12.26 俺たちは、なぜ、ここにいる?
エマの目配せを受けたアリーは、懐から出した携帯ラジオのスイッチを入れる。日付を塗り替える時報の後を追って届いたのは、王都各地の状況を伝える緊急放送だ。男性アナウンサーの声はいつもより硬質で、それが被害の甚大さを引き立てる。
[……引き続き、王都市内における自爆テロ事件、および旅客機墜落事故についてお伝えします。
昨日昼頃、自動車爆弾による自爆テロの被害にあいましたホテル・オリエントとその周辺地域に、イスパニア航空一〇八便と思われる旅客機が墜落しました。被害規模の詳細は不明で、現在も警察・消防・陸軍による捜索活動が継続中であります。ホテル・オリエントでは墜落事故直前、国家公安庁と魔導士管理機構の合同記者会見が行われておりましたが、市内各所と同様に自爆テロに見舞われ、会見は急遽中断されています。関係者の話によりますと、自爆テロの被害は現場にいた魔導士によって食い止められたが、直後に旅客機が墜落したとのことです……]
「ホテル・オリエントのデザート、美味かったのにな。新しい情報は特に入っとらんな、アリー?」
「夕刻に聞いたものから、特に進展はなさそうですね。報道各社も横並びで同じ内容を繰り返し続けています」
「さっきアナウンサーが言っておった、現場にいた魔導士とやらはお主らだな、坊主?」
頷いたシドの顔からは、明らかに血の気が引いていた。
早朝に愛車で乗り付け、弟子と淑女に変装を笑われ、啖呵を切った国家公安庁長官に驚き、自爆テロから皆が逃げるまでの時間を稼ぐために駆け回ったあの場所は、すでに灰燼と帰している。その事実も十分衝撃的はあるが、それ以上の存在感をもって彼の心をかき乱すのは、なぜ自分たちが助かったか、という疑問だ。ラジオがもたらすホテル・オリエント周辺の被害状況を聞けば、シドたちが飛行機の墜落コースの真っ只中か、少なくともその至近にいたことは間違いない。
――俺たちは、なぜ、ここにいる?
シドは確かに、守りに長けた魔導士だ。クロとの【同調】という切り札だってある。それでも、重力に引かれるまま堕ちてくる旅客機を受け止めるなんて芸当は不可能だ。持っているエネルギーの総量も、瞬間的な出力にしても差がありすぎる。彼らが万全であったと仮定したとしても、不等号の向きは変わらない。
窮地から脱するという一点なら、傍らで二人を支え、【加速】魔法で力の限り駆けたローズマリーのほうが、ずっと可能性に満ちている。その能力の一端に触れたシドの見立てなら、本気の――当人曰く「歯車が噛み合った音を聞いた」――彼女なら、爆風さえ置き去りにしかねない。でも、被害を避けるだけなら、わざわざ遠いハンディアを目指す理由はない。いくらローズマリーといえども、疾走できる距離には限りがあるはずなのだから。
「その調子だと、我輩が楽しみを放りだして手当てにあたったのも覚えてなさそうじゃが、まあよかろう?」
「……楽しみ?」
「食事に決まっとろうが。ケータリングを待っとったら、南地区のトラム乗り場で二人と一匹が転がっとるって連絡が入っての。軌道の上じゃなかったのが、不幸中の幸いじゃな」
「それ、何時の話だ?」
「正午の鐘が鳴る少し前じゃな……十一時半は回っとったはずじゃぞ」
ホテル・オリエントで自動車爆弾を退けてから、ハンディアで意識を失ったまま発見されるまで、どれほど長めに見積もったとしても一時間半だ。警察のお目溢しを受けたラリー・ドライバーが、混乱のただ中の王都をスムーズに脱する抜け道を知っていれば可能性はあるだろうが、そうでないならヘリでも飛ばさないと無理だろう。
物理的に無理、彼らの手持ちの魔法では不可能。思考の袋小路に陥ったシドの万年筆は、完全に止まってしまった。
「あまり根を詰めるでないぞ。幸いなことに生きておる。まずは休んで、体をもとに戻すがよい。消耗している時の思いつきことなんぞ、たいていロクなもんじゃないからの」
「……ああ、遅くまですまない」
今のシドには、せめてできるだけの情報収集を、と食い下がる気配はない。携帯ラジオを引っ込めるアリーや、席を立ったエマに小さく礼を言うと、大人しくベッドに沈む。
「……夜が明けたら、関係者に俺から一報いれたい。それくらいは構わないだろ?」
「診察のあとなら、構わんぞ」
「ローズマリーとクロのこと、引き続き頼む」
「わかったから、もう休め」
今宵のエマは、しっかり釘をさすのを忘れてはいないけれど、シドの心情を汲んでくれてはいるらしい。言葉からは幾分、医者らしい慈愛が垣間見えている。おやすみ、とだけ言い残すと、手ずから照明を落とし、アリーを引き連れて病室を後にする。
シドのもとに、暗闇と静寂が訪れた。
頭はろくに働かないけれど、すぐに寝付ける気配もない。なにか行動を起こそうとすれば痛みが走る。もどかしさしか産まない自らの身体にいらだちを覚える彼にできることは、大人しく主治医に従うことだけのようだ。
真っ白な天井を見上げたシドの脳裏に、何でも屋としての活動を支えてきた愛車の姿がふとよぎる。ホテル・オリエントの壊滅的被害の報から察する限り、地下駐車場が無事とは到底思えない。短い間ながらも連れ添った友は、おそらく助からないだろう。
――自分の手足みたいに動く、いいクルマ、だったんだけどな。
シドはシーツに横たわったまま、人知れず目頭を押さえてため息を付く。カーテンの隙間から差し込む月明かりは、無念を晴らすには弱すぎる。




