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29 : 見通しの悪い恋 - 06 -


「……!?」


 オリアナは目を白黒させて、ヴィンセントを見た。ヴィンセントの胸元にあるオリアナの顔が、どんどんと赤くなっていく。


「ななな、なななな」

「悠長にしていたら、医務室が閉まる」


「そん、ななん、ななな」


 オリアナは両手を突っぱねて、ヴィンセントの胸を押した。予想していなかったオリアナの動きに、さすがにヴィンセントもバランスを崩す。

 その隙を逃さず、オリアナは地面に降り立った。しかしそのまま、膝が崩れ落ちるようにへたり込む。慌ててヴィンセントが支えなければ、ソファやテーブルに顔を打ち付けていただろう。


「危ないっ……何をしてるんだ」


「だって、だって」


「だっても何も無い。歩けないんだろう?」


 いつもは自分から抱きついてくるくせに、何を言っているんだ。呆れたヴィンセントがもう一度抱き上げ、ローブを掛ける。オリアナは汗だくの自分の顔を、両手で覆った。


「嘘。無理、本当に無理。お願い、そうだ。ミゲル、ミゲルを呼んできて……!」


「……は?」


 震えながら切望するオリアナに、ヴィンセントは低い声を出してしまった。しかしそんなことも気にならないようで、オリアナはヴィンセントの腕の中で、なんとか丸まろうとする。


「ここで待ってる。ミゲルを呼んできてくれれば、ちゃんとだっこされて行くから」


「……」


「お願い無理、ほんとに、無理」


 ヴィンセントは無言で歩き始めた。振動からわかったのだろう。オリアナがついに泣き始めた。


「無理って、無理って言ったのに」

「僕は無理じゃない」


(何が嬉しくて、好きな女を他の男に任せなければいけないんだ)


 苛々したまま、ヴィンセントは大股で歩いた。バランスを保ったまま、小さな談話室のドアをなんとか開け、廊下に出る。


「うっ、うっ、やだ、やだよう 無理」


 ヴィンセントの胸に顔を埋めながら言うオリアナに、額に青筋を浮かべつつ言った。


「抱きにくいから、手を回してくれないか」

「無理……無理……」


 いつまでもヴィンセントを受け入れないオリアナにじれ、ヴィンセントは立ち止まった。


 片方の足を上げ、オリアナを落とさないとうに気をつけながら、彼女の手首を握る。びっくりするほど熱く、力が入っていない彼女の腕を、ヴィンセントは引っ張った。手のひらで隠されていたオリアナの顔がまろびでる。


 オリアナの表情を見て、ヴィンセントは息を呑む。


 熱のせいだけとは思えない真っ赤な顔で、オリアナがヴィンセントを見上げている。

 瞳は潤み、眉は下がりきっていて、唇は吸い付きたくなるほど甘そうだった。


「む、無理、だから、無理っていったのに」


 ポロポロポロと、また涙がこぼれる。


「け、化粧も落ちちゃって、絶対ファンデ浮いてるし、絶対パンダだし、こんな髪で、やだ、やだよう」


「……君は、いつだって可愛い」


「嘘だー! ずっと言ってほしかったのに、こんな場面で言うわけ無い! 絶対慰めだもん、わかってるもん、やだ、うう、やだー」


「やだやだ言わないでくれ……」


 どう慰めていいかわからず、途方に暮れた声が出た。あまりにも可愛い姿に、苛立ちなんて、とっくに消え去っていた。


「わかった。なるべく顔は見ない。だから、腕は回せるな。な?」

「ううう……」


 オリアナがうめき声を上げながら、ヴィンセントの首に手を回す。ヴィンセントは、宝物を抱くほど慎重に抱えなおすと、ゆっくりと歩き出した。


 ヴィンセントの首元に顔を寄せたオリアナが、熱い吐息を漏らす。オリアナの髪や息が触れる感覚に、鳥肌がおさまらない。


「うっ、うう、ミゲル……」


(ああ、だから)


 頼むからもう、他の男の名前を呼ばないでくれ。




***




 医務室のベッドで横になっているオリアナを、ヴィンセントは椅子に座って見ていた。校医のサイラス先生は、オリアナを医務室に宿泊させるための手配に出ているので、ヴィンセントが留守番を頼まれていた。


