謎の団体客
食べ物通りを門の方へ一本手前に入ると、プリシラの店はある。彼女は仕立て屋を営んでおり、エトランゼでは一、二を争う大きな店を持っていた。しかし店主である夫が亡くなってからは規模を縮小し、今は小さな店を一店舗構えるだけのこじんまりとした経営になっている。
「プリシラさん」
プリシラの店は二階建ての一階部分だ。電気も全て消えているということは、今は二階部分の居住スペースに居るということである。
外階段を上った先にある扉からは、明るい光が漏れていた。リゼが戸を叩くと、中から「はいはい」と返事があり、間もなく扉が開いた。出てきたのはぽってりとした体型が特徴的な、青髪の女。針仕事をしていたようだ。右目に単眼用の眼鏡がかけられている。
「あら、リゼちゃん。こんな夜にどうかしたの?」
プリシラは微笑み、そしてリゼの腕の中の茶袋に気がついたらしい。「あらっ」と目を丸くする。
「もしかして......」
「忘れ物です。テーブルの下に置いてあって。おそらく、プリシラさんのものだと思うんですけれど......」
「ごめんなさいねえ」
プリシラは眼鏡を外し、恥ずかしそうに笑った。
「帰りに腕が軽い気がしたのよ。リゼちゃんの記憶力が無ければ、もう一生フローレンスに置いたままだったかもしれないわ」
そう言って彼女は袋を受け取る。ずっしりとした重みを感じ、苦笑いを浮かべた。
「この重さを忘れるなんて......お料理に夢中だったのね。クリームシチュー、美味しかったんだもの」
「ありがとうございます」
父の自慢の料理は人の記憶を飛ばすほどのものらしい。プリシラはうっかりしているところがあるので、それもまたあるだろうが。
「今日は忙しかったのにわざわざありがとうね。明日は地区総会だものね」
そう、今日のフローレンスはいつもよりも客が多かった。それには訳がある。明日は月に一度の地区総会。エトランゼ地区相談所という建物の会議室で、地区の中の代表者たちが集まって話し合う定例会があるのだ。フローレンスのオーナーであるティモーは、その代表者の一人に選ばれている。
地区総会は夕方に行われるので、ちょうどフローレンスの夕時の繁盛時と重なるのだ。定休日でも無い限り、店は閉めざるを得ない。
つまり、明日食べに来られない分、客は今日食べておこうという考えに至るので、あれだけの人が押しかけるのである。更に、フローレンスは明後日が定休日のため、彼らの気持ちに拍車がかかったのもまた理由に挙げられるだろう。
「ちょうどお客さんも帰った後でしたし......」
気にしないでください、とその後に続く予定だったが、リゼの口はそこで止まった。あの団体客の存在を思い出したのだ。真っ黒なローブ、目深に被ったフード、宝石のような冷たい目、背中に背負われた武器......。
リゼは途端、店に居たティモーが心配になってきた。
「そう言えば、昼にね」
そんなリゼの心配も知らずに、プリシラは話を始めた。
「お店に、黒いローブを着た団体のお客様が見えたのよ」
「......えっ?」
早く父の無事を確認したいという気持ちから、つま先を既に階段に向けていたリゼだったが、今のプリシラの話に聞き捨てならない単語が入っていたことに気がついた。
「黒いローブを着た、団体のお客様......」
「ええ、リゼちゃんも知ってる? ここの所、色々なお店で目撃情報があってねえ......何だか不気味よね。特に危害を加えてくることもないし......」
「その方たち、何か買っていったんですか?」
「ううん、買ってないの。でも」
「でも?」
「ジロジロと店内を見回すものだから、何だか怖いのよ。しかも、商品じゃなくて内装を見ているみたいでねえ......私のお店、そんなに汚れているのかしら......」
神妙な顔つきになるプリシラに対し、リゼはぐるぐると思考を巡らせていた。
