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前途多難



「ケルト、クレア、クレス……おとうさま、おかあさま……っ」



 一本一本の指の感覚が無い。それどころか、腕、手足、顔……最早、体中がこれでもかと毛だらけである。更に、掌を返してみれば弾力のある塊が両手ともについており、触るとぷにぷにとした気持ちのいい感触がする。

 いやいや、そんな事を気にしている場合ではない。気が付くと、揃えた手……ではなく前足にしゅるりと巻きつけたのは毛並みの良い尻尾。どうしてこうしたのかは分からないが、何となく心が落ち着かず不安だと思ってから勝手に巻き付いてきたのである。


(わ、わたくし……いったい……)


 姿形が人では無くなっている感覚、これは良からぬ事、いや、とんでもない事になっている気がしてならない。


(あ、かがみ……!)


 ふと、自室には大きな姿見がある事に気が付きベッドから立ち上がってみる。

 自分では、2足立ちしているつもりなのに手足4足で布団の上に立っているようだ。視線がかなり低い事と、気を抜くとふかふかすぎる羽毛布団に体ごと沈みこんでしまいそうになる。

 その為一歩、また一歩と踏ん張るように慎重に歩を進めていき、何とかベッドの端までやって来る事が出来た。下を覗けば、あまりの高さに視界が揺れその場にへたり込んでしまう。


(た、たかい……こわい、こんなところおりられない……)


 でも、だからと言ってこうしてのんびりもしていられない。なんとかしなければ。

 意を決して、体を起こし端っこの方からそろりと身を乗り出してみる。すると、自然と爪が出て来て上手い事布地に引っ掛かってくれた。


(や、やりましたわ、これならおりられそう)


 慎重に下へと向かって降りていく。本来、猫の身体能力をもってすればこんな高さはどうとでもなる筈だが、今アイリスの感覚は人間に近いのだ。それなのに、突然部屋中の物全てが大きくなってしまった。まるで、巨木人(ジャイアント)の家に迷い込んだよう。崖から降りなければならないような、足の竦む感覚がする。

 その恐怖心を何とか大丈夫、大丈夫と自分で宥めつつ布団に母が施してくれた見事な花の刺繍達に穴が開いてしまうという事に申し訳なさを感じた。


(せっかく、おかあさまがかわいくしてくださったばかりなのに……ごめんなさい)


 心の中で母に謝罪を述べ、うんしょ、うんしょと下っていくと、もう少しで下につくかなと下方を覗き込もうとして身をよじると、布地から爪が外れてしまう。


(きゃあっ)


 直後、ステンコロンと絨毯の上に転がるが痛みはない。下に敷かれている絨毯もこの身にとってはかなり柔らかく感じた。


(び、びっくりしました……)


 もうほとんど下に着いていたのが幸いであった。落っこちると思って焦った心臓がドキドキととても速い鼓動になっている。暫く目を大きく見開いての放心状態から、突然体中の毛が乱れている事が無性に気になってすくっと立ち上がり頭を軽く振る。腕や顔、足などの毛を撫でつけながら舐め整える仕草をする。


…………

………


(はっ、わたくしいったいなにを……)


 夢中で毛繕いをしてしまっていた。そのおかげもあってか乱れた毛並みも元通りツヤツヤになった上、心も随分と落ち着いたようだ。


(かがみのところへいかないと)


 随分踏みごたえのある床を進んでいくと、ようよう鏡のある所へと辿り着く。3歳のアイリスには元より大きな鏡であったが、この姿ではとんでもなく巨大に思えた。大きな大きな鏡には、下のほうにちょこんと小さな今の自分の姿が映し出されている。

 艶の良いシルバーグレーの毛並み、宝石をはめ込んだような澄んだ瞳。ふわりと揺れる長い尾。


 頭がくらくらとする。身に起こっている事がとても信じられない。

 これでは、猫。いえ、まるで『ケルト』そのものではないか。


(どうしよう、きのうは、パーティーのあとすぐねむってしまったから……)


 昨日は緊張でへとへとになって、お腹も満腹ですぐにベッドに入ってしまったと朧気ながら記憶している。既にお風呂の時間から記憶が怪しかったくらいであるので起こった事が不確かである。

 記憶を辿っても頭を捻る以外に出来る事が無いのは困ったもので、うんうんと呻っていると、ふと、これは呪いの類ではないかと言う仮説に思い至る。何故そこへ思考が動いたかと言えば、アイリスがほんの数日前に読んだ絵本の内容に起因する。


──『美しい姫が醜く恐ろしい怪物に恋をするお話』──


 嫌われ者の王子は誰に対しても高慢だった。旅の途中で座り込んだ老人が「水を恵んでください」と震える声で助けを求めるが王子は冷たい目をして「貴様のような醜く汚い泥人にやる水は一滴足りとも持ち合わせていない」そう言って睨みつけた。

