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第二話

『わたしは悪魔の末裔と婚約なんて、絶対に嫌よ!』


 そう言ったのは、婚約の顔合わせをした三人目の少女だった。

 黒目黒髪を持つ者はここタハティ王国では悪魔の末裔だと言われている。聖協会が信仰するカルニフェクス教の教えだ。黒い目に黒い髪を持つものは魔力が多い。魔術を嫌うカルニフェクス教では魔力は人成らざる禁忌の力として忌まれており、魔力を持つ者を恐れた。だから悪魔の末裔だと、そう教えているのだろう。

 父が不快な顔をしてそう言っていたのをルシオは覚えている。


 だから、自分は家族以外の者に受け入れてもらえないのだろうか。

 色褪せてしまった世界を光の灯らない黒い瞳に写しながら、ルシオは思う。


 婚約者になるかもしれないと出会わされた一人目の少女は、公爵家の綺麗な女の子だった。

 ルシオはこんなに綺麗な子が自分の婚約者になるのかもしれないと心躍らせたが、すぐにそんな気持ちはなくしてしまう。

 何故ならその少女は表面上は何でもないような顔をして挨拶をしていたが、自分が声をかけると少し顔が引き攣っていたからだ。

 その後特に彼女と婚約することはなかったので、きっと少女には自分がお気に召さなかったのだろうと、ルシオは少し傷付きながら思った。


 二人目は侯爵家の可愛い女の子。守ってあげたくなるようなその子と今度こそ婚約できるかもしれないと思ったが、そんな思いもすぐに潰えてしまった。

 ルシオを見た瞬間、一瞬だが凄く嫌そうな顔をしていたからだ。一人目の少女よりもあからさまな拒絶。ルシオは心を踏み躙られたみたいに苦しくなった。

 結局その子とも婚約をすることはなかった。


 そして三人目。伯爵家の少女は泣きながら己の本心を、拒絶の言葉をルシオに真正面から投げつけた。

 その後のことはあまり覚えていないが、父が何やら怒っていたような気がする。

 その子とも、やはり婚約することはなかった。


 黒い目と髪を持つ者が嫌われていることは知っていた。

 だけど自分を愛してくれる家族とずっと暮らしていたルシオは、外の世界の残酷さを知らなかった。

 婚約を拒絶されたあの日から数日後、夜中に目が覚めてお手洗いに向かっていたルシオは廊下の途中で足を止める。


『またルシオ様、婚約予定だったご令嬢とうまくいかなかったみたいよ』

『そうなのね。でもしょうがないわよ。あの色がやっぱりね…』


 いつも良くしてくれていたメイドたちの声。同情に満ちたその声を聞き、ルシオはメイドたちに見つからない様に静かに走り去った。床に数滴の涙を残して。



 それからずっとルシオは塞ぎ込んでいた。

 家族はもちろんのこと、使用人たちも心配していた。塞ぎ込むのも無理はない。何せ婚約予定だった令嬢から立て続けに拒絶されたのだから。


 ルシオは閉じこもった自分の部屋の鏡の前で、己の黒い目と髪を見る。

 こんな目、抉り出してしまいたい。

 こんな髪、毟り取ってしまいたい。

 でも()()()()()()()()()()でも、あんなにも愛してくれる家族がいる。

 自分を傷付けるようなことをすれば、両親は自分たちを責めるだろう。そう思うと何もできなくて、ルシオは苦しくて苦しくて、ただひたすら鏡の前で泣きじゃくった。


(自分を受け入れてくれないこんな世界、大っ嫌いだ!)