商品よりも内装を見る。どういうことだろう。エトランゼにある店はどれも似た造りだ。外観も統一されているので、正直どの建物もどんぐりの背比べだ。面白いと思えるのはむしろ、川の向こうの地域__王城や、大図書館がある方に違いない。
「怖いでしょう」
「そう、ですね」
リゼは頷く。そして、それを聞くと尚更店に一人で残してきた父が心配になってきた。今度こそ、つま先を階段に向けて歩き出そうとする。
「あの、私帰りますね」
「あ、ちょっと待って」
プリシラは慌てて、手に持っていた茶袋の中を探った。そして、中から特に熟した林檎を一つ、リゼに差し出してきた。リゼは目を丸くしてそれを受け取る。
「良いんですか?」
「ええ、リゼちゃんに美味しいのを食べて欲しくてね。届けに来てくれたお礼。本当に助かったのよ、ありがとう」
「いえ、こちらこそ......ありがとうございます!」
リゼはそう言って、階段を降りた。上の方で扉が閉まった音が聞こえてから、彼女は駆け足で店へ戻る。
あの団体客は色々な店に姿を見せているようだ。そこで何か大きな事件があれば、フローレンスの客たちの間で話題に上るはずだが、そういう話は今日のところは聞いていない。
しかし、プリシラの話を聞く限り、最もキーワードになりそうな「武器」が出てこないということは、彼女の店に行った時にあの団体客は手ぶらだったということだ。エトランゼで武器を持つことは本当に珍しいことであり、所持する者はそれなりの危険人物だという判断が下されるのだ。
*****
フローレンスが見えてきた。リゼは少し足の速度を緩め、走ってきた素振りを見せないようにしようと努めた。そして、扉を慎重に開く。石畳に光の筋が伸びた。半分まで開いた時、リゼの心配はそこでようやく解かれた。
「お、リゼ! おかえりさん」
父は厨房に居た。顔にはいつもの笑顔が浮かんでおり、リゼは胸を撫で下ろす。
客は壁際の大テーブルに通されていた。ちょうど三人ずつで別れて向かい合うように座っていて、既に簡単な料理がテーブルの上に並べられている。武器は椅子にかけられていたが、ローブを着て、フードで顔も隠して食事をする様は、リゼが初めて見る奇妙な光景だった。
「やっぱプリシラのだったか?」
ティモーが遠くから聞いてくる。リゼは後ろ手で扉を閉めながら、うん、と頷く。そして、掃除の途中だったので、プリシラの忘れ物を見つけたテーブルにはまだ箒が置いてあることに気がついた。客が居る前では掃除も出来ないし、しまった方が良いだろうと席に向かう。
六人の団体客の隣の席だ。リゼは身が固くなったが、ビクビクしているのは失礼だと知っていたのでなるべく背筋を伸ばして行った。
「美味いねえ。良い店見つけたよ」
「このサラダの塩加減、最高に酒が進むぜ!!」
背中でそんな言葉が飛び交う。リゼは箒を拾い、またホッとした。武器を持っている理由は分からないが、何だかんだ客として迎え入れても良い人たちだったのだ。
フローレンスでは客を見極めない。
それが父の教えであり、モットーだ。昔に母と決めたことらしい。武器を持っていようが父が快く彼らを迎え入れたのは、その言葉があったからなのだろう。
「嬢ちゃん、注文良いかい」
「は、はいっ」
箒を拾ったところで、背中に声がかかる。せっかく拾った箒を置き、リゼは振り返った。メモ帳を取り出す代わりに、プリシラに貰った林檎をポケットに突っ込む。
リゼを呼んだのは、あのハスキーボイスの女だった。リゼから見て最も手前の右側に座っている。フードから覗く顔は整っており、金色の髪を持っていた。鼻も高く、エトランゼでは珍しい顔の造りだ。
女は手にメニュー表を持っていた。既に彼女の前にはトマトとひよこ豆のスープ、手羽先のオレンジソースがけ、レーズン入りのほうれん草のソテーが並んでいる。
自分が少し外へ行っている間に、こんなに料理を作ってしまう父の俊敏さに驚かされつつ、リゼは「お伺いします」と女に微笑む。
