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109/201

109 : それはいわゆる、両片思い - 05 -


「……何の匂い?」


 起き抜けの、掠れた舌っ足らずな声が聞こえた。


 向かいの席に座り直して本を読んでいたヴィンセントは、顔を上げてオリアナを見た。

 寝ぼけ眼のオリアナがゆっくりと体を起こし、きょろりと左右を見渡す。


「……ヴィンセント?」

「起きたか」

「……私、寝てて……」

「疲れていたんだろう」


 んんう、と唸ったオリアナが指で目を押さえる。


「痛むのか?」

「ん? いえ。擦るとメイクがよれちゃうから、こうして押さえてるんです」

「そういうものなのか」

「はい」


 指で目を押さえているオリアナを見ながら、ヴィンセントはいつも心にあったもの悲しさを感じた。


 自分の知らないオリアナを見る度に、自分に距離を取った対応をするオリアナを知る度に、淋しくなる。


(せめて、敬語ぐらい止めてくれないだろうか)


 オリアナがいつか自分から、敬語を止めてくれればと思っていた。


(貴族だから、敬語を使われているわけではない)


 オリアナの周りには男爵家の娘もいるし――悔しくて仕方が無いが、ミゲルには普通に話している。それに階級を気にするのならば、近隣国の王女にこそ、敬語で接すべきだろう。


(いつか、僕に慣れてくれたら――隣にいることが、当たり前になってくれたら)


 そう思い続け、学年が変わってしまった。今のところ、オリアナから敬語が抜ける気配は無い。


 一抹の悲しさは、既に看過出来なくなっていた。彼女が自分にだけ敬語を使う度に、淋しさと、嫉妬を感じる。


「痛っ」


 オリアナが小さな声で呟いた。


「どうした」

 慌てて立ち上がり、机を迂回してオリアナの隣に行く。オリアナは目をパチパチと瞬きさせる。


「睫毛が目に入っちゃったみたいですね……」

「見せてみろ」

「いやいや、無理無理無理。無理です」


 顔を覗き込もうとすると、焦ったようにオリアナが拒絶する。ヴィンセントは一度諦めた。


「泣けないのか」

「そんなに急には……」

「それもそうか」


(そういえば、泣かないな)


 オリアナの涙を、もうずっと見ていなかった。


(いつも泣いていたのに。……まあ、泣く理由の大半が、ヴィンスだったが)


 二巡目のオリアナは、よく泣いた。よくもまあそれほど泣けるものだと思うほど、悲しい時も嬉しい時も泣いていた。


(なのに、今のオリアナは泣かない)


 いや違う、と、ヴィンセントは気付いた。


(泣かないんじゃない。泣いているところを、見せて貰えないのだ。まだ、彼女の涙を見せる相手として、心を許されていない)


「……泣かせたい」


 気付けばぽつりと本音がこぼれていた。


「えっ?! それはちょっと……」

 目を押さえながら、オリアナが焦る。


(あの涙が恋しい)


 感傷を無理矢理追いやったヴィンセントは、オリアナの手を顔から離させようと、腕を伸ばす。


「ひとまず、あまり触らないほうが――」


 ――パシンッ


 オリアナがヴィンセントの手を払いのけた。ハッと息を呑む声がする。ヴィンセントも同じほどに驚いていた。


「っごめんなさい。でもあの――大丈夫ですから」


 きっぱりとした口調だった。


 強い拒絶に、ヴィンセントの呼吸が一瞬止まる。


(オリアナに……こんなにもはっきりと拒絶されたのは、初めてだ)


 なんだかんだ言って、自分は受け入れられていると思っていた。


(きっとオリアナは、何をしても許してくれるだろうと……涙を見せてくれなくても、僕なら多少強引に触れたって、文句を言わないだろうと……)


 そんな風に思っていた己の自惚れを知る。


 二の句が継げなくなり、ヴィンセントは呆然とオリアナを見る。オリアナは背を向け、何度か瞬きを繰り返した。


「ん……取れました」


 しばらくしてオリアナは、人差し指の腹に載せた長い睫毛を見せた。


「さっきはごめんなさい。結局擦っちゃってアイメイク崩れてるだろうから、見られたく無くて」


 ちょっと恥ずかしい。と目元を手で隠しながら、オリアナが小声で言う。


 付け足された謝罪は、友達の領域を越したヴィンセントを拒絶した理由に、建前を用意してくれるものだった。


「……鏡が必要か?」

「大丈夫です。ひとまず寮に帰るので――」


 立ち上がったオリアナの肩から、ずるりと布が落ちる。


「え?」


 驚いた声を出したオリアナが、足下を見た。椅子に引っかかりながら、床に落ちていたヴィンセントのローブを拾う。


「……これ――ヴィンセントのですか?」

「そうだ。寒いだろうと思って」


 このくらいなら、友達でも許されるだろうという判断のもと勝手に肩にかけたが、今ではすっかり自信が無くなっていた。


(これも突き返されたら、割と真面目に立ち直れないかもしれない)


 いらないことを、すべきでは無かった。めっきりと臆病になったヴィンセントが神妙に沙汰を待っていると、俯いたままのオリアナの口元が綻ぶ。


「だから、いい匂いしたんだ」


 冬に咲いた薔薇を見つけたかのような柔らかい声に、ヴィンセントの胸がとくんと鳴る。先ほどまで不安の森で死にそうだったくせに、今は心底、ローブを貸してよかったと思っている。


「ありがとう。でもあんまり女の子に、こういうことしちゃ駄目ですよ」


 安堵もつかの間、ヴィンセントは再び落ち込んだ。


 オリアナがローブを差し出す。ヴィンセントは半ば俯きながら、受け取った。


(何故だ。いい匂いと言ってたじゃ無いか……)


 ローブを羽織る。ふわりとオリアナのシャンプーの匂いがして、ヴィンセントは顔を完全に俯けた。


(なるほど。これは、してはいけない)


 これでは着ている間中、ずっとオリアナが顔を近づけているような気持ちになってしまうだろう。


 先ほどとは違う意味で神妙な顔をしながら、ヴィンセントは「わかった」と答えた。






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死に戻りの魔法学校生活を、元恋人とプロローグから (※ただし好感度はゼロ)
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