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スプーン戦争の夜明け  作者: 葱鮪命
第一章 知らない祭典
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クエンテイル

 空にはガラスのランタンがたくさん浮かんでいます。ガラスだから、地上に居るみんなには見えないのです。しかし、夜になると妖精たちがそれに火を灯します。それは星となって地上に光を届かせるのです。みんなが空の星を楽しめるのは、妖精たちが頑張っているからなのです。

 しかし、そんな妖精たちの頑張りを嫌うものも居ます。それは、お月様。彼は明るいものが苦手なのです。太陽が沈んだ後に彼が昇るのは、そのせいなのです。

 だから、お月様が夜を楽しめるよう、妖精たちは夜が明るくなりすぎないようにするために、火を灯すランタンの数を減らすことを決めました。

 それが、夜に星たちが一定の距離を空けて輝いている理由なのです。



「おしまい」

 タネリは短くそう言って、その話を閉めた。初めて聞く話だった。ラフルは聞きながら、池に灯る無数の光を見つめていた。

「どうだった?」

「新月だから......今日は妖精が安心して仕事できるみたいだ」

「そうだね」

 タネリは笑った。

「面白かった?」

「えっと」

 ラフルは言葉に困ってしまった。何だか、彼が語る物語にしては随分稚拙に思えたのだ。しかし、タネリという語り人にそんなことが有り得るのだろうか。星とランタンという今目の前にある二つのものを組み合わせて、即興で作った話なのかもしれない。だとしたら凄いのだ。自分では、このクオリティを会話しながら頭に浮かべることなど出来やしない。

「......面白いと言うより、凄いと思った」

「はぐらかしたな」

 タネリが大きな声で笑った。

「面白くなかったんだろう」

「いや、えっと、その......」

「当然だよ。これは、君のお父さんが初めて作ったお話だからね」

「......え?」

 ラフルは弾かれたように視線をタネリに戻した。悪戯っぽい笑みが浮かんでいるのが、暗闇に慣れてきた目では分かる。

「嘘でしょ?」

「嘘なわけあるかい。僕が君を此処に連れてきた理由はそれさ。この池に移る星空を見て、彼は今の話を思いついたんだって」

「......」

 ラフルは池に目を戻す。

 父さんが、今の話を、作った?

「君のお父さんの夢は語り人だったんだよ。君と全く同じ夢さ」

「そんな、まさか」

「信じられないかい」

「信じられないよ」

 あの父さんが。タネリにはなれないのだと、現実を嫌でも突きつけてくるあの父さんが。

「エドガルドも、君そっくりだったよ。集落の掟に逆らって、トルトヨに残りたがった。でも、考え方を変えたんだ。外の世界で、もっと面白く物語を作れる方法を知ることができるかもしれない、って」

「例えば......?」

「そうだな......ラフル、君は字を誰に教わった?」

「字?」

 ラフルはハッとした。

「父さん」

「そうだろう。彼はエトランゼに出た時には、まだ読み書きができなくてね。ユークランカには文字で書き記す文化が無いんだ。だから、こうして口伝になるわけだけれど......君のお父さんは、エトランゼでまずは文字を覚えたわけだね」

 そう言えば、とラフルは思い出す。トルトヨは識字率が低い。ラフルは文字は読めるが書けはしない。父と母は文字を書けるが、トルトヨ出身の者はほとんどが文字の読み書きができないのだ。手紙を送って寄越すのだって、父から字を教わったのであろうパーバリだけだ。

