5.1 必ずタネと仕掛けがある
警察署の駐車場に、トコトコと軽快なエンジン音を立てながらチンクエチェントが入ってくる。守衛のおっさんがその音を聞いて詰め所から飛び出し、運転席に収まるシドの顔を見て毎度毎度迷惑そうな顔をするのもいつものことで、もう慣れた。
隅っこに愛車を止めたシドは、大あくびを一つ。早朝にローズマリーとクロをオンボロ教会に預けた後、知り合いの図書館司書から資料を受け取った足で来たものだから、少々眠い。
受付嬢に挨拶をし、扉を開ければ、迎えてくれるのは相変わらずの慌ただしさだ。
デスクの電話はどこかしかで鳴り続けており、途切れる様子を見せない。別のフロアからは怒声が響きっぱなしだ。悪ガキに説教している少年課の担当者、夜通しの調書作成に立ち会うハメになって憔悴しきった市民の姿もちらほらと見られる。ここにいる人間の大半は、気が立っているか、疲れ切っているか、忙しい顔をしているかのいずれかだ。心穏やかという言葉とはまるで無縁の空間が、そこには広がっている。
マチ付きの分厚い茶封筒を小脇に抱えたシドは、顔なじみの刑事に軽く挨拶し、居並ぶ婦警たちの間をすり抜けて、指定された会議室のドアを叩く。中にいるのはおなじみのアンディ・ヴァルタン警部。窓をすべて開け放ってなお、霧の都もかくやとばかりに紫煙を漂わせている。
「おはようセンセイ、時間通りじゃないか」
「俺が約束の時間に遅れたことなんてあったかよ?」
普段の生活がだらしないと評されがちのシドだが、時間だけはきっちり守る。腐っても元軍属、人として守るべき最低のラインは心得ているつもりだ。もっとも、相棒のメイド少女がここにいたなら「本当に最低限ですよね」と小言をつかれていただろうが。
「CCの様子はどうだい?」
「ちょくちょく本人から報告もしてるし、俺からもレポートあげてるだろ? それじゃ足りないか?」
「そっちは公的な話だろ? オフレコで言いたいことだって、あるんじゃない?」
シドからすれば、別に依頼人に隠し立てしておくことなんてない。レポートに書くのは事実とそれに基づく考察、正直さと率直さで固められた意見だけだ。それ以外の余計な味付けはしていない。だいたい、秘密や懸念事項を自分の中に溜め込んでいたってろくな結果になりやしない。
隠し事なんて特にねーよ、と言い返したシドだが、どんなに気心知れた相手でも話の取っ掛かりは必要だ。無難なところで、ごく近況の報告をする。
「相変わらず真面目に仕事してくれるから、助かってる。もう少し肩の力を抜いても別に文句は言わねーけど、あの娘、根がそういう性格なんだろうな」
「生まれ持った性分は直しようがないよ。三つ子の魂百までとはよく言ったもんだね」
「念動力使いの一件でも、何か思うところがあったんだろうな。もっと鍛えなきゃって、暇さえあれば訓練に付き合わされる」
「いいことじゃないか」
アンディの呑気な答えに、シドは「よかねーよ」とため息をつくばかりだ。
「付き合う身になってみろ、体が持たんわ」
「だけど、彼女に魔法を教えるのは、目下センセイにしかできないことだからね。無理のない程度にがんばれ、としか僕には言えないな」
できることしかやらない。それは二人の間で、なんとなく存在する不文律だ。
シドにだって、当然限界はある。魔法とその使い方を教えることはできても、警官に必要な捜査の心得まで教えることはできない。魔導士も魔法も、決して万能ではないのだ。
では、ローズマリーが、シドに教えられない技能や資格を欲しがったら、どうするか?
