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スプーン戦争の夜明け  作者: 葱鮪命
第一章 知らない祭典
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食堂・フローレンス

 中央区・エトランゼ。国の中央に位置する、王都である。

 高く聳える一辺の壁(地区民はそれを南門と呼ぶ)の向こう側に広がる、オレンジの瓦屋根と白壁の建物で統一された美しい街並みは、かの戦争での人間陣営としての威厳を未だに保っていた。

 果たして、この地区に今住まう民が、その戦争に関して自分の事のように喋ることが出来るかどうか、それは分からない。あの戦争からはそれ程の時が経過しているのだ。

 太陽が屋根瓦を真上から照らし、地区を南北に分断するレメント川の水面が最も煌めく時間帯。南門から伸びる大通りの突き当りは、前述のレメント川だ。その川沿いの通りは、「食べ物通り」。名前の通り、食事処が軒を連ねる通りである。

 どの店も昼時は大忙し。その中でもエトランゼ指折りの人気店と名高い「食堂・フローレンス」は、客が店の外に溢れるほどの繁盛具合である。

「お次は......四名様ですね! ご案内致します!」

 店の中から出てきたのは、ココア色の髪を、馬の尾のように後ろで一つに結ぶ少女だ。淡い橙のエプロンと三角巾をその身にまとい、顔には昼間の太陽に負けない明るい笑みが浮かんでいる。

 少女の名前はリゼ・フローレンス。齢十七、この食堂の看板娘である。皆からは「リゼちゃん」「フローレンスの子」と呼ばれて親しまれ、幼い頃からこの食堂で働いているので、ここいらではちょっとした有名人だ。

「リゼちゃん、注文お願い!」

「こっちもお願いします!」

「はーい!」

 さっきの四人客を席に通すや否や、店内からは次々に彼女を呼ぶ声が上がる。リゼはそれらに元気良く返事をし、エプロンのポケットからペンとメモ帳を取り出して客席の間を早足で進んでいく。

 フローレンスはカウンター席とテーブル席合わせて二十席あり、現在満席である。

 席についた客たちは最近の門番の仕事の怠け具合や、中央広場に並ぶ食材が最近偏っていること、主人や子、親戚の愚痴などを一頻り喋り通している。それぞれの席で話題の種は尽きないが、

「お待たせ致しました! 若鶏のパスタ旬のソース添えです!」

 いつの間にか客の注文を取り終えて、厨房へ料理を取りに行ったリゼがテーブルに皿を置くと、どんな話題が上がっていようが客は口を閉ざすのだった。

 顔に向かって吹き上ってくる美味そうな香りを含んだ湯気と、その向こうに見えるフローレンスの自慢の料理たちが、客の意識を口から鼻と目へと移動させてしまうのである。

「うわあ、美味そう」

「流石はティモーさんの料理ね」

 客は舌なめずりをして、手にフォークやスプーンを取る。リゼは「ごゆっくりどうぞ」と微笑んで、その席を後にするのだった。

「リゼちゃん、お会計頼むよ!」

「スープのおかわりお願いしまーす!!」

「はい!」

 ひっきりなしに彼女を呼ぶ声が飛び交い、リゼはテーブルの間を行ったり来たりと忙しい。額にはキラキラと汗の粒が光り、注文をとる息も上がってくるが、彼女の顔には常に笑顔が浮かんでいた。

「いやあ、今日も美味しかった」

 会計を頼んだ客が支払いを済ませた後でそう言った。彼はパスタを二皿、デザートを三皿平らげたので、シャツのボタンがはち切れそうな程に腹が脹れている。

「いつもありがとうございます、イクセルさん!」

「いいんだよ。明日は地区総会だし、食いに来られないからね。食えるうちに食っておこうと思って!」

 彼は眩しい笑顔をリゼに向け、続いてリゼの後方に見える厨房に向かって声を張り上げた。

「そいじゃ! ティモー、また来るぜー!!」

「おうっ! ありがとなー!」

 厨房から野太い男の声がする。「じゃ」と客の男は再びリゼに笑みを向け、店を出て行った。入れ替わるように違う客が入ってくる。

「二名様ですね! ご案内致します!」


 *****


 昼時を過ぎたフローレンスからは、一度客足が遠のく。リゼはその間、夕時に再び大勢やってくる客の為、足りない食材を中央広場へ買いに行く。

 客の掻き入れ時は、昼と夕方なのだ。とりわけ明日は特別な事情もあり、今夜はいつもより多くの客が来るだろうと見込んでいるのだった。

「お父さん、買ってきたよ」

 フローレンスの裏口は、厨房にそのまま入ることが出来るようになっている。両腕に買い物袋を抱えた少女は、肩で扉を押すようにして厨房の中へ入って来た。

「おう、ありがと!」

 厨房で火にかけられた大きな鍋の前に立つ、ガタイの良い中年の男が振り返る。丸太のようなどっしりとした体つきのその男は、ティモー・フローレンス。リゼの父親である。

「昼飯作っといたぜ」

「やったあ!」

 買い物袋の奥から、リゼはカウンター席に並ぶ、自分の昼飯を見た。食堂の人気メニュー、トマトの牛煮込みに、余ったライスを入れた即席のまかない料理である。余り物を合わせたって、父の料理の腕にかかれば定番メニュー化してもおかしくないレベルのものが出来上がるのである。