 医務室につく前に、オリアナはヴィンセントの腕の中で眠りについた。眠ったオリアナを抱えてきたヴィンセントにサイラス先生は驚いていたが、彼女の症状を見るとすぐにベッドを用意してくれた。


 ただの風邪とのことだった。心身が疲弊していたのだろうと続いた診断に、ヴィンセントは心を痛めた。自分との軋轢が、彼女にどれほどのストレスを与えていたのかを知る。


 眠っているのに、オリアナの呼吸は荒かった。額に浮かぶ汗を、せっせと濡れた布巾で拭き取る。


 耳の裏の汗をとっている時、手首を掴まれた。声が出るかと思うほどに驚いた。ふとオリアナの顔を見ると、真っ赤な顔がこちらを見つめていた。


 息は荒く、寄せられた眉根は苦しそうだった。

 それなのに、オリアナは世界一幸せだというかのような顔で笑った。


「……ヴィンス」


 息が止まる。体が硬直していた。


「ヴィンスッ……」


 オリアナが起き上がろうとする。ヴィンセントは慌てて肩を押して、ベッドに留めた。髪が無造作に枕の上に広がる。押し倒している格好も手伝い、酷く扇情的に映った。


「やっと会えた。ずっと……会いたくて……」


 握っていたヴィンセントの手首を動かし、オリアナは自分の口元に持って行った。ヴィンスの気配を、少しでも多く吸い込もうとするかのように。


 ヴィンセントの心は乱れていた。

 先ほどお互いに本音をぶつけ合って話したことが、無駄だったとは思いたくない。


 だが、どれほどヴィンセントが願っても、言葉を尽くして伝えても、きっとオリアナがヴィンスを求めない日は来ないことを、明確に突きつけられた。


 自分の気持ちに折り合いがつけられず、ヴィンセントはされるがままだった。オリアナがしたいようにすればいいと、半ば投げやりな気持ちで手を差し出していた。


 手にかかる息の熱さ。濡れた唇の感触。話す度に触れる歯。その全てを味わいたく無かった。


 苦々しい思いで我慢をしていると、オリアナの口からぽつりと言葉がこぼれた。


「ヴィンス――ごめんね」


 オリアナの肺が、布団越しでもわかるほど、大きく上下している。


「ごめんね、助けてあげられなくて」


 オリアナの声は掠れ、震えていた。

 荒い呼吸が、言葉の隅々に挟まれる。


「もっと早く……私が、私が行っていたら。ヴィンス……ヴィンス……」


 我慢ならなかった。悲痛な胸の内に、ヴィンセントの胸が締め付けられる。


(それは僕では無い)


 けれど――


「オリアナ」


 初めて呼んだ彼女の名前は、何故か驚くほど、自分の声にしっくりときた。


「何も心配はいらない。僕はここにいる」


「ヴィンス……」


「そうだ」


 ヴィンセントは握られていない方の手で、オリアナの髪を撫でた。一つの恐怖も不安も感じさせないほど、優しく甘い声を出す。


「大丈夫。しー……ほら、おやすみ」


「ヴィンス……ヴィンス……」


「ああ……」


 ああ、ともう一度呟いた。


 オリアナに握られている手に力を込める。


(あの時、僕はこう言ってあげなければいけなかったんだ……)


 自分の不甲斐なさに、吐き気がしそうだった。




「僕が死んだのは、君のせいじゃない」




 ヴィンセントは、できる限り優しくオリアナの髪や頬を撫でた。


「君に使命なんてない。記憶を持ったままもう一度巻き戻ったとしても、そのために、君がしなきゃいけないことなんて、何も無いんだ。君はただ、幸せになっていい――幸せになってほしい、オリアナ」



(この言葉を言えるのは、僕だけだったのに)



 涙を流しながらオリアナがゆっくりと笑い、目を閉じる。


 しばらく待っても、その目は開かなかった。呼吸はまだ荒いが、眠れているのだろう。





 息をついた。とても長く、重い息だった。

 

 ヴィンセントは、サイラス先生が戻ってくるまで、オリアナの髪を撫で続けた。


 オリアナがただ穏やかに眠れることだけを、祈っていた。






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死に戻りの魔法学校生活を、元恋人とプロローグから (※ただし好感度はゼロ)
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