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魔導士はつらいよ〜万屋ムナカタ活動記録〜  作者: 白猫亭なぽり
第4章 猫とメイドと希少技能
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4.6 その気になってくれたようで何よりです

 パーティが始まってからずっと、ローズマリーは会場の一角で招待客を観察していた。

 さすがは上流階級の集まり、不審者がいないかと目を凝らしてみても、明らかに怪しい立ち居振る舞いの人間は見当たらない。そもそも、酔っ払って羽目を外すようなやつすらいない。ここは社交の場であり、そこらの安酒場(バル)とはワケが違うのだ。

 そんな華やかな場にあって、ローズマリーは頬杖をついてしかめ面を浮かべていた。涼し気な眼差しが印象的な可愛い顔も、婦警たちが気合いを入れて飾り付けた髪やドレスも台無しである。本人はどうにか平常心を保とうとしているのだが、内心の苛立ちを隠しきれていない。


 ひっきりなしに誘いの言葉をかけてくる方々は、なんとかならないものかしら――。


 ローズマリーは人知れずため息をつく。

 彼女の心を悩ますのは、先程から頻繁(ひんぱん)に繰り返される男からのアプローチ。一人で時間を持て余している女性を見かけたら即座に声をかけることが正義と信じてやまない、典型的なイスパニア人男性の猛攻に、彼女は先程から辟易していた。

 ローズマリーが人目を引く美少女であることも、彼らの行動に拍車をかけた。普段は地味なメイド服姿でごまかしている彼女も、今日は上流階級のお嬢さん方と張り合うくらいに着飾っているのである。可憐ながらも一本芯の通ったその表情が自然と男たちの目を引きつけるわけだが、その結果、砂糖を吐きそうな甘い言葉がひっきりなしに投げかけられてはたまったものではない。

 そもそも、彼女がこの屋敷に来た理由は一夜のアバンチュールや将来の婿探しではなく、任務である。ローズマリーは実に真面目な娘で、公私をきっちり分けるタイプだし、そもそも軟派な男は彼女の好むところではない。最初は柔らかく丁寧な物腰で断っていた彼女だったが、埒があかないのでいつも以上に冷たい目線と言葉で対応したところ、声をかけてくる男が目に見えて減っていった。これでようやく、仕事がしやすくなるというものだ。

 だが、彼女の神経を逆撫でするのは、ナンパ男の存在だけではない。

 漏れ聞こえてくる招待客の会話も、情け容赦なく少女の神経を逆撫でする。上品な言葉でラッピングされていても、内容そのものは婚約披露という場に似合わぬ、タブロイドのゴシップ記事と大差ない噂話である。

 ある招待客はパサート家の財政の話に花を咲かせていた。曰く、先代の頃から経済的に困窮(こんきゅう)しており、娘を「売りに出す」ことで伯爵家の面目を保っている状態である、と。

 またある者は、家柄の上下を話題としていた。そいつに言わせれば、伯爵家の娘が格下の子爵家に嫁ぐというのは、あまり世間体が良いものではないらしい。ローズマリーも良家の生まれだが、幼いころに家族を失っているからそのあたりの機敏をよく知らない。挙句の果てには、パサート家の現当主に跡継ぎがいない以上、当代で家が途絶えるだろうと噂していた。

 どこから仕入れたのかはわからず仕舞いだが、ダスター卿に関する妙な噂話も尽きない。海運業を中心とした運送業で身を立て、一躍富豪の仲間入りをした時代の寵児(ちょうじ)。だが、短時間であれだけ事業を大きくできたのは裏社会の人間と手を組んだからだの、金で爵位を買って閨閥(けいばつ)結婚でのし上がる小狡(こずる)いエセ貴族だの、割ととんでもない評価をされている。

 そんな噂話が水面下で流行病のように広がっているのを知ってか知らずか、件の新郎新婦は招待客のもとを回って時折談笑している。

 上流階級の方々からは散々な言われようのダスター卿、どんな辣腕家(らつわんか)・野心家かと思って見てみれば、十人が十人優男に分類するであろう面構えで、ちょっと冴えない印象さえ受けてしまう。自前の会社をイスパニア屈指の大会社に育てた敏腕経営者には到底見えない。

