集落の掟
芋畑は、ラフルの家であるアルフォード家が代々守っている畑だ。毎年時期になれば畑を鋤で耕し、畝を作り、芋を植えていく。害虫取りや雑草取りは毎日欠かさずの仕事であり、特に男の仕事として定着している。アルフォード家の次男であるラフルも当然、父と共に毎日畑の様子を見るのだ。
「ラフル、手が止まってる」
父エドガルドの言葉に、ラフルはハッと我に返った。まだ朝餉の時間のタネリの話が尾を引いていて、彼の意識を向けるべき場所へ向かせてくれないのだ。
父は背中合わせで作業していた。芋は順調に育っており、このまま行けば去年の同時期よりは沢山収穫できるだろう、とのことだった。集落で食べる分も確保出来るので、大人の口にも久々に芋の味が蘇りそうだ。
「お前も分からないやつだな」
父の言葉は背中に棘のように刺さった。
「お前は語り人にはなれないんだ。いちいち言わせるな」
ラフルは返事をしなかった。土を掘るとミミズが出てきた。畑を耕してくれる働き者だ。彼はそれをそっと土の中に戻してやった。
「あれはタネリだけが許された仕事なんだ」
語り人。子供たちがただでさえ少ない食事の時間に、きちんと栄養を摂ることができるよう、食事に集中させるためにある職業だ。ひとつの長い話を三つに分け、朝餉、昼餉、そして夕餉の時間にそれぞれ続きを語って聞かせる。わざと続きが気になるように中途半端な場所で物語を区切ることで、子供たちはまた次の飯の時間に同じ場所にやって来て飯を食うのだ。食糧難のトルトヨで、子供にきちんと食べさせる工夫のひとつであった。
あれは、タネリの専門職だ。タネリ専用の職業と言っても良いかもしれない。彼は畑も何も持っていない。柵の外へ出て、池の周りをぐるりと周りながら語る話を考えたり、練習をしたりしている。ラフルはたまに水を汲みに行く際にその時の彼を見たが、目を閉じて口の中でブツブツと何かを呟いている様は、語り人のまた異なる一面を見られて新鮮だった。そして、美しかった。彼が物語を語るのが好きかは知らないが、子供たちとの会話を見る限り楽しそうだ。
自分の好きなことを思う存分にできる。そうしたら、どんなに素晴らしいのだろう。好きなことをしている人間は、自ずと美しく見えてしまう。自分もあの美しさを纏うことができたら__。
「お前は本当ならな......」
父がため息混じりに話し始める。ラフルは次の言葉の予想が出来ていた。もう何十回と言われていることなのだ。
「去年にはトルトヨを出ていく予定だったんだぞ」
「......わかってるよ」
ラフルは小さな声で言った。自分でもよく分かっていることだった。今日は、強くそれを感じる場面に遭遇したのだ。
ラフルが幼い頃から、タネリはあのように物語を語って聞かせた。子供の世代が入れ替わると、また同じ話をする。今日の話を聞くのは、ラフルは人生で二回目だ。初めて聞いた時は、トルトヨには兄も姉もまだ居た。下の子達はまだ生まれてすらいなかった。
兄と姉に限らず、トルトヨでは一定の年齢に達した子供は集落を出ていくことになる。正確には追い出されるのだ。貧しい集落で養える子供の数には限りがある。常に食料が足りておらず、十分な栄養は子供たちに与えられなければならない。スープの入ったボウルの大きさがそれを示している。量も栄養も必要なはずの大人のボウルの方が、子供たちよりも小さいのだ。
集落を出ていく年齢は大体十五歳前後とされている。兄パーバリは十五歳で、姉のリーナは十四歳で集落を出て行った。
集落を出た子供は、エトランゼやトランテュといった大きな街へ行き、そこに永住するか、金を稼いでトルトヨに戻ってくる。だが大半は出て行った先の街での永住を決めるのだ。トルトヨに戻ってきても、またあの空腹の毎日がやって来る。よっぽど好きではなければ、この集落ではやっていけない。大きな街で満腹の幸せを知った者は、トルトヨなどという痩せた集落に戻ってきたいと思うわけがない。
