいては説明会に間に合いませんよ」

「いいと言っているだろう」

 カスペルは男に微笑み、そしてハラハラと状況を見守るしか出来ないリゼに片腕を伸ばした。リゼはその手に杖を手渡す。

「リゼちゃんは先に行っていて。僕はこの方と一緒に行くよ」

「でも......」

 心配になるリゼにも、カスペルは優しい笑みを向ける。

「大丈夫。お得意さんなんだ。ねえ、ホーカンさん」

「ふん」

 男の方はカスペルに冷たいが、そういうことならば、とリゼは踵を返す。会場に向かいながら何度か振り返ったが、二人は確実に前に進んでいる。大丈夫だろう。リゼは完全に前を向いて歩き始めたが、途端一人になったことに寂しさを覚えた。周りに知り合いは居ないだろうかとキョロキョロ見回してみると、少し前を歩く丸い背中が見えた。プリシラである。リゼは嬉しくなって早足で彼女を追いかけた。足音に気づいたのか、その背中はリゼが手を触れる前に振り返った。

「あら、あらあら。誰かと思えば」

 プリシラも嬉しそうにその顔に笑みを浮かべ、リゼの頬をつついた。

「ティモーさんじゃなかった」

 プリシラも同じことを言う。リゼはおかしく思って理由を話した。カスペルの時と同じで、彼女も笑ってくれた。

「へえ、それでリゼちゃんが。美味しい料理のお話を聞いていたら、確かにお腹が空くからね。それじゃあ大変」

 プリシラにもプリシラなりの理由があるようだ。

「そうだ、聞いて欲しいの」

 二人が歩き出したところで、プリシラは明るい声を出した。

「保護作業をしていた時に思いついたんだけどね。私のお店、思い切って商品を置いたままにしちゃおうと思って」

「え? 祭典中にですかっ?」

 驚いたリゼの声は裏返る。プリシラはいたずらっ子のような笑みで「そう」と頷いてみせる。

 祭典中、商品を置いたままにする。それは店にとっての損害を生む大問題ではないだろうか。ただでさえ、みんな保護作業を入念に行うことで、少しでも損害を減らそうとしているのに。そんな中で彼女は、商品を敢えて店に並べようとしているのだ。

「でも、祭典中はお客さん来ないと思います......お店も閉めるように言われているし......」

 あまりにも楽しそうに提案するプリシラに、リゼはどう言葉を選んで伝えるか迷った。書類配りの時にそれに関する書類は渡しているはずだし、ミースに届けも出しているはず。忘れているとしたら、傷つかないように丁寧に伝えようと思ったのだった。

 すると、プリシラは「違うのよ」と微笑む。

「服で迷路を作ってやろうと思ってね」

「迷路?」

「良い案でしょ? どうせやるなら楽しくやらないと! 余っている布地もあるし、倉庫にはもう使わないのだってたっぷりあるんだから。天井から紐で吊るして迷路にするの」

 リゼはぽかんと彼女の顔を見上げていた。そして、その顔は徐々に輝いていく。空から星が降ってきたように。

 祭典に参加するのは大人だけじゃない。子供だって参加権がある。子供たちはプリシラの店に入って、きっとキラキラと顔を輝かせるに違いない。ちょうど、今のリゼのように。

「ゴールできたら、お菓子をプレゼントってどう?」

「素敵です、楽しそうです!」

 プリシラは、こういう遊び心の天才だ。リゼとティモーがフローレンスで着ている服は彼女に誂えてもらったものだが、実はポケットの中や生地の裏に、隠れアップリケがしてある。リゼの腹に当たるエプロンの裏側には林檎の刺繍が入れてあり、父のエプロンのポケットの中には、ジョッキに入ったビールが隠れているのだ。

 特に誰が頼んだのでもなく、彼女は自分が楽しいと思えばそれをやってしまうのである。リゼがプリシラを大好きに思う理由だ。

「明日は早速その準備に取り掛かるところなのよ。もし時間があったら覗きに来て。何か良い案があったら、一緒に考えましょ」

「はいっ! きっと行きます!」

 元気に返事をするリゼに、プリシラは赤ん坊でも見るような顔をして頷いた。

 二人の前方には、林の入口が見えていた。狭い小道を通れる人数は限られているので、人が詰まっているようだ。二人の足は自然と緩まる。

 リゼは後ろをそっと振り返った。遥か後方に、老いた男を支えてゆったりと歩く、薬屋の姿が見えた。

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