9.5 貴様の力を見せてみろ!
ヴィクトールの合図で、開きっぱなしの格納庫の扉から、丸っこい見かけの可愛らしい乗用車が元気よく飛び出してくる。自由都市連邦で産声を上げ、シドの愛車・チンクエチェントより一回り大柄な車格を持つその大衆車は、「カブトムシ」の愛称で広く知られる。
王立工科大学の学生と思しき若者を四人載せ、トコトコと走ってきたカブトムシは、怪物の前でピタリと止まった。
「まずはそのパワーをお目にかけましょう。君たち、準備はいいか?」
「いつでもどうぞ、ボス!」
各々、窓から身を乗り出した学生たちは、本来なら装備されてないはずの四点式シートベルトのストラップをつまんで、元気に返事をしてみせる。
「結構、それでは始めよう。怪物、貴様の力を見せてみろ!」
芝居っ気たっぷりに宣言し、高々と右手を掲げてみせたヴィクトールに強く頷いてみせた怪物は、おもむろに乗用車に手をかける。中に乗っている四人はこれから何が起こるか知っているらしく、緊張と興奮の面持ちでシートに収まっている。
直後、怪物は乗用車を持ち上げると、全身を躍動させ、真上に放り投げた。
車両、乗員四名、燃料、その他諸々を合わせれば、その重量は軽く見積もってもざっと一・三トン。
そんな物体を二〇メートル近い高さまで投げ上げただけでなく、落ちてきたところを柔らかく受け止めたとあっては、出席者も驚きを隠しえない。
ボール遊びでもするかのような気安さで、乗員満載の乗用車を軽々と投げては受け止め、投げては受け止めを繰り返す怪物。車内でも想像するだに恐ろしい、地獄絵図もかくやという光景が繰り広げられているであろうことは想像に難くない。
「もうそろそろいいだろう、下ろしてやれ」
十回ばかり繰り返された怪物の遊びから開放された乗用車は、再び元気なエンジン音とともに格納庫へと帰ってゆく。だが、運転担当を含めて四人全員が完全にグロッキー状態になっているのは誰もが見ても明らかだった。あっちにいったりこっちに戻ったりと、明らかにハンドルさばきが安定していない。まともなのは車だけだ。
そんな悲惨な被験者たちにささやかな敬意を表したヴィクトールは、朗々とした声で説明を再開する。
「乗用車を軽々と投げるだけのパワーと、それを壊さずに受け止める繊細さの両立、それを実現しているのが大きな特徴です。従来の駆動装置では、大出力と繊細な動作の両立が困難だった。しかし、我々が開発した魔力変換型の駆動装置なら、高出力かつ巧みな動きを実現できるのです」
ヴィクトールの合図をきっかけに、怪物はその場で倒立しただけでなく、そのまま腕立て伏せまで始めてみせた。その身の軽さに、一同は再び感嘆の声を上げる。
「これだけの大きさと身のこなしの軽さを両立させる鍵は、重量の低減です。軽量化は消費電力量にも関係してくる、地味ですが大変重要な技術なのですよ」
ヴィクトール曰く、重要な骨格は繊維強化プラスチックやマグネシウムといった軽くて強い素材を使用する一方で、荷重や負荷の小さいところでは蓄電池自体を構造部材として活用しているとのこと。シドが外装と思っていたのはプラスチックの薄板で、骨格や内部機構を隠すだけの役割しかないらしく、装甲というよりはむしろ化粧板といったほうがふさわしい。
創意工夫と技術をふんだんに詰め込まれ、徹底的な軽量化で不必要なものを削ぎ落とされた怪物は、逆立ちした状態でぐっと沈み込んでから、軽やかにポンと跳ね起き、音もなく着地してみせた。
「私たちがいうのは適切でないかもしれませんが……まるで魔法ですね」
「俺、あんなことできねーぞ……? そもそも逆立ちすらあんな長いこと続かねーし」
「あの図体をあそこまで軽々と動かすとは、想像以上だな」
三者三様で驚きをあらわにしていた魔導士たちだったが、やがてシド口角を上げる。
「あの教授先生とは反りが合いそうにないですが、妹さんはもう少し話がわかる人間みたいだ。大変興味深い技術です。ぜひお話を伺いたいですね」
「あまり喧嘩腰にならぬようにな」
「……気をつけます」
卿から見れば若造もいいところだろうが、シドも一端の何でも屋である。あの兄妹が仕事に役立ちそうな情報を持っていて、それを手に入れられるなら、自分のポリシーや好き嫌いをしばらく押し殺すことくらい造作もない。
「繊細な動きに限っていうなら、こんなことだってできますがね」
その声を合図に、怪物は足元に咲く一輪の花を摘む。
「そこのお嬢さん……そうそこの、目つきの悪いお兄さんの横の」
ヴィクトールに手招きされたローズマリーは、いかがいたしましょう、とばかりに師匠の方を見る。見ず知らずの人間に目つきが悪いと言われるのが癪にさわるシドだが、お世辞にも人相が良くない自覚もあるので反論もできない。小さく「行って来い」と促すばかりだ。
静かに歩み寄る少女を認めた怪物は、小粋な騎士のように片膝をつき、花を手渡す。鋼鉄の巨躯という異形には不釣り合いな所作に、はじめこそ困惑を隠しきれなかったローズマリーだったが、恐る恐る贈り物を受け取ると、いつもシドが見ているのと同じ、綺麗なお辞儀をしてみせた。
絵本の一ページを切り取ったような光景に皆が言葉を失い、あたりが静寂に満たされたが、それはただ一瞬のこと。出席者のほとんどがノリの良いイスパニア人だけあって、直後にはやんややんやの歓声が沈黙をどこかへ押し流す。
そんな中を少々居心地悪そうに戻ってきたローズマリーの顔は、少々赤く染まっているように見えた。クロがもしこの場にいたら、
「気は優しくて力持ち、ってか? シドくんなんかよりよっぽど紳士らしい振る舞いをされりゃ、さすがのCCも赤くなるよね」
と師弟まとめてからかっていたであろう、穏やかで平和な光景だ。
「シュタイン博士、繊細で紳士的な振る舞いとやらも結構だが、軍が出した性能諸元は当然満たしているんだろうな?」
どこにでも、空気の読めないヤツというのはいるものである。
喝采の間隙を縫って、胸に勲章を光らせた軍人が放った一言は、怪物の本質を呼び起こすに十分なものだった。
研究開発に軍が名を連ねる。それはすなわち、怪物が軍事転用を前提に作られているということと同義だ。
我々が陰日向に援助し、便宜を図ってきた事実を忘れては困る――。
研究開発の主たる依頼人は自分たちだと誇示するように腕を組んで仁王立ちする軍人と、怪物をここまで育てたのは自分だとばかりに胸を張るヴィクトール。二人の視線が真正面からぶつかり合い、激しく火花を散らす。




