12.8 こっちの身にもなれってんだよ
医療都市・ハンディアの姫君にして食欲魔神――エマ・ディスヌフ・ジュヴァキャトルとの愉快なお茶会以降、特に事件もなく、シドたちは平和な年明けを迎えた。
大晦日の騒がしさから一転した街には、宴の後の気だるい静けさが漂っている。万屋ムナカタは前夜、シド馴染みのバルで食事を楽しみはしたものの、皆がいつもどおりの時間に起き、各々の時間を過ごしていた。
でも、そんな日にすら、無粋な者は現れる。玄関のベルが鳴らされたのは、太陽が南中を迎える直前のことだった。
「やあ、センセイ」
ダークグレーのスーツにトレンチ・コートを引っ掛けて現れたのは、アンディ・ヴァルタン警部。魔導士資格を得て警察に入庁したローズマリーの上長であり、彼女を鍛える――と同時に保護する――べく、交流のある魔導士・シドに預けた張本人だ。
「いつも言ってるけどさ、アンディ、来るなら事前に連絡入れてくれよ」
「悪いねぇ。急な用事だったものだから」
「電話の一本くらいしたってバチはあたんねーだろ」
軽い調子の挨拶、だらしなくなりすぎない程度に着崩されたスーツは、いかにも休みに友人宅を訪れた風情ではある。でも彼の場合、警察らしからぬ装いと立ち振る舞いが常だ。公的な用事か私的なそれかは、実際に話を聞くまで判断できない。
「警部ってのは見かけより忙しいんだよ」
「わざわざ場末の何でも屋に顔を出しといて、何抜かしてやがる」
毒づくシドをよそに、アンディは我が物顔でソファに陣取る。冷ややかな視線に動じる気配など微塵も見せない。それどころか、
「こういうときは、アケマシテオメデトウゴザイマス、だったかい?」
と取ってつけたような日本式の新年の挨拶をしてみせるものだから、シドが募らす不信にあわせて、目つきもどんどん険しくなる。
「CC、例のやつ頼むよ」
「すいませんアンディ警部、毎回違う紅茶を頼まれてますから、例のものとおっしゃられましても……」
「ああ、じゃあ、おまかせで」
堂々と注文するさまは、まるで行きつけの喫茶店を訪れた太客のようだ。この後は毒にも薬にもならないおしゃべりに興じた挙げ句、厚かましくもおかわりを要求し、しびれを切らしたシドにせっつかれてようやく本題に入る――というのがお決まりだ。
でも、この日のアンディはちょっと違った。淹れてもらった紅茶を一口含んで風味を楽しむと、
「早速なんだけど、センセイ、お願いがあるんだ」
と切り出したのである。
思わず顔を見合わせた師弟は、一体どういう風の吹き回しだ、としばし考え込む。喉まで出たのを無理やり引っ込めた文句の代わりにシドが選んだのは、ささやかなねぎらいの言葉だ。
「……アンディ、新年早々ご苦労さん。あんた相当疲れてるぜ」
「忙しいのは確かだけど、憐れみの目を向けられるほどじゃない、って自分では思ってたんだけど……そんなにひどいかい?」
「いつもだったら、おしゃべりついでに嫌ってほど紅茶を飲み散らかすじゃねーか。こっちの身にもなれってんだよ」
「人を薬物中毒者みたいに言わないでおくれよ。ひどいなぁ」
「ごめんなさい、こればかりは、私もシド先生に賛成です。いつもですと、お帰りになるまでにティーポットを最低二回は空になさってますので」
「え、ホントに?」
そんなアンディが余計なおしゃべりを挟まないのだから、よほど重い話を持ってきたに違いない。
日本でいうところの正月三が日、その初日が折り返しに差し掛かったばかりというのに、どんな面倒事が持ち込まれるのか。シドの心のどんよりとした曇り空に、陽光が差し込むかどうかは怪しい。
「まあいい、嫌なことならとっとと済ませよう。何の用だ、アンディ?」
カップを下ろしたアンディは、いそいそと紙巻きタバコに手を伸ばす。本能のように紫煙を求める彼の悪癖は、万屋ムナカタの女性陣には大不評。寒風など知ったことかとばかりにローズマリーが窓を開け放てば、ナントカと煙は高いところが好きという格言に従ってクロがソファの下で息をひそめる。
「警察の年頭公式発表のこと、知ってるよね?」
「毎年新聞に出してるやつだな」
「私も見たことがあります」
アンディと仕事をするようになってからこっち、シドは警察が発表した文書にはまめに目を通し、時にはスクラップもしている。
件の公式発表は、警察の活動方針を国民に示す恒例行事だ。硬質ながらのらりくらりとした言い回しに終止する文体が特徴の、お役所文学とでも呼ぶべき文面を見て、有識者を気取る連中がひとしきり騒ぐまでが冬の風物詩である。
「センセイたちにはね、その護衛を頼みたいんだよ」
「ちょっと待てアンディ、端折りすぎだ。あれって文章を送りつけるだけだよな? 護衛って話はどっからきた?」
「……すまない、そうだね、順番に話さなきゃいけないね」
普段はもっと落ち着いているはずのアンディが必要な説明を忘れるあたり、本当に切羽詰まっているらしい。いよいよヤバいんじゃないか、とシドは警戒心を強める。
「ウチの上層部がさ、今年は趣向を変えよう、って面倒なことを言い出したんだ。例年だったらセンセイの言う通り、書面一枚を報道機関に送っておしまいってしてたところを、記者会見を開くって急遽決まった」
懐に忍ばせていた茶封筒から出てきたのは、警察の紋章が透かしに入った上質紙数枚。師弟は揃って手帳を開き、その内容に目を走らせる。