 衝動のままに本棚に並べられていた本を投げつけ、机の上のものを床に叩き落とす。音を聞きつけた使用人に羽交い締めにされて両親が駆けつけた頃には、ルシオは泣き崩れていた。

 両親の体温に包まれても、どうしたって穏やかになどなれない。あるのは自分を受け入れてくれない世界への憎しみ。

 泣き止んだルシオの目に映るのは、色を失った味気ない世界だった。



 ◇◇◇



 あれから数年。婚約の話はずっとなかったが、ある日突然父が会って欲しい少女がいると告げた。

 また拒絶される。そう思って暴れて嫌がったが、父が「どうしても会ってほしい。きっとあの子なら大丈夫だから」とあまりに強く推してくるものだから、会って欲しいと最初に父に言われてから一週間が経った頃、流石のルシオも折れてそれを受け入れた。


 約束の少女に会うために馬車に揺られながら抱くのは、一縷の希望と大きな絶望。

 こんな人間を好いてくれる者などいない。きっと自分はまた拒絶される。でもあれだけ父が言うのだからもしかしたら…。

 愚かにも希望を捨てきれずにいる自分に苛立った。

 どうぜ自分など受け入れられることはない。それは今までの経験上、身に染みるほどよく知っている。



 そんな風に思っていたから、その少女が愛おしそうに自分の忌まれるべき黒い髪に触れたことに、とてつもない衝撃を受けた。

 そこに拒絶など存在しない。涙を一筋流す少女は、まるでずっと会えなかった愛しい人に出会ったかのような顔でルシオの髪を撫でる。ルシオは少女から目が離せなかった。

 少女の父が少女に声をかけると、ハッとした様子であの聖母のような表情を(ひそ)め、途端に感情を失ったかのように無表情になり、平坦な声で挨拶をした。


 あれは見間違いだったのだろうか。

 そんな風に思ったが、すぐに次の言葉で掻き消される。


「その、あまりにも綺麗な色で気付けば手を伸ばしてしまっておりました」


 綺麗な色。エラと名乗った少女は間違いなくそう言った。


(この色のせいで拒絶されていたのに、その色が綺麗だって…?)


 表情を消してしまった少女の本心が見えない。

 公爵家の少女のように表面上取り繕って世辞を言っているだけなのではないだろうか。そんな風に思うのに、思わずと言った様子であの手が髪に触れた感触を思い出し、胸をざわめかせる。


 もしかしたら、もしかしたら彼女なら僕を受け入れてくれるのではないだろうか。

 そんな希望を一瞬でも抱いてしまった。だからこそ自分と婚約することになってもいいのかと躊躇しながらも少女に問えば、薔薇が綺麗に咲き誇る中庭のガゼボで、少女は淡々と残酷な言葉をルシオに告げた。


「構いません。父が決めたお相手ならば、私はそれを受け入れるまでです」


 ルシオが忌むべき色を纏っていたとしても関係ない。決められたならばそれを受け入れる。

 決してルシオ自身を受け入れた入れたわけではないのだと、そう言われたような気がした。


 拒絶されるよりはいいのかもしれない。

 でも拒絶されるよりも、もっと苦しい。あんなにさっき、愛おしそうにこの髪に触れてくれていたのに。

 そんな風に言うなら、最初から希望を抱かせるようなことなどしないでほしかった。

 黒い感情で心が塗りつぶされそうになっていると、ぽつりと、少女は言葉を零す。


「でも…濡羽色のそばにいるのは、悪くない」


 それはきっと思わず溢れた本心なのだろう。先程の平坦な声とは違い、柔らかな感情を声に乗せていた。


 悪くない。そう思ってくれている。

 それだけで、世界が鮮やかに色付いていくようだった。


 淡い黄金の髪、真夏の木々の葉のように深い緑の瞳、白魚のように白い肌、薔薇のように色付く頬や唇。

 儚げで今にも消えてしまいそうな雰囲気のその少女は、まるで御伽噺の妖精の女王のようだった。

 こんなにも綺麗な少女だったのかと、ルシオはその時初めて気付く。


 胸は高鳴り、体温が上がるのを止められない。

 抱きしめたい。離れたくない。愛おしい。ずっとそばにいてほしい。

 初めて抱いたそのあまりに激しい感情がなんなのか、その時のルシオには分からなかった。



 ◇◇◇



 ルシオはエラと婚約してからというもの、ユリハルシラ邸へと通いつめていた。自分の両親にもエラの両親にも笑われてしまうくらいには、エラと過ごす時間を確保することに余念がない。勉強があるので週に三回しか行けていないが、それでもルシオは幸せだった。


