7.27 ……なんちゃって、な
静と動、柔と剛。
絨毯越しでも足音が部屋に響き渡りそうなカレンの踏み込みに対し、エマのそれは静かですり足に近いものだ。
二人の戦型が生む、足の運び方の違い。それを逆手に取ったエマは、
「【氷結】!」
カレンが踏み出したその先を含む床一帯を、狙いすましたように凍りつかせる。
勢いよく、そして迷いなく踏み出している左足はもう止められない。
足を取られたカレンは足を滑らせ、踏ん張りが効かずにバランスを崩す。
そんな体勢から無理やり振るわれた刀は、威力が明らかに足りない。幼女の円盾で易々と防がれるどころか、弾かれて更にバランスを崩してしまう。そして、完全に態勢の崩れた敵を見逃すほどエマも甘くはない。
「がら空き、じゃ!」
最短距離で致命傷を与えるべく、氷剣を目一杯突き出す幼女だが、切っ先に肉を刺し貫く手応えが返らない。
無理な体勢から更に無理を重ねた淑女は、体を大きくひねってどうにか刃を交わし、大きく転がって距離をとろうとする。
相手が逃げに転じたここを攻め時と見たか、エマも追撃の手を緩めない。氷柱を矢継ぎ早に発現させてカレンを追いかける。
「うっとうしいっ!」
後ろに数回転がって、片膝立ちの体勢にまで持ち直したカレンは、苛立ちとともに剣を叩きつけて氷柱を木っ端微塵に砕く。
「手伝うか?」
「やかましい、すっこんでろ坊主! コイツは俺様の獲物だ、余計な手出ししたらブッ殺すぞ!」
エマを歯ごたえのある獲物と見込んだか、カレンは歯をむき出しにして獰猛な笑みを浮かべている。もとの淑女の意識は、想像以上にしっかりと刀に侵食されているようだ。シドは小さく「まずいな」と吐き捨てる。
「クロスケ、あんたはやっぱり、CCを守ることだけ考えてくれ」
「それは、いざというときはシド君があのバケモン二人を相手取る、ってことでいいよね?」
「他に方法もなさそうだしな」
淑女と幼女の間に漂う緊張感と、それを切り裂くように時折繰り広げられる、息を呑むほど見事な剣戟。そこから目を離せないでいるメイド少女の邪魔をしないよう、クロはできるだけそっと、彼女の肩に飛び移る。
そこだけ切り取れば微笑ましい光景だが、それをずっと見守って愛でている余裕など、シドにはない。真っ向から切り結ぶ二人の動きを常に把握しておかないと、いざという時に出遅れるかも知れないのだ。目の前で暴れまわり、舌戦を加速させる淑女と幼女を視界に捉えたまま、いつもより多量の魔力を一気に【圧縮】する。
「飛んだり跳ねたり、忙しいやつじゃのう? まるで軽業師じゃ」
「それが遺言にならねぇようにせいぜいお祈りするこったな。もっとも、あんたが祈りを捧げた神ごと、まとめて斬って捨ててやるよ」
不覚を突かれる危うい場面を経てなお、カレンのギラギラした目線、そして遠慮会釈のない荒い言葉の勢いは衰えを見せない。自らの剣に対する絶対不変の自信が、彼女の大上段の構えにそのまま現れている。もはや、魔法を上手く使って立ち回るエマの間合いにいかに踏み込み、絶命必至の一発を食らわすか、それだけしか頭にないようだ。
「ずいぶん良くできた魔法じゃねぇか、チビ助」
「小娘のあとはチビ助呼ばわりか。貴様、剣を抜いてからこっち、本当に品がないのう」
淑女の粗暴な物言いが癪にさわるのか、エマが心底不快そうなため息をつく。
「魔法自体は別に大したことはない。どんな魔法も大事なのは使い方じゃからな」
よくもまあいけしゃあしゃあと、とシドが小さく呟く。
魔力を使って生成した大量の水から瞬時に熱を奪い、かつ狙いすました場所を凍りつかせる。そんな芸当ができる魔導士は、世界に数人といないだろう。それはもはや、魔法の使い方が上手い云々の問題ではない。
どういう星のめぐり合わせか、最近の彼は希少技能を持つ魔導士に出会うことが多い。それは別にいいのだが、問題は彼らと敵対関係に陥りがちということだ。自分の経験の枠を超えた魔法への対策は、正直骨が折れる。