「たったの一滴でいいのです、どうか助けてください」

そう縋る老人は、ボロボロの布切れに身を包み、今にも倒れておかしくない体つきで干からびてしまいそうな容姿をしていた。

 更には、いつから身を清めていないのか分からないと眉間に深く皺が寄ってしまう程に老人からは酷い臭いがした。


 王子は顔を顰めながら「何度も言わせるな、お前のような者に施す物など何もないのだ」

 付き人に行くぞと顔をしゃくり、馬の後ろ脚で盛大に砂を立てながらその場を立ち去ろうとした。

 だが、「待ちなさい」と声が響く。

 うるさいな、と王子が振り返れば老人の姿はみるみるうちに美しい魔法使いの姿へと変化していく。光る雫の杖を振りかざすと王子の姿は醜い獣の姿へと変貌を遂げた。

 前身は毛むくじゃらで太い手足には鋭い爪が、口元には大きな牙が。王子が泣いて戻してくれと懇願しても聞き入れられず、

『愚か者、心を入れ替え、そして真実の愛を知るまでお前はその姿のままになるだろう』

そう言い残して魔法使いは消え去った。


 その後、独りぼっちになった醜い獣の怪物王子は一人の女性と奇跡的な出逢いを果たし、紆余曲折の後に、真実の愛を知る事が出来る。


──────


 そんなおとぎ話。王子は悪い心を持っていたから、それを認め心を入れ替えるまで解けない魔法を掛けられてしまった。しかし、本来魔法とは人を幸せにする手助けとなるモノと教えられて来たアイリスには理解が出来なかったのである。

 その魔法が何かと母に聞いた時、母は『それは呪いと言うのよ』と教えてくれた。

 話の流れから魔法と呪い(禁術)は違う事を学び、続けて注意を受けた事を思い返すせば、『人に呪いを掛ければ自分も無事では済まない事が殆どで、【代償】も支払わなければならない。だから、これから魔法や呪い(禁術)を覚えていく時は十分気を付ける事』


(のろい……わたくし、だれかからのろいを……うけてしまったの? でも、いったいだれが……)


 今の体はケルトの肉体そのものであるので、醜い筈も無いが、絵本と母からの教えを幾つか当てはめてみれば、人間以外の地の者に転魂されたという事は高確率で【呪い】の発動だと考えて間違いないのではないか。

 アイリス本人には勿論、誰かの恨みを積極的に買うような行動をした覚えは無いので思い当たる節は無い。無いのだが、王族と言うのはそういう物の対象になり易いという事も少しは理解している。

 しかしこの城には、魔法に関して非常に長けた初代国王シュトリング・レファストルその人が亡くなる直前にとても強力な魔法結界を城全体に施した為、外部からこの王家への害意あるあらゆる攻撃は通らない。最大でとてつもなく強大な防御である。

 そんな中でただ一つ、欠点があるとすれば、内部における高等魔法・禁術を感知する事が難しい。というところである。

 魔法といった類は、幅広く様々な事柄の手助けになる物であるが決して万能な訳では無いのだ。必ずどこかしらに欠点は存在する。それをカバー出来るような多重の魔法が正当に行使出来れば良いが、強大な魔法を使用するにはかなりの魔力量を保持していなければならない。

 故に、この城全体を覆う防御だけでも並みの魔法使いでは到底叶わない行為である。


 以上を総合的に捉えれば、呪いを行使したと考えられる人は本日城内に居た誰か。

 城内には少なくともアイリスの両手で数える以上の人々が居る訳で、幼い彼女ではとても特定するに至らない。

 皆怪しい、ではなく「皆そんな事をする筈が無いのに」と思ってしまうのだ。城中の全ての従者から嫌な事をされた事は一度だって無い。いつも側にはアイリスを溺愛していると言っても過言ではない双子従者のクレスとクレア二人が付いているし、皆アイリスに会うと忙しく動いている手を休めてまでも話をしてくれるのだ「アイリス様」と父母にも似た笑顔を向けながら。


 現時点で苦しみに心身を蝕まれるといった感覚は無いが、目覚めたばかりの時に自分の肉球に触れて気持ちいいなと感じた気持ちだけは無くなっていた。

 猫科の生き物は肉球を触られるのがあまり好きではないから、と教えられていた意味を今更知る事となる。何とも言えないが、ピンポイントでずっとは触れられたくはない部分と言えようか。

 それに、この愛らしいケルトの容姿になった事が何の意味を持つのかも不思議に思う点であった。

 身を蝕むような呪いをかけるならば、このような姿になり得るだろうか。

 幼いながらも彼女は様々な方向へと思考を巡らせる事が出来た。父と母の長い航海の話を寝物語に聞きながら育ち、クレスとクレアは楽しい話も怖い話も聞かせてくれた。

 父と母に昔から仕えていたと言うじいやとばあやからも沢山の話を聞いてきたものだから、それは今から少しアイリスの力になってくれるのかもしれない。




 しかし、ようやく【勉強】を許される3歳になったと言うのに、翌日この有り様では正しく前途多難と言わざるを得ない。

 父母から聞いていたし、じいやとばあやからも聞いていた言葉が小さな胸に刺さる。



【皇女たるもの、(たお)やかな乙女であれ】と。聡明で、と言う言葉もあったかもしれないと思い返して頭の痛い思いがする。





(おとうさま、おかあさま……わたくし、このようなすがたになってしまいました……。たおやかでそうめいなおとめにはなれないかもしれません)




 アイリスは、巨大な鏡に映り込むちっぽけな自分の姿を呆然と眺めながら、その表情はみるみる内に不安に彩られていくのであった。



 

 





色々と考えなければならない事柄が多く遅くなってしまいました。

亀の歩みですがよろしくお願いします。

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