~第二の錦織圭たちに贈る言葉(19)~ 『サーブ&ボレー時はサーブ球に気が込められたのを感じてからネットへ走れ』
文中に記載
〜第二の錦織圭たちに贈る言葉(19)〜
『サーブ&ボレー時はサーブ球に気が込められたのを感じてからネットへ走れ』
1. まえがき;
先日、『気の威力』(藤平光一著、幻冬舎、2014年12月 第1刷発行、1990年講談社刊行本の再構成出版)と云う本を読んだ。藤平氏(2011年91歳で逝去)は合気道開祖の植芝盛平氏に師事した合気道十段の達人である。
その本の中に怪物と呼ばれた江川卓氏(元、プロ野球巨人軍の投手)が作新学院高校の球児であった時にアドバイスした内容が書かれていた。
「力を完全に抜いてボールを右手で握ったとき、ボールと一体になっていると思ってみたまえ。そうすると力を抜いているのに、左手でいくらボールを引っぱってもとれなくなる。気が出ている証拠だ。こうして握ったボールには気が入っている。一球、一球、ボールに気を込めて投げたら、いまの高校生で、君のボールを打てるやつはいなくなるだろう。」(上記本の20ページより抜粋)
テニスのサーブ球に気がこもっている場合、相手選手のレシーブ球はどうなるのだろうか?私の経験や、先日あった2018年ATP1000・シンシナティ大会の決勝戦(ジョコビッチVSフェデラー)におけるある局面事例などを考えながら『気』の力を考察してみる。
(贈る言葉(5)ではネットダッシュに関しての技術的側面を述べた。)
2. 贈る言葉;
ストロークからのネットダッシュの時はオープンスペースに出球を放つので相手選手は球を追いかけて走り返球に苦労するので打球にスピードがあればよいが、サーブからのネットダッシュの場合、相手選手はフォアーかバックに飛んでくる球を予測してサーブ球を待ち構えている。この為、サーブ球に威力がない場合は簡単にパッシングショットを決められてしまう。イージーな浮き球を期待してネットに向かって走っても無駄である。
そこで『気』が込められた打球が必要になる。サーブを放った瞬間(インパクトしたボールがラケットガットからリリースした瞬間)にボールに『気』が込められた場合には独特のリズム(拍子)を感じるものである(私の経験)。その時はネットダッシュして良いが、何か違った感じの時は球をリリースした後に着地した地点で相手の返球を待つのが常道である。そこから、ストロークダッシュの機会を窺がいながらラリーを続けるべきである。
『独特のリズム感』を言葉で表現するのは難しいが、自分の感覚が『善し』とするのを試合や練習を通じて体得する必要がある。
私の場合、ジョン・マッケンロー選手のサーブ&ボレーをビデオ映像で何度も観察して、そこにある『独特のリズム』を感じ取り、自分でも試してみて、サーブ&ボレーをテニスを始めてから11年目にやっと体得したのである。何か、一種のリズム感がある。そのリズム感が感じられないでネットダッシュした時のマッケンロー選手はボルグ選手からパッシングの洗礼を浴びていたのを思い出す。ウィンブルドンでの初対戦の時はボールに『気』が入っていない場面が多々あった様に思う。
2018年8月20日にあったATPシンシナティ大会での決勝戦で、ジョコビッチ選手に抑え込まれていたフェデラー選手は第2セットの中盤で強引なストロークからのネットダッシュを何回か行った。ジョコビッチ選手がベースライン中央で待っているのに、その届く範囲に出球を強く打ってネットへ走ったのである。私は「これはヤバイ。フェデラーは焦っている。ジョコビッチにパッシングを決められる。」と思ったが、ジョコビッチ選手はその出球に対し余裕で届いたが、返球ミスが出た。なんと、サイドアウトやネットを繰り返したのである。その時私は、藤平光一氏の言っていた事を思い出したのである。
たぶん、フェデラー選手の出球には強い『気』が入っていたのだろう。ジョコビッチ選手は伸びのある出球に振り遅れていたように思えた。しかし、結局、勝負はプレーに衰えが見える(足が動いていない、予測からの第一歩の踏み出しが遅れる)フェデラー選手が敗れた。ジョコビッチ選手のストロークにも強い『気』が乗っていたのかも知れない。フェデラー選手は足元に来た球を繰り返しネットしていた。
第2の錦織圭たちは『気』の入った球を放つように練習してください。
3.あとがき;
ここで述べた『気』は贈る言葉(18)で述べた『気の玉』ではない。
『気の玉』は頭脳の海馬が何かを意志した瞬間に発せられるが、この項で述べた『気』は臍下丹田(臍の10cmくらい下の腹部)から発せられる人間が本来持っている体内の『気』である。
気力を養うとは、この『気』のパワーを大きくする鍛練を行うことであり、様々な練習や経験によって培われるものである。
4.追記:気をボールに込めるとは物理的にはどういう現象なのかを仮説する。
藤平光一氏(故人・合気道十段)の言うところの『ボールと一体になる』と、どうしてボールが打ち難くなるのかをずーっと考えてきた。そして、一つの仮説に到達した。
物体にはその物体の質量に比例する固有振動数(質量の平方根に反比例する値)がある。ボールの固有振動数と同じ振動数でボールを振動させると『共振』が発生することが知られている。『共振』が発生するとボールの振動の振幅が大きくなる。すなわち、ボールの運動エネルギーが増大するのである。
テニスボールを(野球ボールを)ラケットで(投手が)インパクトした(投げる)瞬間にボールに気を込めると、ボールの振幅が通常より増大するとすれば、相手選手がボールをインパクトした瞬間には通常の時より強い力で押される(重たく感じる)はずである。テニスで云えば『ガットへの食い込みが大きくなる』、あるいは床でバウンドしたあとのボールの弾み方が大きくなるはずで、打ちづらくなると思われる。『気を込める』とは『ボールの固有振動数でを共振させる』ことと仮説する。
以上の仮説が正しいとすれば、『自分の体と一体になると思ってボールに気を込めるように打つ』ことがテニスでは重要になるという事である。しかし、ボールに与えるエネルギー量が増えるのであるから、疲れも増大すると思っておくことが必要であろう。(2021年3月6日追記)
『諸君の健闘を祈る』
目賀見勝利より第二の錦織圭たちへ
2018年8月24日
2021年3月6日 4.を追記
2021年7月4日 一部追記
参考文献:
『気の威力』 藤平光一著 幻冬舎 2014年12月15日 第1刷発行
文中に記載