176 : 人生最良の一夜 - 02 -
突然、横になっているオリアナに、ヴィンセントが覆い被さった。「ひぇっ」と息を呑む。
(な、何、なんで、近い、ヴィンセントが、上に)
心臓をバクバクと鳴らして至近距離にあるヴィンセントの胸を見ていると、パッと視界が明るくなった。
オリアナの枕元に置いてある魔法灯を、ヴィンセントが手に握る杖でつけたのだ。
「つけさせてもらった。表情が見えない中で話すのは難しい」
「あ、そっか、うん、うん」
魔法灯の灯りをつけると、すぐにヴィンセントはオリアナの上から退いた。自分のローブの中に、杖をしまい込む。
「顔が赤い。そんなに熱が高いのか」
「高い。めちゃくちゃに。活火山並の高温」
何のせいで顔が赤くなったか悟られたくなくて、オリアナは勢いよく肯定した。
ヴィンセントは同情の色を浮かべ、オリアナの額に手を当てる。ひんやりとしたヴィンセントの手が気持ちよくて、目を細めた。
「……来るべきじゃ無かったな」
「信じられない。そんなこと、冗談でも言わないで」
ヴィンセントの手首を握って、オリアナは自分の頬まで持って行った。
「来てくれて、本当に嬉しい。ご褒美ちょうだいって、言ってたけど、ヴィンセントが一番のご褒美だから」
オリアナが話す度に、熱い呼気がヴィンセントの手の甲にかかる。ヴィンセントはひどく痛そうな顔を浮かべると、オリアナの額に口づけた。
ヴィンセントが触れた場所がじんと痺れる。付き合い始めてからキスは何度かしているけれど、その度に涙がこぼれそうな、幸せな気持ちになる。
「手を離してくれるか」
「やだ」
「褒美は、本当にいらないのか?」
オリアナは渋々手を離した。ヴィンセントがベッドから立ち上がる。
「嘘つき」
「何故だ」
「離れた。ご褒美、持ってきてないんじゃん」
熱のせいで、すぐに感情的になってしまう。涙が溢れそうになったオリアナの頬を、ヴィンセントが両手で包んだ。宥めるように優しく撫でる。
「嘘なんてついていない。いい子で寝ていてくれ」
「うー……」
獣のような呻き声をあげるオリアナの頬にキスを落とすと、ヴィンセントはまたベッドから離れた。オリアナは、ベッドの上からふて腐れてヴィンセントを見上げる。
「僕は――僕を好きな君なら、喜ばせ方に少し自信がある」
苦笑じみた笑みを浮かべると、ヴィンセントはローブを脱いだ。
――オリアナはその瞬間、ベッドからずり落ちた。
大慌てで、ヴィンセントがオリアナを支えに来る。オリアナは両手でヴィンセントの服を掴むと、なんとか上半身を起こしてヴィンセントにしがみつく。
「ヴィ、ヴィンセン、ト……!」
「わかった、わかったから。慌てるな。逃げない」
「うあああ、うあああ……ぜった、絶対? 絶対逃げない?」
「逃げない。大きな声も出すな。体に障るし、僕がいるのがバレる」
「ヴィ、ヴィンセント……!!」
「わかっている。わかっているから」
「がっごぃいい……!!」
わかってるから、とまた笑って、ヴィンセントはオリアナの背を撫でた。
ローブの下のヴィンセントは、正装に身を包んでいた。裾の長いコートに、ボリュームのあるクラバット。伝統的な、貴族らしい着こなしだ。
よく見ずとも、髪もいつもよりもきっちりとまとめている。ロープを伝って上ってくる間に少し崩れたようだが、いつもより精錬されていた。
オリアナが、縋るようにヴィンセントにしがみつく。ヴィンセントはオリアナの全体重を、ものともせずに支える。
「すごい、ヴィンセント、かっこいい、好き、めっちゃいい」
「着て来た甲斐があったよ」
笑うヴィンセントが格好良すぎて、本気で涙が出て来た。オリアナがまじ泣きし始めた気配を感じ取ったのか、ヴィンセントがたじろぐ。
「……どうしたんだ」
「ヴィンセントが格好良すぎて、涙が出る」
「そんな馬鹿な……」
(そんな馬鹿ななんて、私だって思ってる)
こんなに格好良いなんて。
馬鹿な知恵熱を出した恋人のせいで舞踏会に出られないのに、怒るどころか、規律まで破って女子寮に忍び込んでくれて、こうしてオリアナが喜ぶ事を一番に考え、実行してくれる。
(ヴィンセントって、こんなに素敵な恋人になる人なの?)
ずっと好きだった。素敵な人だと思ってた。
けれどヴィンセントが、こんなにも恋人を大切にしてくれる人だと、思っていなかった。
どこかで自分に厳しいヴィンセントは、同等の厳しさを相手にも求めると思っていた。ヴィンセントの隣に立つのなら、同じ方を見ていなければいけないと思っていた。
けれどヴィンセントは、きっとオリアナがこけても、足をもつらせても、待ってくれている。オリアナさえ望めば、手も貸してくれる。そんな風に、ずっと一緒に歩いてくれる。
「ヴィンセントォ……」
「どうした」
「私、やっぱりやだよぉ……」
「何がだ?」
「ヴィンセントと、ずっと、一緒にいたぃ……」
熱のせいで、上手く頭が回らない。馬鹿みたいに、舌っ足らずな話し方になる。
くしゃくしゃに顔を歪ませて泣くオリアナに、ヴィンセントは息を止めた。数秒固まった後、ヴィンセントはオリアナを強く抱きしめる。
力の入らない腕でなんとか抱きしめ返すと、ヴィンセントはオリアナの耳の裏と首筋に唇を寄せた。ヴィンセントは食むように、唇と舌でオリアナを味わっていく。
「ずっと一緒にいる。絶対に、離さない」
熱のせいで、涙ぐんだ瞳でヴィンセントを見つめると、ヴィンセントの目がギラギラと光っていた。
「オリアナ――」
欲望を募らせた瞳に、オリアナの肌が粟立ち、お腹の下がきゅんと揺れた。
オリアナの表情を見逃さなかったヴィンセントが、オリアナの顎を指で持ち上げると唇を合わせた。噛んで、舐めて、互いの唇をこすりつける。ぞくぞくと、悪寒以外の震えがオリアナに走る。
口づけをしながら、寝間着の裾からヴィンセントの太くて長い指が柔肌を撫でた。くるりと感触を楽しむように動いていた指先が、ぎゅっとオリアナの肌を摘まむようにして、動きを止めた。
「……待て、病人だ。まずい。駄目だ。ちょっとだけ、待ってくれ……」
「はー……」と、大きな大きな息を吐いて、ヴィンセントがオリアナの頭を自分の胸に押しつけた。「病人、病人だ」と、オリアナの耳に何度もヴィンセントの呟きが聞こえてくる。
その頃にはオリアナは熱のせいで、ほとんど意識が無かった。
ただ、ずっと幸せだった。
こんなに優しい恋人がいるなんて、オリアナは今、舞踏会にも出ていないのに、世界で一番幸せだと思った。