二人の助っ人
リゼは申請書を次々と配って回った。
最初の酒屋の主人とは違い、そもそもスプーン戦争が何なのかを知らない者も居た。申請書を貰って首を傾げている場合は、地区総会でメレディスにされた説明を、断片的だが、思い出しながら繰り返した。
やはり、申請書を配っていく中で意見は大きく二つに割れた。
楽しそうだと肯定的な意見を述べる者、建物やその間の店、そして生活はどうなるのかと不安を覚える者。これらの意見はスプーン戦争の経験が無い者に多く見られた。
名前だけしか聞いたことがない祭典なので、どのようなものか想像が出来ない者がほとんどなのだ。リゼだって、最近まで祭典の存在すら知らなかった。
しかし、説明を受けると顔を輝かす者も少なくはないので、リゼはそれだけで救われた。
トシュテンの話を聞いた時、リゼは死者も出る祭りと聞いてスプーン戦争についてマイナスのイメージを持ってしまった。楽しいだけの祭りではない(まだそう考えても良いものなのかすら分からないが)ということを突き付けられているように感じた。素晴らしい祭りだと思いたい。良い面を推していきたい。そう考えられるのは、何も知らないからだと彼女は書類を配りながら落ち込むのだった。
しかし、仕立て屋のプリシラのもとへ申請書を配りに行った時、リゼは心の曇天が一気に晴れた気がした。
「まあ、楽しそうっ」
書類を貰って早々、彼女は顔を輝かせた。
「私、子供の頃からずっと楽しみにしていたのよっ」
リゼはプリシラの性格が好きだった。彼女の夫が亡くなったのはリゼがまだ幼い頃だったが、プリシラは落ち込む間も見せなかった。いつも楽しそうだった。物事を楽しく、そして前向きに捉えるのが得意なのだ。それは彼女の強みであり、リゼがプリシラを大好きな理由だった。
「夫がね、スプーン戦争についてよく話してくれたのよ。私、その話を聞くのが大好きだったの。すっごく楽しそうなお祭りで」
リゼは意外だった。最も初めに尋ねたトシュテンから聞いたスプーン戦争の印象はあまり良くなかったからだ。
詳しく聞かせてください、とリゼはトシュテンの時よりも真剣に彼女に迫った。
「夫は旗持ちがかっこよかったって言ってた。今までに例が無い、少年の旗持ちだったそうよ」
「旗持ち?」
スプーン戦争やフォーク戦争に続く、初めて聞く単語だった。
「旗持ちっていうのは、敵の陣地に旗を立てる役割の人を言うの。スプーン戦争ではね、その旗持ちが敵の陣地に旗を立てることが出来たら勝ちなのよ」
へえ、と声が出た。てっきり、敵を多く倒して相手を降参させるか、大将のような人を討ったら勝ちなのだろうと思っていたのだ。
すると、プリシラは「そう、大将!」と大きく頷く。
「大将っていう言葉が合っていると思う。旗を刺す以外にも、旗持ちを倒すことで勝利を得ることも可能なのよ」
「そうなんですね」
あまりにも楽しそうに語るので、リゼは手の中の紙に今日の残り時間の運命がかかっていることも忘れて、更に詳しい説明を求める。
「第三回目ではエトランゼが勝利したの。旗持ちはまだ十七歳の男の子でね。あら、ちょうどリゼちゃんと同じ歳」
プリシラはクスクス笑って、
「子供では初めての旗持ちだったみたい。旗を持って駆けていく姿は大人の旗持ち顔負けだったんだって。若いと俊敏で体力もあるから、みんなとっても頼りにしていたんだそうよ」
リゼは自分がもし旗持ちになったらと考えてみる。同じ歳でも、そんなに素早い動きをできるものだろうか。普段から野山を駆け巡るような体力が無ければ、旗持ちはきっと務まらない。
「第三回目はみんなの気持ちもバラバラでね、もう目指すところが平和なのか、それとも戦争なのか分からなくなるくらいに混沌としていたそうなの」
それは、リゼがトシュテンから聞いた話だった。リゼは弾んでいた気持ちが落ち着いていくのを感じながら、彼女の言葉に耳を傾ける。
「だけれど、そんなみんなを一生懸命に導いてくれたのも、あの少年の旗持ちだったんですって。名前、何だったかしら......たしか、最近そんな名前を聞いたんだけれど......」
プリシラは眉を顰めてそう言っていたが「まあ良いの」と手をヒラヒラ振った。
「とにかく、悲しいだけのお祭りじゃないってこと。私は夫から聞いて、本当に心から参加したいと思っていたから。一緒に頑張りましょうね」
「はいっ」
トシュテンも最後は同じように言っていた。プリシラは彼のように実際に経験をしたわけではないが、彼女のような前向きの姿勢は、リゼの心の中のスプーン戦争のイメージをぐん、と良いものに近づけてくれた。リゼは彼女に感謝をして、店を出た。
さて、長居してしまった。まだまだ配るべき書類は残っている。
*****
手の中の書類が無くなった時、太陽はちょうど真上から街を照らしていた。昼になったのだ。食べ物通りの様子でそれはよく分かる。今日はフローレンスは定休日だと知っているので、皆それ以外の店に入って行く。
リゼは表口からフローレンスへ戻った。
「ただいま」
すると、店内に腹の虫を鳴かすための香りが充満していることに気づく。父が一足先に戻っていたようだ。彼は厨房にてフライパンで炒め物をしていた。その手前、カウンターに座る二人の人物が居る。
「カスペルさん、キースさん」
