9.2 絶対面倒な案件だぞ、これ
「万が一というのは、卿の安全という意味ですか? それとも、件の大型機械が暴走する、そういった可能性も考えておられるのですか?」
シドの質問が想定の範囲内だったか、卿とウルスラに動揺の色は見られない。
「相手は量産機ではなく、試作機だ。何が起きても不思議でないなら、万全の備えをしておくのが当然というものだろう?」
「我々が同行しなくても、卿ならご自身で対応できるかと思いますが? それか、管理機構の腕利きでも連れて行ったらいいでしょう?」
「わしが自分の身を守るだけならどうとでもできよう。だが、他の出席者の安全を確保するには、防御に長けた魔導士の力を借りるのが当然の対策と考えるが、いかがかな?」
「卿をお守りする、という枠を飛び越えて、力をもって試作機を制圧、停止させるという事態は、当然考えられます」
ウルスラの提示した最悪の事態を聞いては、もうため息しか出てこない。そういう大事なことは先に言ってほしいものだ。
「人を守るのと、暴走した機械を制圧するのじゃ、見積書やら請求書の内訳ががらっと変わってくるんだ。そんなヤバい事態になるようなら、追加の危険手当を準備してもらわないととても割に合わねーんですが、構いませんね、ガーファンクル卿」
例によって金に厳しいシドの言葉に嫌な顔をしたウルスラだが、ガーファンクル卿が頷いてしまった手前、文句や小言は飲み込む他ない。
「最終的な支払額の決定は、内覧会が終わってからで構わんな?」
「ええ、もちろん。平穏無事に終われば、卿の護衛に関する経費だけで十分ですので」
「……非常事態発生の際は追加で手当を支給、ですね」
「話が早くて助かるよ、ウルスラ」
やれやれ、とばかりにメモをとるウルスラを見て、一番の揉め事のタネの話が無事に済んだ、とばかりに笑みを浮かべるシド。だが、そんな気の抜けた顔も長くは続かない。
「ガーファンクル卿、その試作機とやらには、どれほどの危険性があるとお考えなのですか?」
「わしは工学の専門家ではないし、そもそも代役だからな。正直、よくわかっとらん。ただ、用心に越しておくことはないと思ったのだよ」
相変わらずだなこの爺さんは、とシドは感心する。
魔導士として圧倒的な実力を持ちながらも、対峙した相手や直面する事態に決して油断をすることがない。慢心に陥らないというのも、彼を「万能」の魔導士足らしめているのかもしれない。
「もし仕事を受ける場合ですが、……できれば、管理機構の車を貸していただけると助かります。自分の車が何分古いもので、最近は特に機嫌が悪いものですから。そもそも、三人乗せたらまともに走れません」
「道中も長いからな、構わんぞ。ウルスラ、手続きを頼む」
承知しました、と静かに頷く秘書だが、内心ではシドを厚かましい男とでも思っているに違いない。追加手当について細かく指定した上に、車を貸せとまで言われれば無理からぬ事だ。当のシドは本当のことしか言っていないので涼しい顔だ。
「卿の依頼、受けるか否かを早急に判断して、必要な書類をお渡しします」
「ああ、よろしく頼むぞ」
「例の試作機の図面や諸元があれば、事前に対策を練りやすいとは思うのですが……」
「手配はしてみるが、そのあたりは機密に属する情報だし、なにより管理機構はオブザーバーだ。あまり期待してくれるな」
そうですか、と小さくつぶやいたシドは、まだ見ぬ大型機械に思いを馳せる。幼少の頃から魔導士としての訓練に明け暮れていた彼だが、メカの類には相応の興味があるのは事実だ。そうでなければあれほど気難しい旧車を愛車に選ばない。
「しかし、魔力で動く機械、それも二足歩行ですか」
「ムナカタ、あなた少し嬉しそうね?」
「ロボットにとって、歩くって動作は難しいって聞くからな。それもでかいサイズときてる。ワクワクするなって方が無理だぜ」
もっとも、シド自身も二足歩行で歩くロボットなんて見たことがない。聞きかじった知識をただ右から左へ移しているだけだ。
「男はいつまで経っても子供ね。あなたよりもCCさんの方が、ずっと大人に見えるわよ、ムナカタ」
「そんなの、いまさらあんたに言われなくたってわかってるよ。ガーファンクル卿も、多少なりとも興味はありますよね?」
難しいことを聞くものだな、とつぶやいたガーファンクル卿。事情と立場が、素直に笑うことを許してくれない、そんな顔をしている。
「管理機構の立場からすると、鬼が出るか蛇が出るか、正直気が気でなくてな。何事もなく終わってくれればいい」
鬼瓦よりは柔らかいけれど、親しみはちょっと感じない顔から漏れ出る言葉は、本音か、それとも建前か。
「若いものが自らの魔法を鍛えたり、新たな魔法の使い方を見出すのは結構なことだ。お嬢さんも大いに訓練したまえ。ムナカタという男は一見いい加減に見えるが、仕事に対してだけは誠実だからな」
「……どうも」
だけ、という一説だけ強調された気がするのは、シドの気のせいだろうか。それに対する笑顔も返事も曖昧になりがちだ。
