切符占い
駅には、その土地の特徴や魅力が詰まっている。
都内勤務とはいえ、地方に出張するとそれを強く感じた。
人が多く集まる所には、それだけコミュニティが形成され、溢れ、やがて話題の中心地になる。
それが色濃く出るのが、駅だ。
男は、目的地に行くため、新幹線乗り場に向かう。都会の入り組んだ駅は、そこを行き交う人々の嗜好や価値観の数だけ複雑だ。
だが、彼等の生活パターンは大抵が酷似している。出社時間から昼の休憩時間、ブレイクタイムに退社時間まで。他人同士とはいえほかにも、休日を好きなアーティストのコンサートに利用しているものもいる。コンサートが終われば、会場から何千、何万ものの人が帰路に着こうと同じ駅を目指す。たとえ、駅までの道が分からなくても、周りのものについて行けば、必ず駅に辿り着ける。
その要領で、男は前を行き交う人々の中から、少し大ぶりなバックを持った中年男性に目を見つけた。直感の働きのお陰で、彼は待望の新幹線乗り場の改札前までやって来れた。
先に改札を通った中年の男を心中拝むと、彼もまたその改札口の中へと切符を通した。そして、指定席に腰を落とすのだった。
現代、駅は目的地へ人々を運ぶだけの場所では無くなってきている。例えば、友人との待ち合わせの場に使ったり、駅内に設備されたカフェや生鮮食品売り場への買い物など。駅には、よりたくさんの人が集まるための環境が整われた。
逆に、そうではない駅も存在する。
人々は、常に最新の情報を求め、夢を追う者は故郷を離れ、都心に身を置いた。その流れにより、地方では電車の利用客が減り、廃線となり無くなった駅も少なくはない。
その駅の一つに、男の故郷も当てはまっていた。
「(出張先が、『菜の花町駅』じゃなかったら来なかったな……)」
春になると、一面菜の花が咲くことから、そう呼ばれるようになった町がある。
もう二十年近く、彼はこちらに帰っていない。
両親と祖父母との五人で、彼は中学生までこちらで暮らしていた。しかし、父親の転勤で、高校生からは祖父母の家である、ここから離れて都内で暮らし始めた。
そのため、毎年、お正月やお盆になると、祖父母の実家に両親と帰り、よく祖父が『菜の花町駅』まで車で迎えに来てくれていた。
だが、彼が志望の大学に合格した矢先、それを看取るかのように祖母が他界し、祖父もすぐ後を追った。
ほかに親戚もおらず、実家の管理が難しいことから、父親はその家と土地を売ることにした。以来、こちらに帰る理由がなくなり、現在に至る。
そんなときにきた、故郷への出張だった。最初は耳を疑ったが、すぐに了解の返事を出した。
これも何かの縁。そうでもなければ、新幹線から下りた後も、わざわざ分かりにくい乗り換えを繰り返してまでここへは来ない。
だが、それだけ自分には、そこに行く価値がある。
そう男に、この町へ向かうことを決意させた理由は二つあった。
まず一つ、『菜の花町駅』がこの七月で無くなるのだ。理由はもちろん、利用者の減少である。
それを教えてくれたのは、中学校時代の友人だった。最寄りの駅がなくなることを知り、連絡をしてきた。
それを知らされる前、男が会社に入社して間もなく、この駅が新聞で取り上げられていた。
それが、二つ目の理由に当たる。
『切符占い』
という見出しから始まる内容は、次のように綴られていた。
『赤は恋愛、青は仕事、黄色は金、緑は健康、白は人間関係を表す。切符を改札に通すと、五つの内どれかの色に変わって運勢が占える摩訶不思議な切符。』
実際に利用した乗客は、青色の切符が出てきたという。IT関係の仕事をしており、長年携わってきた企画が成功し、昇進した。また、赤色の切符が出た者は、交際していた相手との結婚が決まった。
テレビにも取り上げられ、年々減少する人口を増やそうと、地域団体が考えたものと議論された。
以来、遠方からわざわざその駅で降り、切符を買い、帰ると言うケースが後を絶たなくなった。
しかし、菜の花町の観光事業は失敗に終わる。類似したものが多く出回り、菜の花町駅の切符占いは人々の記憶の中から忘れ去られた。それがより、廃線への未来を促したのである。駅がなくなればここに来ることは難しくなる。その前に。
駅が無くなる前に、自分もやってみたい。
ほんの出来心のようなものだった。
遠方出身のものが自分の町のことをよく知っていて、地元の人間がそれを知らないとなると、どこか落ち着かない気持ちになる。
そんな思いを胸に秘め、男はおよそ二十年ぶりに地元の土を踏んだ。
