7.17 ずいぶん頼もしい部下をお持ちですのね
土曜日。
日中、シドはほとんど宿から出なかった。女性陣を送り届けた後は、なにもトラブルがなければ夕方までお留守番。お喋りをする相手もいない。カレンたちにのんびり待つとは言ったものの、本当にぼーっと過ごす気など、彼にはさらさらなかった。
彼らが泊まっている宿には、中庭がある。
ローズマリーが行き掛けに淹れてくれた紅茶のポット、そしていつもの手帳と万年筆を携えたシドは、中庭に下り、デッキチェアに座り込んで考えこむ。うららかな日差しはちょっとしたリゾート気分をかきたてるが、彼の表情は苦く、あたりの雰囲気にはまるで溶け込んでいない。
「『魔法使いもどき』は、魔導器官を持たない。少なくとも、魔導回路を持っていた痕跡はない」
誰に聞かせるわけでもなく、独り言をつぶやきながら万年筆を走らせる。
「ハンディアの技術力を持ってしても、魔導器官を作り出して、人体へ移植することは困難」
このハンディアに、彼らが求めていた答え自体は存在しない。
だが、ここで行われている、人体に関する研究。その蓄積は、外科手術による魔法使いもどきの実現を明確に否定している。
「でも、ちびっ子たちの言ってることが本当なら、魔法を失ったはずの魔導士に、それを取り戻させた実績がある」
一度魔法を失い、魔導士資格の返上にまで至った魔導士が、長いブランクを経て現役に返り咲くのは難しい。年をとればなおさらだ。
でも、もしそれが可能なら――応用次第では、魔法とまったく縁のない人間を魔法使いに仕立て上げることもできるのではないか?
「そうとでも考えねーと、やってらんねーよなぁ……」
そこまで考えたシドは、手帳から目線を上げて一旦息をついた後、誰に聞かせるでもなく呟いた。考えてみればこの一週間、いろいろ調べてみたはいいが、出てくる答えは消去法のネタにしかならないものばかり。前に進んではいるけれど、その歩みは亀のように遅い。
「三歩進んで二歩下がる、か……。それでも前に進んでるだけマシか」
どこぞで聞いた歌詞を持ち出しながら、シドは宙を仰ぐ。空はあんなに明るいのに、心と思考は泥の底に沈んでいる。
次に打つべき手はなんだろう、と思考を巡らせていたシドだったが、宿の女将が呼ぶ声で現実に帰る。
怪訝そうな顔で受話器を渡す彼女を見れば、誰からの連絡かなんてすぐわかる。宿泊客宛に警察から連絡が来れば、そりゃ心配になるのも当然だ。
さて、この電話は朗報か、それとも悲報か――。
「ボクにゴミあさりをやれだって? ずいぶん無茶苦茶言ってくれるじゃないか、シド君?」
「しょうがねーだろ、これくらいしか上手いやり方が思いつかねーんだ」
夕刻。
宿に戻って早々、シドの思いつきを聞かされたクロがお冠だ。
「ボクは見かけこそ猫だけど、誇り高い使い魔だよ? 一体何を考えてるんだ君は?」
「だから、ほかに方法があるならとっくに提案してる」
シドも伊達や酔狂で提案しているわけではないから、腕を組んだまま、何を言われても折れる気配がない。
「でもムナカタ君、理由もなしにそんな提案をされたら、クロスケさんだって困ってしまいますわよ?」
弟を嗜めるようなカレンの言葉に、シドは眉根を寄せる。
「例の栄養剤の分析の件で、アンディから連絡をもらったんだ。市場、医療の現場に出回ってる栄養剤のどれとも一致しなかったそうだよ」
穏やかに微笑っていたカレンも、いつもどおりにクールな眼差しのローズマリーも、主人の提案に不満げな表情を隠しもしなかったクロも、一様にはっと息を呑む。
「……違法な薬物の類い、ってことはありませんわよね?」
「それもないらしい。あの栄養剤が何なのかまでは、結局わからずじまいだ。警察の持ってる薬物のデータと一致するものがねーんだと」
挙句の果てに、『あの液体は一体何なんだ?』と問い詰められたのだが、それを聞きたいのはシドたちの方だ。
「装置に異常がある、ということはないんでしょうか?」
「警察を通して、薬学研究所にも分析の依頼をかけてる。二つの結果はほぼ一致してて、間違いはないと考えていいそうだ」
「で、シド君。その分析結果と、ボクのゴミ溜めあさりに、一体何の関係があるんだい?」
唸り声をあげながら睨みつけてくる黒猫を制し、シドは簡単に説明する。
「ハンディアに出回ってる薬は、なにも栄養剤ばかりじゃない。病院ではそれこそ、俺たちが見たことのない薬がゴマンとあるわけだ」
「そんなことは百も承知だよ、結論から話しておくれよ」
「クロちゃん、先生にも何かしらお考えがあるんですよ」