「ムナカタもまだ若いのだから、大いに特訓してその力を振るうがいい。貴様は才も経験も十分ある。師として弟子を導くのは何かと苦労もあるだろうが、学ぶことも多いはずだ。より一層の活躍を期待する」
このまま褒め言葉だけで終われば楽なのだが、そうは行かないのが世の常、人の常だ。『万能』と称され、国内でも屈指の腕前を持つ魔導士は、若い二人を激励する一方で、慢心や増長に釘を刺すことを忘れない。
「ただ、魔法の力を貶めることだけはしないでほしいものだな」
穏やかなのは口調だけ、それ以外は威厳と圧迫感を隠しさえしないガーファンクル卿は、顔と背筋を強張らせた師弟をよそに、必要なことは全て話した、とばかりに席を立つ。
「忙しいところ、話を聞いてくれてすまないな。色よい返事を期待しているぞ、ムナカタ」
――こちらこそご贔屓にどうも、と答えるシドの声から、妙な疲労感がにじみ出ているのは、きっとローズマリーの気のせいではなかったはずだ。
ガーファンクル卿とウルスラを送り出して戻ってきたローズマリーが目にしたのは、先程までの緊張から解き放たれてすっかり弛緩しきったシドの姿だった。クロも飼い主にあてられたか、モップと勘違いするくらいに伸びてしまっている。
「ガーファンクル卿がお帰りになられた途端にこれですか……」
「だって、絶対面倒な案件だぞ、これ」
「どうしてそう言えるんです?」
対面で折り目正しく座っている弟子の手前、さすがに格好がつかないと思ったか、シドは体を起こし、愚痴に限りなく近い自論をぶちまける。
「あのガーファンクル卿が、自分からわざわざ話を持ってくるんだぜ? しかもアポ無し、俺が帰ってくるのまで待つ始末だ。そんな依頼が一筋縄で行くようなもんのはずねーだろうよ」
「それだけ頼りになさっている、ということではないんですか?」
「本来の自分の部下を差し置いて、か? さっきも言っただろ、管理機構が一枚噛んでるなら、わざわざ俺みたいな外様に話をする理由なんてないじゃねーか。中で処理すりゃいい」
シドの反論も至極真っ当なものだから、ローズマリーは眉を寄せて言葉をつまらせる。
【防壁】魔法は決して珍しい類の魔法ではない。シドが展開するものがちょっとだけ特別というだけで、管理機構に所属する魔導士の腕が劣るというわけではないのだ。わざわざシドに出動要請をしなくても、卿の護衛くらい身内で済ませられるはずなのだが。
「卿が先生にお声がけなさったのには、なにか別の意図がある、ということですか?」
「そういうことになるな」
「先生ほどの【防壁】が必要になる事態って、かなり厳しい状況だと思いますけどね……。テロ?」
「軍の敷地だぜ? そんなところで狼藉を働くってのはよっぽど肝が座ってるか考えなしなヤツだけだぜ」
「シド君、悩んだって仕方ないんじゃない? 当たって砕けろ、って言葉もある」
「考えなしに突っ込んで玉砕してんじゃ話にならねーよ」
管理機構の担当者、あるいはウルスラが話を持ってきたのならばまだしも、ガーファンクル卿が直接話を持ってきたことが引っかかって仕方ないシドとは対象的に、クロは根が楽天的なせいか、あまり気にかけていないらしい。
「でも、電力を魔力に変換する技術というのは、気になる話ですよね?」
それはそのとおりだ、とシドも腕を組んで頷く。
魔力生成器官に頼らない魔力の生成なんて、魔導士からしてみれば夢物語以外の何物でもない。それを工学的手法で常識に変えてみせたというのなら、それこそ魔法と称しても差し支えのない技術だ。
「やってることは魔導式の逆なんだが、どういうわけか誰も実現できなかった。どんな魔導士がそれを成し遂げたか、面を拝んでみたくないって言ったら嘘になるな」
「先生、その言い方はどうかとは思うのですけれど……。いずれにせよ、ここは一つ、現物を確かめにいかなければなりませんね?」
小さく拳を握りしめ、静かだが熱のこもった口調で熱弁するローズマリーを見て、なんでそんなにやる気なんだか、とシドはため息をつく。
「わざわざ火中の栗を拾いにいかんでもよかろうに……」
言葉を濁すシドだが、興味が無いと言ったら嘘になる。内容によっては「魔法使いもどき」の正体に近づく一歩になりうるかもしれない。それに、シド自身にとってもローズマリーにとっても、少々毛色の違う魔法に触れて見識を広めるのは悪いことではない。
そもそも、護衛任務というのは水物だ。トラブルさえ起きなければ、特に労せずに一定額の報酬が転がり込むのも事実だ。新しい知識と報酬が一緒に手に入るというなら、万屋の長としては行かない理由はない。
「……とりあえず、厄介事にならないことだけを祈るか。CC、見積書を作るから準備してくれないか?」
やった、とばかりに小さく笑みを浮かべた少女は、軽く跳んだ黒猫とハイタッチすると、一礼して客間を後にする。
そんな後ろ姿を眺めるシドだったが、どうも思考を楽天的な方へ切り替えられずにいた。理論や理屈ではなく、魔導士として修羅場を多く潜り抜けた経験がもたらす予感めいたもの。それが心中に立ち込めつつあっては、ただでさえひねくれている彼のこと、なおさら素直に笑うことなんて出来やしないのである。