駅を出ると、あの頃となにも変わらない風景が彼の心を少年時代に戻した。
泥遊びをした田んぼ。ザリガニを釣った用水路。
奥に広がる山々を眺めながら、場違いなスーツ姿で畦道を進んだ。
地図に示された道なりを辿ると、そこはまさかの同じ中学校だった友人宅の家だった。それと同時に、ここの駅が無くなることを教えてくれた張本人である。
「あれって、後から作られたものらしいぜ」
商談の話もほどほどに、二人はすっかり意気投合していた。
「え、そうなの?」
「俺達が子供の頃、そんなものなかっただろ。あったら、絶対にやりに行く。電車は乗らないけど」
友人は笑いながらそう言うと、男が持参した手土産の饅頭を食べた。
「俺もずっとここに住んでるが、いつからってのは具体的に分からないな。だが、アレが知られるようになったは、俺たちが二十歳ぐらいの時だったと思う」
「へえー」
男は出されたお茶を啜りながら、なぜ自分が切符占いについて全く知らなかったのか納得がいった。
すると、疑いの目でも向けられていたのか、友人は不適な笑みを浮かべて小声で言った。
「実はな、やったんだよ、俺。切符占い」
「本当か?」
「信じられねえよな、通した切符の色が変わるなんて……。それが、本当なんだぜっ」
そう言うと、部屋の奥へ行き、財布のような入れ物を取り出してきた。
そして、「ほら、コレだ」と真っ赤な切符を見せてきた。
「実はさ、親父の跡を継いだけど、代わりになかなか出会いがなくてよ。俺、一度ここから出ようか悩んだわけ」
「菜の花町からか?」
「ああ。それで駅の改札に切符通したらこの赤い切符が出てきてさ。赤は占いじゃ恋愛だろ? 取り敢えず、近くにいると思って出て行くのやめたんだ。そしたら、翌日、家の前散歩して、見つけたんだ……」
ふと、彼の手を見ると薬指に指輪がはめられている。再び視線を顔に戻すと、鼻の下が伸びきっていた。
このまま、そちらに話題が逸れるかと思ったが、友人は一口齧った饅頭を持ったまま再び話した。
「それでさ、俺、思ったんだ。あの切符占いっていうのは、単に観光客向けじゃないって……」
「というと?」
「ここを出て行った奴らを、また帰って来させるためにできたんじゃないかって」
「それって、中学のときの奴らか?」
男は成人式のときに、当時の同級生と再開していた。そして、その後の同窓会で、ほとんどの顔馴染みが様々な理由で故郷を出ていたことを知る。
「俺は高校を卒業してすぐに親父の仕事を継いだんだ。だけど、皆んな高校を卒業してからは、遠い大学に行っちまった。皆んなどこか遠くへ行っちまった。」
「お前も」と瞬間。友人と男の目が合った。友人の瞳には、彼が写っているはずだが、まるで男を通して後ろの壁を見ているような違和感だった。
すると、今度は口角を上げて笑顔を見せた。
「でも、お前は帰ってきた。実はさ、ほかの奴にも連絡したんだが、こうして来てくれたのはお前だけだ。
おかえり」
言葉の意味を理解できなかったが、友人は満足そうに残りの饅頭を頬張った。
帰りの電車のこともあり、そろそろと男は帰ろうと席を立つ。
「どうせ使うんだろ、あそこの駅。だったら何色の切符が出たか教えてくれよな」
友人は止めるでもなく、身支度をする彼に告げた。
男は、友人のどこかおかしな言動を不気味に感じ、足早に家を後にした。
目的は果たした。直帰する頃には、外は夕日の景色が広がっていた。
オレンジ色に染まる田んぼを眺めながら、駅に着くと、切符売り場へ向かい指定の金額を投入口へと入れた。当たり前だが、何の変哲もない淡いオレンジ色の切符が出てきた。
切符を手に取り、それからは誘導されるかのように、改札口手前まで足を動かした。
自然と、改札の投入口と手に握られた切符を、交互に見てしまう。
改札を通するだけで色が変わるなんてあり得ない。
いざ、改札に切符を通そうとしたら身が引けた。
どの色が出たとしても、それをもう一度手に取った瞬間、俺は今までの俺じゃなくなるような気がした。
とはいえ、このままでは帰れない……。
すると、いつの間にか到着時間になっていたのか、改札の向こう側に電車が現れた。
これを見逃せば、次は一時間も先だ。
慌てて改札に切符を通し、その色の変化をじっくりと確認することなく、扉の空いた電車に飛び乗った。
扉が閉まり、動き出す電車の中から遠くなって行く故郷を見つめた。
その後、辺りを見渡すと、乗客は自分以外には見当たらなかった。
男は座席のど真ん中に鎮座すると、やっと手に握られた切符に目を通した。
