106 : それはいわゆる、両片思い - 02 -
ここから少し離れたところで、男子生徒が二人、女生徒に囲まれていた。
持っている荷物の量からして、まだ寮には帰れていないのだろう。
土産を手にした沢山の女生徒に囲まれていても、背が高い男子生徒――ヴィンセントとミゲルの顔は確認することが出来た。
ミゲルもヴィンセントも、群がる女生徒など何のそのと言った具合に、涼しい笑顔で接している。
こんな光景を見るのは初めてで、オリアナは隣にいたヤナの腕を引っ張った。
「ねね、見てあれ」
「まあ。大人気ね。サーカスの熊みたいじゃない」
的を射たたとえにオリアナは笑った。
しかしミゲルはともかく、女生徒達がこんな風に遠慮無くヴィンセントに群がるのは奇妙に思えた。少なくとも、長期休暇前にはこんな光景は見たことが無い。
――ヴィンセント・タンザインは、孤高だった。
気軽に触れることも、近寄ることさえ出来ない、月のように不可侵の存在。
「どうしたんだろ。みんな前は、遠巻きに見てたのに」
「オリアナが親しくなっていたから、自分もいけると思ったんじゃないかしら」
「えっ? 私? ――あ、なるほど?」
ヤナの答えに納得して頷く。
貴族でも無く、同じ特待クラスでも無く、同じ性別でも無く、これまで全く交流の無かったオリアナでさえヴィンセントと友人になれるのならば、自分の方が親しくなれると思う女生徒がいてもおかしくない。
長期休暇明けの高揚感と、土産という武器を手に、女生徒らはヴィンセントに迫っているようだ。
「そっかー。ヴィンセント、喜んでるかな」
「とても喜んでいるようには思えないけれど」
ヤナの言葉に、オリアナはうーんと唸った。
彼女は知らないだろうが、ヴィンセントは「友人がいないから友達になってくれ」とわざわざオリアナに頼むほど、孤独だったのだ。
周りにいるのは女生徒ばかりだが、オリアナだって女である。異性の友人も許容範囲だろう。相手側の動機は不純でも、こんなに沢山の学友と知り合える機会は嬉しいに違いない。
「今は邪魔したくないし、ヴィンセント達にはまた後で挨拶――」
「オリアナ!」
しに行くね。とヤナに言おうとしたオリアナを、ヴィンセントが遠くから呼んだ。
なんだなんだ? と振り返ったのはオリアナだけでは無い。ヴィンセントらに気付いていなかった周囲に集まっていた生徒達も、一様にヴィンセントを注目していた。
「迎えに来てくれたのか? すまない。約束の時間から少し遅れてしまって」
「へ?」
何の話か全くわからず、オリアナはパチパチと瞬きをした。その間にも、ヴィンセントは女生徒の人垣を抜けようとしている。
「このまま行こう。――ミゲル、いいか?」
「俺はいいよ。いってら」
ミゲルがへらりと笑って、女生徒に囲まれたまま手を振った。ヴィンセントが、オリアナのもとまで走って来ている。
「すまない。少しだけ」
驚いているオリアナの耳元で囁くと、オリアナの手首を掴み、ヴィンセントが引っ張る。
腕を引っ張られ、走る。
驚くままにヤナらを振り向くと、ベンチに横になっていたハイデマリーまで顔を上げ、全員が手を振っていた。なんという羞恥。堪えきれない悲鳴が「ひいい」と口から漏れ出した。
人通りの少ない場所まで行くと、ヴィンセントが建物の陰に隠れ、荒い呼吸を整える。
「君があそこにいてくれて、助かった」
「いっ、いいですっ、けどっ……なっ、なにっ……がっ……」
少し呼吸を乱しているだけのヴィンセントに比べ、荷物も持っていないはずのオリアナは、肩で大きく息をしていた。
(ヴィンセント、足はっやっ……!)
男の子と一緒に走ったことなどないオリアナは、ヴィンセントの足の速さについて行くのに必死だった。ほとんど空中に浮いた状態で走っていた気がする。
呼吸もままならず、かいた汗をローブの裾で拭い取る。膝が笑う。今すぐにでも、しゃがみ込みたかった。
「これに座るといい」
「いえっ……さすがにっ……次期紫竜公爵のっお荷物を……尻に敷くわけにはっ……!」
中腰になり、息も絶え絶えに返事をするオリアナを見て、ヴィンセントは無理強いするのは止めたようだ。
その代わり、ハンカチを取り出して地面に敷く。固辞するわけにもいかず、オリアナはありがたく座らせてもらうことにした。
隣に、ヴィンセントも腰掛ける。立てた片膝に腕を置き、オリアナのほうを全く見ることも無く、前も見ている。肩で息をする無様な姿を見られたくは無かったため、オリアナはホッとした。
「――落ち着いたか?」
「なんとか。体力無くって面目ないです」
「こちらが急に頼んだんだ。そんなに恐縮しないでほしい」
眉を下げてヴィンセントが笑う。先ほど、女生徒達を相手にしていた笑顔とは違う表情に、何故か胸がざわつく。
「それより、よかったんですか?」
オリアナはヴィンセントと約束などしていない。そうまでしてここに連れてきたのは、あの場から逃げ出したかったのだろう。
「いいもなにも、撒いたのは僕だ」
「だって、せっかく親しくなれそうだったのに」
「……彼女らに、好きになられるのは困る」
少しの沈黙の後、覚悟を秘めたようにきっぱりとヴィンセントが言った。
(あー……そーなんだ。そりゃそうか。あー。そっか。そっかー)
ざわついていた胸が、すんっと静かになった。驚くほどの効果だ。胸焼けの薬などにして売ったら、飛ぶように売れるに違いない。
(好きになられたら、困るんだ)
考えてみれば、当然だ。ヴィンセントには好きな相手がいる。恋愛感情をちらつかされれば、迷惑でしか無いだろう。
(大丈夫。私はヴィンセントの”お友達”だ。困るって言われたのは、私じゃ無い)
何故か疼く胸を守るように、ぎゅっと膝を抱える。
ヴィンセントを困らせたくない。
そしてそれ以上に、困られたくなかった。