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第三話

 エラとルシオが婚約してから八年が経ち、二人は十七歳になっていた。来年には貴族学院を卒業し、二人は結婚する予定だ。

 昔に比べ、忌まわしい黒を纏う者に対する差別はだいぶ薄れていた。というのも魔術の発展が目覚ましく、魔力を持つものが必要とされることが増えたからだ。忌み色を持つ者は魔力量が多い。故に悪魔の末裔として忌避するものも未だいることにはいるが、好ましいと、その力が欲しいと欲する貴族が増えていた。

 きっかけは五年前。凶作により食糧難に陥っていた隣国がタハティ王国に攻め込んできて戦争になり、エラたちの国は勝利した。勝利を掴んだ大きな要因は、異教徒と呼ばれていた魔術師たちの力だった。

 最初はタハティ王国は隣国に押されていたが、そこに魔術師たちが聖教会を振り切り加勢し、形勢は逆転して勝利を掴んだのだ。

 聖教会は魔術を好まず、魔術を禁忌の力として遠ざけおり、当時は魔術教会は異端教とされていた。だがその異端の力により国が救われた事実が国民の魔術師への評価を大きく変えたのだ。

 魔術師が受け入れられるようになり、戦争が終わってから魔術は人々の生活をも変えた。生活を豊かにするのに大いに役立ち、自然と魔術を好まない聖協会を離れて魔術教会を信仰するものが増えた。

 それにより聖教会の力が薄れ、魔術教会は力をつけた。魔術師には黒目黒髪の者が多い。戦争から五年経った今、かつて“悪魔の末裔”の色とも言われたその色は、王国を救った“英雄”の色としてだいぶ受け入れられるようになっていた。


 黒目黒髪を持つルシオも、魔力量が他の者よりも断然多かった。故に時代がだいぶ変わった今、ルシオは昔のように拒絶されることはなく、多くの者から求められている。


「ルシオ様!先程のお姿とても素敵でした!」

「やっぱりルシオ様の魔術は素晴らしいですわ!」

「ねぇ、これからわたくしたちとお茶でも如何かしら?」


 魔力量が多く、おまけに顔も整っているルシオ。戦争が起こる前までは拒絶していたくせに、今は手のひらを返したように彼は歓迎されていた。

 良き()()()()として。


 エラという婚約者がいることは公になっているが、それでも寄り付く令嬢は多い。それはエラがルシオに対し、素っ気ない態度をとっているように見えるということも大きい。

 もしかしたら。あわよくば。そんな風に欲望に満ちた少女たちは、今日もルシオに秋波(しゅうは)を送る。


 困ったような顔をしながら底冷えするような冷たい目つきで令嬢たちを撒こうとする器用なルシオを、エラはちらりと見ただけで立ち止まることもなく歩き続ける。

 ちくりと刺すような胸の痛みから、目を逸らして。



 エラは人気のない学院裏のいつも場所に来ていた。

 暖かな日差しを遮る一本の木の前で座り、背を預ける。エラのお気に入りの休憩場所だ。

 貴族令嬢がハンカチも敷かず座りこむなどとはしたないと言われそうだが、エラにとってはどうでもいい。けれどそのことについて言われると面倒なので、わざわざ人気のないこの場所を選んでいるのだ。


 この学院は休憩時間が長い。貴族の令嬢は特に、花嫁修行をするくらいなのでそんなに習うこともないし、優雅たれと言われているので授業時間は短く、休憩時間が長いのだ。だからうたた寝をするには丁度いい。

 しばらくぼんやりと空を眺めていると、いつの間にか春の陽気に誘われ、眠くなってきたエラはゆっくりと目を閉じる。

 瞼を閉じても、何故か先程見たルシオと令嬢たちの姿が浮かび上がってくる。

 あの光景を見たのは一度や二度ではない。ここ数年、あれはよく見る光景だった。


 ルシオは令嬢たちを決して快く思っていない。それはあの令嬢たちを見る冷たい目を見てよく分かる。

 だけど、それでもちくりと胸の奥が痛むような気がして、エラは小さく溜息をついた。


 どうでもいいはず。そう、どうでもいいはずなのに。

 なのにこの棘は、どうしたって抜けやしないのだ。そしてチクチクと胸を刺す。


 ルシオはなるべくエラとの時間を作ろうと、いつも授業が終わればエラの元へ向かおうとしてくれている。

 男女で教室も授業も分かれているので、すぐには会えないからだ。だけどいつもルシオは自らを獲物のように狙う令嬢たちに捕まってしまう。令嬢たちが男子の教室から女子の教室までの通路を占領しているからだ。婚約者であるエラに会わせない為に。

