7.34 よろしく頼むぜ、相棒
万屋ムナカタ、夜十一時。シドは例によって、客間のテーブルに資料と手帳を広げていた。
管理機構や警察への報告をカレンに任せている間に、自分は次の行動指針を練っておこう、となんとなく考えていたのだ。それに、弟子が体を張って証拠を掴んでくれたのだから、その活躍に多少なりとも報いなければならないだろう。
一連の「魔法使いもどき」事件に、シドはもはや片足を踏み入れるどころか腰くらいまでどっぷり浸かってしまっている。幕を下ろすのは彼以外の誰かかもしれないけれど、その人のためにある程度の道筋をつけてやる必要があるだろう。そう考えると、やっておくべきこと、考えなければならないことは、それなりに多い。
「そういう真面目な仕事ぶりを見せてあげれば、あの娘が君を見る目も変わってくると思うんだけどねぇ?」
シドが振り向いた先にいるのは、少しくたびれた様子の黒猫。熱心に仕事をしている時に限って、彼女はこうして音もなく現れ、彼をからかって笑うのだ。
「CCはもう寝てるのか?」
「ついさっきね。最近はいろいろ質問攻めにされて参っちまうよ」
「一体何を話してるんだか」
「それは乙女の秘密ってやつだ、訊くのはヤボってもんだよ、シド君」
テーブルに飛び乗った黒猫、その意地の悪い返事もいつものことだ。シドも今さら特に気にしてはおらず、それどころか彼女につられて小さく笑うくらいだ。
「今回はいろいろ助けてもらったな」
「今回も、だろう? ま、至らない主人を支えるのも、使い魔の立派な仕事だからね」
「そう言ってくれると救われる。体の調子はどうだ?」
「体? ああ、もうなんともない」
ハンディアにいたときにはさんざんくしゃみと鼻水に悩まされていたクロだったが、今はすっかり元通り。力こぶなんて作れはしないけれど、しっぽを機嫌良く振り回して回復をアピールする。
一方、シドの表情は、元気いっぱいとは程遠い。もともと活気とか情熱なんて言葉と無縁の彼だが、今夜は輪をかけて、目元に疲れがにじみ出ている。
「珍しい、なんか気に病むことでも?」
「悩みがなさそうに見えるかもしれねーけど、あいにく、俺だって人並みに悩むさ」
「事件の話かい?」
「それを含めて、いろいろな」
「……その勤勉さは、やっぱり弟子が起きてる時間帯に発揮したほうがいいんじゃない?」
周りに師匠や先生と呼ぶべき人は数多くいる。だが、彼自身ががどのような指導者となれるか、あるいはなるべきか、今ひとつ明確なビジョンが見えていないのが本音だった。
とはいえ、できもしない師匠像を演じたところで、どうせ長くは続かないしすぐに見破られる。ローズマリー自身がしっかりした娘なので、
自分を反面教師にするんだったらそれでもいいし、締めるところだけ締めてけば問題ないだろう、と考えるようにしてはいるのだが。
「真面目になるべきときには、そう振る舞うさ」
「それならいいけどね」
シドももういい大人だし、何より万屋ムナカタの主である。あまり下手な行動には出るまいと踏んでいるのか、彼がよっぽど無茶苦茶な提案をしてこない限りはクロも無理に説得に踏み切ることはない。
「……投与するだけで魔法を使えるようになる薬なんて、あると思うか、クロスケ?」
「そんなもんがありゃ苦労はしないし、あったとしても命と引換えだろ? 君達が相手取った『魔法使いもどき』が辿った末路、忘れたわけじゃないよね? リスクとリターンが釣り合わなすぎだよ」
忘れるはずもない。
逮捕された二人は留置場で静かに唐突な死を迎え、逃亡した一人も遺体となって発見されている。
「そもそも、そんなヤバいブツが普通の流通に乗るとは、ボクには到底思えないけど?」
「然るべき筋をあたる必要があるわけか……」
「何か心当たりでもあるのかい、シド君?」
ないわけじゃねーけどな、と呟くシドの表情は沈むばかりだ。正面から「ヤバいブツ扱ってる?」と聞いてまともに対応してくれる輩なんて、よほどの物好きか頭のネジが数本足りないかのどちらかなので、できることなら関わり合いになりたくないというのが彼の本音である。