 花嫁・ルルーナ嬢の笑顔は深窓の令嬢という表現がぴったりの穏やかなものだ。彼女が身に(まと)うドレスも、一見シンプルではあるがデザイン自体は流行の最先端。彼女の上品な立ち居振る舞いを一層引き立てている。

 新郎新婦が挨拶回りに来たときばかりは、俗物根性にまみれた出席者達もさすがにお祝いの言葉を贈る。だが、先程から嫌になるほど下世話な会話ばかり聞いていた少女には、その空気がひどく上滑りしたものに見えて仕方なかった。


 ローズマリーはふと、父の姿を思い出す。


 内務大臣という地位にいた以上、上流階級の人々との交流も多かったはず。自身や家族に対する誹謗中傷や噂話を耳にすることもあっただろう。でも、彼女の記憶の中の父親は、極力そういった人々との付き合いを避け、家族とともに多くの時間を過ごしていたように思うのだ。もしかしたら、そうすることで家族を守っていたのかもしれない。


 ふと胸に迫る懐かしさに、一筋の涙がこぼれる。

 誰にも気づかれずにそっと目尻を拭ったローズマリーは、一瞬だけ年相応の少女の顔を見せた。


 ただ、それは本当に一瞬だけ。再び前を見据えた彼女の眼差しは先程と同様か、それ以上に冷え冷えとしたものだった。ダスター卿やパサート家に関する評価や評判は、事前にアンディからもらった資料とあまり大きな差はない。

 

 噂話からは、役に立つ情報なんてこれっぽっちも見つかりそうにない――。


 嘆息したローズマリーの表情は曇る一方だ。給仕をするメイド達のほうが、内情を知っているぶん有益な情報が手に入るのかもしれない。

 そうなると、今の彼女にできることは、この会場で狼藉を働く不届き者が現れないかどうか見張ることくらいのもの。早くパーティが終わらないかしら、と何処(どこ)か諦めたような表情で、次の口直し(ソルベ)がサーブされるのを待っていた。



 異変が起きたのはそのタイミングだった。



 きっかけは、グラスの割れる軽い音だった。

 酒の出るパーティ会場では決して珍しい音ではない。耳ざとく聞きつけたメイドが足早に向かってゆく。

 だが、彼女はそこにたどり着くことなく、足をもつれさせ、転んだ。

 ローズマリーを含む周囲の者全てが、最初は何が起こった理解できなかった。だが、血に染まる絨毯をきっかけに、混乱と恐怖が連鎖し、増幅する。

 招待客に偽装していた警官たちも椅子を蹴飛ばして立ち上がり、銃を抜いた。だが、その誰もが、首筋を鋭い一撃のもとに切り裂かれ、何もできないままにその場にくずおれた。

 一〇秒と立たないうちに複数人が致命傷を負う、という異常事態に思考が空白になりかけたローズマリーだったが、彼女の意識を現実に引き戻したのは、皮肉にも逃げ惑う招待客達の悲鳴だった。隠し持っていたトンファーを引き抜き、上着を脱ぎ捨てると、何が起こったかわからず呆然とした表情の新郎新婦に向かって鋭く叫ぶ。


「ダスター卿、ルルーナ様、伏せてください!」


 少女が叫ぶのと、ナイフが二人に向かって飛ばされたのはほぼ同時。だが、ダスター卿がとっさにルルーナ嬢を押し倒し、床に伏せたことで事なきを得る。


「お見事です、ダスター卿。お二人とも、状況が収まるまでは姿勢を低くしてください。私がお守りいたします」


 新郎新婦を守るべく、二人の前に立ちはだかったローズマリーだが、数十秒の間にどんどん悪化する状況を見て半ば混乱しつつあった。

 さっきまで自由に出入りできたはずの大扉は、外から閂でもかけられかのように固く閉ざされている。開く気配のない扉に愕然とした招待客は、不幸なことに飛んできたグラスの破片で背中を一刺しされてその場に崩折れた。それを見た者たちがさらなるパニックの渦に突き落とされる、最悪の悪循環が始まりつつある。

