25 : 見通しの悪い恋 - 02 -
「――リアナ、オリアナッ」
ぱちり、と目を開くと、目の前に砂漠の星が輝いていた。
二段ベッドの上下に分かれて眠っているはずのルームメイトが、何故かオリアナの顔を覗き混んでいる。
「……どうしたの?」
起きたばかりのオリアナの声は掠れていて、少し舌がもつれた。
「どうしたのもこうしたのも、貴方。いつもならもう用意を終えている時間よ」
「えっ嘘っ――?!」
「嘘であるものですか。柔軟をしている間も散々声をかけたのよ?」
サーッと顔から血の気がひいた。オリアナは慌ててベッドから飛び降りると、大急ぎで顔を洗い、服を着替える。
「寝坊なんて珍しいわね。昨日、眠れなかったの?」
「うううん、そんなところ」
昨日どころか、ここ最近――ヴィンセントと喧嘩をしてから――ろくに眠れていなかった。目を閉じれば、嫌なことばかり思い出して、頭が全く休もうとしてくれない。
ヤナはオリアナよりも早く寝るため、オリアナが上手く寝付けずにベッドの上をゴロゴロとしていることに、気付いていなかったようだ。
壁にかけてある、鏡を覗いた。そして愕然とする。
「駄目だ。くまが凄い……これカバーしようと思ったら、ちょっと時間かかるわ」
オリアナは陶器の蓋を開け、太い筆をくるくると回し、微細な粉を筆に纏わせた。オリアナの肌の色に合わせて作られたファンデーションだ。
「ヤナ、先に行ってて。私今日、朝食べない」
「美しさを追求するのは私も賛成だけど、朝ご飯を食べないことも、結果的に美を損なうわよ?」
「うっ、後々の自分も綺麗にしてあげたいけど、ひとまず今の自分を先に整えることにするっ……!」
ヤナは「それじゃあ、先に行ってるわよ」と言って肩をすくめた。ヤナのこういう自立した部分が楽で、好きだ。
鏡を見ながら、ファンデーションを顔に載せる。真珠の粉末が含まれるファンデーションは、光を反射しキラキラと輝く。目の外側から下まぶたに重ねて載せると、くまがほんの少しましになった気がする。
オリアナは、ほんのちょっとだけ同年代よりもメイクを自然にこなせる。二度目の人生の、ひょんな恩恵である。
一度失敗をしているおかげで、眉毛を豪快に剃りすぎることも、紅をがたがたに引くことも無かった。
元々、商家の娘として最先端の化粧品に触れ慣れていたオリアナは、二度目の入学の際、しっかりと化粧道具を持参していた。
一度化粧した自分に慣れてしまうと、化粧をしないと不安になる。それに、やっぱり化粧をした方が可愛くなる。ヴィンセントと会うのだから、一番可愛い自分で会いたいのは当然だ。
化粧に慣れたオリアナに、助言を求めにくる女生徒もそこそこにいるほど、オリアナはメイクに手慣れていた。
なのに今日は、化粧ののりが悪い。それに少し、ファンデーションが浮いている気がした。
「あれ、付けすぎたかな?」
そんなを失敗を久しくしていなかったため、オリアナは驚きながら鏡を覗いた。やはりいつもと違うが、直している時間は無い。
(ヴィンセントの前では……たとえ彼に見られてなくても、世界一可愛い私でいなきゃ)
***
「ねえ。これ、エルシャさんのじゃなかった?」
なんとか授業を終えた放課後。廊下で呼び止められたオリアナは、デリクから手渡された資料を見て慌てた。
「わっ、ごめん私のだ。わざわざこんなところまで探しに来てくれたの? ごめん……ありがとう」
先ほど授業していた教室とは真反対の場所まで移動していたオリアナは、追いかけてきてくれたデリクに礼を言う。
「明日期限のレポートに使うやつかなと思って」
「そうなの。今からちょうどしようと思ってて」
「自習室? 僕も行っていい?」