ラフルは今年で十七歳になった。此処まで大きくてトルトヨに居た子供は居ないだろう。いや、もう子供とも呼べない位の年齢だ。本来ならば兄と同じ十五歳で集落を出て行くことを期待されていた。子供から大人の一歩を踏み出す必要があった。
しかし、ラフルはそれを渋っていた。理由は一つだった。
タネリの跡継ぎとして、語り人になりたい。
あの職業に、ラフルは心から憧れていた。彼の語る物語が大好きだ。彼の優しい表情や声の抑揚、子供との会話のバランスを考慮した、あの語りが大好きだ。自分もあのようなことをしてみたい。聞く側だけじゃなく、聞かせる側にも立ってみたい。
それが、ラフルの夢だった。
「お前はタネリにはなれないんだ」
同じようなことを、父は繰り返す。
父の言うことも、ラフルはよく分かっている。
あれはタネリの専門職で、タネリだけが許された仕事であること。どう足掻こうが自分があっちに立てることはないし、トルトヨにそもそも語り人は二人も居らない。
もう此処に自分の居場所は無いのだ。大人になった子供は、集落の人間から邪魔者扱いを受けるだけだ。皆優しいから、まだ自分を子供扱いしてくれるが__心の奥では、早く出て行って欲しいと考えている。彼らの腹の音が自分の罪悪感を掻き立てるのだ。
「水、汲んでくる」
ラフルは近くに置いてあったバケツを手にして立ち上がる。そして、逃げるように畑から出た。
そんな息子の背中を、父は黙って見やった。
*****
池には、どんよりとした鈍色の雲が映っている。子供が柵の外に出るのは、大人と一緒でなければ許されない。柵の向こうに一人で行けるのは大人だけだ。二年前までは、自分も柵の外に出ようとして集落の者に止められた。今は誰も引き留めようとしない。
ラフルはバケツを揺らし、池の縁に立ってぼんやりと空を眺めた。みんなは、こんなに小さな集落で完結してしまう夢を持つことを珍しいと思っているらしい。
兄のパーバリは、集落では子供の面倒をよく見るし、重いものも運ぶ働き者だった。集落の人間からはエトランゼの運び屋を紹介されていた。エトランゼに稼ぎに行った者から聞いたのだった。兄は快く頷き、そして荷物を纏めてそそくさ出て行ってしまった。寂しさで泣きじゃくるラフルに、手紙を書くと約束して。
次に姉のリーナが出て行った。リーナは兄のようにすんなり集落を出て行った。しかし、彼女の場合、兄のように定期的に手紙はくれない。それは、彼女がトルトヨを嫌っているからだ。小さな痩せた土地に執着するのも古臭い、と言うし、何よりも彼女には夢があった。それは、花屋を経営したいというものだ。
ラフルたちの母親であるベルタは、エトランゼ地区の出身である。父が掟に従ってトルトヨから出て行った先が、エトランゼ地区だった。母とはそこで知り合い、それから母を連れてトルトヨに戻ってきたのだ。つまり、母は集落でよそ者である。外から嫁いできたのだから。
リーナは、そんな母からエトランゼの話をよく聞いていた。聞けば、母はエトランゼでも数少ない「花守」という一族で、大きな花畑を管理する仕事を任せられる者のようだ。母は確かに花を愛し、植物にも詳しい。自然が豊かなトルトヨにやって来ようと決めたのも、そのような理由があったのかもしれない。
そして、その母の花に関する知識に姉は感化された。子供も大人も良い気持ちのしないこんな集落からは、さっさと出たいと考えたのだろう。今までに例を見ない早さで、彼女はトルトヨを出て行った。
ああ、とラフルは思う。こんな夢を持つ自分は馬鹿げているのだろうか。兄や姉のように、外にまるで魅力を感じない自分は、馬鹿げているのだろうか。兄や姉が時々憎くて、羨ましくなる。自分も外の世界に楽しみを見出してみたい。
「昼餉の時間だぞー!」
子供たちを呼ぶ大人の声がして、ラフルはハッとした。バケツに水を汲まずにぼんやり突っ立っていたのだ。慌ててバケツを水の中に突っ込み、グッと持ち上げた。それを激しく零しながら、彼は慌ただしく集落に戻って行った。