 ルシオはエラに相応しくあろうとするので紳士的態度を崩さない。だからなかなか令嬢地獄から抜け出すことができないのだ。

 それを知っているけど、エラは決して助けはしない。この世界のことなど、どうでもいいはずだから。だからルシオのことだって…。


 なのに。

 エラはどうしても頭を掠める考えを認めたくなくて、瞼の裏に浮かび上がる光景を消すように、もう一度強く瞼を閉じた。



 うつらうつらと微睡んでいると、近くで足音が聞こえて重たい瞼を押し上げる。

 ルシオが令嬢たちを撒いて来たのだろうかと視線を上げれば、濡羽色の髪に黒い目をした見知らぬ青年がいた。


「…驚いた。昼寝をしに来たら妖精に出逢うなんて」


 なんてキザな台詞なのだろう。内心そう思うも口からその言葉が出ることはない。

 ルシオ以外の人間で初めて見たその郷愁の色から、目を離せなかったからだ。なんだか無性にルシオに会いたくなったが、気の所為だと見て見ぬ振りをする。


 あまりにじっと見つめていたからだろうか。見知らぬ青年はみるみる顔を林檎のように真っ赤に染めていく。


「あ、あの、俺そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど…」

「ご、ごめんなさい」


 そんなに食い入るように見つめてしまっていたのだろうか。恥ずかしくて少し俯く。


「驚いた。あんたそんな顔もするんだな」


 え、と思わず顔を上げれば、太陽のように眩しく青年は笑う。


「いつもあんた無表情でいるからさ、笑うことなんてないのかと思ってた」

「あの、失礼ですが…」


 相手の顔に見覚えはない。だけど相手はどうやら自分を知っている様子。

 どうすべきか逡巡していると、相手の方から声をかけてきた。


「悪い悪い。俺はモルスァ王国から留学しにきた、ジーク・クレオールだ」

「エラ・ユリハルシラと申します」


 留学生などいただろうかと思ったが、そういえば一ヶ月前にルシオから留学生が来たと聞いたような気がする。

 男子生徒とは話すこともそうそうにないし、特に興味もなかったのですっかり忘れていた。


 挨拶を終えるとジークはエラの隣にどかっと座りこむ。

 何故隣に座るのか。もっといい場所があるのではないか。

 エラがそう言おうとするより、相手の口が開く方が早かった。


「この色、そんなに好きな訳?」


 突然何を言われたのだろうと思ったが、なるほど。先程熱心に髪と目を見つめていたからと納得する。


「…ええ、好きよ」


 前世を、思い出させてくれるから。

 その言葉を飲み込んで聞かれたことに答えただけだと言うのに、ジークは顔を真っ赤に染めている。


「お、おぉ…そうか…」

「ええ」

「…俺に、惚れちゃったりして?」

「それはないわ」

「ばっさりだな!」


 ニカっと笑うその顔は、どこかエラと二人きりの時のルシオの笑顔に似ていて、エラは知らず微笑んでいた。


「…いや、これはまた。ずるいなぁ…」


 ジークは本気で困っていた。

 黒目黒髪が忌避されていた頃からそんな相手と婚約を結んでいたという少女が珍しく、正直どんな人物なのかと気になっていた。

 だから同じ忌むべき色を持つ男であるルシオ・サルメラを観察して機会を待っていれば、その日はあっさりとやってくる。休憩時間に婚約者であろう少女と話しているところにちょうど出会(でくわ)したのだ。

 その少女はとても美しく、妖精のような姿をしていた。ただ表情は乏しくまるで人形のようで、婚約者が他の令嬢に絡まれていても気にしている様子がないことから、政略結婚のために結ばれた縁なのだろうと思っていたのだが。


 ルシオ・サルメラの婚約者であるこの美しい少女は黒い目と髪が好きだと言う。

 愛おしげに忌避され続けていたはずの色を見つめるその真っ直ぐな瞳に嘘はなく、正直耐えられなかった。

 囚われる。本能でそう思った。

 婚約者がいると知りつつも、この少女が欲しいと本気で思ってしまう自分に戸惑う。


「何かしら?」

「え、いや、何でも」

「そう。もうじき授業が始まるかしら。私はもう行くわ」


 ゆっくりと立ち上がり、土を払ってジークに礼をしてその場を去ろうとすると、ジークに手首を握られた。布に覆われていない素肌の部分から伝わるのは、ルシオよりも高い手の温度。


