9.1 万が一ということだってある
――どうも様子がおかしい。
シド・ムナカタは日々の変化に疎く、鈍い。
同居人にして弟子の少女・ローズマリーが少し髪型を変えたり、愛用のメイド服の意匠にちょっとした工夫をこらしたり、いつもと違う豆でコーヒーを淹れたりしたくらいでは、まず気づかない。
そんな彼がひと目見てわかるくらい、帰宅した彼を出迎える少女は緊張し、それほど柔らかいとは言えない眼差しと、見かけ以上に小さな背中を一層強張らせていたのだ。
「どうした、CC? 通りの向こうでこの世の終わりが手ぇ振ってるみたいな顔してるぜ?」
「お客様です、先生……。お帰りになるまで待たせてほしい、とのことなので」
彼女を和ませようと繰り出した精一杯のジョークが不発に終わり、少し落ち込んで肩を落としたシドの足元で、黒猫が一声鳴く。彼女にもどことなく余裕が感じられないあたり、待たせている客は彼が想像している以上に厄介な相手のようだ。自宅兼事務所だと言うのに、客間へ続く扉を開ける所作も、いつもよりやや慎重になる。
「お待ちしていましたよ。ずいぶん遅いお帰りですね、ムナカタ」
来客者は二名。
片方はシドもよく見知った顔で、この前もお小言をいただいたばかりの相手――ウルスラだ。メガネの向こうから眼光で容赦なく彼を射抜く。遅い帰宅を咎めているのが言葉にせずとも伝わってくるが、シドも年中昼行灯というわけでもないのだから、そんな目で見られても困ってしまう。
もうひとりの客はその隣で穏やかに微笑み、立派なひげを見せびらかすように撫でている。
「すまんな、ムナカタ。外出中とその娘さんに伺ったから、待たせてもらうことにした」
「ガーファンクル卿? どうしてここに?」
高名な訪問者が自分の事務所で悠々と茶を嗜んでいる、という斜め上の光景には、シドも驚きに目を見開き、立ち尽くさざるを得ない。
ユリウス・ガーファンクル卿。魔導士管理機構の理事、すなわちイスパニア全土の魔導士を束ねる立場の人間である。その肩書に違わぬ忙しい立場なので、会おうと思ってもなかなか会えるものではない。そんな人物が、まさか事前連絡無しにこんな場末の何でも屋を訪れるなどとは予想だにしていなかった。
「どうした、ムナカタ。呆けた顔をして?」
「全く、どこをほっつき歩いていたのですか? そんなところで立っていないで、早くこっちにいらっしゃいな」
来客者達に促され、シドは釈然としない顔のまま、対面のソファに腰を下ろす。ウルスラだけならまだしも、ガーファンクル卿が相手とあっては、いつものように姿勢も神妙な面持ちも崩せない。
こんな調子では、どちらが部屋の主かわかったものではない。クロはいつのも窓辺やソファの上ではなく部屋の隅に陣取り、ぬいぐるみのように大人しく座っている。
「お茶のおかわりをお持ちしました」
ローズマリーが台所からティー・ワゴンを押してきたのをきっかけに、シドは要件を聞き出しにかかる。
「……今日はどのようなご用向きで?」
「珍しく大人しいですわね?」
「そうだぞ、ムナカタ。ここは貴様の城だ、楽にしてもらって一向に構わんぞ?」
「卿が相手ではそうもいかんでしょう……」
ほっといてくれよ、とシドはつい苦い顔をする。魔導士管理機構のお偉いさんの御前でいつものようなアホな振る舞いができるほど、彼の神経は太くはない。
「なにか緊急の案件ですか?」
「そうでなければ、連絡もなしに来ないぞ」
「ああ、そうですね。……そうですよねぇ」
バカな質問しちまったな、とシドは少々しどろもどろになる。仕事柄、卿と話したことは少なくないのだが、予期せぬ状況に思考のほうが追いついていないらしい。
「貴様は在野の魔導士の中でも経験が豊富な方だし、揉め事解決の専門家と来ている。重い仕事も頼みやすいから助かるな」
シドのお得意様の二大巨頭は、警察、そして魔導士管理機構だ。両方金払いの良い相手なのだが、持ってくる案件の多さは警察、面倒さは管理機構が一枚上手、というのがお決まりだ。管理機構に居並ぶ熟達の魔導士が手に負えないと判断する案件の厄介さは推して知るべしである。
「時に、例の捜査のほうはどうだ?」
「先週報告した以上の進展は、まだ何も」
二人の間で「例の捜査」となれば、魔法使いもどきの件を除いて他にはない。その進捗については、カレンも交えて頻繁に報告している。今の段階では特段新しい情報もないので、正直に答えておくことにする。
「話を聞いたときはまさかと思ったが、魔導器官なしに魔法を使うというのも不思議な話だな」
「実現の見込みが立っている技術といえば、人工魔導回路を使った魔力の伝達くらいのものです。魔力生成器官と変換機構の培養や代替技術の実現は程遠いですし、仮にできたとしてもそれらを人間に移植するとなれば絶対に痕跡が残る、というのが専門家の見解です」
「外科的な方法では不可能、だったな」
「それ以外の方法は、今調べているところなのですが……」
シドの表情から捜査が難航していると見て取ったのか、卿がシドの言葉を遮った。
「実はな、ムナカタ。面白い話があるのだよ。直接『魔法使いもどき』事件にはつながらないかもしれんが、捜査の一助になるやもしれんと思ってな」
「伺いましょう」
「時に、貴様は日本の生まれだったな?」
