126 : 青嵐と忘れ物 - 02 -
「あれ? ヤナとアズラクは?」
中休みを終え、チャイムギリギリに教室に戻って来たエッダが、きょろりと見渡した。
「まだ決闘から戻って来ませんの」
「もしかしたら、医務室に寄ってるのかも」
コンスタンツェとオリアナがエッダに答える。
アズラクが決闘で怪我を負うことは少ないが、皆無では無い。そういう時、ほんの少しの傷でもヤナは必ずアズラクを医務室に連れて行く。
「ルシアンも試練挑戦しなよ。脱童貞のチャンスじゃん」
「おま、やめろって! その手の冗談! アズラクにまじで殺される! それに俺、アズラクに嫌われたくない!」
「ごめんって」
あまりにも必死なルシアンに、エッダが引き気味に返答する。我々にとってアズラクは、少し寡黙で気のいい年上の同級生だが、男子の方では少し印象が違うのかもしれない。
結局、ヤナとアズラクは授業が始まり三十分も経った頃になって、ようやく教室に顔を出した。
やはり医務室に寄っていたらしい。アズラクの怪我を見せて貰ったら、小指の爪の長さほどの擦り傷があった。内心を彼が見せることは無かろうが、こんな怪我で医務室に連れて行かれたアズラクは、さぞ恥ずかしかったことだろう。
授業を終えると、オリアナは移動教室に向かう皆と別れ、トイレに走った。ラーゲン魔法学校のトイレは魔法道具を備え付けているため、水洗トイレである。
「――で、エルシャさ、ちょっと可愛くね?」
トイレからの帰り道、オリアナはピタリと足を止めた。見知らぬ数人の男子が、廊下で話をしている。
ラーゲン魔法学校内にどれほどの「エルシャ」がいるかはわからない。しかし、曲がり角の向こうにたむろって話している男子生徒達の前に、今、顔を出す勇気は無かった。
ブックバンドで挟んだ教科書を抱え、彼らから死角になる場所で、壁に背をあて座り込む。オリアナが行きたい教室は、この廊下を通るのが一番の近道だった。
「あーわかる。マハティーンさんがやばすぎてアレだけどさ」
「ベルツも顔は可愛いけど、身長と性格がなぁ……」
ヤナやコンスタンツェの名前まで出て来たので、確実に自分のことだと理解する。
「昨日実技あったじゃん」
「うん」
「そん時、エルシャ髪しばっててさ。うなじにさー」
(うなじ? うなじが何?)
オリアナは自分の首の裏を手で覆った。そんなところを男子生徒に見られているなんて、考えたことも無かった。
「ほくろあったの。ガン見したわ」
「まじかよ。エロくね?」
「あー……エルシャってヤる時、泣かせたい感じあるよな」
「でも泣いた顔ブスそう」
「言うなって」
「エルシャちょろそうだし、頼んだらイケるんじゃね?」
オリアナの顔が青ざめる。ラーゲン魔法学校に通う子女の多くは箱入りだ。
厳重な何重もの箱に入れられて育った女生徒達の多くは、性的な情報から隔離されて育つ。ウィルントン先生の特別授業で、花の雄しべと雌しべで性行為について伝えられたが、人間に変換した場合の実態はついぞ語られぬままだった。
オリアナも、性的な事は結婚後、初夜に挑む寸前まで、単語一つすら知らないまま育つだろう。初夜の前に母親が口頭で伝えてくれるらしいが、母親を幼い頃に亡くしたオリアナは誰に教わればいいのだろうかと、ずっと疑問に思っている。
それほど門外漢なオリアナでさえ、漏れ聞こえる単語の端々から、自分が彼らにどういう風に見られているのか推測できた。
リスティドに強引に迫られていた時と同じ、異性からの生々しい性的な目線を感じ取り、気持ち悪くて鳥肌が立つ。
これ以上聞き続けるのは流石に嫌だったため、オリアナは立ち上がる。文句まで言わずとも、オリアナの顔を見れば、流石に彼らも話題を止めるだろう。
そうは思っても、たった今、自分をそんな目で見ていた男子の前に行くのは、とてつもない勇気が必要だった。
歩こうとした一歩が出ない。微かに足が震えていた。手をぎゅっと握り込む。
「何処に行くのかは知らないが、僕も一緒について行っていいか? オリアナとは、仲良くさせてもらっていてね」
曲がり角の向こうから、声がした。
言葉は優しいが、鋭い怒りを閉じ込めている冷ややかな声だった。
ふっと体が軽くなった。足の震えが一瞬で取れる。
曲がり角から顔を出す。四人の男子生徒の後ろに、ヴィンセントが立っていた。
「……あ、いや。本気でどういうって話じゃ」
「はっきり言おう。友人の品位を下げる話題は、酷く不愉快だ」
男子生徒が往生際悪く言い訳をしたからか、ヴィンセントは厳しい口調でストレートに言った。男子生徒達は途端に口ごもり、たじろぐ。
ヴィンセントに口答えできる生徒は少ない。
彼の生まれが一番の理由かもしれないが、ストイックに勉学に打ち込む姿勢や、誰をも圧倒する毅然とした態度も、一役買っていた。
ばつが悪そうに黙り込んだ男子生徒達に、ヴィンセントは「それに」と悠然として笑う。
「オリアナは、泣き顔も可愛い」
息を呑んだ男子生徒達は、絶句した。中には顔を赤らめている者もいる。
「……そのっ、すみませんでした」
男子生徒達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。オリアナとは反対方向に、走って行く。
「やだヴィンセント。やーらしぃ」
「黙れ」
ヴィンセントの後ろにいたミゲルが、にまーっと笑う。
軽口を叩いた二人が、こちらに向けて歩き出し、虚を突かれたように足を止める。
目が合ったヴィンセントに、手をフリフリとしてみた。
「……聞いていたのか」
「ありがとう、止めてくれて。すっごい気持ち悪かったから、助かった」
肩に落ちてきた毛虫のごとく嫌がって伝えると、ヴィンセントは軽く笑った。
「そうか。君の力になれたのならよかった」
ヴィンセントの笑顔で、胸がぎゅっと締め付けられる。唇が、小さく震えた。
(いつも、力になってる。いつも、力をもらってるんだよ。ヴィンセント)
「うん。ありがと」