シド自身は、その申し出に対しては肯定的だ。万屋の仕事や魔導士としての訓練を怠ってもらっては困るが、そうでない範囲でいろいろな勉強や経験をさせてやりたいという親心くらいは彼にも備わっている。ただし、自然とシドの手を離れたところで勉強してもらうことになるので、本属のお許しが出れば、という条件付きだが。
その話をしてみたところ、アンディは「いいんじゃない?」と軽い調子で首肯した。
「若いうちに色んな経験をするってのはいいと思うけどね。警察や魔導士はいつか辞める日が来るかもしれないけど、経験と資格は一生残るし」
「ただ、彼女の場合は魔法も格闘戦技もまだ訓練の最中だ。どっちつかずになるのは良くないだろ?」
「かといって、若いうちから可能性の芽を摘むってのもどうかと思うけどね。
センセイも同じだぜ? いろいろなことを諦めるには、まだちょっとばかり若すぎるな」
「……うるせえ」
少なからず自覚のあるシドはそっぽを向いて口を尖らせる。そこまで歳に差があるわけではないが、アンディからすればシドはまだまだ尻の青い若造なのだろう。
「とはいえ、センセイの心配はごもっともだ。講習やら研修やらの間に、君やクロスケ氏が彼女の護衛につける保証はないからな。それにあの娘の本属は警察だ。ウチの制度でなにか使えるものがないか、上に掛け合って検討するよ」
「うん、よろしく頼む」
ところでセンセイ、とアンディはタバコをもみ消し、新しい一本に手を伸ばした。気分を切り替えたつもりなのだろう。
「やっぱり、魔導回路ってのがないと、魔法は使えないのかい?」
「前にも言っただろうが。それがないことにゃ何も始まらねーよ」
シドの持ってきた資料がようやく日の目を見ることとなった。王立大学医学部紀要のコピーで、養成機関との共同研究の成果が掲載されている。
まったく知識のない分野の専門用語が所狭しと踊る書類を前にして、どうしても眉が寄ってしまうアンディだが、それでもなんとか理解しようと眼を走らせる。
「たとえばさ、センセイ。人工的に魔導回路を作るってのはできないのかい? ほら、この前のCCのときみたいにさ」
アンディの言葉に少し首を傾げたシドだが、すぐに思い当たるものが出てきた。おそらく、前に見せた制御帯のことを言っているのだろう。
「着眼点としては悪くねーよ。魔導器自体は、何かしら魔力を流す機能をもってる。CCのトンファーに巻いたアレも、主な機能が魔力量を絞るってだけの話で、魔力を流していることに変わりはない。
人工的に魔導回路を作るって研究も、それなりに歴史が長いテーマのはずだ。今日持ってきた資料には載ってないけど、魔導士向けの義肢装具への応用例もある。魔力を流して動かすんだ」
「やっぱすごいな、魔法!」
それなら可能性がある、と希望にすがるような目をするアンディの頬を、シドは理屈という名の平手で容赦なく引っ叩く。
「いくら体の外に回路を追加したからって、そこまでどうやって魔力を持ってくるか、って問題は解決してねーだろうが」
「体に埋め込めば万事解決だろ、どうだい?」
「夏休みの電子工作でハンダ付けするのとはわけが違うんだぞ? もし人工魔導回路の生体移植なんて成功してみろ、魔導士の世界は上を下への大騒ぎだ」
「でも、義手とか義足への応用例はあるんだろ?」
「もともと体に備わっているナマの魔導回路に、義肢装具に仕込んだ人工魔導回路を接続するんだ。新しく体に回路を追加するわけじゃない」
あからさまに落胆した様子のアンディが少々気の毒ではあるが、この際である。シドは現実と理論を持ち出すと、容赦なくもう片方の頬を張ってゆく。
「魔力の錬成はどこでやってるかっていうと、脳だ。脳で作られた魔力が、魔導回路を通って体のあちこちに運ばれる」
シドは自らのこめかみをトントンと叩いた。
「仮に人工魔導回路を体に埋め込むとしたら、脳から腕なり足なりまで回路を引っ張って来なきゃいけない。当然大手術になるはずだ。
でも、これまで俺たちが相手にした三人の魔法使いには、魔導回路も手術痕もなかったんだろ? だとしたら、あいつらが魔法を使えたのには、もっと別の理由があるって考えるべきじゃないか?」
シドの言葉を聞いたアンディは、腕を組み、神妙な顔で唸り声をあげている。
「……それを克服する方法は、ないのかい? 魔法使いの中にも、理論とか理屈を超えた存在がいるんじゃないのかい?」
「それは違うぜ、アンディ。魔法を仰々しくとらえすぎだ、それじゃ本質を見誤る。大抵の魔法使いが起こせる現象なんて、教科書に載ってる物理現象と大差ねーよ。例えばこんな具合にな」
諭すように語っていたシドが、突然中身の入ったティーカップを逆さにひっくり返すものだから、アンディも慌てて手を伸ばす。
だが、紅茶は一滴もこぼれない。アンディは目を見張ったまま、上げた手の下ろしどころを探しているようだ。
「慌てんなよ、アンディ。何のことはない、こいつの口に魔力で壁を作ってフタをしてるだけだ」
シドは冷めた紅茶を一息で飲み干し、カップを空にしてみせた。
「魔法でやってることなんて、手品とか奇術と似たようなもんだ。必ずタネと仕掛けがある。ただ、使う人間が限られてるってだけの話だ。起きてる現象の規模に違いはあるけど、基本的な物理の法則を大きく捻じ曲げてるわけじゃない。
いつも警察がやるみたいに、証拠を集めて裏取って、理詰めで事件の裏側を暴けばいい。必要なら力を貸す」
「……なんだかんだ言ってやる気出してくれてんじゃないか」
アンディは腕を組むと、片目をつむってニヤリと笑う。裏表のない言葉を口にしただけなのに、なんだかからかわれているようで居心地が悪くなってしまうシドである。