そのとおりです、シドは静かに頷く。あと数年もすればイスパニアで暮らした年数と日本で過ごした年数が逆転するのだが、それはこの際些細なことだ。
「ということは、ロボットに相応の興味と見識があると考えてよいのだな?」
「……は?」
卿の言葉を解しきれずに素っ頓狂な声を上げたシドを、ウルスラが静かに睨みつける。とはいえ、彼だけを責めるのは少々酷というものだ。師匠の横で静かに控えていたローズマリーすら、思わず首を傾げてしまったのをみれば、その質問の唐突さは推して知るべし、といったところだろう。
「日本の者は皆、ロボットの知識に長けていると娘に聞いたのだが……はて……?」
情報元は卿の娘か、とシドは苦笑する。
日頃から和の装いを好み、荒事の友に刀を選ぶほどに日本文化を愛してやまない彼女だが、知識には時折とんでもない偏りが見うけられる。おおかた誰かが吹き込んだ冗談を真に受け、そのまま父親に伝えたのだろう。
「その類のテレビ・アニメは相当数ありますし、ロボットが産業に深く浸透しているのも事実ですが、卿のご期待に沿える者は、おそらく稀かと」
「貴様はどうなのだ」
「残念ですが……」
そうか、と首をひねって髭を撫でる卿の顔に落胆が見え隠れしているが、シドも嘘をつく訳にはいかない。こんなところで妙な見栄を張って後で面倒なことになるよりは、無知を晒してがっかりされる方がよっぽどマシである。
「ロボットとはずいぶん唐突な話ですね。管理機構でそんな物を作っているという話は聞いたことがありませんが……」
「順番に説明していこう」
ローズマリーの問いかけに答える卿の口調は実に穏やか。祖父が孫に語って聞かせているようだ。
「数年前から、王立工科大学の工学部と軍が共同で二足歩行機械の研究をしていてな」
「管理機構もそれに関わっているのですか?」
「いや、我々はあくまでも、魔導士を監督し魔法を管理する立場だ。研究に直接関与していないが、参考人として関わっている」
顎に手を当て、仲良く揃って頷く師弟だが、その後の反応は対照的だ。ローズマリーは卿の説明に納得したようだったが、シドの方は疑問がとめどなく溢れてくるのか、頷いた直後にはもう首を傾げている始末だ。
「管理機構にお声がけがあったとなると、そのプロジェクトは魔法絡み、と捉えていいわけですね?」
「そのとおりだ。なんでも、外部から供給した電力を魔力に変換して、機械を動かすらしい」
シドが無意識のうちにあげた片方の眉は、興味の証。
魔導式を介して、魔力を熱や電気に変換することができても、その逆はできない。それが魔導士の中での定説だった。それを覆す技術は、魔法のあり方に一石どころか数十石、数百石を投じうるし、事と次第によっては「魔法使いもどき」の捜査方針も大転換を迫られる。
ガーファンクル卿の言葉を受けて、ウルスラが説明を引き継ぐ。彼女の声はいつものように歯切れがよく、実に聞き取りやすい。
「王立工科大学・イスパニア王国陸軍は現在、二足歩行の大型作業機械を共同開発しています。その内覧会が来週に予定されているのです」
「内覧会?」
「プロジェクトの遂行には、多額の資金援助を一般企業から受けているからな。彼らに成果を示す場だ」
「当日はガーファンクル卿も出席予定です」
「管理機構側の責任者ってことですか、ずいぶんお忙しいことで」
「それは少し違うのだよ」
シドの言葉を柔らかく否定すると、卿は少しうんざりしたようなため息を付いた。
「本来の責任者は別の理事でな。わしはその代理だ」
「こんな間際になって押し付けてくるなんて、まったく何を考えていらっしゃるのでしょうか」
珍しく忌々しげに悪態をつくウルスラだったが、卿のたしなめるような視線に気づくと、一つ空咳をつき、話を本題に戻す。
「内覧会の会場は、陸軍の射爆演習場です」
あそこか、とつぶやいたシドの頭によぎるのは昔の思い出だ。
外国人部隊に所属していた頃、訓練と実験のためにさんざん訪れた場所である。施設の特性上、四方を山に囲まれており、近くに娯楽はおろか、まともな街すらない。飲む・打つ・買うを生きがいと言って憚らない同僚がずいぶん苦しんでいたのを覚えている。
「万屋ムナカタのお三方には卿にご同行いただき、万が一に備えて護衛の任についていただきます」
「『万能』の魔導士、ユリウス・ガーファンクルを? 俺たちが? そんな必要があるのか?」
年老いてなお、あらゆる魔法を高水準に使いこなし、国内でトップクラスの実力を誇る万能な魔導士として知られるガーファンクル卿。そんな大人物を護衛しろなんて、シドには冗談にしか聞こえないのだが、話を持ちかけた管理機構の二人は至って大真面目だ。
「お褒めの言葉をいただけるのは嬉しいがな、ムナカタ。わしもさすがに、寄る年波には勝てん。それに、万が一ということだってある」
万が一。
その単語にどこか引っかかりを覚えたシドの眼差しが鋭くなる。同じ単語でも、ウルスラと卿ではその意味合いが変わってくるのだ。その真意を向こうが朗らかにしないかぎり、首を縦に振るわけには行かない。
懐から手帳を引っ張り出し、万年筆のペン先を繰り出したときにはもう、普段の鈍くてだらしのないシドはそこにはいない。顔つきも歴戦の魔導士に相応しいものに変わっている。




