132 : 泣き顔は見せないで - 02 -
教師陣にハインツ先生と仲が良いと思われているヴィンセントは、ハインツ先生への私用を頼まれることが、よくある。
頭ばかり働かせている教師らは皆、体を動かしたがらない。
魔法薬学の施設は遠いため、ヴィンセントを都合良く使いっ走りにするのだ。
普段なら、ハインツ先生と竜木の話をするきっかけになるため歓迎しているのだが、今日ばかりはハインツ先生への用事を済ませると、ヴィンセントは足早に校舎へと戻った。
最近オリアナが勉強にやる気を出しているため、放課後に自習室に度々顔を出すことが多かった。
今から自習室へ向かえば、まだオリアナはいるかもしれない。
逸る気持ちを抑え、特待クラスの教室に教科書を取りに戻った。既に人はまばらで、ミゲルの姿も無かった。
どこかで暇を潰しているのだろう。ミゲルは気がつけば傍にいるが、気付くといなくなっている。幼馴染みの親友に使う言葉では無いが、懐いた野良猫のようだった。
自習室に向かっていると、笑い声が聞こえる。
「……オリアナ?」
オリアナの笑い声を、聞き間違えるはずが無い。ヴィンセントは廊下を戻った。先ほど通り過ぎた談話室に、オリアナの姿を見つける。
ミゲルとオリアナが、談話室の隅で話をしていた。二人とも、こちらに背を向けるような形で隣り合い、立ち話をしている。
(……あんなに大きな声で、ミゲルはオリアナを笑わせられるんだな)
嫉妬が、じりりとヴィンセントの胸を焼く。
いつの間にかヴィンセントは、オリアナの笑顔を自分にだけ向けてほしいと思っていた。入学式のクラス表でオリアナを見かけた時よりもずっと、彼女が好きだった。
自分の嫉妬心に気付いても、どうしようも無かった。こびりついて剥がれない錆のように、オリアナへの恋心は、ヴィンセントの一部になっている。
ひとまず声をかけようと、足を踏み出した時、二人の会話が鮮明に聞こえた。
「――ヴィンセント喜ぶと思うよ。オリアナちゃんがお嫁さんになったら」
(な……にを言い出しているんだ――?)
ヴィンセントは足を踏み出したまま、固まった。
一体何があれば、ミゲルがこんな台詞をオリアナに言うタイミングが訪れるのか、皆目見当もつかなかった。
(僕には、徐々に距離を詰めろと言っておいて――!)
先ほどのはどう考えても、オリアナに異性を意識をさせる言葉である。
(……いや、理由があるはずだ)
もしかしたらそろそろ、ヴィンセントとオリアナは友達の先に進むべきだと、ミゲルは思っているのかもしれない。
期待なんてしたくないのに、期待が胸を叩く。オリアナが何と返事をするのか、固唾を呑んで見守った。
「ごめんミゲル。この流れはもう終わりにしてほしい」
いつもノリのいいオリアナの、徹底的な拒絶にヴィンセントは息を止めた。振られるにしろ、上手く躱してくれると思っていた。
(そのくらいの友情は期待してもいいと、思っていたのに)
ミゲルがオリアナの顔を覗き込みながら、謝っている。
オリアナが口元に手をやった。微かに震える体を見て、ヴィンセントは胸がズキリとした。
(泣かれた?)
ヴィンセントとの結婚が、それほど嫌な冗談だったのだろうか。
(それに、ミゲルは今――オリアナの泣き顔を見ているのか?)
一度目は、見ることを拒まれた。
二度目は、腕を掴んで半ば無理矢理暴いた。
あのオリアナの泣き顔を、ミゲルも見ているのかと思うと、先ほどとは比べものにならない嫉妬がヴィンセントを襲った。
「僕には将来を誓い合った妻がいるんです……」
「私の事も、考えてくれるって言ったくせにっ……!」
「何をしているんだ」
我慢ならず、割って入った。後ろにいることに、オリアナはともかくミゲルまで、全く気付いていなかったらしい。ミゲルはすぐにオリアナから距離を取った。その距離分、ヴィンセントがいない時に近付いていたのだと思うと悔しくて堪らない。
「いいいいいいいい今の聞いてた?」
「聞いていた。君に妻がいるとは初耳だったな」
聞かれたく無かったのだろうと、意地の悪い気持ちで冗談を言ってやった。オリアナは、あからさまにホッとする。感情を抑えるのが難しい。
(何年経っても、三巡目になっても、僕は全く成長しない)
収まらない苛立ちが視線に乗ったのだろう。オリアナがビクビクしながら尋ねる。
「……どうかした?」
「いや――」
怯えさせるつもりは無かった。ヴィンセントは苦々しい思いを押し殺し、オリアナの目元を見つめる。泣いていたのか、よくわからなかった。
ミゲルがぽんと、ヴィンセントの肩を叩いた。
「ごっめーん。ミスった。土産置いてくから、許して」
(何が、ごっめーんだっ!)
親の仇だってこれほど憎くは無いだろう。ミゲルはヴィンセントに「ごっめーん」という顔を見せると、オリアナを振り返った。
「じゃあねオリアナ。あとは本人に聞くといいよ」
「ちょっミゲ――!」
ミゲルの置き土産は、効果絶大だったらしい。オリアナは見るからに慌て、狼狽している。
「本人が、何だって?」
いい話か、悪い話か、全く見当も付かなかったが、会話を始めるためにオリアナを捕まえるリードは見つけた。
オリアナは叱られた大型犬のように、ばつの悪い顔をした。