 エラはルシオに対してとても素っ気ない。でもそれがルシオに対してだけではないことを、ルシオはよく知っている。だからどんなに素気なくされても平気だった。それが彼女の普通の対応で、自分を拒絶しているわけではないから。

 ルシオは自分の髪にエラが触れた時のことが忘れられず、何回目かの交流の時に自分の髪に触れてほしいとエラに頼んだ。

 いつも無表情なはずのエラもその時ばかりは不可解な顔をしていたが、小さく溜息を溢しながらもルシオを願いを聞き入れて髪に触れてくれた。


 エラがこの忌まわしい黒に自ら触れている。あくまで不可解な顔をしたのは髪を撫でてほしいという願いに対してであって、嫌悪からではない。

 それがとてつもなく嬉しくて、あまりに幸せで、ルシオは心が満たされたのを感じた。


 撫でるように髪を梳くエラ。その手は温かく、母の手によく似ている。

 しばらくすると段々と普段の無表情が崩れ、少しだけ口角を上げて愛おしそうに自分を見つめる翠玉の目と視線が交わると、最初に会ったあの時のようにエラは微笑んだ。


 それだけで、どうしようもないほど胸が高鳴った。

 身体全体が熱を持ち、溢れる気持ちを持て余す。


『また、こんな風に撫でてもらってもいい?』


 思わず欲望のままにそう願えば、僅かに呆れたような顔をしてエラは小さく首を縦に振る。

 あまりに幸せ過ぎてエラを腕の中に閉じ込めたくなったが、嫌われるのが怖くてルシオは抱きしめることができなかった。

 拒絶されるのは怖い。それは今までの経験からくるものも大きかったが、何よりもエラを失うことが怖かったからだ。

 嫌がることをしたら、エラはこんな拒絶されてばかりの無価値な人間の元なんて、きっとあっさり離れていってしまうだろう。何にも執着する様子のないエラの様子から、そのことがありありと想像できた。だから怖かったのだ。

 エラはきっと、いらないと思ったらルシオなんてすぐに捨ててしまうだろう。

 だからルシオはエラにとって少しでも価値ある人間にならなければならない。エラに捨てられないように今まで以上に勉強に励み、将来侯爵家を立派に継いでエラになんの不自由もさせない人間にならなくては。

 その為なら毎日会いたいはずのエラとの逢瀬だって、週三回まで減らすことができた。


 ルシオはエラとの逢瀬の中で、徐々にエラとの距離を詰めていった。

 どこまでなら許してくれるのか。僕を受け入れてくれるのか。それを恐る恐る、長い時間をかけて試し続けた。

 一度は憎く思った黒い髪を撫でられると、受け入れてもらっているようで嬉しい。

 エラの膝に頭を乗せると、彼女の体温を頬に感じられて生きている実感が湧き、手を繋げば温もりを感じられた。手を繋ぐのは少しだけ嫌そうだけど、それは暑い夏だけで、夏じゃなければすんなりと受け入れてくれる。そして少しだけ、握り返してくれる。