 リゼは早速袋を置いて食事にありつく。

 そして遅い昼飯を口に運んでいるうちに、父は夕時の仕込みを始めるのだった。

「ねえ、お父さん」

「何だあ」

 半分まで食べ進めたところで、リゼは父に声をかけた。特製ソースのために野菜を細かく刻んでいた父は、一切その手を止めずに先を促す。

「何だか広場の出店、少なくなっているみたい」

「出店?」

 父はそこで初めて手を止めた。そして、リゼがカウンターの上に置いた大きな二つの紙袋を見る。中にはティモーが頼んだ山盛りの野菜と果物、それから香辛料が入っている。

「少なくなってるって......まだ昼間だぞ」

 そういうことじゃない、とリゼは首を横に振った。

 さっき、買い出しに出かけた先はエトランゼで最も人が集まる場所__「エトランゼの心臓」と呼ばれる中央広場だ。南門から此処食べ物通りに来る途中にある、円形の広場である。そこでは朝と昼、そして夕に分けて様々な商人が出店を出し、食べ物から日用品、骨董品まで幅広いものが手に入る。特に朝市は、朝の早いエトランゼの代表的な文化であり、「エトランゼ名物」とまで言われるのだ。

「あのね、ちょっとずつ色々なお店が撤退しているんだって。コートニーさんが言ってたよ」

「ふーん」

 さほど興味は無さそうだ。出店が少なくなってくると、手に入る食べ物や調味料も変化するというのに。取り寄せることも出来るが、それには数日或いは数週間という長い期間が必要なので、中央広場は食べ物通りに軒を構える店舗の命綱である。

 そんな中央広場から出店が消えている。リゼが買い物に行った時に、確かに出店の数は昨日よりも少なくなっていた。今日に限ったことではなく、毎日少しずつ、本当にちょっとずつ減っているという話を、リゼは同じ通りのパン屋の女将・コートニーから聞いたのだった。

 そう言えば、とその話を聞きながらリゼは思い出すのだった。店に来た客が何人か、リゼが料理をテーブルに運ぶ際にそれに関する話をしていた気がするのだ。自分がテーブルに行くのは料理を運ぶ時くらいで、運んでしまえば皆話題よりも料理に釘付けになってしまうので深く聞くことも出来ない。それ以前に忙しくて、頭の片隅にも置いていない。

 しかし話題に上がるということは、それなりにビッグニュースと捉えて良いはずだ。

「どうしてお店、減っちゃってるんだろうね」

「さあな。まあ、心配するなよ。パンが無くなりゃキースのパン屋に行けば良し、香辛料が無くなりゃグレームの店に行けば良し......」

「だって、キースさんのお店は小麦粉、中央広場で買うって言ってたよ」

「......」

 父は黙ってしまった。料理に集中するので話しかけないでくれ、と穴が空くほどフライパンを見つめ出す。リゼは諦めて、止まっていたスプーンを動かし始めた。

 でも本当に、このまま店が無くなってしまったら......。

 リゼは暇になってしまったフローレンスを想像してみた。

 時間が出来た自分は、何をするんだろう。父はきっと新メニューを考案して、ずっと厨房に居るだろう。自分は......。

 リゼは自分の顔にじんわりと笑みが浮かぶのを感じた。最高の時間の潰し方を、彼女はよく知っていた。

「何笑ってんだ?」

 気がつけば、父が此方を見ていた。

「何でもない」

 リゼは皿に残っているライスの粒をかき集めて、最後の一口を大切に口に運んだ。


 *****


 やがて夕方になり、途切れていた客足が再び勢いを取り戻してきた。こうなればリゼもまた忙しなく客席と厨房を行き来することになり、額に汗を輝かせる。

「ありがとうございました!」

「また来るわね」

「はい、お待ちしております!」

 ピークが過ぎて、ようやく店内にも空席が目立ち始める。その頃には空には星が瞬いていた。最後の客の会計を済ませ、外まで見送ったリゼはふう、と息をつく。

 通りは人がほとんど居ない。皆家に帰ったか、飲み屋に入って一杯目を注文し始めた頃だろう。名物とまではいかないが、酔っ払いが陽気な歌を口ずさんで自分の家へ帰って行くのは、エトランゼではよく見られる光景である。その後の家内の叱り声もまた然り。