だが、嘆いていても収集はつかない。どうにか二人を止めるまで、この会議室を出るわけにはいかないのだ。
「お二人さん、もうぼちぼち矛を収める気はねーのかい?」
「あるわけねぇだろ、坊主? さんざコケにされて黙って引き下がれるかってぇの。邪魔立てするならご自慢の魔法ごとぶった斬るぞ?」
「吾輩も同意見じゃ。割って入るなら覚悟せい、貴様から先に素っ首を刎ねてやるぞ?」
決着がつくまで黙ってみてろとは乱暴な言い分である。取り付く島がないとはまさにこのことだ。
ただ、シドにしてみればカレンにもエマにも死なれるワケにはいかない。「魔法使いもどき」の捜査に支障が出るのもそうだが、眼の前でバッタバッタ人が死なれるのも夢見が悪いし、何よりもローズマリーの教育によろしくない。
――昔はもう少しマシだった気がするな。
強敵を前にして、武器に秘められた能力を開放して戦う。
カレンの使う【憑依】とはそういう類いの魔法で、ただでさえ強い彼女が、一段も二段も上の剣の高みに登るのだ。
だが一度その能力を開放してしまうと、往々にして、刀に意識を乗っ取られてしまう。そうなった彼女は命のやり取りそのものに生きがいと快感を覚えてしまうのか、相手の生命を獲るか、少なくともその一歩手前に追い込むまでは止まらない。
その戦いぶりは、まさに「狂」の一文字。
多数を相手に窮地に立たされようが、雲霞の如く弾丸や剣閃が飛び交おうが意に介さない。普通なら戦意を失うほどの手傷を負っても、彼女は決して刀を収めず、敵と認識した者をしぶとく追い詰めて喉元を食いちぎるのだ。【憑依】を使ったカレンが、自発的に止まることはまずない。
さら厄介なことに、彼女が刃を抜くときは相当の手練が相手である。抜刀して力を開放した淑女と、強大な力と巧みな技術を持つ敵の合間、そこに割って入るとなると、三者が無傷で解決とは終われないのだ。
シドが思いつく、この場を切り抜ける方法は一つ。
エマに死なない程度の手傷を負わせた段階で、カレンを【憑依】から引き戻す。
その時を逃さないように、彼は静かに魔力を【圧縮】しながら、目を皿のようにして二人の一挙一動を眺め続けている。
その間に繰り出されたカレンの散発的な攻撃は、いずれもエマの円盾で受け流された。氷の盾自体が持つ丸みと限りなく小さい摩擦。虎徹との相性は最悪のようで、斬ろうが突こうが、刃は明後日の方向へ滑ってしまう。
さらに、エマは床を【氷結】させ、カレンの攻め手を更に鈍らせてくる。刀の軌道をそらされた挙げ句、踏み込んだ足元を掬われては、さしものカレンも体勢を崩され、逆にそこを狙い撃たれるのだ。今のところは人間離れした反応と身のこなしでどうにか回避しているけれど、それがいつまでもうまくいく保証はどこにもない。
やれやれ、と悪態をつくカレンだが、口調と表情がまるで合致していない。どうやってあの氷盾をぶち破ってやろうかとでも思っているのか、舌なめずりまでしている。
「おい、大口叩くくらいなんだから、ちゃんと策はあるんだろうな?」
「さあ、どうだかね?」
シドの問いかけに、豪快な太刀筋からは想像もつかないすっとぼけた答えを返した淑女は、刀の峰で首筋をポンポンと叩く。
「チビ助の盾は、たしかに厄介な代物だな。斬ろうが突こうが軸をずらされるばっかで、コンニャクでも相手にしてる気分だ。
いや、コンニャクのほうが煮て焼いて食えるぶん、まだマシか」
チラリと目釘の様子を確認したカレンは、大上段で構えなおし、次こそは固い護りを破らんと気合を入れ直した。
「どこぞのバカの見えない壁も厄介だが、こっちの一発をまともに受けてくれるぶん、まだ破れる希望が持てるってもんだぜ。流されちまったらぶち破る以前の問題だもんな。
ま、見てろよ、ムナカタの坊主。次こそは破ってみせるぜ。俺様の渾身の一発、目ん玉見開いてきっちり拝んどけよ」
その自信はどこから来るんだか、と思っているのはシドだけではないようだ。カレンに対峙しているエマの顔は呆れを通り越し、どこか諦めているようすらみえる。