 それがとても嬉しくて、でもとても怖くもなった。


 エラと月日を過ごしていく中で、エラという少女を知れば知るほど怖くなる。

 彼女がとても無気力で、()()()()()()()()()()()だから。

 エラはルシオといても、いつもなんだかぼんやりとしている。そしてルシオを見ながらも時折ここじゃないどこか遠くを見ていて。


 ルシオが頻繁にエラに会いにくるのは、大好きなエラから離れたくないというのも勿論ある。

 でもそれ以上に彼女がいつか忽然と消えてしまいそうなほど儚げで、不安で、エラがこの世界にまだいることを確認したいからだ。

 きっとエラの体温を感じたいのも、腕の中に閉じ込めてしまいたいのも、いなくなってしまうのが怖いから。


 ルシオはエラがいないともう、生きられない。

 優しく自分の髪に触れるその手が。

 平坦な声で自分の名を呼ぶその声が。

 時折無意識に、愛おしげに黒い瞳を見つめるその目が。

 どれか一つでも失われてしまったら、きっと自分は戻れないほど深い闇の中に沈んでしまうから。



 そんなことを思うようになった頃。忘れもしない十四歳の冬。

 冬は寒いからと暖炉の前で二人でのんびり読書をするのが当たり前になっていた。ルシオはこの穏やかな時間が好きだ。幸せの象徴のようで、とても愛おしい日々。

 その日もいつものように読書をしていたのだが、エラがいつの間にか眠ってしまっていた。それに気付いたルシオがいつものようにエラの寝顔を眺めていたのだが、その日は少しだけ何かが違っていた。エラは特段何も変わらない。違ったのは、ルシオの気持ちだけ。

 何故だかその日はエラのゆっくりと上下する胸が、息を吐き出す唇が妙に艶めかしく感じられて。


 その体に触れたいと、そう思った。


 触れて欲しい、抱きしめたい。そんな風に思ったことは多々あったが、それはあくまで今抱いている劣情とは違う純粋な感情からで。

 今までと違うドロリとしたこの想いは甘い毒みたいだと、そう思った。

 その時、ルシオは自分がこの愛おしい妖精の様な少女に恋をしているのだと自覚する。自覚して、ルシオは恐ろしいことに気が付いた。

 エラはとても美しい。彼女を好きにならない男なんて、きっといないだろう。惚れた欲目を差し引いてもそう思わせる美しさがエラにはある。


(エラに愛を囁く男を想像しただけで、嫉妬でおかしくなりそうだ)


 だけどエラが誰にも執着しない、興味がない様子なのを思い出したルシオは少し冷静になる。

 しかしぽつりと、黒いインクを垂らしたかのように広がる考えは。


(もし、僕以外の黒い目と髪を持つ男にエラが出会ったら…?)


 そしたらエラは、ルシオを捨てるかもしれない。

 そう思ったら怖くて、エラの気持ちを確かめたくて、ルシオは一度思い切ってエラに聞いてみた。


『エラは黒い目で黒い髪だったら、そばに置くのは僕じゃなくてもいいの?』


 その時エラは平坦な声で、淡々と答えた。


『…ええ、そうね。別に黒目黒髪に限らず、父がそう決めたなら』


 その時のルシオの絶望は計り知れなかった。

 分かっていた。エラは執着しない。

 だけど欲していた答えは得られず、ただただ仄暗い感情が胸の内を蝕むように広がってゆく。


 今ではルシオは黒い目と髪を持っていて心底良かったと思っている。一般的に美しいとされる金髪や碧眼では、彼女は興味を示さずその翠玉に自分を映しもしなかっただろうから。エラの瞳に映ることができるから、一時は憎んだその色が今は好きだ。


 でも、もし自分と同じ黒い髪と目を持った男が現れ、あの愛おしげな目が他に向けられるとしたら。


 それだけは、どうしても許せなかった。

 エラからあの視線を向けられるのは、あの体温を知るのは、あの温もりを知るのは自分だけでいい。そんな独占欲が湧き上がる。

 エラの隣に自分以外の男がいて、愛を囁いて、劣情を向けることなど許せはしない。


 昏い瞳に灯った焔は、静かに青く揺らめく。

 皆が拒絶する中、自分を受け入れてくれた愛しい人。

 エラのこの声も、髪も、体も、視線も、全てルシオのものだ。


 ルシオはエラを絶対に手放すことなどしないし、誰にも渡しはしない。

 たとえ彼女が、それを望まなくとも。




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