 リゼは店を振り返る。店内はガランとしており、今まで賑やかだったのが嘘のように静かだ。

 通りの様子から考えるに、今日はもう客は来ないだろう。閉店時間にはまだ至っていないが、もう閉めても問題ないはず。

 表口にかかっている看板を、リゼはくるりとひっくり返した。それと同時に、自分の中でもスイッチが切り替わる。

 夜の仕事は此処からが本番と言っても良い。それぞれのテーブルの上にある食器を下げて洗い、店内の床の掃除をしなければならない。

 父は既に明日の仕込みに入っている。料理を作るのは彼の仕事だ。リゼはその他雑用。簡単な料理ならば任せられることもあるが、よっぽどのことが無い限り包丁や鍋には触らせてもらえない。

 それぞれのテーブルから食器を下げて洗い、続いてテーブルの拭き掃除に入る。それが終われば床の掃き掃除。

 窓際のテーブルの下を覗いた時だった。リゼは、テーブルの足に隠れるように置かれた紙袋に気がついた。持ち上げるとずっしりと重い。中身は真っ赤な林檎だった。

「お父さん、忘れ物」

 リゼはテーブルの影から顔を出して父を見る。

「ん、誰か分かりそうか」

「えっと」

 リゼは目を閉じる。忙しなく店を行き来する彼女は、そのテーブルに誰が座っていたのか完璧に頭に入れている。たしか、最後にこのテーブルに座っていたのは__、

「プリシラさん」

 リゼは目を開き、その名前を言った。

「仕立て屋か。そういや、さっき確かに来てたな」

「うん、クリームシチュー頼んでた」

 もしかしたら、プリシラよりも前に座った客のものかもしれない。が、彼女ならば自分の席に忘れ物があった時点で、すぐにリゼかティモーに声をかけるはずだった。

「私、届けてくる」

 リゼは袋を抱えて立ち上がる。林檎が重いので、底が抜けないように腕を添えた。

「おう。頼んだよ」

 父の言葉を背に、リゼは表口に向かう。扉に手を伸ばした時、不意にその扉が一人でに開いた。

 思わず手を引っ込めたリゼの視界に、真っ黒なものが映る。それは外の暗闇では無い。遥かに近く、触れられる距離にあったのだ。

 外に立っていたのは、怪しげな風貌をした六人の団体客だった。と言うのも、その団体客は全員が全員、夜闇に溶けそうな真っ黒なローブですっぽりと体を覆い、そのローブのフードを目深に被っていたのだ。目の前に迫る黒は彼らのローブの色だった。

 不思議な団体客だ。

 リゼは彼らを呆然と見上げる。

 ローブの上からでも分かるほどに皆ガッシリとした体型をしていた。中にはティモーよりも体が大きな者まで居る。

 リゼは突然の彼らの登場に、店側としてもてなす態度をすっかり忘れていたことに気がついた。慌てて、

「いらっしゃいませ......」

 蚊の鳴くような声でそう言った彼女の目に、更に驚くべきものが映る。

 皆、何か背負っている。肩から腰にグルリと革のベルトを回している。肩越しに見える十字架は、見間違いでなければ__剣の握り。

 この平和なエトランゼで、武器を持つ者など門兵くらいだ。もしそれ以外で武器を持っているとしたら、強盗か、それとも泥棒か、はたまた__。

 リゼはすっかり青ざめていた。目の前の彼らが団体客であるという可能性が、その物騒な存在によって掻き消されていく。

「いらっしゃいませー!!」

 リゼの後方から元気な声が飛んでくる。父の声だった。

「何名様っすか?」

「六人です。まだやっていますか」

 団体客の中からそう問う者が在る。それは、先頭に立つ男だった。スラリとした背高の、フードの下に赤い瞳が光る男である。

「やってますけど、ラストオーダーまで三十分になるっすね! 早めに注文お願いします!」

「ありがとうございます」

 どうやら、客として迎えても良さそうな人達だ。まだ断定できる訳では無いが。リゼはホッと胸を撫で下ろす。

 しかし、この林檎たちをどうしようか。

 自分は今から忘れ主のもとへ行かなければならない。団体客が来るとなって、父が一人で店を回すことができるだろうか。もうこれ以上客が来ないとも限らないし、それに......この団体客がまだ安心出来る存在とも限らない。

 扉の傍で立ち止まって居ると、怪訝に思われたのか団体客の一人が声をかけてきた。

「その中身、何だい?」

 女性の声だった。聞き惚れるくらい美しいハスキーボイスだ。

「あ......林檎......林檎です。わ、忘れ物なんです。お客さんの......」

 いつもの威勢良い接客態度は何処へやら、リゼの口からはさっきからひょろひょろと頼りない音しか出ない。

「リゼ!」

 父が厨房から声をかけてくる。

「大丈夫だから、行ってこい!」

「......うん」

 リゼは頷き、「ごゆっくりどうぞ」と団体客に言おうと顔を上げる。すると、最も初めに喋った先頭の男と目が合った。赤い目が此方を睨んでいる。狼のような(狼は見たことがないが)、もしくは宝石のような(宝石も見たことがない)鋭く冷たい目だ。

「ひっ」

 リゼは肩を竦めて、早口にセリフを言った。そして逃げるようにして通りに飛び出し、夜の寂しい食べ物通りを小走りで行くのだった。

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