「……吾輩はどうやら、貴様のことを買いかぶっておったようじゃな」
「誰が言ったかまでは覚えちゃいねぇが、テメェの一番得意な技を磨く、ってのが剣の基本だからな」
「一念岩をも通すとはいうが、念じるだけで通るならこんなに苦労はせんだろうよ。一番得意な技で来るなら、それもよかろう。貴様の曲芸もいい加減見飽きたし、次で終幕じゃ」
「せいぜい吠え面かかねぇように気ぃつけな、チビ助」
すう、と息をついたときには、カレンの眼差しから油断も隙も消えている。
「先生、カレンさん、大丈夫でしょうか?」
「さあな」
そっけなく答えるシドに不満でも覚えたか、ローズマリーは口を小さくとがらせる。
「そう逸るなよ、CC。シド君にも何かしら考えがあるのさ」
それよりも、とクロはローズマリーの耳元に顔を寄せ、絞っていた声量をさらに落とす。
「もしとなりののっぽのメイドが動き出したら、止めるのは僕たちだ。いつでも動けるようにはしておきなよ」
「大丈夫、任せておいて」
「あと、最終的にあのお嬢様を引き戻すのも、たぶん僕らの仕事になる」
「どういうこと?」
「来るべき時が来たら、きっとシドくんが合図してくれるよ。そしたら君は何も考えずに、お嬢様の腕に手刀の一本でも食らわせて、あの日本刀を叩き落とせ」
クロの足りない説明に納得がいかない様子のローズマリーだったが、小さく頷くと唇を引き結ぶ。
そんな二人を横目で見ていたカレンは、豪快に笑いながら宣言する。
「心配すんなよ、嬢ちゃんに黒いの。次の一撃で仕舞いだ、大人しくそこで見てな」
ぐっ、と沈み込んで力を蓄えたカレンは、更に深い前傾姿勢で今度は音もなく突っ込んだ。
先に見せていた以上の力強い足運びと踏み込みに、エマが戸惑ったのもほんの一瞬のこと。どんな一撃でも捌き切ってしまえば勝てる、そんな自信が取って代わる。
「結局攻め一辺倒か、愚か者が!」
先程と同じ、狙いすましたような【氷結】魔法に足を取られたカレンの体躯が、ぐらりと揺らぐ。
「しまった……!」
これまでのやり取りでも、カレンがバランスを崩す場面は多々あったが、驚異的な身のこなしと反応で不十分な体勢から一撃を見舞い、かつエマの刃を避けてきた。
だが、今までとは状況が違う。
幼女が【氷結】を仕掛けるタイミングが予想より早かったのか、カレンはそれに対応しきれていないようだ。立て直しにかかろうとしてはいるものの、明らかに遅い。
もう一つの問題はエマとの距離だ。
淑女は特段大柄ではないし、いくら彼女が剣に長けていても腕を伸ばせるわけではない。一撃を加えるには間合いが遠すぎる。
迫りくる地面に目を見開く淑女、もらった――と嘲笑う幼女。
カレンを守るべくシドが駆け出すのと、エマが一歩を踏み出したのは、ほぼ同時だった。
完全にバランスを崩した相手など据え物同然とばかりに、円盾を引いて前へと踏み出たエマは、迎撃を狙って右腕を突き出す。
狂気さえ感じさせるその相貌に写ったのは、
「……なんちゃって、な!」
四肢の筋肉すべての力を躍動させ、今まさに獲物を仕留めんとする猛虎の顔をした、淑女。
舌なめずりまでしてみせるその様子に、エマは頬が引きつらせ、顔色を変える。
バランスを崩したと見せたカレンは、地を這う虎もかくやとばかりの低さで飛んでいた。
突き出されたエマの氷剣に手応えが走るが、それは命を獲るに足るものではなく、カレンの勢いを削ぐには至らない。
「遅ぇよ、何やったって手遅れだ」
地面すれすれを跳びながら回転する。
これまでみた中で最も人間離れした動きを認め、全力で一歩下がろうとしたエマだったが、淑女の言葉通り、その一歩はあまりにも遅きに失した。
振るわれた刀身の青白い剣閃とほぼ同時に響くのは、早さの象徴たる高い風切り音。
そして、場に舞ったのは背筋を凍らせる鮮血と、氷剣を握りしめたままの幼女の右腕だった。