 ドアの外にいる警官も異常に気づいたのか、会場に突入しようと試みてはいるようだが、怒声と体当たりの音が虚しく響くだけだ。


「落ち着け、落ち着け、落ち着け……!」


 ローズマリーは平常心を取り戻すべく、数度深呼吸をする。そして、自分がこれまで目にしたものを思い返した。

 悲鳴とともに倒れたメイド。

 屈強な警官が体当たりをしても開く気配のない大扉。

 突如、招待客と警官を襲うグラスの破片や食器。

 平和なはずの婚約披露パーティで、立て続けに巻き起こった不可解な現象。これらを起こせるのは人ならざる能力の持ち主――魔法使いをおいて他にない。

 犯人を探そうと瞬時に視線を巡らせるローズマリーだったが、そいつは逃げも隠れもせず、そこにいた。


 会場中央の円卓、そのそばに立つ白スーツの男。


 目を大きく見開き、祝福されるべき二人を呪わんばかりににらみつけるその様子は、まさに鬼気迫るという表現がふさわしい。

 悪鬼そのものの形相をした彼の周囲には、割れたグラスにワインの瓶、高価そうな皿に銀の食器類、燭台などの調度品が、タネも仕掛けもなくふわふわと漂っている。


 相手の魔法がよくわからないうちに動くのは危険だ、というのが、対魔導士戦の一般原則(セオリー)だ。だが、ローズマリーがこうして立ちつくしている間にも、一人、また一人と招待客が傷を負い、倒れてゆく。

 彼女が背負った任務はダスター卿とルルーナ嬢の護衛だが、二人の盾となっている限り、他の招待客の血が際限なく流れる可能性がある。一方、ローズマリーの【加速】を持ってすれば、犯人の攻撃を叩き落として他の招待客を守ることもできるが、その間に二人が狙われて本末転倒だ。他の招待客を助けて任務を放り出すほど無責任にはなれないが、このまま他の招待客が傷付き血を流すのを黙って見過ごせるほど、彼女は薄情ではない。

 二律背反に思考を揺さぶられて泣きそうになりながら、少女は部屋を見渡す。大扉は開く気配をまるで見せない。この調子では、シドが駆けつけるのはきっともう少し先のはずだが、現状、頼れる誰か(ホワイトナイト)を待っている時間的余裕はない。招待客に偽装していた警官たちはも真っ先に狙われ、倒れた。


 ――怖い。


 養成機関(アカデミー)で、万屋ムナカタで、そしてオンボロ教会で、魔導士を戦ってローズマリーだったが、明確な殺意を持つ敵に一人(・・)相対(あいたい)するのはこれが初めてだ。どんなに強い決意をしても、恐怖が手を、そして膝を震わせる。

 だが、今、この状況を打破しえるのは彼女をおいて他にない。少女は怯える心を無理やり押さえつけ、細くて華奢な体から声を絞り出す。


「あなたの相手は、この私です!」


 犯人の注意をダスター卿やルルーナ嬢、他の招待客から自分に引きつける。あとはシドが駆けつけてくれるまで持ちこたえる。

 それ以外にできそうなことが、彼女には思いつかなかった。


「右手に銃を、左手に花束を」


 トンファーを構え直し、白スーツの男を冷たい眼差しで睨みつける。


「我が心に不屈の炎を、復讐するは我にあり――【強化】!」


 ローズマリーが一歩踏み出した途端、ふわふわ漂っていた刃物やガラス片の切っ先が一斉に彼女の方を向く。その数、三〇以上。

 逐次撃ち出されるだけならいくらでも対処できる。だが、それを一斉に撃ち出されたらどうすべきか。

 一瞬迷いを見せた少女の眼前に、犯人の撃ち出した皿が迫る。


「【加速】!」


 彼女の十八番(おはこ)――【加速】魔法があれば、飛んでくる皿の軌道を目で追い、首を小さく左に傾けるだけでやり過ごすなど朝飯前だ。続いて放たれたナイフも、容赦なくトンファーで弾き飛ばす。