「みんな、新しい世界を見てきたんだよ。そして、新しい技術を学んで持って帰ってくるんだ」

 それに、とタネリはラフルの手からランタンを取り上げた。再び優しい明かりが戻ってきた。

「素敵な人も連れてきた」

「......母さん」

 タネリは頷く。

「夕餉の時間、エドガルドが話していただろう。彼がトルトヨを出たのは、スプーン戦争の準備期間でね。彼は祭典をエトランゼで過ごしたんだ。そこでベルタと出会った」

「凄く激しい祭典だって言っていたよね」

「うん」

 タネリは目を細めて池を見た。ランタンの明かりによって、池の星は目を凝らさなければ見えない薄さになっている。

「様々な考え方が芽吹いた時代だったね。現状を良しとした人、そうじゃなかった人、スプーン戦争が嫌いになった人、トラウマを植え付けられた人、スプーン戦争が好きになった人、憧れの祭典になった人......色んな人の色んな考えが交錯したんだ。そこには数え切れないストーリーが隠されている」

「ストーリー......」

 それは、ちょうど父と母に隠された話のように。彼らの間にある、誰も知らない話。どんな恋をしたか、どんな会話をしたか。想像して胸が沸き立つのは、自分がきっと語り人に憧れているからだ。

「ちょうど、君のお父さんだって」

 タネリも同じことを考えていたようだ。

「エドガルドは、語り人という夢は諦めなかったんだよ。文字を覚えて、スプーン戦争の惨劇を書き記そうとしたそうだ。でもあまりにも激しい祭典だったから、その紙は途中で紛失したそうなんだ。今はどこにあるのか。土に返ったと本人は諦めたみたい」

 どんな物語が綴られたんだろう。あの父が書き綴る物語。

 夕餉の時間に話していた時、ラフルは何だか夢の中に居るようだった。タネリではなく、父が語り人をしているのだ。それは新鮮な光景であったと共に、父の夢が叶った瞬間でもあった。彼の少し気恥しそうで、それでいて少し嬉しそうな顔がラフルは印象的だったのだ。

「スプーン戦争は、人間の色々な顔を見られると思う。複雑な内情も、野性的な面だってね。それをどう描写するか、どう言葉に落とし込むか......勉強するには素晴らしい機会になる気がするな」

「......」

 ラフルは自分の胸の中で何かが弾けたのを感じた。音もなかったし、どう表現するのかも分からない。だが、足の先から頭のてっぺんまで、全身がうずうずするのだ。

 何か、素晴らしいことが始まる。

「タネリ......僕、父さんの見た景色を見てみたいな」

 ラフルは胸に手を当ててみた。鼓動が早いのだ。

「僕......エトランゼに行ってみる」

「うん」

「スプーン戦争を、エトランゼで経験してみるよ。父さんのように」

「うん、よく言った」

 タネリが微笑んだ。

「大丈夫。ラフルならやり遂げるよ。トルトヨに戻ってきたら、ううん、何処だって良い。僕らは最高の語り人になれるよ。国中に物語を紡ぎに行こう」

「うん」

 ラフルは胸につっかえていた何もかもが落ちたような気がした。将来に対する不安はひとまず解消されたのだ。今は、近づく祭典を心待ちにするのだ。

 タネリは枝から降りた。ランタンを持っていないもう一方の手を差し出してくる。

「さあ、戻ろう。エドガルドとベルタに知らせてあげなきゃ。その前に、みんなに怒られないとね。夜に集落を抜け出した罰として」

 いたずらっぽく言うので、ラフルも笑って頷いた。そして、タネリの手を取ろうとした時。その場を切り裂くような悲鳴が上がった。

「な、何っ!?」

 ラフルは思わず、タネリに伸ばしかけていた手を引っ込める。弾かれるように、悲鳴が聞こえた方を見る。タネリも其方を見ていた。音はトルトヨの方からだった。

「今の、何?」

「分からない。トルトヨからだ。行こう、走るんだ」

 タネリがラフルの手を引っ張る。ラフルは枝から降りた。

 嫌な予感がする。

 ラフルは自分の手が汗ばむのを感じた。タネリが持つランタンが、激しくキイキイ音を立てた。それは焦燥の音だ。警告音だ。


 *****


 集落に着いた時、ラフルは夢だと思った。父が語り人をするよりも、それは夢の光景に見えたのだ。もちろん、悪夢だ。

 広場の焚き火はまだ燃えている。しかし、そこで楽しく回想していた大人と、それを聞く子供の姿は、今は何処にも無かった。大人たちは地面に伏せている。血を流して倒れている者も居る。ラフルはそこに、父の姿を見た。全身の血がサッと冷たくなったのを、彼は感じた。

