7.23 気づいてないとは言わせねーぞ
涼やかな両の瞳は、慈愛を湛えた蒼から危うい輝きを放つ深赤へ。
少女がその拳に纏うのは、瞳と同じ色の魔力光。
とっさの判断で大きく後ろに退いたアリーも、さすがにその変貌に驚いたように目を見張っている。
「……この、大うつけ者がっ!」
色素の薄い肌を一転して怒りに紅潮させたエマは、背伸びをしてシドの襟首を掴む。尊大だが親しみのあったあの表情は、今は見る影もない。
「貴様、栄養剤を小娘に使ったのか!? 処方箋を書いた我輩に確認もなしに!? 記憶が確かなら、猫に使うと言うておらんかったかの!?」
「一応、希釈して飲ませてる。まさか、今まで使えなかったはずの魔法を使えるようになるってのは想像してなかったけどな」
二人の間に割って入ろうとしたカレンを、シドは小さく手を挙げて制しながら答えた。
「……よく覚えておけ、坊主」
いささか乱暴にシドの襟を離したエマは、怒りと侮蔑の表情をあらわに、シドたちに忠告を投げかける。
「魔法を使える人間と、そうでない人間の体の構造は、貴様らが想像している以上に違うものだぞ? 普通の人間なら上手く作用する薬も、魔法使いにとっては毒となるケースもある。
今回は運が良かったと思うのじゃな。体質によっちゃあの小娘、死んでおったぞ?」
今度はシド達が顔色を変える番だった。
彼らは仕事柄、荒事に出向くことも多いため、人よりも病院に通う回数が自然と増える。そこで処方される薬を何気なく服用しているが、本来、それすらも不用意な行動だ、とエマは指摘しているのだ。
「長生きしたければ、医者の言うことは聞いておくもんじゃぞ?
それはそれとして、坊主」
一回の瞬きのあと、エマの人形を思わせる整った顔と小さな体躯から溢れ出るのは、統治者と呼ぶにふさわしい気迫だ。サービス期間は終了、親切もここまでとばかりにの態度の変化に、シド達は小さく息をのみ、幼女の次の言葉を待つ。纏う雰囲気一本で、ここまでぐいぐい押してくる相手には、そうそう出会えるものではない。
「小娘が本当にあの薬を飲んだという証拠、先天的に魔力の【放出】ができないという裏付けは、どこにある? あの小娘が今の今まで、魔力放出を使えないふりをしていた可能性は大いにあるじゃろ? 貴様ら、大人しそうな顔してなかなか食えんからの」
「まあ、もともとCCが魔力放出が使えない体質かどうかまでは、俺たちには立証できない」
カレンがちらりと目配せをしてきても、今はそれに答えている時間はない。「俺に任せてくれないか」というシドの一言を信じてここに来た彼女だが、天秤が向こうに傾き気味なのを感じているのだろう。エマの肩越しに立ちつくすローズマリーも、二人の間に流れる空気を察しているのか緊張の面持ちを隠せないでいる。
「でも、魔力放出よりも決定的な証拠があるだろうが。気づいているのに見てねーふりしてやがるのか? それとも本当に気づいてねーのか?
いや、あんたは医者、それもとびきり優秀なヤツだ。この部屋に入ってきた時のCCの眼の色と、今の眼の色が違うってことに、気づいてないとは言わせねーぞ?」
エマは押し黙ったままシドを睨み続けており、その本心は図りし得ない。
「【魔力放出】は有用だが、別に希少技能なんかじゃない。そんなのが発現したくらいで、瞳の色が変わるなんてありえねーはずだ。そのあたりはむしろ、相当数の魔導士を患者として受け入れてるあんたらのほうがよくご存知のハズだぜ?