「ユリハルシラ嬢、また会えますか?」

「…そうね。気が向いたら、ここにいると思うわ」

「そうか!それではまた会おう!」

「ええ、機会があれば」


 いつものエラであれば、断っていただろう。

 でも断るのを惜しいと感じてしまったのは、最近会う度に胸が締め詰められる婚約者の髪と目を、あまり見られなくなってしまっていたからなのかもしれない。

 年数が経つに連れてエラは前世の記憶が薄らいでいくのを感じていた。黒い目と髪を見ても思い出すのは前世じゃなくて、愛おしそうにこちらを見て笑うルシオのことばかり。

 それをもしかしたら、阻止したかったからなのかもしれない。


 エラの手首を握っていたことに気付いたジークは、慌ててその手を離す。


「あ、すまない!」

「いえ…それでは」


 ぱっと離された手。手首にまだ体温の高い手の感触が残っている。

 ルシオ以外の男の人に素肌を触られたのは、家族を除けば初めてだ。


 なんとなく気恥ずかしくなり、脇目もふらずに教室を目指していたエラは気付かなかった。

 自分の婚約者が建物の陰に潜み、ジークとエラの会話を聞いていたことに。二人をじっと見ていたことに。


 その瞳に、仄暗い闇が激しく燃え上がっていたことに。



 ◇◇◇



 本日は学院が休み。学院が休みのその日はルシオとのお茶会の日だ。

 初めて出会ったガゼボでお茶をするのは、学院に入ってからもルシオから頼み込まれてずっと変わらない。

 ルシオに言われていつも先にお茶をしているも、ずっと変わらない。


 紅茶を飲んでいると、いつものようにルシオがやってきた。


「やぁ、エラ。学院ではなかなか会えなくて寂しかったよ。今日もエラは匂い立つような美しさだね。まるで妖精のようだ。…会いたかったよ」

「そう」


 ルシオは学院に入ってから、少し変わった。

 歯の浮くような台詞を平然と言ってのけるようになったのだ。貴族の男は女性を息をするように口説かなくてはならないらしい。日本人にはあまりいなかったが、海外ではそういう国もあったのでここにもそう言う文化が根付いているのだろうと淡々と受け入れている。

 でもそう考えると、今週出会ったあのジークという青年はこの国の貴族男子よりも少し気安い気がした。まるで前世の日本で、友達の男の子と話しているような感覚。


「…何、考えてるの?」


 ぴしゃり、と思考が止まる。

 かつて自分に向けられたことのない低く暗い声にエラは戸惑う。今のはルシオの声だろうかと目を合わせれば、黒い瞳はいつもより昏く陰が差している気がした。


 ルシオがおかしい。いつもと何かが違う。

 そう思うも、違和感の正体がわからない。


「別に、なにも」

「ふーん」


 何かを見極めるような粘り気のある視線。こちらを真っ直ぐに見つめる昏い瞳。

 その目は仄暗く、かつて出会ったばかりの頃のルシオを思い出させ、エラの本能が警鐘を鳴らしていた。


「…ルシオ?」


 そう呼べばルシオはいつものように甘く微笑むのに、どこかヒヤリとするような心地がする。


「ねぇ、エラ。前に聞いたことがあったよね。黒い目と髪ならそばに置くのは僕じゃなくてもいいの、って」


 背中に冷たい汗が流れるのを感じながら考える。

 婚約して何年か経った頃…あれは戦争が終わり、忌み色を持つものとの婚約がエラとルシオの婚約当時よりも受け入れられ始めていた頃だろうか。

 確かに、そんなことを聞かれた気がした。


「ええ…」


 何故今、そんなことを聞くのだろうか。


「エラはさ…今も黒い目と髪を持つ男なら、僕じゃなくてもいいの?」


 黒い目はギラギラと、狂気に塗れた色をしている。

 ルシオの変化に戸惑うが、そういえば一ヶ月近く前からどこか様子がおかしかったのを思い出す。

 そしてはたと思い至る。


 一ヶ月前といえば…()()()が来たはずだ。

 数日前に言葉を交わしたあの、()()()()()を持つ青年が。


「もしかして…クレオール様のことを言っているの?」

「へぇ…名前、知ってるんだ。ねぇ…どこで会ったのか聞いても?」


 こちらに問いかけている様なスタンスだが、きっとルシオは()()()()()

 あの日、エラとジークが会話をしていたのを聞いていたのだ。


「学院裏の、いつもお昼寝をしているところよ」

「そっかぁ。…ねぇ、エラ。あいつと話すのは楽しかった?」

「……」

「ごめんね。実は僕、エラとあいつが話しているところを見てしまったんだ。いつもは表情を変えないエラがコロコロと表情を変えていたものだから…嫉妬しちゃったよ」


 困ったように笑っているが、視線が底冷えしたように冷たい。

 嫉妬…そんな言葉では表現しようのない狂気が黒い瞳の中に渦巻いていて、エラは呼吸も忘れて漆黒の双眸を見つめる。


「エラ、もう一度聞くよ。黒い目と髪を持つ男なら、僕じゃなくてもいいの?」


 久しぶりに見た婚約者の黒い瞳は狂気を孕ませながらも、どこか愛情に飢えた小さな子供のように思えてならない。


 エラは思う。チクチクと胸を刺す棘や、目を逸らし続けた胸の中に淡く広がる想い。前世に囚われて未だ前に進むことのできない自分。ジークと出会った時に無性にルシオに会いたくなった、あの気持ちの正体。

 それらを全て、ルシオに伝えるべきなのか。

 そして伝えたときに、果たしてルシオは全てを受け入れてくれるのだろうか。


 言葉よりも余程雄弁に重苦しい愛を語る黒い瞳。

 その瞳を見て、エラは遂に決めた。


「私は…」

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