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スプーン戦争の夜明け  作者: 葱鮪命
第一章 知らない祭典
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家族会議

「それでね、ロザンネ様のことを守るために狼たちが飛び出してきたんだって」

「魔族を追い返したんだよ!」

 アルフォード家の風呂場に、元気な男の子の声が響いている。ラフルは二人の濡れた髪をしっかり乾かしてあげながら「そうなんだ」と相槌を打つ。

「ラフル兄ちゃんは、狼に会ったことある?」

「いいや、無いなあ。でも、森の何処かできっとロザンネ様と一緒に暮らしているはずだ」

 終わったよ、とラフルは二人の髪から手を浮かした。早く動きたくてうずうずしていた弟たちは、その言葉を受けて部屋を飛び出して行った。ラフルはむわりと湿気が籠った部屋に取り残される。窓を開くと、変わらない湿気を持った外の空気が入ってきた。雨は強く降っている。この降り方では、夕方には止むだろう。

「ラフル、ヴィヴィたちを寝かせてきてくれる?」

「うん」

 部屋から出たところで母が頼んできた。ラフルは寝室にて妹と弟を寝かした。雨にもなると、子供たちは体を十分に動かすことが出来ない。雨が降っている間に寝かせ、晴れたら起こして外でめいっぱい遊ばせる。そうすると、夜にたくさん寝てくれるのだ。

「今日のタネリのお話、何だか難しい」

 寝室でベッドに横になると、ヴィヴィが言った。

「それに、何だか怖いの」

「怖いもんか」

 妹に対し、兄のケントが強く言った。

「怖いよ」

 ヴィヴィも負けじと言い返す。そして、ラフルを見上げて聞いた。

「ラフルお兄ちゃんはどう思う?」

 ラフルは「そうだなあ」と宙を見た。

 今日の昼餉は、こっそり話を盗み聞きしていた。やはり、初めて聞いた時と同じような話だった。少し違うのは、時期に雨が降ってくることを見越したタネリが、話がすぐ済むように話を軽く変えたところだ。本当はもう少し描写の細かい話をするはずだったが、きっと子供たちが雨に濡れないように考えてのことだったのだろう。

 いつも子供の様子に気を配る彼の行為には驚かされる。自分では彼処まで気が回らないだろう。教えられた通りに、教えられた物語を語ってしまうかもしれない。それが、自分とタネリの違いなのかもしれない。自分が、語り人になれない一番の理由なのかもしれない。

「難しいお話だけど、タネリは語るのが上手だなあって思ったよ。夜はどんな話が聞けるかな」

「楽しいお話が良い」

「フォーク戦争については教えてもらったけど、スプーン戦争が何なのかまだ聞いてないよね」

「スプーン戦争って何なの、ラフル兄ちゃん」

「なんだろうね。きっと夕餉の時間に話してくれるよ」

 ラフルは弟の問いをはぐらかした。聞いたのは小さい頃だったし、あまり覚えていないのだ。自分もタネリに聞きたいくらいだった。

 やがて、朝餉の時間にヴィヴィに出したなぞなぞを何問か出した。子供たちはそれを答えているうちに瞼が重くなってきたらしい。三つの寝息が響き始め、ラフルは起こさないようにそっとベッドを出た。

 寝室を出て居間に向かおうとした時、簾の向こう側から父と母の会話が漏れて聞こえてきた。外は土砂降りなので、皆家の中に避難している。畑の様子を心配していた母に、父は何とかなる、と冷静に言う。そして、話題は息子のことになった。