CCの瞳の色の変化こそが、『栄養剤』を服用した証拠。そして、普通のシロモノたりえない理由だ」
魔力放出を使えるか否かは、物証としては役に立たない。だが、会議室に入った時と今で異なる、ローズマリーの瞳の色。これは立派に証拠として機能するはずだ。
エマが俯いて言葉を発しないのは、そのことを理解しているからか、それとも別の反論があるのか。
「あんたらが『栄養剤』って呼んでるあの液体、正体はなんだ?」
「……その言葉以上の意味はない」
「警察と薬学研が、揃いも揃って正体不明って分析結果を出してるんだが、それについてはどう答えるっていうんだ? 市販のどの薬とも成分が一致しない液体を、ただの『栄養剤』って呼ぶのはちっと無理があると思うんだが?」
栄養剤を分析にかけたことは伏せておきたかったのだが、シラを切り通そうとするなら話は別だ。
シドの言葉に、いよいよエマの表情が厳しくなる。
「警察に引き渡した、だと……?」
「勘違いしてもらっちゃ困る。ここに来たときにカレンが説明したが、俺たちは『魔法使いもどき』の調査をしたいだけだ。あんたらやハンディアの連中を陥れて、お縄につかせようなんて気はさらさらねーんだよ」
分析結果は、淡青色の液体が「よくわからない謎の液体」であることを示しているだけで、違法薬物であるとは断じていない。これじゃ逮捕状が出ることは十中八九ないだろうね、というのがアンディの弁だ。
「魔導器官を持たない人間に魔法を与える方法。今の所、あの栄養剤こそが、それに一番近い方法じゃないかって、俺たちは踏んでる。
洗いざらい、話しちゃくれないか、姫様?」
まだなにか隠していることがあることがありそうだ――。
黒衣の幼女の鬼気迫る表情を見れば、いくら鈍いシドでもそれくらいはわかる。
真実に迫りたいシド達と、知られたくない真実の一端に触れられたエマ。このままでは、二人の会話が辿る先は良くて平行線、悪ければ交渉決裂だ。
ここからどう、話を落ち着かせるか。誰にも気付かれないように内心で気合を入れ直したシドの背中を、冷たい汗が一筋流れる。
「……余計なことをしおって」
エマは小さく毒づくと、どこか諦観したように話しはじめた。
「本来、アレは魔法使いに使うことを想定しとらん。普通の人間に経口投与して、初めて栄養剤として機能するんじゃ」
「CCさんの【魔力放出】は、魔法使い限定の副作用なのですね。魔導器官にはたらきかけて、魔法の発現を促す。それを応用したのが、リハビリテーション棟。そういうことですわね?」
幼女は沈黙をもってカレンの問いかけを肯定する。
「薬で魔法を発現させやすい状態を意図的に作り、訓練する。そうやって、魔力の錬成・循環・変換の再定着を促す、という理屈じゃ」
シドが口を挟もうとしても、エマはそれを制して話し続ける。珍しく神妙な面持ちだ。
「ここに来る患者は、魔法を忘れて久しい者も多い。魔力生成器官や魔導回路は大抵弱っておるし、変換回路の活性も落ちている場合がほとんどじゃ。
そういう場合に取る方法じゃが……わかるか、メイドの小娘?」
水を向けられたローズマリーは、顎に手を当てて少し考える。
「薬の量を……増やす?」
「そのとおりじゃ。長いこと魔法を失っていた患者は相応の量の薬の力を借りんと魔法を思い出すことすらできんのだよ。
で、訓練を進めるにつれて薬の量を減らしてゆく。最終的には自分の力だけで魔法を発現できるようにするわけじゃ」
「薬の投与量をゼロにできるまで、やはり一年近くはかかる、ということですか?」
「魔法を失ってすぐに訓練を再開すれば、薬の投与も最小限で済む。でもな、上手く魔法の使い方を思い出せなくて、途中で薬の量を増やさざるを得ないケースも多いんじゃ。そういう患者は、どうしてもリハビリが長引くのう」
きちんと統計をとったわけじゃないが、と断りを入れて、エマは説明を続ける。
「我輩が診た限り、訓練のやり方も重要だが、魔法に対する考え方の影響が大きいように見えるの」
「どういうことだ?」
「どんな魔導士も、自分の理論を持っていて当然。問題は、それを他人に説明して理解を得られるかどうかだ。それができる者は、思い出すのも速い。
感覚で魔法を使うやつは、ツボにはまれば魔法を思い出すのも早いが、大抵はうまくいかん。ズルズルと薬の量を増やす事が多いの。リハビリ期間が短いのは、自分の魔法を理論立てて説明できる輩じゃ」
「私は長引くタイプ、ムナカタ君は早く復帰できるタイプですわね。CCさんはいかがかしら?」
「理論派を目指して目下特訓中だ」
人間性や普段の生活態度はともかく、魔導士としてのシドにはそれなりに信頼をおいているのだろう。代わりに師匠が答えても、弟子は素直に頷くばかりだ。
「CCが体験したリハビリ用の訓練メニューは本質ではない、ってことだな?」
「あれ自体は養成機関でやるような訓練と大差ない。仕込みは訓練の前、投薬の段階で終わっておる」
「今までの話を聞くと……体への負荷を無視すれば、薬によって魔法を使えるようにもなると取れますけど、その認識でよろしくて?」
「概ねあってるがの、ガーファンクルの娘よ。魔導器官を持っている人間、という前提を忘れてはならんぞ? 薬物の投与によって、神経系や脳に何らかの影響を与えることはできるが、魔導器官に相応する機能や、魔法の発現まで誘発できるかは、我輩にも正直わからん。
だが、それはあくまでも、ハンディアの技術の範囲ではという前提付きじゃ。医学の世界は日進月歩、魔導器官を持たぬ連中でも魔法が使えるようになる、そんな薬物を開発した輩がおらんとは言い切れん」
実現の可能性は薄いというだけで、エマは魔導器官を持たない魔法使いの可能性を否定していない。それをどう解釈するべきか頭をひねってみるシドだったが、すぐには結論が出そうになかった。