「魔法絡みとなると、警察の情報網でカバーできないところも出てくるからな。ある程度、俺たちも動いておいたほうがいいかもしれない」
「まあ、そもそもそんなおクスリがあれば、って話だけどね」
場の空気を少しでも軽く、あるいは明るくしようとしたのか。クロは軽口を叩いてみせるが、相棒はクスリとも笑わないどころか、苦笑いすら忘れてしまっている。
「……シド君、まさか、そんな都合のいいものが存在するって本気で信じてるんじゃあるまいね?」
「常識的に考えれば、そんなものはありえない。でも、常識に囚われたままじゃ、先に進めない。そんな気もするんだよな」
今のシド達の手元に残された可能性はあまりにも細くて、頼りないにも程がある。だが、ほかに縋れるものもないというのも事実だ。
「どっちにしても、これからの方針は警察とか管理機構と決めなきゃならねー話だ。それまでにせいぜい情報を集めてみるさ」
「おっ、珍しくやる気だね?」
馬鹿言ってんじゃねーよ、とシドはため息をつく。
「初めてCCを現場に連れてった時とか、逃走犯を追っかけさせたときには、ちょっと頭のネジが緩んだ魔導士がやんちゃして、アンディがまた泣きついてきたくらいに思ってたんだ。
それがどうだ。いまや警察や場末の何でも屋はおろか、魔導士管理機構の有望な魔導士まで捜査に巻き込むなんて、誰が予想してたよ? 挙げ句の果てに、最初の出張で吸血鬼を相手取った挙げ句に、カレンが【憑依】を使う始末だ」
「まさに前途多難だね」
「これから先も、ハンディアの姫君クラスの能力者を向こうに回す可能性は充分ある。そうなりゃ俺でもさすがに、褌を締めて気合を入れるってもんだよ」
そう言って拳を固めるシドだが、本人の言う気合の入った表情とやらはそう長くは続かない。
「とはいっても、人体の構造は専門家の領分だからな。俺もあんたもCCも、魔導士であって医者じゃない」
「できることなんてせいぜい、魔導器を扱う連中に、その手の薬が出回ってないか聞いて回るくらいのもんだよね? まあ、正面切って聞いたところではぐらかされるのがオチのような気もするけど。当初の予定通り、アンディ君やお嬢様と歩調を合わせるほうが懸命じゃないかと、使い魔としては思うのですよ」
「先走った行動はご法度、か。CCにもよく言って聞かせねーとな」
「彼女はそこまで分別のつかない娘じゃないだろうけど、油断はしないほうがいいかもね。あの年頃の子は危うすぎて目が離せない」
クロは、猫とは思えない不敵な笑みを浮かべる。
「シド君、面白くなってきたじゃないか?
ありふれた些細なトラブルが、いつの間にやら雲を掴むような怪事件に発展して、しかもその渦中にボクらがいるんだよ?」
「面倒事はゴメンだし、それが大事になる前に対処するのが本来の仕事ってことを忘れないでほしいもんだぜ」
「何いってんだよ、シド君。一度しかない人生なんだ、ちっとは楽しまないと損じゃないか?」
「俺は波乱万丈な人生よりも、平穏な、平々凡々とした人生を望むよ」
そうは言ってみるシドだったが、内心、もはやそんな暮らしは望めないだろうと諦めている。持って生まれた魔法を頼みの綱に、舞い込んできた揉め事を報酬と引き換えに解決する、限りなく日陰者に近い生き方を選んでいる時点で、もう平穏な人生という言葉とは無縁といっていいのだから。
幸いなことに、彼は一人ではない。長年連れ添った相棒と、一歩一歩着実に成長を続けている弟子、警察や管理機構、オンボロ教会の仲間。みんな癖は強いけれど、いざという時には力を貸してくれる、気のいい連中だ。
なにも言わずに差し出されたシドの拳を、クロはいつもより少し強めに引っ叩く。
「また面倒事に巻き込んじまうが、よろしく頼むぜ、相棒」
「はい、先生。お供いたします……いや、冗談だって、シド君。そんな顔で睨むなってば」
冗談交じりにローズマリーの口調を真似たクロだったが、どうもシドのお気に召さなかったらしく、思いっきり睨まれてしまう。
いつもの飄々とした様子はどこへやら、慌てた様子で言い繕った黒猫は、触らぬ神に何とやらと言わんばかりにテーブルから飛び降りると自分の寝床へとすっ飛んでいくのだった。