「えっと......そうだなあ。噂によると、林檎のパイが絶品だって聞いたんだよ」
女は顔を上げる。綺麗な緑色の瞳にリゼが映る。
「林檎のパイですね」
それはフローレンスで大人気のメニューだ。大きなオーブンからその香りが香ってくると、客は思い出したようにリゼを呼び、林檎のパイを一切れ、と注文してくる。
リゼは早速「林檎のパイ」とメモに書こうとして、最後に注文を取った客のメモがふと目に入った。「林檎のパイ」の文字に二重の線が引かれていたのだ。それを見て思い出す。林檎はちょうど切らしていたのだ。
「申し訳ございません。ただいま材料を切らしておりまして......お作りすることができないんです」
ポケットの中にプリシラからもらった林檎があるが、それを使って作るとなれば時間がかかってしまうのだ。
リゼが謝ると、
「そうなんだ」
女はあっさりとしていた。
「まあ、来る時間が遅かったからねえ。じゃあ他のものにしようかな」
そう言って再びメニュー表に目を落とす。リゼは視線が暇になり、他の人物も観察してみた。皆成人はしているようで、全員ビールの入ったジョッキを前に置いていた。既に顔が真っ赤になっている者も居り、フードがずり落ちて顔が露になっている。
それは赤髪の男だった。この六人の中で最も体が大きい。彫りの深い顔をしており、やはりこの辺りでは見かけない顔だった。
「今日はよく動いたから喉が渇くな、ビスケット!! ほら、遠慮しねえで飲めよ、飲め飲めっ! ルークも、何見てんだ! ぐいっとやっちまえ!!」
彼は大音声をフローレンスに響かせている。彼以外の客は「煩いぞ、黙って食え」「夜ですから、お静かに......」と言って、飲酒はしていてもなかなか同じテンションまでは到達していないようだ。
リゼは左奥の席に座る男を見た。店を出る際に目が合った男である。赤い目を持ち、鋭く睨んできた者だった。彼はパンをちぎってスープに浸して食べている。行儀良く、そして誰よりも黙々と皿の上を片していた。
味わって食べているようには、リゼには見えない。たまに居るのである。噂を聞いて遥々やって来た客だが、料理が運ばれてから店を出るまで一言も喋らない者が。ちょうど、彼のように。
美味しくなかったのだろうか、とそんな客を見てリゼは悲しくなるのだ。
「よし、決めた」
手前で声がした。それはテーブルの奥に飛ばしていたリゼの意識を、手前に引き戻した。リゼは顔に笑みを浮かべ、「お伺いします」と彼女を見る。
「この、ココアプディングにするよ。一つ貰おうかな」
「ありがとうございます」
リゼは頷き、ペンを走らせる。
「それと......アンタら、何かある?」
「ビールおかわりいっ!!」
女の問いに、あの赤髪の男がジョッキを高く掲げて言った。「全く」と女はため息をつき、リゼに「お願い」と苦笑いした。リゼは頷いて、ビールも書き足す。その他、サラダとスープのおかわり、そして追加でキノコのパスタも注文を受けた。
箒を手にして厨房に戻り、父に注文を伝えると、彼は嬉しそうに準備を始める。
「よく食うお客さんたちだなあ。腕が鳴るぜ!」
リゼは棚からビールのジョッキを取り出し、氷を砕いてそれに入れた。続いて階段下の酒庫に収納されたビール樽からビールを注ぐ。父はその間、サラダとスープをテーブルに運んでいた。
「此処、良い店ですね。広いですし」
例のハスキーボイスが聞こえてくる。
「娘さんは、おいくつなんですか?」
「リゼは......何歳だったかなあ、たしか十五、や、十六......?」
酔っ払ってるな。
リゼは呆れながらビールを注ぐ。ちらりと見ると、鍋の横に濡れたジョッキが置いてあるのが見えた。
客が居なくなると父は酒を飲みながら明日の仕込みを始めるのだ。今日は予想外の来客だったので、既に飲んでいる状態で接客をしているのだ。
もっと変なことを言う前に早く厨房に戻ってきて欲しいものである。
