おまけ:檻の中の妖精
おまけのバッドエンド。
第三話の最後からの分岐です。
「私は…別に誰でも、構わない」
気持ちを告げてしまったら、前世を忘れてしまう気がした。
ルシオを愛してしまったら、エラは前世を想うエラでなくなってしまう気がした。
だから、目を逸らし続けることを選んだ。ルシオに向き合うことをやめて。
「そっか…」
そう言って悲しそうに微笑んだルシオの目には、昏い闇があるばかりだった。
◇◇◇
重たい瞼を押し上げると、暗く少しヒンヤリとする場所であることに気づく。
明かりがないので、今は夜なのだろうか。頭がぼぅ、としてうまく考えられない。
確かその日は珍しくルシオに湖に出かけようと誘われて、馬車に乗り込んで、それで…。
何故だろう。眠くて仕方がない。何も考えられない。
そのまま眠りにつき、また目を覚ましては眠りと何度も繰り返し、どれくらいの時間が経ったのか。
「目を覚ました?」
その声にハッとして目を開くと、闇の中に誰かがいる。
何が起きているのだろうか。見渡してみても開けたばかりの目は慣れておらず、以前闇しか見えない。
すると突然明かりがついた。
眩しくて瞑った目を開けると、そこにいたのはルシオだった。
「ルシオ……っ!?」
ルシオは確かにそこにいた。彼の目と髪と同じような色をした鉄の棒の間から、こちらをじっと見つめている。
素早くあたりを見渡しても鉄の棒がエラを囲んでいる。
エラは薄いネグリジェを着て、白いシーツの上に寝転んでおり、自分が窓もない部屋の檻の中に閉じ込められていることに気付く。
「ル、ルシオ…?何、これ…どういうこと?」
するとルシオは幼い少年のような満面の笑みで答える。
「ん?どうって…僕の大切な妖精は、檻にでも入れておかないとフラフラと何処かに行っちゃいそうでさ。だから…閉じ込めたんだよ」
ルシオは笑っているのに、笑っていなかった。
彼は本気でそう言っている。エラはそう確信して恐怖に震えた。
「僕たちは馬車で湖に向かう途中、賊に襲われた。そして僕たちは死んでしまったんだ。今は葬式を終えた所だよ」
ルシオは何を言っているのだろう。
そう思いルシオを見れば、彼の目に宿っているのは、暗く澱んだ狂気だけだった。
◇◇◇
ルシオに閉じ込められ、彼から自分たちが死んだことになっていると聞いたあの日。
ルシオはエラの純潔と声を奪っていった。抵抗するエラを憎々しげな、愛おしそうな、泣きそうな顔をしながら掻き抱く。
そしてその最中に、彼は泣きながら言った。
「僕じゃなくて、あいつをそばに置くつもりなの?黒目黒髪だったら誰でもいいの?…僕を、捨てるのか!そんなの絶対に許さない!許さない許さない許さない!」
黒い双眸に憎しみの炎を灯して。
ああ、そうか。ルシオをこんな風にしてしまったのは、自分なのか。
その事実に思わず涙を流せば、ルシオは苦しそうな顔でエラを更に激しく貪る。まるで拒否されることを拒むかのように。
違う、泣いてしまったのは辛いからじゃない。そう弁解しようとしても、ルシオは魔術を使ってエラの声を出せないようにしてしまった。
伝えたいのに、伝えられないことがこんなにも苦しいなんて。
あの時、素直に自分の気持ちを伝えていれば。
そうすればルシオはこんな風にエラも自分も傷付けて、泣きながら自分を抱いたりしなかったのではないか。
今更後悔しても遅いのは分かってる。
でも、どうか時間が巻き戻るなら、せめて彼に伝えさせてほしい。
愛している。
そう、一言。
◇◇◇
「エラ…エラ…」
撫でるように白くきめ細やかな肌をゆっくりとなぞる、細く長い指。熱を持っているはずのその指先は妙に冷たく感じられて、違和感を肌に塗りつける。
「可愛いね、エラ」
絹のような手触りの、夜の月のような美しい髪を手に取り口付ける。
「エラ…」
吐息を溢しながらエラを呼ぶその声は低く、艶やかに色気を孕ませながら耳元で続けて囁く。