「ラフル、大丈夫なのかしら?」

 胸がズキリとした。

「何がだ」

 父の声がする。

「何がって......憧れているんでしょう、タネリに」

「みたいだな。くだらん」

「そんなこと言わないで。彼も彼なりに悩んでいるんだから。みんなとは、少し違う夢を持っているのよね。集落から出なくても叶えられる夢を」

 だが、それを叶えられないのが現状なのだ。夢はすぐそこにあるのに、手が届かない場所にあるのだ。

「本人も、周りの大人の目が気になっていると思うの。最近、昼餉に顔を出さないでしょう。気にしているのよ、やっぱり」

 母はすごいな、とラフルは思う。だがすぐ、自分の行動は分かりやすいのだろうと思うのだった。

 今日の昼餉は、本来ならば自分も参加して良いのだった。子供たちと同じ大きさのボウルを配られているうちは、まだ周りの大人から子供扱いを受けていることを示している。しかし、何食わぬ顔であの場に居ることが、ラフルは此処一年で億劫になっていた。少ない食料を、自分が食べて良いのか。体はもう大人だ。それに__周りの視線が突き刺さる。暗黙の了解がそこには存在しているのだ。自分は昼餉を卒業しなければならない。

「パーバリと一緒だな」

 父の口から、予想外の名前が出てきた。ラフルは耳を簾に近づける。

「あいつも、ラフルと一緒だったな。最後の最後まで、集落から出るのを拒んでいた」

「うそ」

 ラフルの口からとうとう声が出た。

「ラフル?」

 簾の向こうから母の声がした。

「お前の話をしているんだ。此処へ来い」

 父がそう言った。ラフルは渋々簾を潜った。一枚板のテーブルは、湿気でベタベタしていた。ラフルは父と母の顔がどちらも見える席に腰掛けた。

「お前、出ていく先は決めたのか」

「集落の人にご迷惑をかけるわけにはいかないのよ」

 父と母の話題は、自分の登場によって兄の話題から塗り替えられてしまった。ラフルが聞きたいのは兄のことだ。

「それより、お兄ちゃんが何? どうしてトルトヨを出たがらなかったの」

「今はお前の話をしているんだ」

 父が語気を強めて、被せるようにそう言った。ラフルはハッと口を噤んだ。母が心配げな表情を見せる。今日はあの顔しか見ていない。それどころか、此処最近だ。

「僕......何処にも行きたくない」

「そんな我儘言っている場合か。お前はいよいよ集落で邪魔者だぞ」

「あなた、それは......」

「此処まで言わんと分からんやつなんだ」

 父が首を横に振り、妻の言葉を遮った。

「エトランゼに行け。彼処なら雇い口が沢山ある」

「父さん......僕、嫌だよ」

「ならばトランテュだ。エトランゼほど大きくないが、そこでなら働く場所も見つかるだろう」

「嫌だ」

「いい加減にしろっ」

 父の拳がテーブルを打った。ラフルは肩を縮める。

「お前はいよいよ分からんやつだな。みんなそう言っても出て行ったぞ。パーバリもだ」

「お兄ちゃんの名前がどうして出てくるの」

 ラフルは今度こそ掴んだ尻尾を逃がさない思いで、父に迫る。

「絵描きになりたかったのよ」

「ベルタ」

「良いでしょう」

 母は父に微笑む。

「この子の背中を押せるかもしれないわ」

 母の目は息子に戻された。

「絵描き? 絵描きって、絵を描きたかったの?」

「ええ。トルトヨの絵を描き残したかったんですって」

 そう言えば、とラフルは思い出す。よく彼は、木の枝の先を砂に走らせていた。絵は上手だった。しかしまさか、それを夢に見るほど好きだったとは思っていなかった。

「トルトヨじゃ、画材なんか買えないわ。貧しすぎるものね。だから、外に出ていくことを進めたんだけれど......彼の場合、家のことも心配だったみたいでね」

「長男だからな。アルフォード家の第一号として外の世界に羽ばたくのが怖かったんだろう。駄々を捏ねたんだ」

「そんなこと一言も言っていなかったのに......」

 兄はすんなりとトルトヨを出て行ったように見えた。むしろ駄々を捏ねたのは自分の方だ。

「もしかしたら、エトランゼで絵描きをしているかもしれないわ。手紙に書いていることが嘘とは言わないけど......運び屋じゃなくて、本当は絵描きをして生計を立てているかもしれないわね」

 机の中心には兄の手紙が置いてある。今朝、朝餉の席でラフルが読んだものだ。彼の手紙は居間の棚に大事にしまってある。そのうち、目の前のそれも同じ場所にしまわれるのだろう。