リゼは思いながら、ジョッキを満杯にした。続いて冷蔵庫の下段から既に出来上がっているプディングを取り出す。これに生クリームを絞り、ココアパウダーを振らせてミントの葉を乗せたら完成だ。
その作業を終えて、厨房から出てくる時に父と入れ替わりになった。
「お父さん、酔っ払ってるんだからあんまり厨房から出ないで。お客さん困ってるよ」
「そうか? そうは見えなかったけどな?」
ガハハ、と豪快に笑う。あの赤髪の客に負けない大声だった。リゼは眉を顰め、客席に向かう。
「お待たせ致しました」
「お、来た来た」
果たしてプディングに言われたのか、自分に言われたのか分からないが、リゼは女の前にプディングを置いた。
赤い髪の男にはビールを渡す。今にも椅子から転がり落ちてしまいそうな程に酔っているが、大丈夫なのだろうか。リゼは心配になりながら、空になった皿とジョッキをトレーに乗せた。
「そろそろラストオーダーになりますが、追加で注文なさるものはございますか?」
リゼが問うと、女が皆の顔を見回す。
「アンタら、ラストオーダーだって。何かある?」
「ビー......」
「ビールはもう禁止!」
ピシャリと女が言い、続いて他の者を見る。
「ほら、アンタらも何か注文しな。メレディスも」
女の言葉に反応したのは、例の赤い目の男だった。彼がメレディスらしい。
「......林檎のパイは、もう無いんですか」
低くも澄んだ声である。リゼは「はい」と頷く。
「じゃあ、カティアと同じものを」
「カカオプディングね。嬢ちゃん、お願い」
「はい、カカオプディングですね」
それ以上注文が入ることはなく、リゼは最後の料理のために厨房へ戻った。父が上機嫌でパスタを茹でているところだった。
リゼはそれを横目にカカオプディングを作り、ふと違和感を覚えて顔を上げる。メレディスが此方を見ている。あの赤い目が、冷たく鋭く、リゼに向けられていた。
「......お父さん」
「何だあ」
少し間延びした父の声が聞こえてくる。リゼは目を伏せ、生クリームを絞る。
「あのお客さんたち、武器持ってるよ。それに、どうして黒いフード被ってるんだろう。外、晴れてるのに」
「さあなあ。流行ってるんじゃねえの? あの服装」
適当に流されてしまった。後者の理由はそれで良いが、前者の理由はそれでは片付かない。何故武器を持つ必要があるのか。聞こうにも聞けないのだ。もし切りつけられたら......考えるとゾッとした。
ぶしゅ。
「えっ」
気づけば、手元から意識が離れていた。リゼは恐る恐る手元に意識を戻す。生クリームを絞る手に変な力が加わったらしい。絞り袋から大量のクリームが溢れて、プディングの斜面を雪崩のように滑っていく。
「あ、あ!」
リゼは慌てて絞り袋を置き、近くのスプーンを手に取る。頂上にクリームを押し戻すが、滑った跡はくっきりと残ってしまっていた。
最後の一つなのに......。
リゼは自分の注意力の無さにため息をつき、仕方なく不格好なクリームの山にミントの葉を乗せた。ココアパウダーを多めに降らし、斜面の雪崩の跡をこっそり消すことによって、失敗の様子はあまり目立たなくなった。
リゼはそれを持って、メレディスのもとに向かう。
「ありがとうございます」
メレディスは特に何の反応も示さずに口に運び始めた。リゼはいつ気づくかとハラハラしながら彼を見守る。
「......何か」
「えっ、あっ......いえ、あの、お、美味しいですか?」
「はい」
淡々と彼は言って、プディングを平らげる。あまりにも淡々としすぎて、本当に味わってくれているのかと違う心配が湧き上がってきた。
「お皿、お下げしますね」
リゼは空っぽの皿を重ねて引き寄せた。
取り敢えず、ラストオーダーは終了した。
よく分からない客だったな、とリゼは彼らに背中を向ける。
「本当に良い店だ。会議にちょうど良いんじゃないかな、メレディス」
「そうだな」
そんな会話が聞こえたが、厨房に戻るリゼの興味は、既に夜の楽しみに移っていたのだった。