7.26 全てはお嬢の心ひとつだ
「剣と命を共にして、技を鍛えし幾星霜」
薄い微笑みには似合わない、厳しい詠唱を唱える淑女。その背中が語るのは、相対した者をねじ伏せるという、強者の自信。先程まで彼女を包んでいた、良家の娘の持つ淑やかさも華やかさが、一言ごとに薄れてゆく。
「死線を超えしその先に、答を求めいざ行かん――」
そして、いつしか彼女の顔に浮かぶのは、ギラついた好戦的な眼差しに、口元に浮かぶ不敵な笑み。
「【憑依】!」
シドの方へ振り返った彼女からは、いつもの温かみや穏やかさは露と消えている。
「よお、久しぶりだな、坊主!」
変わったのは、雰囲気や表情だけではない。
誰に対しても丁寧な、時として慇懃無礼とさえ取れるお嬢様言葉を紡ぎ出していたはずの唇から溢れ出てくるのは、戦場を棲家とする者にこそふさわしい、粗暴な男言葉だ。
「その様子だと……あんた、『虎徹』か?」
「おう、覚えてやがったか! テメェもずいぶんデカくなったじゃねぇか」
刀の峰で自らの首筋をポンポン叩き、大口を開けてがっはっはと笑う姿からは、名家の子女らしさなぞこれっぽっちも感じられない。まさしく、何かに取り憑かれているというのがふさわしい立ち居振る舞いだ。
「久々に呼び出されたと思えば、テメェら、相変わらず揉め事に首突っ込んでんのか?」
「そんなところだよ」
まったく落ち着きのねぇガキ共だなぁ、と悪態を付きながら、カレン――の姿を借りた虎徹はあたりを見回す。
「なんでぇ、防戦一方かぁ? テメェ、腕が落ちたんじゃねぇか?」
「俺はもともとこういう戦型だよ」
「あぁ? そうだっけかぁ? で、俺様にどうしてほしいんだ? この凍った世界の主をぶっ倒しゃいいのか?」
「理解が早くて助かる。術者のちびっ子の相手を任せたいんだ。のっぽのメイド……洋装の女中の方は、俺がなんとかする」
なんだよなんだよ、と口をへの字にして、カレンは不満をあらわにする。カレンのままでは絶対に見れない表情は新鮮だが、それに感心している余裕はない。今はこの場を乗り切ることが先決だ。
「どんな猛者が相手かと思ったが、女子供かぁ? ったく冗談じゃねぇぜ」
「長曽祢虎徹とあろう名刀が、小娘一人も相手にできねーってか?」
軽い調子で煽るようなシドの口調に神経を逆撫でされたか、カレンの目の色が変わる。
「馬鹿にしてんのか、坊主? みんなまとめて、俺様一人でチョチョイのチョイよ」
「よし、頼む」
頼りにしてるぜ、とばかりにシドに背中を叩かれたカレンは気合の入った雄叫びをあげる。だが、直後にシドに襟首を掴まれて待ったをかけられたものだから、咆哮は思いがけず間抜けなうめき声に取って代わられた。
「なんだよ、いざ出陣って時に水差すんじゃねぇよ!」
「更に水を差すようで悪いが、間違っても殺すなよ」
「あんだとぉ!?」
カレンの整った顔から飛び出る素っ頓狂な声は滑稽なことこの上ないのだが、シドは胸の中に違和感をを無理やり押し込めて淑女の説得にかかる。とはいっても、今の彼女は愛刀・虎徹の影響下にあり、いつもより煽りや煽てが効く。そういう意味ではちょっぴりやりやすい。
「伝説の名刀・虎徹にしてみりゃ、切り結んだ相手の生殺与奪なんてお手のもんだろ?」
「あったりめぇよ、俺様を誰だと思ってるんでぇ!」
「じゃあ、殺さないていどに痛めつけるってのも楽勝、と」
「……全てはお嬢の心ひとつだ。あいつにそういう気持ちがあんなら、上手いこと俺を御せるだろうぜ」
苦々しげに吐き捨ててはいるものの、虎徹の意識はひとまず、戦うことに向いてくれたようだ。
《《彼》》は竹を割ったような素直な性格なので、シドでも割と扱いやすい。《《兼定》》のような理屈屋や、《《お菊》》のように天衣無縫すぎる相手だとこうは行かない。
「CC、クロスケ! 俺とカレンで二人を抑え込むから、まずはひたすら耐えてくれ」