「うん。もちろん」
資料も無しに自習室に行っても、レポートに取りかかることさえ出来なかっただろう。何をやっているんだと、自分に呆れる。
(なんだか今日は、ミスばっかりだなぁ)
沈む気持ちに引きずられ、心なしか体まで重くなっていく。デリクと、他愛ない会話をしながら足を動かす。
階段を上っていると、上の階の廊下にミゲルとヴィンセントが見えた。あっ、と思う間も無く、オリアナは目を見開いた。
前の廊下を横切ろうとしたヴィンセントの腕には、シャロンがくっついていた。
(やばい、やばいやばいやばい)
一体全体、どうしてしまったんだ。体が一ミリも動かなくなってしまった。
「エルシャさん?」
後ろから階段を上っていたデリクが、突然立ち止まったオリアナを不思議そうに見上げ、廊下を見て「あちゃあ……」と小さく呟いた。
デリクがオリアナを呼ぶ声が聞こえたのか、ヴィンセントがこちらを向いた。
彼の表情を見る前に、オリアナはぐるーーんとその場でターンした。
青ざめた顔で口をパクパクしているオリアナを見て、デリクは覚悟を決めた顔をした。
「――仕方無い。毒を食らわば皿まで、だ」
何が毒で何が皿なのかはわからなかったが、デリクはオリアナの手を取ると「走って」と耳元で言い、今上ったばかりの階段を駆け下りた。オリアナは動かない頭のまま、デリクに手を握られ、ついていく。
(――やばい、だって)
階段をこけないように下りながら、オリアナは目頭が熱くなるのを感じていた。
(やばい、やばいやばい、やばい)
カクン、と体が浮いたような感覚がした。いつの間にか、階段を下り終えていたようだ。バランスを崩したオリアナの体を支えるようにデリクが腕を伸ばして、心配そうに覗き込む。
「エルシャさん、大丈夫?」
大丈夫な、わけがなかった。
けれどオリアナは、息切れしながらも、にこりと笑う。
「うん、大丈夫。ありがとう。ごめんちょっと、びっくりしちゃって」
痛ましそうなものをみるような顔を一瞬浮かべたデリクは、小さく頭を振ると、オリアナに尋ねた。
「どうする? 違う自習室を探す? それとも……」
「少し、一人になりたいかな」
「わかった。お節介かもだけど、荷物は? エルシャさんさえよければ、僕が女子寮に届けておくよ。マハティーンさんに渡せばいいよね?」
「うん。ごめんね。お願いできる? ありがとう!」
できるだけ明るく言って、オリアナは荷物を預けた。持っていても、どうせレポートなんか出来ないと、デリクにもバレバレだったのだろう。
「それとさっきは、手を繋いじゃったりして、ごめんね。驚いただろうけど、こけると危ないと思って」
「ううん。とっても助かった! じゃあ、行くね」
デリクから見えない位置まで歩くと、オリアナは走った。足がもつれてこけても、また起き上がって走った。
(あれは、泣く)
ローブについた土を払い落としもせずに、また走った。
なんだかんだ言いながら、オリアナは結局のところ、自分が一番、女子の中でヴィンセントに近いと思っていた。
隣に立つのも、はしゃぐのも、体を触るのも、自分だけが許されていると思っていた。
(だってなんだかんだで、この四年間、ヴィンセントはずっと許してくれていた。心から拒絶されたのは――この間が、初めてだった)
『――好きだのなんだの、もう、聞きたくないんだ』
あれがヴィンセントの心からの拒絶だとわかったからこそ、オリアナは引き下がった。
そして、シャロンは隣に居続けている。
今日は、ぺったりと寄り添っていた。
(あああ、駄目だ駄目だ駄目だ。考えるな!)
無我夢中でオリアナは走った。
向かう先は、一つしか無かった。