 知らなかった。兄が夢を持っていたなんて。

 でも、とラフルは目を伏せる。

「お兄ちゃんは、僕とは違って外でも叶えられる夢だよ。僕はそうじゃない。この集落じゃないと叶えられない夢だもん」

 兄はトルトヨの景色が描きたかっただろうが、絵を描くという行為は何処でも出来る。そもそも画材が無いので外に出る理由は必要だ。

 だが自分は、本当にこの集落で完結してしまうのだ。タネリがあとを譲ってくれさえすれば。

「あのな」

 父がため息をついた。

「何もこの地で語り人をしなくても良いんじゃないか。この集落もいずれ人が少なくなっていく。皆外に出ていくんだ。戻ってくる人間の方が稀だ。そのうち聞き手である子供だって居なくなるんだぞ。言うなれば語り人は、将来性がない」

「僕はトルトヨが好きなんだよ」

 ラフルは身を乗り出して対抗する。

「あの広場で、みんなであの丸太に座って話をしたいんだ」

「パーバリだって、そう言いながら出て行った。後で戻ってきて考えれば良い。とにかくお前はこの集落から一度は出ていかないとならないぞ」

「分かってる......」

 けど、とまだ反対しようとする自分がいることに、ラフルは素直に驚いていた。自分はどうして此処までこの集落に固執するのか。一度外へ出て世界を見てからでも良いはずなのに。それからだって構わないはずなのに。

 自分は何がそんなに嫌なのだろう。

「......僕、怖いよ」

 答えは自然と口から零れてきた。

「だって、一人で上手く生きられるか分からないんだ。新しい場所には、知っている人が一人も居ないんだもの」

 ああ、そうだったのか。

 自分は一人が怖いのだ。こうして大人でも子供でも、とにかく自分の居場所が少しでも認められている場所から、突然誰も自分のことを知っている人が居ない場所へ行くことが怖いのだ。

 語り人なんて当然知られていないだろう。トルトヨの掟だって、当然知らないだろう。髪色も、話す言葉も、「魔族」なんて単語すら知らないかもしれない。

 自然に任せて出てきたもう一人の自分を分析し、ラフルはそっと二人の顔を見た。子供っぽいことを言っているな、と思ったのだ。兄も姉も、集落を出て行った誰もがこんなことを言っていなかった。

「そうね......」

 母は父の顔を見ていた。父は腕組をして自分を見ている。笑ったところをほとんど見たことがない、頑固な彼である。弱い者が何よりも嫌いで、常に集落の掟に沿わずにはいられない、石のような硬い人間だ。

 この柔和な母が、何故父を好きになったのか。何だか大きな物語の予感がして、ラフルは興味があるのだった。

「ラフル、私たちはね」

 母が優しい笑みを浮かべた。

「エトランゼ地区に行くのが、とてもあなたの為になるんじゃないかと思っているの」

「エトランゼ......」

「お父さんとそこで出会ったことは、前に話をしたこと、あるわよね?」

 ラフルは頷く。だが、どうして突然その話になるのか。

「お父さんね__」

「雨が止んだぞ」

 突然、扉が叩かれた。父が腰を上げる。母も其方を見た。扉の向こうには、パトリシオが立っていた。その更に向こうに、ところどころ青く禿げた空が見える。

「この話はまた今度にしましょうか」

 母が微笑んだ。寝室の方が騒がしくなったのだ。弟と妹が浅い眠りから覚めたらしい。父がパトリシオと共に畑の様子を見に行き、母は子供たちの様子を見に行く。ラフルは父と母が座っていた椅子をそれぞれ見た。

 エトランゼ__何故、二人はそこを薦めるのか。

 絵描きになりたかったという、言うなれば自分と同じように、トルトヨでは叶わない夢を抱えていた兄が行った場所だからかもしれない。とにかく、叶えられない夢を持つ者は、エトランゼに行かなければならないという、自分が知らない掟があるのかもしれない。

 畑の方は無事だったらしい。大人の喜ぶ声に続いて、青空を見て喜ぶ子供たちの元気な声がした。洗われた世界もまた、美しいことを彼らは知っている。

 ラフルは立ち上がり、父の背中を追って外へ出た。

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