前者は約束していた通り、薬屋のカスペルだ。書類は午前の早い段階で配り終えたらしく、お得意さんの店を散歩がてらに見てから此処へやって来たそうだ。その隣はコートニーの旦那、パン屋の主人のキースである。彼との約束はしていなかったはずだが、とリゼは首を傾げる。
「飯食わせてくれるなら手伝うってことになったんだよ」
ティモーがそう説明をくれた。なるほど、とリゼは苦笑する。
おそらく、コートニーには後で大目玉を喰らうだろうが、彼は今は此方の方が魅力的な仕事に思えているのだろう。小麦粉の少なさに頭を悩ませるより、通りを走り回った方が楽しいと思っているのだ。
「この人数だったら早く終わりそうだね」
リゼが二人の間に座ると、カスペルが微笑んだ。午前中、色々な者と言葉を交わす時間が長かったとは言え、リゼはそれなりに早足で次から次へと書類を配ったつもりだった。しかし、まだまだ書類の山はカウンターの上に残っている。
「この辺りは建物も多いしなあ。そのメレディスってやつ、血も涙もないやつだな」
既に話は聞いているようで、キースは頬杖を突きながらそう言った。
「なー。なかなかお堅い人間だったぜ」
ティモーがフライパンを操るのを、リゼは瞬きせず見つめていた。一瞬宙に浮く野菜たちは、まるで踊っているようだ。
「そう言えば」
ティモーが近くにあった調味料を手に取る。
「俺が行った人のところ、スプーン戦争がそもそも何なのか分かってるやつが少なかったな。リゼのところはどうだったんだ?」
「私も同じ感じ。簡単な説明はしたけど......伝わってるかは分かんない」
「だよなあ。俺にスプーン戦争って何ですか? って聞かれてもなあ。玩具使って戦うみたいですよ、って言って書類押し付けてきちまった!」
ガハハ、と笑うティモーを、リゼも、そしてキースとカスペルも呆れ顔で見ていた。
どうやら、午後は彼に一人に申請書配りを任せない方が良いようだ。配られた方があまりにも気の毒である。
「でも、たしかに知ってるやつは少ないよな。経験者なんて尚更。五十年前って言っても、その時に赤ん坊だったら経験したとは言えないわけだろ」
と、キース。
「そうですね。エトランゼは人口が最も多いですし、自然と経験者は他地区よりは居ることになるとは思いますが......僕の店に来る方は、高齢の方が多いので時々話したりしていましたよ」
リゼは、トシュテンを思い出していた。経験者は彼以外にほとんど居らず、リゼが書類を配った場所でも二、三人だった。やはり、第三回目の印象はあまり良くはなかったらしい。死者も出ているという祭典に、良いイメージを抱くのは難しいだろう。
だが、皆最後には付け足して「大事な祭典だと思うよ」と言うのだった。その点はプリシラや彼女の夫、それからトシュテンに共通して、祭典に楽しみや重要性を見出していると言える。
「どんな祭典か分からないが、せっかくやるんだったら楽しい方が良いよな」
キースが言った。リゼがその言葉に頷いたところで、ティモーが「できたぜー!」と皿に野菜炒めを盛った。リゼの腹の虫は、思い出したように悲鳴を上げた。
*****
「終わったー!!」
リゼたちがフローレンスに戻ってきたのは、三時になるかならないかだった。まだ太陽は元気に輝き、タイムリミットまで余裕があった。
「いやあ、助かったぜ二人とも!」
ティモーはキースと二人で家々をまわり、リゼとカスペルはそれぞれをまわった。
昼食を済ませたからか、リゼはテキパキ動けるようになっていた。つい話を詳しく聞きたくなってしまう午前の反省を活かして、午後はなるべく会話を早く切り上げて、次の建物へ向かったのだった。
「本当にありがとうございます、キースさん、カスペルさん」
父に続いて言うと、キースは「良いんだよ」と笑い、カスペルも「気にしないで」と微笑む。
「今日は定休日だろ? リゼちゃんが楽しみにしている一日を書類配りで潰すわけにはいかないしな」
「そうだよ、リゼちゃん。さ、早く行っておいで」
リゼはパッと顔を輝かせた。そして、再び厨房に入る父を振り返る。
「お父さん、行ってきても良い?」
「ああ、行ってこい」
「ありがとう!」
リゼはそう言うなり階段を駆け上がって行った。
「本当にお前の娘か時々分かんなくなるぜ。勉強嫌いから、あんな勉強好きな子が生まれるか? 普通」
キースは、肉の下処理を始めたティモーを見る。
「リゼは天才少女なんだよ。俺には全くちんぷんかんぷんな本も読んでるからな」
誇らしげに言う彼に、キースもカスペルも苦笑を浮かべた。
やがて二人はフローレンスを出て行き、それを追うようにして二階からリゼが降りてきた。青いポシェットを肩からぶら下げ、今にも階段を転げ落ちそうな勢いだ。
「お父さん、行ってきます!」
リゼは父に早口で父に言って、風のように店内を駆け抜けると表口から外へ出て行く。いつもならば埃が立つから走るなと注意するところのティモーだが、今日はそれを言うのも憚られた。あんなに楽しそうな娘を邪魔できるわけがない。
家を飛び出したリゼは、駆け足で通りを抜け、レメント川にかかる橋を目指す。
今日は知りたいことが山ほどある。スプーン戦争とフォーク戦争について、旗持ちについて......ああ、それに関する資料なんかあったら楽しいかもしれない。小説なんかどうだろう。
リゼにとって一週間に一度の楽しみ。膨大な知識の倉庫は、学校に行っていない少女にとって宝の山だ。
読み終えた一冊の小説をぶら下げて、少女は午後の日差しに照らされた街を駆け抜けて行った。




