4.1 暇を持て余すくらいでちょうどいい
肉体の疲労がそうであるように、魔力も適切な休息を取ることによって回復する。若ければなおさらそれは早い。たとえ魔力切れを起こしても、一昼夜しっかり休息をとれば、普通はまたバリバリ魔法を使えるようになる。
だが、逃走犯の逮捕に駆り出されたあの夜、ローズマリーはさすがに無茶をしすぎた。
昼間に魔力を切らしたにもかかわらず、数時間の休養だけで犯人の追跡に向かうという強行軍の結果、事件後三日間はベッドに臥せたまま、死んだように眠って過ごすハメになった。シドも他の仕事をほっぽりだし、ローズマリーにつきっきりでいるしかない。時折静かに寝息を立てていることを確認してはほっと胸をなでおろす、その繰り返しである。
クロはその間、少女の抱き枕として過ごすこととなった。相当ガッチリ抱きしめられていたらしく、いつもの飄々とした様子が嘘のように憔悴しきった顔をしていた。
復帰直後のローズマリーは目に見えてやつれており、線の細さがより際立って見えた。大丈夫と言い張ってはいたものの、それを鵜呑みにするほどシドもバカではないから、当面は現場での仕事やハードな訓練は控えさせた。若いうちは多少の無茶が利くとはいえ、それを重ねすぎてぶっ壊れてからでは遅いのだ。
とはいえ、現状、片付けなければならない事務仕事もそれほど多くはない。言いつけられた作業をすべて終えたローズマリーは、膝の上にクロを乗せながら、図書館で複写した資料を読んでいた。シドは行き先も告げずに出かけたまま、いまだに帰ってくる気配がない。
「先生は一体どこにご用事なのかしらね、クロちゃん」
時折クロをなでて話しかけるが返事は返ってこない。どうも半分まどろみの中にいるようで、ずっと香箱座りのまま、時折大あくびと勝手気ままな猫らしい振る舞いを繰り返している。
あの夜――逃走犯を追っている最中に聞こえた声は幻聴だったのだろうか、と少女は首を傾げる。
シドやアンディのものとは明らかに違う中性的な声。聞き間違えではないはずだが、あの時そばにいたのは黒猫だけである。シドに聞くのもなんとなく憚られ、未だに誰の声だったのかわからずじまいだ。
ちょっと早いけどお夕飯の仕込みをしましょうか、とローズマリーが椅子の上で背筋を伸ばすと同時に、呼び鈴が事務所に響く。それに反応したクロは音もなく少女の膝から降り、少女に習ったわけではないだろうが、大きく伸びをした。
来客の予定はないはずと訝しむ少女は、クロを伴い、警戒しながらそっと扉を開けた。
「やあ、CC。お加減はいかがかな」
玄関にいたのは顔なじみ……どころか、ローズマリーの本来の上司・アンディ警部だった。いつもスーツ姿のアンディだが、階級章をつけているところを見ると公的な用事で来たのだろう。ローズマリーがそれを指摘すると、アンディは「目敏いね」と笑う。
「センセイに話があるんだけど、ご在宅かな?」
「朝から出かけてますけど、もうすぐお戻りになるかと。お待ちになりますか?」
「悪いね、ご厄介になるよ」
アンディは客間に通されると、勝手知ったるなんとやらとばかりにソファに腰掛ける。
「この前はご苦労だったね。ずいぶん疲れちまってたみたいだけど、もう大丈夫なのかな?」
「身体はもうなんともないです。私としては、明日にでも現場に出たいんですけど」
「あんまり無理しなさんな、センセイに怒られるよ? それに、そんなにホイホイ事件があったらたまったもんじゃない」
静かだがやる気に満ち溢れたローズマリーに対し、アンディからは(普段のシドほどではないにしても)やる気が今ひとつ感じられない。彼女の本来の所属は警察であり、アンディは直属の上司にあたる。だが、入庁翌日に万屋ムナカタに出向に出されたため、彼が上司という実感に乏しい、というのローズマリーの本音だった。それどころか、立ち居振る舞いも態度も一般的な警察のイメージとかけ離れた彼が、本当に警部なのか疑っているフシすらある。もちろん本人には言わないが。
「僕らみたいな職業の人間はね、暇を持て余すくらいでちょうどいいんだよ。それはこの街が平和であるってことにほかならないからね」
どこかで聞いたようなセリフと共に、アンディは悪意のない笑顔を浮かべる。
「でも、ここにいらしたことってことは、そうは言っていられない事態になったんでしょう?」
「そういうこと。詳しくはセンセイが帰ってきてから話すよ」
アンディは湯気の立つコーヒーカップに口をつける。微笑みはいつもと変わらないが、眼だけは物憂げに、ここではない遠くを見つめているように見えた。