「その気になってくれたようで何よりです。どんな攻撃を繰り出そうとも、私が全て叩き落として見せましょう。――お覚悟を」


 言い終わる前に飛んできた燭台を皮切りに、ローズマリーに波状攻撃が襲いかかる。

 ダンスのようとも評される独特のステップに、本来なら見せる必要のない回転(スピン)宙返り(フリップ)を始めとするオーバー・アクション。相手の注意を引くために敢えて派手に立ち回りながらも、ローズマリーは矢継ぎ早に放たれる銀器をどんどん叩き落としながら、敵の魔法に考えを巡らせる。

 手を触れずに物体を操るのは見ればわかる。

 大扉を押さえつけているのだから、彼の魔法の影響はパーティ会場全体に及んでいるはずだ。

 それなのに、と少女は訝しむ。


 ――それだけ有効範囲の広い魔法なら、何故、死角から仕掛けて来ないのか?


 相手の死角を突くのは、対魔導士戦でも定石中の定石のはず。彼女もずっと警戒をしてはいるのだが、背後から何かが飛んでくる様子は一向にない。

 もう一つ気になるのは、敵の魔法の強度だ。警察の面々が大扉を開けるのに四苦八苦している現状を考えれば、ローズマリーの動きを止めて押さえつけることなんて容易いはずだ。

 試されてるのか見くびられてるのか、敵の意図は今ひとつ見えないままだが、手加減されているのなら願ったり叶ったりだ。その間に敵の魔法の間合いと特性を見切り、シドが駆けつけるまでの時間を稼ぐ。

 初の単独戦闘に動揺してこそいたが、ローズマリー自身は正しく自分の役割を認識していた。体もちゃんと動くし、周囲の状況もきちんと見える。

 だが、やはり彼女は、デビュー間もない魔導士だった。

 どうしようもない差――経験不足を、痛みをもって思い知らされることとなる。


 迫る何かを咄嗟にトンファーで弾き飛ばそうとしたローズマリーだったが、それが磁器の皿と気づいたときには、無数の破片が彼女に襲いかかっていた。

 細かくも鋭い切っ先は、豪奢なシャンデリアの光を反射しながら、少女の白い肌を容赦なく傷つける。


「痛っ」


 顔を歪ませた少女を見るや、犯人は作戦を変えてきた。

 トンファーは攻防一体の武器だが、割れ物に対しては砕くことしかかなわない。そこに目をつけたのか、敵は少女を破片で間接的に(なぶ)り殺すことに決めたらしい。料理が乗っていた皿に留まらず、ワインの空き瓶にグラスと、とにかく割れるものを片っ端からローズマリーへと撃ち出す。

 ローズマリーにしてみれば、犯人の攻撃を避けるなんて朝飯前だ。だが、今の彼女の仕事は、ダスター卿とルルーナ嬢を守ること。二人の前からは、一歩たりとも退()くことを許されない。たとえ自身を傷つけ、痛みに苛まれたとしても――。

 陶器、磁器、ガラス。それらの破片が、少しずつ確実にローズマリーを傷つけてゆく。ドレスはあっという間に赤く染まり、吸いきれなくなった血が滴り始めた。身体を魔法で【強化】しているとはいえ、魔力の消耗と増える一方の手傷で、彼女の息は早くも上がり始めている。

 ふたたび膝が震えだしたのは、緩やかに向かってくる死の恐怖からくるものか、単に体力が尽き始めているからか。何れにせよ良い兆候ではない。もう少し耐えればシドが来てくれる、その希望だけで立っているようなものだった。


「さすがにちょっとまずいかしら……?」


 ローズマリーの動きは鈍りつつある。【加速】である程度カバーしていても、傷の影響はもはや隠しきれなくなっていた。

 犯人もそれに気づいたのか、飽和攻撃で彼女を仕留めることに決めたようで、幾多もの切っ先が彼女に向けられている。当たれば良くても大怪我、悪ければ致命傷は必至だ。

 自身に向けられた無数の刃に、ローズマリーの額には焦燥と緊張の汗が浮かぶ。さすがに皮肉や小言をつく余裕はない。可憐な唇から出てくるものは今や、普段は絶対に口にしない、救いを求める言葉だ。


「あんまり長く持ちそうにないかな……? シド先生、早く来て……!」


 ローズマリーが痛みに膝を折りそうになった瞬間、犯人がニタリと不気味な笑みを浮かべ、一斉に刃を撃ち出した。

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