「ご武運をお祈りします」
万屋の面々に手短に指示を出すシドを見て、カレンはニヤニヤ笑っている。
「なんだ、テメェも手下を持つようになったのか?」
「俺だって歳をとったんだ、立ち位置だってすこしは変わるさ」
「昔はお嬢くらいしか仲間のいなかった坊主がなぁ……」
「ほっとけ」
こんなところで昔の話を蒸し返されては溜まったものではない。二の句を継がせまいとぴしゃりと言い切ったシドは、からかうような底意地の悪い笑みを浮かべるカレンのそばに並び立つ。
「俺が【防壁】を降ろした時が、始まりの合図だ」
「言われなくてもわかってらぁ。いくぜ、坊主」
口の減らないやつだ、と苦い顔をするシドと、ニヤニヤ笑いを崩さないカレン。底知れぬ魔力を秘めた統治者を制圧するべく、二人の魔導士が動き出す。
「三・二・一、行くぞ!」
【防壁】を下げた二人に、幾多もの切っ先鋭い氷柱が迫りくる。
「気をつけろ! 来るぞ!」
【加速】で一旦大きく下がり、再び発現させた【防壁】で幼女の攻勢を凌ぎながらも、シドは淑女への気遣いを忘れない。
一方、当の本人はシドの心配などどこ吹く風。それどころか鼻であしらう有様だ。
「余計な心配してねぇで、テメェはどうにか生き延びることだけ考えてろ!」
振り向くこともなくシドを一喝したカレンは、分厚い絨毯をものともせず、床が抜けんばかりの強い踏み込みを見せる。
直後、雄叫びとともに繰り出された横薙ぎの一閃で斬り飛ばされた氷柱に、目を見開いたエマの顔が映る。
「なんて馬鹿力……!」
細い体躯で重戦車さながらに突き進むカレンに驚き呆れていたエマだが、それも短い間のこと。歳に似合わない不敵な笑みを浮かべれば、雨後の筍ですらこうは生えまいとばかりの勢いで氷柱が伸びてくる。
「粗忽者! 後ががら空きじゃ!」
その首取ったり、とばかりにカレンの背後から一撃を叩き込もうとするエマだが、その目論見は悪態と共に淑女が放った、振り向きざまの横薙ぎによって無残に砕かれる。
「つまんねぇ手ぇ見せんじゃねぇ!」
標的を完全に視界にとらえて前進し続けるカレンの勢いは止まらない。彼女を足止めしようとアリーが投げつけた十本の手術刀に至っては、
「すっこんでやがれ、この三下が!」
一閃の風圧で木の葉もかくやとばかりに叩き落とされる。
カレンの肉薄を許した幼女は、力強く振り抜かれた一太刀を分厚く硬い氷で受け止めるのが精一杯。重い一撃を受け止める幼女に一旦は驚愕の面持ちを浮かべたカレンだが、予想以上の使い手に出会えて嬉しいのか、自然と口元から笑みがこぼれてしまうようだ。
「命の取り合いってのは、小細工なしの真っ向勝負でやるから楽しいんじゃねぇか。そうだろ?」
「抜かせ、この戦闘狂めっ……!」
互いに一撃を加えられる間合い、命の奪い合いができる距離で、淑女と幼女が不敵に笑っているのは、あまりにも奇妙としか言いようがない。
「アリー、気が変わった! 手出しは無用、下がっておれ!」
「……承知しました」
アリーは自分が斬られてもたまらないとでも思ったか、渋々ながらも、主のワガママに従い引き下がる。
「坊主、止めに入るってならただじゃおかねぇからな!」
「保証はできねぇよ。ったく、少年漫画じゃあるまいし……」
シドも一旦引く姿勢を見せるが、内心では割って入る機会を伺っている。彼らの目的はエマやアリーを仕留めることではなく、「魔法使いもどき」につながるヒントを得ることだ。もし虎徹がエマの命を獲ろうとするなら、何が何でもそれを停めねばならない。
だが、大将同士は共に一騎打ちで決着をつける腹のようで、互いにギラギラした殺気に溢れている。二人を止めるのは一筋縄では行きそうにない。
「CC、クロスケ、こっちに来い」
クロが盛大なため息とともに防壁を下ろすのと、目一杯の【加速】で