『赤は恋愛、青は仕事、黄色は金、緑は健康、白は人間関係を表す。』
話が真実ならば、男にとってはどれも喉から手が出るほどほしいものばかりだった。
しかし、その結果に、男は大人にもなっても背筋が凍りそうになった。
「………なんだよ、これ……」
男の手に握られた切符は、値段や行先の駅が見えないほど真っ黒に染まっていた。
最初こそ身震いを覚えたが、一呼吸おいて落ち着きを取り戻す。
そもそも、出る色が五色だけということが勘違いなのかもしれない。一時的とはいえ、菜の花町駅に来る乗客が増えたことから、切符占いの色も増やしたに違いない。
となると……。
男はバックに閉まっていたホワイトカラーのスマートフォンを取り出し、
『菜の花町駅 切符占い 色』
と、検索をかけた。
その中から、一番上に表示されたページに指を滑らせた。
外はすでに夕暮れ時で、電車の窓から床にオレンジ色の光が射しこんでいる。
聳え立つ山に、宇宙上に存在する太陽が陰る瞬間は圧巻である。
そんな景色を堪能することもせず、スマートフォンに向けられた男の顔は晴れないばかりだった。
いくら色のことについて調べようと、安定の五色以外の情報が一件も見つからないのだ。
男は、もどかしさと同時に不気味さを感じていた。
だが、根を上げる前にすべてのページの文字が紫色になってしまった。結局、求めていた情報は見つからず、男はスマートフォンを隣の席に置いて、座席にもたれた。
そして、もう一度真っ黒い切符に目を通し、腕ごと車内の蛍光灯を仰いだ。
…………捨ててしまおうか。
これを家まで持ち帰りごとに気が引けた。それならば、いっそ受けていないことにしてしまえばいいと、男は考えた。
目的の駅に着くまでの辛抱と思い、切符を眺めていると、薄っすらと文字らしきものが浮かび上がった。始めは記載された駅名や購入金額などかと思ったが、文字は光に反応しているようだった。
慌てて、男は目を凝らしたが、これだけの光では足りなかった。そこで、男は山に沈みかけた太陽に気付き、急いでそこに切符を翳した。
燃えるような太陽の光が、その文字を炙り出す。
『戻れ』
男には、どういう意味なのか全く分からなかった。
また一つ、不気味なことが増えたと不安が増すと、突然、放り出した男のスマートフォンが鳴り始めた。初めは車内ということもあり躊躇ったが、周りに誰もいないことが分かると着信を許可した。聞こえてきた声は、会社の同僚のものだった。
「よお、エリート。調子はどうだ?」
応答すぐに軽口を叩く同僚、荻野に普段なら苛立ちを覚えるが、今の男にとっては心の支えになった。
「調子も何も、終わったから今から帰るところだよ」
そう鼻で笑い飛ばすように答えると、同僚は再び茶化すように応えた。
「終わったって、もしかして車で行ったのか?」
「そんなわけないだろ。新幹線乗ってからはずっと電車乗り継ぎだよ」
続けて、真夏に出張に向かわせたことや、エアコンの設備がない電車に乗せられたことなどへ愚痴を同僚に零した。仕事での自分の扱いに対する不満を口に出しているうちに、男から恐怖など無くなっていた。完全に愚痴の聞き手に回っていた荻野は、何も言わず、通話越しに静かだった。
「おい、聞いているか?」
いつもなら、それは不運ですね〜。と笑いながら同情してくれるはずが、相槌もなく、携帯越しからは微かな呼吸音しか聞こえない。
「あのさ、」
と、やっと荻野が口を開いたかと思えば、彼は一息置いて「いいか、よく聞け。」と話し始めた。
「先週から、取引先の高松さんと連絡が取れない」
"高松さん"というのは男の同級生で、先程までやり取りをしていた相手だった。
同僚の話では、上司は高松さんの住む地域の電波障害かなにかだと思い、気にも留めていなかった。そのため、こちらを心配した荻野が出張先のことをインターネットで調べたところ。「一週間前にその駅も無くなってる」とのことだった。
夏の、エアコンではなく扇風機が備え付けられた車内で、男の首筋を嫌な汗が流れた。
誰かに見られている。そんな感じがして辺りを見渡して気が付いた。
「この電車、一度も止まってないよな……」
男が乗車してからすでに一時間は経過している。
「帰れる、よな……?」
不安に駆られる男の心を、太陽が沈んだ後の暗闇が覆った。
駅には、その土地の魅力や特徴が詰まっている。それは人が立ち入らなくなった後も、変わらず、そこに存在し続ける。いつか、また訪れる、そのときを静かにそこで待っている。