3.14 これはやっぱり、君の仕事だぜ
どれだけフェイントを交えても、速度を上げても、行く末を塞いでくるローズマリーの粘り強さ。
銃弾も自慢の拳もすべて防ぎ切る使い魔の【防壁】。
それらを前にして、逃走犯は目に見えて苛立ち、焦りはじめていた。彼の顔に張り付いた疲労の色はどんどん濃くなり、左右へひらひらと舞うような目障りな脚さばきはすっかり鳴りを潜めている。
このまま足止めを食ってしまっては警察が来てしまう。
ヘリの羽音も近い上に、非常階段に続く通路から足音と声が響いてきているのだ。そんな状況にもかかわらず、眼前のか弱そうな少女を出し抜いて逃げることはおろか、倒すことすらかなわない。
やがて、幾度目かの切り返しかはわからないが、逃走犯は足をもつれさせて転んだ。立ち上がろうとしても体を思うように動かせず、驚愕の表情を浮かべる男を、ローズマリーは冷たい瞳で見下ろす。
「ようやく、足を、止めましたね」
逃走犯は悔しげに歯ぎしりするが、這いつくばったままで身体の自由がきかない状況に変わりはない。
昼間からずっと逃げ続け、石油公社ビルの壁面に登り、最後にローズマリーと大立ち回りを演じた。それだけ長い時間魔法を使っているなら、近い内に魔力を切らすはずと信じた少女は、気力を振り絞ってさらに【加速】し、その執念で彼を足止めし続けたのだ。
逃走犯と少女の距離は、およそ三メートル。いつもなら瞬く間に削り取れるはずの距離だが、今の彼女にとっては絶望的に遠い。
余力が残っていないのは、ローズマリーも似たようなものだった。
一歩を踏み出そうとしても、膝が踏ん張ってくれずにその場に倒れ込む。その様子に反応した男が銃口を向けると同時に、クロは肩から飛び降り、少女を護るために全身の毛を逆立てて魔力を集中させる。
「あとちょっとなのに……動け、動けっ!」
普段だったら絶対に見せない、鬼気迫る表情で地面を掻くローズマリーに、逃走犯は震える手で狙いを定める。
「せめて天国に行けるように、神様にお祈りでもするんだな……!」
「撃てるもんなら撃ってみろ……! 私には優しい黒猫と先生がついていてくれるんだから……!」
防御を完全に相棒に任せきったローズマリーは、銃口が目に入っていないかのように、逃走犯との距離を少しずつ削り取ってゆく。それはだれが見ても、亀の歩みより遅いものだった。
「突入!」
均衡を破ったのは警官隊だった。アンディの合図で屋上へなだれ込んだ警官が、這いつくばったまま動けない逃走犯の拳銃を蹴飛ばし、複数人で後ろ手に押さえ込む。
「すまん、少し遅れた。よく頑張ったな」
犯人の確保を警察に任せたシドは、油や埃で汚れるのも厭わず、倒れ伏していたローズマリーを抱え起こした。
「遅いですよ、先生……。どうなることかと思いました」
少女の憎まれ口にもいつもの力がない。シドが来たことで安心したのか、完全に体重を彼に預けきっている。
「先生、CCを連れてこれるか」
「無理だ」
「行けます」
「どっちだよ」
師弟の矛盾した返事に、アンディはつい相好を崩す。
「肩を借りれば、なんとかなります。シド先生」
「……無茶しやがって」
「そうさせたのは先生とアンディ警部でしょう」
口が減らないやつだなぁ、と愚痴をこぼしながらも、シドは弟子に肩を貸してやる。
ローズマリーの足取りは弱々しいが、どうにか一歩一歩、着実に歩を進めていく。
「今日の最後の仕事だ、CC。君が追い詰めた犯人に、君自身の手で手錠をかけてくれ」
アンディの計らいに、ローズマリーは小さく首を振る。
「私一人で追い詰めたわけじゃありません」
「君がいなかったら取り逃してた可能性もあるしさ。それに、これをやってくれないと、僕たちも仕事を終えられないんだよね」
「俺はアンディに賛成だ。CC、これは君の仕事だぜ」
少し迷ったローズマリーは、アンディから手錠を受け取った。追跡前に受け取った時と今では、どうにも重さが違うように感じる。それは彼女が魔力を使い果たして疲弊し切っているせいか、それとも犯罪者を逮捕し、世に平和をもたらすという、警察としての仕事の重さを自覚したことによるものか。いずれにしても、彼女の疑問に即座に答えてくれそうな大人は、ここにはいない。
先生、とローズマリーはシドに耳打ちする。
「手を貸してくれませんか? 正直、もう体が動かなくって」
「……しょうがねぇなあ」
ローズマリーの小さな手に、シドはそっと手のひらを重ね、逃走犯に手錠をかけた。
「二一時〇七分、犯人確保。これより犯人を移送する。CC、ご苦労さん」
「事後処理は俺がやっとくから、その間に休んでろ。クロスケ、CCのそばについてやってくれ」
ローズマリーはその言葉すら聞ける状態でなかった。
魔力切れと疲労でまともに動かせない体をシドに預け、いつもの振る舞いからは想像もできないくらいに弱々しい笑みを浮かべたメイド服の少女は、静かに目を閉じて眠りについた。