*****
ユークランカは魔族の土地だ。魔族とは、魔法を用いて暮らす者たちを言う。大抵、体の何処かに魔族である「証」を持つようだが、他地区の人間との血が混ざりあった今では、その証が体に出ることも無くなったらしい。
魔族と人間が住む場所をきっちり分けていたのは、今から二百年前まで。その境に何があったのかと言うと、戦争だ。
この国はユークランカ地区を含めて十二の地区で区分けされている。その中で唯一ユークランカ地区だけが魔族の住む土地であり、残る十一地区は全て人間の土地だった。土地の多い者は、権力もそれなりに持つ。魔族は人間の支配下にあった。不満を爆発させた魔族は、いよいよ人間に宣戦布告した。
人間が魔族に対して恐れていることは、魔族の持つ不思議な力だった。動物を操り、魔法を使って超自然的な現象を起こす彼らを怖がっていた。「魔族狩り」は、彼らの中で正義の行動となった。
戦争はそんな二つの種族の間で起こった悲しい歴史である。今でも魔族の生き残りの中には人間を恨んでいる者もあるし、早い段階から人間を許して血が混ざることを許した者もある。
タネリが語り聞かせた物語の挿入はそんなところだ。
魔族と人間の間で起こった大きな戦争は、フォーク戦争という。フォークとはカトラリーの一種で、タネリは見たことがない子供たちのために、ポケットから木製のフォークを出して見せてくれた。
「食べ物を刺して口に運ぶために使うんだよ」
「なんだか、痛そうだね」
「その通り」
タネリは頷く。
「でも、戦争の時はみんなこれを持って戦ったんだよ。食べ物じゃなくて、人を刺したんだ」
「どうして?」
「剣も弓も持っていない人は、何か武器の代わりになるものが必要だったんだ」
「人を殺すため?」
「そうだよ」
子供たちは、彼の手の中にあるフォークをじっと見つめた。食べ物ではなく、生暖かい人の肌を突かれる感覚を想像しているのだろう。
それから、タネリは続けた。
フォーク戦争を終わらせたのは、魔族の敗北だった。人間も魔族も、極限まで相手を傷つけた。人間は、本来武器ですらないフォークを用いて。魔族は、本来人を傷つけることを許されない魔法を用いて。
この国を占める魔族の少なさが敗戦の原因のひとつでもあった。それから、もうひとつ大きな原因として、魔族側の白旗宣言が挙げられた。
魔族はある日、突然魔法が使えなくなってしまったのだ。
「何で?」
「知っているはずだよ」
タネリは優しく微笑む。
「ご飯を食べる前、みんなはお祈りをするじゃないか。その時、みんなは誰にお祈りしているんだい」
「ロザンネ様?」
「そう、その通り」
どうしてか分かるかい、とタネリは問うが、答えられる子供は居なかった。皆小さい頃から体に染み込んだ祈りなのだ。大人がやっているから真似ているだけなのだ。
「彼女が、僕ら魔族から魔法を完全に取り上げてしまったんだよ」
ロザンネ。それはユークランカのどの集落にも名前が伝わっているであろう、偉大な魔法使いだ。霧深い森の何処かに家を持ち、そこで慎ましくに暮らしているという美しい女である。
「どうして?」
「魔法は人を傷つけるためにあってはならないからだ。魔族は、その掟を守らなかった。人間を傷つけて、いっぱい悲しい思いをさせたんだ。だから、ロザンネ様がみんなから魔法を取り上げたんだよ」
タネリの声は始終優しかった。残酷な物語は、より残酷に聞こえた。
「どうやって取り上げたの」
「大きな宝石に、みんなの魔法を閉じ込めたんだ。そして、それをこの国の何処かにこっそり隠してしまった」
「ええっ、宝石」
「意外だったかい?」
タネリはクスクス笑う。
「今も何処かにあるの?」
「うん。だって、僕らは今も魔法を使えないじゃないか」
「魔法、使ってみたい」
「僕もだよ。でも、一生使えない方が良いんだ」
「何で?」
「また、人を傷つけることになっちゃうだろう」
これが、朝餉で語られた話だった。