「父さんっ」

「ダメだ!」

 タネリが行く手を阻んだ。二人はまだ柵の外側に居た。家の裏に隠れていた子供たちがタネリの声にパッと振り返る。その中には、弟のケントが居た。

「ラフルお兄ちゃん!」

 ケントの顔はぐしゃぐしゃだった。周りの子供たちもみんな声を押し殺して泣いている。

「君たち、こっちへ来なさい」

 タネリが素早く子供たちを呼び寄せた。

「何があったんだい」

 彼らが走り寄ってきて、タネリは地面に跪く。子供たちの肩に手を置き、彼は安心させるようにその肩を大きく撫でた。

「わからない、僕、わからない」

「知らない人が急にトルトヨに入ってきたんだっ」

「魔族って言ってた。純血って......それで、パパとママが殺されて......」

 もうこれ以上聞き出すことはできないようだった。顔を歪ませ、声を押し殺して泣いている。

 ラフルは弟を抱き寄せて、もう一度広場を見た。白いものが揺れている。いくつも。白いローブを着た人間だということは分かる。しかし、彼らが何故突然トルトヨを襲ったのか、その理由は分からない。

 ただ一つだけ引っかかる言葉が、ラフルにはあった。

「ウスコ、顔を上げて。純血って、彼らは確かにそう言ったのかい」

 タネリがウスコの頭に手を置いて問う。うん、とウスコ。大粒の涙が目から溢れている。

「僕、聞いたんだ。何度も言ってる。あいつら、何回もそう叫んでるんだ」

「ねえ、タネリ。純血って......」

 ラフルの言葉に、タネリは「ラフル」と立ち上がる。

「君には小さい頃に話していると思う。僕は今日、この子達にその話をしなかった。雨が降るからって、割愛するべきところじゃなかったな」

 タネリは唇を噛んでいる。ラフルは服に重みを感じた。ケントが震える拳でタネリの服を掴んでいるのだ。

「純血って、何? それが、あの人たちがパパを殺す理由なの」

 ラフルはゆっくりと立ち上がる。

 今日のタネリの話を、自分が聞くのは人生で二回目だ。それは、トルトヨを出ていくの拒んだことで巡ってきた機会だ。

 同じ話で、自分が知っていてこの子達が知らないことが一つある。それは、昼餉の時に話されるべきだったことだ。雨が降ってくることを見越して、タネリは内容を少しだけ変えたのだ。それは彼の素晴らしい技術だった。それと同時に、子供たちが事実に触れる機会を奪うことにも繋がるのだと、ラフルはこの時初めて気づいたのだ。

 小さい頃、まだ兄と姉がトルトヨに居た頃__自分は同じ話を聞いた時、タネリが昼餉の最後に話してくれたことがある。

「僕らは混血なんだ。人間と血を混じえた魔族なんだ。でも、魔族の中には絶対にそれを許さない者たちが居た。それが、純血」

 うわ言のように、ラフルが呟く。白いローブの一人が此方を見る。人差し指を突きつけ、何かを叫んだ。周りの白いローブもまた、此方を見た。

「そうでしょ、タネリ」

 ラフルはタネリを見る。タネリはランタンの灯りを吹き消した。辺りが真っ暗になる。

「永遠に悲しみを背負う彼らだからこそ、人間と歩むことを決めた僕らが許せないのは、どうしようもない事実なんだ」

 混血と純血。自分たちが魔族からも人間からも嫌われていた歴史を、タネリは昼餉で語らなければならなかった。穢れた血と罵られても、胸を張っていて良いのだと、タネリは子供たちに教えなければならなかった。道を逸れることを決めた自分たちの先祖は、勇敢だったのだから。