ローズマリーがシドのもとに馳せ参じるのは、ほぼ同時。
アリーも彼女たちから目を離す様子はないが、獲物を振るってくる気配も今のところない。
「俺のそばから離れるなよ、命の保証ができない」
「だったらこんなとこ、とっとと出ていったらいいと思うんだけど、どうだい?」
シドの肩の上に飛び移ったクロは、ぶるりと猫背を震わせながらささやいた。
「人じゃない二人が剣を交える場によく立ってられるもんだね。君たち人間の鈍さが羨ましいよ」
「『人じゃない』? どういうこと、クロちゃん?」
「……話は後だ。聞き耳を立てられてると面倒だ」
万屋ムナカタ一同がちらりと横を見ると、アリーの赤い瞳と視線がばっちり交錯する。
「まずはここから無事に出ていく方法を考えようぜ」
そういうシドにしても、この状況にどうやって収集をつけるか、すぐに妙案が浮かばないのが本音だ。
直接的か間接的か置いておくとして、人体と医療の知識に長けたエマから、魔法使いもどきへとつながるヒントをえられる可能性は高い。問題は、当の幼女がこっちを生かして帰す気が毛頭なさそうだということ。見かけが見かけだけに少々気は引けるものの、シドたちもおめおめとやられるわけにはいかないから、多少手荒な手段を使ってでもこの場を収めなければいけない。
「……シド君、この場を上手く切り抜ける自信、あるかい?」
「どう見たって、血ぃ見ないことにゃ収まりがつかねーとこまで来てんじゃねーか」
もう一つの問題は、【憑依】の影響下にあるカレンをどうやって止めるか、である。シド達の言葉はおそらく通らないから、やるとすれば力ずくなのだが、その機を見誤れば、エマが死亡し貴重な手掛かりが永遠に失われてしまうか、逆に返り討ちにされるか、いずれにせよ面倒なことになる。
「剣を抜きな、小娘。格の違いってのを見せてやるぜ」
「口の聞き方にもう少し気をつかわんか、無礼者。身の程を知れ」
エマが指を鳴らせば、たちどころに床と壁を覆う氷が雲散霧消する。その代わりに発現したのは、冷たく輝く氷でできた西洋剣、そして幼女の体の半分を覆わんとする円盾だ。
「ずいぶん仰々しいこって。攻撃こそ最大の防御って格言を知らねぇのか?」
「馬鹿の一つ覚えのように攻めりゃいい、というものでもなかろう?」
互いにあと一歩踏み出せば一撃が入る間合いで、二人は足を止める。大上段に構えたカレンに対し、エマは円盾を前面に押し出した、守りを基調とする構えだ。
「俺様の故郷の流儀ではな、こういう一騎討ちのときは、互いに名乗りを上げるんだ」
「藪から棒に何を言うかと思えば……。郷に入れば郷に従えと言いたいところじゃが、どこの国にも似たような文化はあるからの」
現在の法律では禁止されているが、イスパニアにもかつて決闘の文化が存在した。家名のため、名誉のため、そして愛する者のために、騎士たちは剣を抜き、名乗りを上げて戦ったのである。
自分に挑み、破れていった者たちの名を、終生忘れてはならない。それが決闘の勝者の努めだと大真面目に言われていた、古き良き時代もあったのだ。そんな時代を懐かしんでいたのか、エマの唇にふと笑みが浮かぶ。
「これから死にゆく者の名など聞いてもしょうがないが、まあ、これも余興と思えば腹も立たんな。
始めようか、粗暴な淑女よ。貴様の故郷、そしてイスパニアの決闘の流儀に従おうではないか」
尊大な態度でニヤリと笑うエマを、カレンはギラついた瞳で見据える。
「ジュヴァキャトル家第十九代当主、エマニュエル・ディスヌフ・ジュヴァキャトル」
「魔導士管理機構所属、カレン・ガーファンクルに成り代わり、長曽祢虎徹」
「我が正義の為にまかり通る!」
「今宵の俺は血に飢えている!」
互いに名乗り、目線を交わしたのはほんの一瞬のこと。
カレンは雄叫びとともに、エマは静かに。互いに死線へ続く一歩を踏み出した。