「そうですわクロスケさん。お気持はわかりますけれど、あまり堪え性のない殿方もいかがなものかと」
「……ボク、女なんだけど」
ローズマリーとカレンになだめられてもなお、しびれを切らしっぱなしのクロが若干不憫だが、シドは淡々と説明を続ける。
「使用済みの薬のパッケージを入手して、それを分析に回す。ヤバいもんが検出されりゃそのまま警察が動きだすだろうし、今回の栄養剤みたいにわけがわからんとなったら、もう、ちびっ子を直接問い詰めるしかない」
「だったらまっとうな手段で薬を入手すりゃいいじゃないか……」
「その理由をでっち上げられそうにないから、あんたに頼むのさ。薬を買うにも処方箋は必要だし、正面切って分析用のサンプルをよこせって言ったところで通るとも思えないしな」
「……まあ、考えうる中で一番穏健な手段かもしれませんね。夜中に薬局を襲撃するよりは、ずっと建設的な方法でしょう」
シドがヤバい橋を渡るのは、本当に追いつめられたときだけ。自分たちがお縄につくような提案を積極的にする気はない。ましてや今は、クリーデンス・クリアウォーターのお嬢さんとガーファンクル家の令嬢が一緒にいるのである。二人の経歴や家柄に泥を塗る訳にもいかないだろう。
「その大役をやってのけられるのは、この中ではクロスケさんしかいませんわね」
勝手なことを言ってくれる、と嘆息するクロだが、彼女自身も他に名案があるわけでもない。渋々ながら、シドの提案を飲む。
「捨てられるパッケージに残された薬なんて、ごくわずかの量しかないと思うけど、それで足りるのかい?」
「アンディは問題ないって言ってた」
警察に例の栄養剤を二本持ち込んだシドだったが、分析にはいささか多すぎたらしい。余った一本は未開封のまま、返してもらう手筈になっている。
「期待してくれてるのはいいけど、ボクは猫だぜ? 持てるパッケージの量には限りがある」
「それなら、私が一緒に行きます」
いいですよね、と少女が問いかける前に、シドは大きく頷いていた。 【加速】魔法に長け、一行のなかではもっとも機動力のあるローズマリーと、闇夜に溶けて音もなく活動できるクロの組み合わせは、今宵の秘密のお出かけにはぴったりだ。
「で、シド君。どの薬のパッケージがお望みだい?」
「なんでもいい」
「はあ?」
細かいリクエストが飛んでくるかと思いきや、シドの返事は半ば投げやりとも取れるものだった。クロは思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
「なんかあるだろ? これを調べたいとか、これじゃなきゃダメとか」
「俺たちは医者じゃねーんだ、パッケージだけ見たところで、その薬の効果なんかわかりっこねーだろうが。何種類かヒョイヒョイって持ってきてくれれば、それでいいよ」
「……まあ、君がそう言うならそれでいいけどさ」
「薬の分析とか特定は警察に任せりゃいいさ。分析結果をみてアレコレ考えるのが、俺たちの仕事だ。
他に質問はあるかい、クロスケ?」
「いや、十分だよ。麓までは送ってくれるんだろ? そこまで連れてってくれれば、後はCCの足でどうにでもなる」
お任せください、と薄い胸を張るローズマリーを見て、カレンは優しく微笑む。
「ずいぶん頼もしい部下をお持ちですのね?」
「上司が頼りないぶん、部下が頑張ってフォローするのが万屋ムナカタのやり方だからな」
適当なことを言ってはぐらかしたシドだったが、目だけは真っ直ぐに、今夜の大仕事を見据えている。
「日が沈んだら、クロとCCをハンディアまで送り届ける」
黒猫とメイド少女が互いの顔を見て頷く。
「二人がパッケージを持って帰ってきたら、その足で王都までぶっ飛ばして、アンディに分析を依頼してくる」
「承知しましたわ。私は残っていたほうがよろしいですわね?」
「アンディやルイさんが連絡して来たら、応対よろしく頼むぜ。
質問は以上か? ないなら、日が沈むまで一眠りしておきたいんだが?」
イスパニアの昼間は長い。夕暮れが街を包むには、まだだいぶ時間がある。
CC・クロのコンビが一仕事終え、それから王都とハンディアを往復するとなれば、どんなに早くても明日の朝までかかる。今のタイミングを逃すと、眠るタイミングはしばらくない。
「ええ、よろしくてよ。私はこれまでの成果を整理しておくことにしますけど、もし眠れないなら、子守唄を歌ってさしあげてよ?」
冗談ともとれるし本気ともつかないカレンの提案をやんわりと断ると、シドはそのまま自室に引っ込み、横になって毛布にくるまった。