 悔しさで歪んだタネリの顔は、闇の中でラフルの目に鮮明に残っていた。

 何を優先して語るべきか。子供に伝えるべきことは何か。情報の取捨選択は、こんなところで命取りになるのだ。

 語り人の職業の難しさに、ラフルはこの時初めて気がついたのだった。

「スプーン戦争がどんな祭典なのか、僕らは知っていなくちゃならない。平和を祈る思いの裏側に、負けた者の思いを踏み躙る事実があることを忘れちゃいけないんだ」

 誰かが近づいてくる音がする。トルトヨの人間ではないことを、ラフルもタネリも、そして子供たちも気づいていた。「逃げろ」とタネリが言った途端、ラフルはケントを抱いて走り出した。

 魔族__フォーク戦争が終戦したとき、彼らは大半が人間と混じることを選んだ。ユークランカに、集落が沢山ある原因は、それだ。大きな選択は、十人十色の意見を産んだのだ。意見の数だけ、集落はできた。

 ただ一つ、ある集落だけは決して人間を許さなかった。その集落の名前を、ラフルはやはり、小さい頃に聞いている。

 クエンテイル。魔族の中でも純血の純血が住む土地。永遠の命という、魔族の特権を未だその体に宿す彼らは、あのフォーク戦争を実際に経験した者たちだ。人間に対する憎しみを、未だに持ち続けている者たちだ。

 ああ、雨さえ降ってこなかったら。子供たちは少しでもこの真実を知って、大人たちもこの話を思い出して、彼らとの間に何かしら言葉が交わせたのだろうに。

 だがどうして、今なのだろう。彼らが混血狩りをするとしたって、それは二百年のうちにいつだって出来たはずなのに__、

「タネリッ」

 突然、ケントが叫んだ。ラフルは思わず足を止める。何かが草に倒れる音がした。重い音だ。まさか、そんな。

「タネリ......?」

 ラフルは暗闇の中で彼を探した。足で何か温かいものに触れた。ハッとしてケントを降ろし、手探りで音の発生源を探した。皮膚と、人の髪の温もりが指に触れた。

「タネリ、しっかり!」

 暗闇に目が慣れてきた。それは確かにタネリだった。こめかみから血を流している。鋭い石が近くに落ちていた。

「タネリ、タネリ! 死んだらダメだ! 嫌だよ、タネリ!」

 ラフルはタネリを激しく揺さぶるが、彼は目を開こうともしなかった。

 視界が震えた。平和な日常が音を立てて崩れていく。

「ラフルお兄ちゃん!」

「ケント、俺らは逃げよう!」

「嫌だっ」

 ケントがラフルの背中に抱きつく。

 子供たちを優先しなければならないことは知っている。タネリならばそうするだろうことも。

 だが、出来ない。恩師を此処で見捨てるなど。

 誰かが近くに立ったのを、ラフルは感じた。ゆっくりと顔を上げる。白いローブをまとった人物だった。目深にフードを被っており、顔は見えない。ケントや他の子供たちは騒ぐのをピタリとやめた。

「浅ましい混血ども」

 男の声だった。憎しみと、そして同情の色が混じっていた。

「今ならば間に合うぞ」

 魔族の姿というのは、昼餉の話のロザンネがその典型的な例だった。黒に限りなく近い青色の髪。そのフードから覗く長髪は、たしかに夜の闇よりも深い青色だった。

 そして、体のどこかに現れる、魔族の「証」。

「生きるか、それとも死ぬか」

 フードから覗く黄色の瞳には、一方にラフルの顔が映っていた。満月のような、サザリアのような、美しい色だった。

「今度は我々が、勝利の旗を刺す時だ」

 少年の頬を伝うものがある。

「忌々しい歴史と伝統を、我々の血で塗り替えよう」

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