「ずっと、ずっと僕と一緒だよ…」
エラが口を開くその前に、その赤く艶かしい唇はルシオによって塞がれる。
無遠慮にエラに触れるルシオは貪るようにエラの唇を喰らい、息をする合間に溢れるエラの微かな声を聞き、興奮したように檻の中に備え付けられた白い寝台の上でエラを組み敷いた。
「ああ、好きだよ…愛してる…」
エラの体の至る所に唇を落とすルシオの目に宿るのは、狂気的な愛情と憎悪だった。
「滑らかで、こちらに吸い付くような肌だね。…この肌にあいつが触れたのかと思うと八つ裂きにしてやりたくなる」
以前ジークが掴んだ手首の部分にルシオは何度も何度も口付ける。上書きでもするかのように。
「消毒しなきゃ。エラは僕のものなんだ。僕以外にその肌を触れさせるなんて駄目じゃないか。ああ…あいつに手首を掴まれたのはわざと?僕を嫉妬させるため?」
エラを、そして自分もを傷付けるような言葉を吐くルシオに誤解だと、そう伝えたい。だけどエラの細く白い首には黒く濁った鎖のように絡みつく魔術痕が、吐息以外の声を紡がせてはくれない。
目で訴えようとルシオの目を見つめても、正気を失った仄暗く黒い目はエラを見ているようで見ていなかった。
「許さない…許さないよ、エラ」
つぅと冷たい指で鎖骨をなぞられ、ルシオにされたことを思い出して体がぞくりと甘く震える。反射的に涙が溢れると、ルシオは傷付いたような顔をして底の見えない闇色の瞳に悲しみを宿す。
でもそれは一瞬で、すぐにまた狂気を宿した目はエラの白く美しい肢体を獰猛な目で見つめる。
「本当にエラは美しい。まるで妖精のようだね…。僕だけの、妖精の女王」
己のものだと主張するように、ルシオはエラの白い首に噛み付き歯形を残す。痛さに喘ぐエラの苦しそうな様子に、ルシオはまた傷付いたような顔をした。
「好きなんだ、僕は君が好きなんだ…エラ!」
そう言って、ルシオは無垢な美しい少女を蹂躙し始める。エラが無抵抗なのをいいことに欲望のままに触れ、何度も何度も喰らい尽くす。
けれどエラに触れることに、ルシオはいつも躊躇する。そして抱くときは純潔を奪われた時を除き、いつもバラバラになったガラス片を一つ一つ集めるかのように丁寧で優しい。
無理矢理蹂躙してるような態度をとりつつもエラを気遣うその姿は、親に嫌われるのを恐れる子供のようだ。
エラの名前を呼ぶときはまるで許しを乞うているようで、胸がしくしくと痛む。
荒くなった息が落ち着くと、ルシオは汗ばんだ大きな身体をエラの身体にゆっくりと重ねた。
エラに覆い被さってその首筋に顔を埋めるルシオには先ほどまでの狂気はなく、苦しげに嗚咽を上げながらただただ泣いている。
その時エラの肌にルシオの黒い髪がかかった。柔らかく触れたその髪に、エラは懐かしさと愛しさが込み上げてくるのを感じる。
子供のように泣くルシオにエラは胸が苦しくなり、ルシオの髪を子供をあやすかのように優しく撫でた。
いつか遠い昔に、したように。
何故こうなってしまったのだろう。
そう思いつつも、あの時に選択を間違えたからなのだということは痛いほどによく知っている。
未だに泣いているルシオ。この男はいつも、行為が終わると必ず激しい後悔と罪悪感から泣いている。
エラが嫌がっていると、そう思っているから。
そんなに傷付くくらいならば、自分など抱かなければいいのに。
そう思うけれど、こうさせてしまっているのは他ならぬ自分。だからエラはルシオの好きにさせている。彼をこんな風にしてしまった責任がエラにはあるから。
檻の中に閉じ込めてエラの自由を奪い、エラを蹂躙することをやめられずにいるルシオを、それでもエラは憎むことも、嫌うこともできない。
愛している。
ルシオに対して思うのは、ただそれだけだ。
きっとこんな狂った日々は長くは続かない。
だけどせめてこの時間が終わりを迎えるまでは、この悲しい遊戯に付き合い続けよう。
それがエラの、ルシオへの唯一できる罪滅ぼしだから。